遠征
カタカタと回る車輪に合わせて僅かに揺れる座面に身を預けながら、手に持った卵のカラをむく。出てきた真っ白なゆで卵からはほんのりと硫黄の香り。
「うま〜...黄身の味濃い。」
イオデのお土産として売っていた温泉で火を通した卵を頬張りながら窓の外で流れ行く景色に目を移すと、遠目に王都を囲む高い壁が見えてきていた。
思い出してみれば過去最高の旅こ...遠征だった。
王宮で所有する音も揺れも小さい馬車で良い香りのクッションに埋もれてうとうとしながらの移動に始まり、少しだけヒビが入った石壁の結界を張り直してから肝臓が悪い人ばかりのヒュールズ治療院へ顔を出す。治療する度オジさま方に小せえのに偉いなあと頭を撫でられ、領主様との挨拶もそこそこにイオデの宿へ。結界に緊急性は無かったがついでに張り直して診療所で一通り診ると領主様にいたく感謝された。治療はもちろん、観光が主な収入源のため街の入り口が綺麗に修復されるだけで客足が変わるのだそうだ。結界の張り直しは境界となる物質に干渉するから直すとピカピカになる。
お礼に大浴場がある宿ではなく、領主ご家族御用達の森の中の一棟貸しの隠れ宿を手配してくれたのだがそれがまたもう、極上の体験だった。
静かな森の中の木材の湯船に掛け流される熱めなお湯に入って息を吐いたあの瞬間は忘れられそうにない。ご飯も王都では珍しい淡水魚の料理が美味しかった。また行きたい。被害は出ないでほしいが、近くの人里離れた森の中に魔物とか出ないかな。
「シノ様、宜しいですか?」
馬に乗って後ろに着いてくれていた護衛の人が窓の横にぴたりと横付けする。
二重ガラスのせいでかなり小さいが呼ばれたのがわかったので窓を開けると目礼された。
「今朝方通り過ぎたカンデラ湖に人を狙う水棲魔物の出現が報告されました。かなり戻る事になりますが...ご助力願えますか?」
「はい。いけます。」
一言頷くとお務め後に申し訳ございませんと馬上で深く頭を下げられ思わず前見て!と叫んでしまう。すぐ頭を上げたけど見てるこっちが怖い。
堅物そうな顔をちょっとだけ和らげて騎士ですのでご安心下さいとよくわからない理由で片付けた彼は片耳に付けたイヤリングのような物に触れ何か呟く。無線の役割をする魔道具だろうか。
「討伐隊が一時間後に現場に到着する予定ですので状況がわかり次第お伝えします。加えてディオル殿下より、決して前に出ず後方支援に徹するようにと。」
「...かしこまりました。」
護衛の人がまた頭を下げて馬車の後ろに下がったのを見届けてから窓を閉める。
...ちょっと、過保護すぎないだろうか?
こちとらシーサーペントに無傷で勝利した実績持ちである。水棲だと騎士団の近距離攻撃を当てるのに苦心するはずだ。遠くから高威力の雷魔法を撃つ方がよっぽど...。
あ、でもと思い出す。
お宿の料理でいちばん感動した淡水魚の鱗がカリカリに立った揚げ物。あの魚がたしかカンデラ湖で獲れたものだと説明された気がする。森の中の池?湖?な規模に棲む魚達は脂が乗っていて身も柔らかく料理屋の間で取り合いが起こるほどだと。魔法で湖の生態系を破壊して困るのはイオデの人達。恥ずかしい、過保護ではなく街を思っての伝言だったか。
久しぶりに出したスキルボードであまり使う機会が無かった後方支援の魔法を復習していると思ったより時間が経ったようで、再び窓の横に護衛の人が付いた。
「討伐隊より報告があり、魔物は人型であり人語を話すとのこと。」
「えっ人型?!しかも喋るんですか?!!」
びっくりして大声が出てしまったが流石騎士なだけあって眉ひとつ動かさない。
が、前例が少ない極めて珍しい件ですと教えてくれる表情は硬かった。
「過去数件しか例が無く、どれも高い魔力に苦戦しています。
そして今回の魔物は水面から顔を出すと討伐隊を見て『寂しい』『お前等は嫌だ』その二つを繰り返し発しているようで...」
誰ならいいと問いかけると女の子がいい、と。
馬車の車輪と馬の蹄が打ち鳴らす音だけの空間に、ひくりと頬が引き攣った。
「ちなみに襲われた被害者って」
「漁師の父と湖に来ていた少女です...。水辺で遊んでいたところ、足首を掴まれ引き摺り込まれそうになったとの事で。とっさに父親がナイフで掴んでいたものを刺し助けました。」
「リアルホラー映画」
「つきましては、シノ様は絶っっっ対に水面に近づかれませんようお願いします。」
絶対の部分にものすごい力込めましたね。
