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38 許嫁が大変なんです

 光の神子の間に運ばれたサクヤはすぐさま光の神子の手によって治療が施されたが、意識を取り戻すことは無かった。


 深刻な事態に旭はいまいち実感が湧かず、ぼんやりとベッドで眠る許嫁を見つめていた。


「傷は癒せたけれど、脳にどんな影響が及んでいるか…」


 目を覚さない我が子に光の神子はやつれた表情をしていた。


「ごめん、俺がついていながらこんな事になってしまった」


 影のある表情で謝るトキワに光の神子は首を振る。誰かを責め始めたらキリが無いのだ。


「ぼくしってる!おくちにチューをしたらめをさますんだよ!」


 重い空気の中、無邪気な声でセツナが解決案を口にした。そういえば昨夜そんな絵本を読んで寝かしつけたなと思い出しながらトキワは苦笑する。


「セツナ、それは絵本だけのお話なの。実際はそんな事で目を覚さないのよ」


 悲観的な曽祖母の言葉にセツナは違うと強く反抗した。


「だってソファでねちゃったおかあさんをおとうさんがチューをしておこしてたもん!」


「トキワ、あなた子供達の前でそんな事を…!」


「別に夫婦なんだから問題無いでしょ?」


 予想してなかった情報源にトキワは開き直ったが、一同から生温かい視線に気まずくなり、話題を逸らそうと咳払いをした。


「旭、試しにサクヤにキスしてやれよ」


 兄の提案に旭は真顔で首を振った。喜んで飛び付いてキスすると思っていたので、トキワは妹は意外とウブなのだなと感じた。


「口にキスしたら赤ちゃんが出来ちゃうでしょう?」


 真面目な顔で諭す様に口にした旭の発言にトキワは未知の生き物を見たような目をしてから、教育係であろう紫に詰め寄った。


「何嘘教えてんの?キスで子供が出来たら世の中子沢山なんだけど?」


「いやあ、教えたのはおたくのお父上ですよ?子作りについてはうちと闇の神子の神官と保護者達との話し合いの結果、結婚前に教えればいいだろうという事になりました」


 大人達の策略に呆れながら、トキワは大きく溜め息を吐きつつ、神殿という閉鎖された社会で生きる妹達を憐れんだ。


「ううん…」


 周囲の騒がしさにサクヤが唸り声を上げたので、旭は顔を覗き込んだ。


「サクちゃん!」


 許嫁の呼び声にサクヤは顔を歪ませてからそっと目を開いた。旭はサクヤの覚醒に涙を流しながら抱き着いた。


「あさ…ちゃん」


 瞬きをしてサクヤは体を起こしてから現状を把握するように目を伏せた。その様子を一同はじっと見守る。


「僕はどうして眠っていたの?」


「えっと…転んで頭を打って倒れちゃったんだよ。覚えてないの?」


 旭の問い掛けにコクリと頷き、サクヤは両手をじっと見つめた後に首を傾げた。


「なんで僕はこんな手袋をしてるの?」


「えっ…」


 本人が好き好んで嵌めている指抜きの黒革の手袋に違和感を感じているサクヤに光の神子の間に再び不穏な空気が流れた。


「そういえば目が覚めてからサクヤの口調が普通だな」


 トキワの指摘に一同は頷く。ここ約1年のサクヤの仰々しい言動は形を潜めていた。


「サクヤ、あなたは頭を打ったのだから無理をしないで今日はもう休みなさい」


「お養母(かあ)さん…分かりました」


 あまり無理をさせてはいけない。今日の所はサクヤが目を覚ましたので解散となった。トキワはまた明日様子を見に来ると告げてから、セツナと共に西の集落の自宅へ帰った。旭はもう少しサクヤの傍にいたかったが、夕方の礼拝の時間が迫っていたので、後ろ髪引かれる思い出光の神子の間を後にした。



 ***



 翌日になってもサクヤは以前のサクヤのままだった。容態が落ち着いて、話を聞く内に例の本に影響されて左目が疼くだの言い始めた頃から気を失うまでの記憶が全く無い事が発覚した。


