episode2
日が暮れ始めた頃、ようやく目的地であるマルゼンダ家に到着した。
馬車を降りて見上げた屋敷は、想像したよりずっと大きくて立派だった。だけど、手入れの行き届いた庭園とは裏腹に、建物全体から冷たい拒絶の気配が漂っている。
「歓迎するわ、アリアンディ」
義理の母となるマルゼンダ伯爵夫人の、甲高い声が食堂に響いた。
マルゼンダ家の食堂は、来客を意識した“見せるための豪奢さ”に満ちていた。
壁には名画、棚には高価な銀細工の食器。荘厳ではあるけれど、家族の気配はまるでない。実家との違いに、胸が少しだけ重くなる。
「ありがとうございます。皆様、どうぞよろしくお願いいたします」
そう言ったものの、テーブルにいるのは伯爵夫人と、その息子――私の夫となるオリフタンだけ。
チラリと結婚相手を窺う。
オリフタン・マルゼンダ。伯爵令息、25歳。
グレーアッシュの髪、品の良い佇まい、身長は170cmほどで平均的。綺麗な顔立ちだけど、切れ長の目はなんだか神経質そう。
彼は黙って料理を口に運びワインを飲み、時折、母親の言葉に短く相槌を返すだけ。
私を一度たりとも見ようとしない。彼には歓迎されていない。それは明らかだった。
「寒くはないかしら?ポーラディアとは気候が違うから、花嫁に風邪をひかせては大変よ。大事な身体ですからね」
「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
この家の全てを仕切っているのは、どう見てもマルゼンダ伯爵夫人だった。
「明後日の結婚式には、ご両親もいらっしゃるのよね?」
「はい。両親も兄も参列いたします」
「それはよかったわ。これからは家族同然ですもの、良いお付き合いがしたいわ」
「伯爵様のご参列は、難しいのでしょうか?」
マルゼンダ伯爵は病でほとんど自室から出てこないと聞いている。この家の実権が伯爵夫人にあるのは、そういう事情だ。
「ええ、体調がよくないのです」
マルゼンダ伯爵夫人は裕福ではない子爵家の生まれで、伯爵に見初められ妾から正妻になったという。計算高くプライドが高い。社交界での評判はあくまで噂。真偽は分からないが、彼女の威圧感は本物だった。
「では、ご挨拶だけでも」
「お気になさらないで」
声には、明らかな拒絶があった。
「安心なさって。伯爵もこの結婚をとても喜んでいるのよ」
「では、オリフタン様のご兄弟は、ご参列されないのでしょうか?」
私の質問に、伯爵夫人とオリフタンの眉がピクリと動く。
「ええ、参列はしないと思います。幼い頃に遠縁に婿養子として出されましたから」
「そうでしたか。よく存じ上げず、申し訳ございません」
「お気にならず。そろそろお開きにしましょう」
ようやく休める――そう思った矢先。
「夫婦の寝室に、アリアンディをお連れしなさい」
伯爵夫人が側にいたメイドへ命じた。
「え?」
私より先に、モズリンが驚きの声を上げた。
「奥様、2人はまだ結婚式前ですわ」
「あら、夫婦も同然だわ。少し早くてもいいじゃないの。あなたもそう思うでしょう、オリフタン?」
伯爵夫人の視線に促され、オリフタンと初めて目が合っ た。
無表情の瞳が一瞬だけ私を捉えたが、すぐ逸らされた。
「母上がそう言うなら、構いません」
冷たい声。
私が困惑しているのは分かっているはずなのに。
「お言葉ですが、アリアンディ様は長旅でお疲れです」
「モズリン……」
ああ、本当に頼もしい。
『嫁ぎ先にも同行します』と彼女が言ってくれた時の安心感を思い出した。
だが伯爵夫人は、モズリンを鋭く見下ろし、冷たく言い放った。
「この家も、この領地も、すべて私に一任されているの。新参者が口を出す問題ではありません」
「失礼しました。ですが、大事なお嬢様をお守りするよう、侯爵家から強く――」
「いやだわ。初夜が数日早まるくらい、侯爵様は何とも思わないでしょう?」
……確かに、お父様はそうかもしれない。お母様は激怒するだろうけれど。
「あまり口うるさいようなら、オランジ子爵のもとへお帰りいただくことになりますわよ?」
さすがに黙っていられない。
「マルゼンダ伯爵夫人、お言葉ですが――!」
「お嬢様、お止めください」
反論しようとした私の腕を、モズリンが強く握る。
ここは敵陣――私たちは弱者だ。
「……分かりました。オリフタン様のお部屋に伺います」
逃げ場はない。
「賢いお嫁さんで良かったわ。ねぇ、オリフタン。あなたもそう思うでしょう?これなら早く孫にも会えそうね」
伯爵夫人は値踏みするように私を見て、高らかに笑う。
オリフタンは、どこか小馬鹿にしたように片唇だけで笑った。
――あれ?
どこかで見たような、嫌な笑い方。
「母上、俺は先に失礼します」
関心もなさそうに席を立ち、オリフタンは部屋を出て行った。
「愛想のない息子でごめんなさいね」
これ以上話す気はない――そう言うように、伯爵夫人はメイドに命じた。
覚悟を決めるしかない。
それが明後日であろうと、今夜であろうと、来るべき日は来るのだ。
心配そうなモズリンに笑みを見せ、私はメイドに付き従って部屋を出た。