頼まれても近づきたくないから安心してほしい。強キャラロリコン魔物に水の中に引き摺り込まれて溺死とか笑っちゃうけど笑えない、現実なんだから死んだら笑えるはずがない。
「...ディオル殿下は、安全が保障出来ないなら自分が騎士団長に話をつけると。正直、私個人多少苦戦しても騎士団だけで対応するべきかと思います。」
「それだと魔物に近接戦を仕掛けられませんよね?小さな湖で属性魔法を使えばイオデの大切な資源を痛めてしまいますし。岸に寄せる餌が無いと。」
「それは、そうですが...」
尻すぼみに言葉に詰まってしまった騎士に申し訳なさがわく。気遣ってくれるのに正論パンチするのもどうかと思うが、単身のシーサーペント討伐に比べれば命の危険は無いはずだ。
「討伐隊の皆さんを信頼してます。絶対に水辺に近寄りません。」
「...どうか、宜しくお願い致します。それと」
首飾りを忘れるなとの事です。
不機嫌そうに眉を顰めてため息を吐く姿が目に浮かぶ。
初めから断らないと知っていてそれでも身を案じる言葉をくれるその姿勢にぎゅっと服の下で揺れるネックレスを握り込んだ。
「これ湖なんですか?」
カンデラ湖に着くとまず驚いたのがその小ささだった。対岸に建物があれば形を識別できそうなくらい直径がない。一般的に池と呼ぶには大きいが湖と言われると悩ましい微妙なライン。この世界の名称に明確な定義があるかは知らないけれど。
馬車を降りるとブーツがまばらに草の生える細かな砂地に着く。まるで砂浜だ。なだらかな下りの傾斜が重装の騎士達が集まる水際まで続いていた。名前がついた昔はもっと大きかったのかもしれない。
周りを観察していると討伐隊の中でも一際目を引く体格の男性が振り向き、膝下までを覆う青いマントを翻してこちらに向かってくる。まさに騎士といった貫禄だ。
「お待ちしておりました。討伐隊隊長のトッド・セグバントと申します。お手を煩わせてしまい申し訳ございません。」
「聖女補佐のシノと申します。煩わせるなんて仰らないで下さい。微力ですが精一杯尽力します。」
お互い頭を下げると、すぐに状況の共有が始まった。
先程もらった報告とあまり変わりはなく、人型の魔物は湖の泳がなければ手の届かない位置で水面から顔半分を出し、『寂しい』と繰り返しているそう。攻撃性はないが、討伐隊が話をしようと声をかけても『お前等は嫌だ』と断られると。なら寂しいなんて言わなきゃいいのに。構ってちゃんなのかな?
「雷魔法なら攻撃出来ますが、イオデ領主から漁師達の生活の糧を殺すような魔法は避けてくれと切に願われまして。」
「わかります。イオデに来る目的になり得る大切な資源ですから数を減らさずに討伐したいですね。」
「ご理解感謝致します。」
目尻を一瞬緩めたセグバント隊長はすぐにきゅっと顔を締めてシノ様には心苦しいですが囮となってもらいたいと静かな声を出した。
「今は潜っていますがじきに顔を出すでしょう。四方を騎士で囲み、指一本触れさせません。どうかご安心を。」
「信頼してます。もし万が一があったとしても自己防衛出来ますから。」
では宜しくお願いします。と隊長が片手をあげるといつの間にか近くにいた騎士団がびしっと私の前後左右に張り付いた。
視界全部が銀の鎧だ。圧迫感が半端ない。
「あの、セグバント隊長。皆様に身体強化を付与しても良いですか?」
「ああ、宜しくお願いします。」
すっと騎士達が離れ、私が魔力を放出した時。
湖の真ん中で大きな水柱が上がった。
「女の子だあ〜〜っっ!!」
「なっ」
「シノ様を囲め!!」
水柱から飛び出た影が矢のように私に飛んでくるのを銀の鎧が遮り、見えなくなる。
金属音とべちゃっとした水音が同時に聞こえたかと思うと護衛役の騎士が私を抱えて後ろに飛び下がった。周りを三人の騎士が取り囲む。その背中の間から、水色の髪の頭が見えた。
「その子をくれるの?ありがとう!お前等は良い人間だ!」
「連れて行かせるか!」
隊長が目にも止まらぬ速さで振り下ろした長い剣をするりと交わした魔物と目が合う。陣形を組んだ人影の間で蛇のような細い瞳孔の金色の瞳が愉悦に細まった。
「可愛い子だね、魔力も高そうだ。さあこっちにおいで」
差し向けられた手のひらから水の玉が出現する。瞬きの間に人1人包め込めそうなほど巨大化したそれは真っ直ぐにこちらに飛んできた。咄嗟に結界魔法を展開する。水の球が触れシャボン玉が割れるような軽い音をたてて割れるのと同時に結界が砕け散った。
ぶわりと冷や汗が滲む。造作もなく一番固い結界が壊されたのは初めてだ。