「僕は今まで何をやっていたんだろう?」


 闇の力に目覚めし仕様になっている闇の神子の間を居心地悪そうに眺めるサクヤに旭は気の毒な気持ちになった。


 蜘蛛の巣柄のマルチカバーが敷かれたソファに腰を下ろし、サクヤは記憶を辿る様に頭を抱えていた。


「無理に思い出す必要は無いよ!私はこうしてサクちゃんが隣にいてくれるだけで嬉しい!」


「あさちゃん…」


 これだ、これなんだ…優しい声色で「あさちゃん」と呼んでくれるサクヤが旭は堪らなく大好きだった。この特別な呼び方はいつだって胸をときめかせた。


「ありがとう、でも僕は僕を知りたい。協力して?」


 少し寂しそうな瞳で記憶を取り戻そうとするサクヤに旭は首を横に振る事は出来ず、一緒に過去を振り返る事にした。


「まずはこれ」


 図書館にて旭は一冊の本の本をサクヤに差し出した。


「『新月ノ夜、闇ノ力ニ目覚メル(スベ)』?」


 真っ黒な装丁の本を受け取ると、サクヤはタイトルを読み上げたが、ピンと来ないのか不思議そうにパラパラとページをめくっている。


「この本にハマってサクちゃんは左目が疼くとか言って眼帯をしたり、怪我をしていないのに包帯を巻いたり、破れたズボンを穿いたりしていたんだよ」


「そうなんだ…」


 懐かしそうに当時を語る許嫁にサクヤは少し置いてきぼりを食らった気分になりながらも本を借りて、後で読む事にした。


「これはサクちゃんと私の交換日記!本当はお気に入りの花柄のノートだったのに、サクちゃんが真っ黒に塗ったの!」


 旭が差し出したノートは絵の具で黒く塗りつぶされているせいか、所々色落ちして薄らと元の花柄が見えた。


「虚雨神煮唾鬼…どういう意味だろう?」


「交換日記って書いたつもりらしいよ」


「なるほどね」


 まるで他人事の様にサクヤはノートを受け取り表紙をめくった。可愛らしい旭の文字と文章に目を細めながらも裏移りしている禍々しい気配がする次のページをめくると、謎の魔法陣が一面に描かれていた。


「…これも僕が書いたんだよね?」


「うん、意味不明だよねー!」


 文句を言いながらも笑顔を浮かべる旭にサクヤは戸惑いながらページを進める。結局記憶を失う前の自分は最新の部分まで独りよがりに独自の世界観を展開していた。


「あさちゃんは僕がこんなの書いて嫌じゃなかった?」


「えー、嫌だったけど慣れた!それに交換日記を続けているってことはサクちゃんが楽しんでくれてる証拠だし!」


 自分が知っているいつもの楽しそうな笑顔の旭にサクヤはどこかホッとしながらも、自分だけが変わってしまったような疎外感を覚えた。


 交換日記も後でじっくり読む事にして、続いて2人は厩へ向かい、管理をしている神官にお願いして乗馬場でサクヤの愛馬、アドラメレクに2人で跨った。


「乗馬デートをしたんだけど、サクちゃんったらすっかりハマっちゃって、この子にアドラメレクって名前を付けて、以降月に1回は馬に乗って楽しんでいたんだよ」


 記憶が無いので神官に補助をしてもらいながらポクポクとゆっくりと乗馬場を周回したが、サクヤはピンと来ない様子でぼんやりと灰色の空を眺めていた。


「思い出す思い出さないはさておき、こうして一緒に馬に乗れるのは嬉しいな」


 サクヤの背中にギュッと抱き着き旭は今を楽しむ。どんな時だってサクヤと一緒なら幸せだった。


「あ、そうだ。サクちゃんったら契約している闇の精霊の名前も変えちゃったんだよ!」


「え…クロのこと?僕は何て名前に変えたの?」


「ディアボロス!悪魔の名前なんか付けたんだよ。私はディアちゃんって呼んでる」


 まさか精霊に対してそんな失礼な事をしていたなんて…子供の頃から精霊を敬う様教育を受けていたサクヤはショックで頭を抱えた。


「大丈夫?休んだ方がいいんじゃない?」


 心配する旭にサクヤは首を振って顔を上げると、早速精霊を召喚する事にした。


「クロ、おいで…」


 以前の名前を呼ぶが、反応が無い。どうやら本当に名前を変えてしまったようだ。仕方なくサクヤは改名後の名前で再度試みる事にした。


「ディアボロス、おいで…」


 サクヤの呼び声に地面から漆黒の沼が現れて、そこから黒いふわふわの毛並みが愛らしい闇の精霊ディアボロスが出現した。サクヤはディアボロスを抱き上げると、優しく撫でる。ディアボロスは尻尾を振りながらつぶらな瞳でサクヤの顔を舐め回す。


「ディアちゃん何か言ってる?」


「ん、呼んでくれて嬉しいって」


 柔らかく微笑み、サクヤはディアボロスとの触れ合いを楽しんでいる様子だったので旭は頬を緩めて見守った。


「ディアちゃんは前と今とどっちの名前が好き?」


 旭の問い掛けにディアボロスは甘えた声で鳴いた。こうなると精霊と言わないとただの犬である。


「ふふ、ありがとう。ディアボロス…どっちの名前も大好きだってさ」


 どうやらディアボロスはサクヤの事が大好きらしい。契約を交わす者同士良い関係が築けている証拠だ。


 ふと旭は自分と紫との関係はどうなのだろうと考えた。いつもわがままを言って困らせているからサクヤとディアボロスのような相思相愛とは言えないかもしれない。それでもまあ紫を信頼はしているからいいかと結論付けた。