怯えるよりも考えろと己を奮い立たせ魔物には毒になる浄化魔法を打ち込んだ。弱い者ならそれだけで砂と消えるけれど、見た目何も効果がないどころか不快感さえ感じないようで笑っている。
「なんなの...!」
「怖がらないで。話をしたいだけなんだ。」
「水の中じゃ息が出来なくて死ぬんだけど?!」
「...ええ?そうなの?今まで一言も話してくれなかったのって、それ?。」
その言葉に複数の犠牲者がいた事を知ってぞっとする。加えて呆けた顔の魔物に隙を見出した隊長達数人が繰り出した剣を一度で弾いて吹き飛ばしモノを認識すると一瞬で体が総毛立った。
「でもなあ、ボクは水の中が気持ちいいんだよ」
人みたいに喋っているのに、腰から下が蛇なんですけど!!
水色の前髪が掛かる顔は整っているが青白く細い全身にはうっすら筋肉がついていて、ぎくりとするほど浮いた腰骨から下を青銀の鱗が覆い蛇へと変化している。人好きする笑顔を浮かべれば瞳孔が隠れて完全に人の顔に見えるのが無駄に生理的嫌悪感を煽った。
「丁重にお断りします!!」
「やだよう。一緒にいようよ」
「ひぃ」
人外激強ロリコン下半身蛇男、怖っっ!
思わず抱えてくれている騎士の人にぎゅっと抱きつくと籠手を嵌めた手に力が入った。
「お守りします、必ず!」
「わ、私も戦います!頑張ります!」
だからそのまま抱えてて下さい!
「くそっ!!」
「ねえ、そろそろ良いでしょ?その子頂戴」
私に近寄らせまいと飛びかかる騎士の連撃は固い鱗に阻まれ放った魔法は水に飲み込まれ、時間を稼いでもらって発動した高威力魔法は尾に弾かれた。
シーサーペントが子犬かなにかに思えるほど強い。的が小さく、発動してから撃つまでに狙いを定めづらいのも厄介だ。
苦し紛れに打った氷の矢も向きを逸らされ水面を凍らせる前にかき消すとそれを見た魔物がふふふと笑う。
「ボクの友達に優しくしてくれるんだ、やっぱり君が良いな。」
「話し相手がいるなら諦めろッ」
息を切らせながら雷を纏って突撃した隊長をひやりとした金色の瞳が見据える。次の瞬間しなる尾から繰り出された一撃が鈍い音で鎧をへこませた。
「ッッぐぉ..!」
「いてて、痺れる」
「「隊長ッ!!」」
「下ろしてください!治療します!」
身体強化していても今のは絶対内臓が傷ついた。治さなければ、命に関わるかもしれない。
「シノ様、駄目です!」
大人の手で抱き込まれたら抜け出せない。触れなければ、治療魔法は施せない。
倒れた鎧を覆う青いマントに伸ばしたその指先に、細い水の紐が絡み付いた。
「ッやば」
「ほおら、捕まえた」
ぐんと体を引っ張られる感覚。
抱えてくれていた騎士に握りしめられた服が破けるのを感じる間もなく地面に引き倒される。応戦していた騎士達が駆け寄るよりも早く湖に引き込まれる。
運良く隊長の側を通り抜け治療できたことだけが不幸中の幸いだったのかもしれない。
「「シノ様っ!」」
視界が白波と水で覆われた。
「さあ行こうね。」
水の中なのにはっきり聞こえる気持ち悪いぐらい優しい声に背筋が凍る。
自分が吐いた息が泡になって覆われる視界にぎゅっと目を瞑ってから胸元を思い切り握り締めた。
ネックレスが発火しそうに熱を持つ。
馴染みのある気配を感じたとき、水の中なのに突風が吹き抜ける。目を開くと私を中心に球状の風の塊が結界のように私と魔物を切り離していた。
「ゲホ、ゲホッ...ふうー...」
助かった、息ができる。
絡み付いていた水の紐も千切れてただの水となって滴り落ちる。
...本当に、殿下には感謝してもしきれない。
「!何これ。触れない」
結界と水の狭間は風が吹き荒んでいて触れると鎌鼬のように肌を傷つけるらしい。指先に出来た切り傷を庇うように握った魔物は髪を水に揺らしながら舌打ちをしそうに顔を歪めた。
ネックレスは徐々に温度を下げている。感じる魔力の波長も小さくなってきているのであまり持たないと考えるべきだろう。
頼みの結界魔法は打ち消されてしまうので使えないし、私は殿下と同じ魔法を持っていない。
「...寂しいと言っていたけど、仲間は?何故人間の女の子を欲しがるの?説明してくれなければ一緒にいることも出来ない。」
言葉が通じるのなら、交渉するしか手段はない。水中で揺蕩う魔物の青白い唇を凝視した。
「それはー...だって可愛いだもん、女の子。」
「うん?」
だもんって...。
会話が成り立つからか、どうにも緊張感が続かない。やってる事は殺意高いのに害意がないからだろうか。
大体可愛いからなんだというんだ。だから引き込んで溺死させるのが楽しいと?魔物だからってサイコパスすぎるのでは?
「だから殺すんですか?」
「違うよ!魚達は友だけど喋れないだろう?だから寂しくてたまには誰かと話したいんだ。」
「人間は水の中では喋れませんし数分で死にます。」
「お前は生きているよ?」
殿下の結界がありますからね。
さっきも人間が水中で生きられない事を今知ったような口ぶりだったから、本当に知らなかっただけなのかもしれない。今まで引き込んできた女の子達はどうしたのかと聞くと、詳細は省くが...やはり助かってはいなかった。気づいたら居なくなっていたから生きて帰ったはずだと主張する魔物にどう説明すればいいだろう。
「...人は集団で生活するので、居場所がわからなくなった人を探します。そして見つければたとえ生きていなくともお別れをするために家に連れて帰るんです。」
「お別れってなに?さよなら〜って言うだけなら魚達の餌にして肥やす方が人間だって嬉しいでしょ?お前等は魚を食べるんだから。」
想像すると吐きそうだ。
込み上げてくる吐き気を飲み下しつつ情とは何かという極めて哲学的な話をする羽目になったのだが、やはり理解は得られなかった。
話をするほど、文字通り生きる世界が違うのだと痛感する。魚を友と尊重するのに人間が故人を悼むのが理解できないようだった。
不味い、成果のない話で時間を食ってしまって残り時間が少ない。
「あの、とりあえず話は聞くので岸に上げてくれませんか?このままだと死んでしまいます。」
「えー?大丈夫でしょ、元気そうだし。」
「お願いですから。魚が話せないように、人間は水中で息が出来ない生き物なんです。」
「...ふーん?」
なんと今のやけっぱちな説明が響いたらしく風の結界の外側を泡の膜が覆う。ますます謎だ。魚?キーパーソンは魚なの?
「...どうも。これで死なずに済みます。」
「これだけでいいの?なんだ、すぐ言ってくれたら良かったのに。」
「ー...」
殴っていいだろうか。もともと討伐対象だしとっくの昔に正当防衛が成立している。
握った拳に雷魔法を纏おうか本気で考えているうちに殿下の風魔法が尽きたらしくふっと消えた。
「っ?!」
足場がなくなり足先が泡の膜を突き破る。
背中から倒れ耳が水に強く打たれた。
唐突な潜水に一瞬パニックになったがもがいた指先が空気に触れてはっと正気に戻り、水を掻いて体勢を整え泡の膜に頭を突っ込む。濡れて水を吸った服が重くてそういつまでも立ち泳ぎは出来ない。
こんな時のための身体強化か。
「わあ必死。ほんとに息が出来ないんだ。」
「ずっとそう言ってますが!!」
ほんとに殴ってやろうか!今無理だけど!
ギリギリ歯を食いしばると、下から勢いよく膜の中に押し戻された。体を支える冷たい感触にまさかと思い見下ろすと、腰掛けるような体勢の自分の下に青銀の鱗に包まれた蛇の胴体が。遠目では見えなかったが東洋の竜のように背に縦一筋水色の毛が生えていてうげっと変な声が漏れた。
「なるほどね、こうしておけは良いのか。」
「なるほどじゃないんですよ...」
このサイコパス魔物め...と心に秘めたはずの罵声がうっかり口から溢れたようで、むっと青褪めた唇が尖った。
「魔物だって?失礼しちゃうよ。あんな瘴りから生まれる脳みそ無い奴らと一緒にしないで。ボクは精霊。この水に棲むピアレイだ。」
「...せいれい?」
何それファンタジー?