「あさちゃんは今の僕と記憶を失う前の僕、どっちがいい?」


 問い掛けに対して旭はぐるぐると頭の中でこんがらがっている自分の気持ちを整理した。サクヤを好きという気持ちは今も昔も変わらない。だからこそどんな言葉で伝えればいいのか、必死に考えた。


「私は今のサクちゃんがいい。物静かで優しくて私の心に寄り添って一緒に笑ってくれるサクちゃんが大好き!」


 慣れてきてはいたが、闇の力がどうとか言っているサクヤの言動はあまり好ましくなかった。虫や爬虫類、蝙蝠など苦手な物のモチーフの物ばかり身に付けていたし、服装もダサいと思っていた。何よりあさちゃんと呼んでくれないのが嫌だった。


「ただね…色々あったけど、サクちゃんが忘れてしまった楽しかった日々は私達にとって宝物なの。だから思い出して欲しい!思い出して2人で分かち合ってこれからもずっと一緒に生きていきたい!」


 心のどこかでサクヤは今の自分を否定される不安があったが、旭の切実な思いに霧が晴れた様に気持ちが晴れやかになった。そして1つの選択肢を選んだ。


「僕もあさちゃんと…みんなと生きていきたい。だから記憶を取り戻すよ」


 決意が宿る赤い瞳を揺らし、サクヤはディアボロスを降ろすと、両手から黒い靄を発生させた。


「サクちゃん、何をするつもりなの?」


「僕の精神の奥底にある記憶を強制的に呼び覚ますんだ…やった事ないけど大丈夫、必ず思い出してみせる」


「駄目っ!」


 闇魔術の中でも禁忌とされる精神を操る魔術に手を出そうとしている許嫁に旭は悲鳴に似た声で制止したが、サクヤは両手を頭に当てて目を閉じた。すると糸が切れた様にサクヤはその場に倒れ込んだ。


「サクちゃんっ!」


 旭はサクヤに駆け寄り名前を呼ぶが、反応は無かった。ディアボロスも心配そうにサクヤの頬を舐める。


「やだよ!サクちゃん!目を覚まして!サクちゃん!」


 ルビーの様に煌めく瞳から大粒の涙を次から次へと流しながら旭は何度も許嫁の名を呼んだ。そして騒ぎに気付いた神官にサクヤを光の神子の間へと運び込んで貰った。


「おばあちゃん、どうしよう…サクちゃんがぁ…」


 声を上げて泣き続ける旭を光の神子は強く抱き締めた。このまま一生目を覚さなかったらと思うと怖くて旭は涙が止まらなかった。


「落ち着きなさい、旭。サクヤが倒れた時の状況を説明するのよ」


 祖母に諭されて旭は必死に呼吸を整えて服の袖で涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を拭うと、サクヤが自身に精神関与の魔術を掛けた事を説明した。


「全くあの子は…あれは危険な魔術だから使うなと言ってたのに…」


「私のせいだ…私が記憶を取り戻して欲しいなんてお願いしたから…」


「旭のせいじゃない。どちらにせよサクヤはこうしてたと思うわ…もうこうなるとサクヤが自分の力で目を覚ますしかないわ」


「おばあちゃんの力じゃ助けられないの?」


 匙を投げた祖母に旭は絶望を顔に滲ませた。闇に唯一対抗出来るのは光だけだと信じていたからだ。


「今回は自分自身で掛けた魔術だからね。他人の関与でどうにかなる問題ではないの」


「そんなあ…サクちゃん…目を覚まして!サクちゃん!」


 悲痛な旭の呼び掛けに祖父母と集まっていたサクヤと旭の神官達は胸を痛めた。


「あさちゃん…呼んだ?」


 突如旭の呼び掛けに応えてサクヤはゆっくりと目を開けると、徐ろに起き上がった。


「サクちゃん!」


 許嫁の生還に旭は再び涙を浮かべ、大きく伸びをするサクヤに抱きついた。


「ただいま、あさちゃん」


「おかえりなさい!よかった…本当によかった!心配したんだからね!」


「大丈夫だって言ったじゃないか」


「そんな事言っても倒れたら不安になるよ!」


「それもそうか、皆さんお騒がせしました」


 抱きつかれたままサクヤは光の神子達に謝ると、旭の背中を優しく撫でた。


「それで、記憶は取り戻したの?」


 養母の問い掛けにサクヤはニッコリ頷いた。吉報に旭は顔を上げて歓声を上げた。


「全ての記憶を取り戻しました。その上で僕は…」


 言葉を途切れさせてからサクヤは左目に右手をそっと添えた。


「我は今後も闇の力を極める道を進むぞ!」


 予期せぬサクヤの宣言に一件落着とは旭はとても言えず、記憶が戻ったのは嬉しいが、世の中思い通りに行かないなと天を仰ぐのだった。


 

 





打ち切りエンドぽい終わり方ですが、まだまだ続きます。今後ともよろしくお願いします。

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