後日談 ー浴衣ー
花火を見に行こう
オフが珍しくお互い土曜日になった日、そうメールが入って来た。そして珍しくドレスコード。
浴衣着用可
ぷっと笑った。
着用可って。
「おはようございまーす! お! 白井ちゃん、楽しそうだね!」
「おはようございます、進上さん、よろしくお願いします」
「はい、こちらこそよろしくお願いします。何、いい事あった?」
「母が、うちの仔の写真を送ってくれて、可愛くって」
「わんこ? 見ていい? 俺も好きなんだよー」
どうぞ、と言って進上に見せている所に、ヒヤリとする気配が来た。
……見られた。
可愛いね〜、ありがとうございます、と声を掛け合った所で、あ、そういえば、とさりげなく呟く。
「私、まだ金山さんに挨拶行ってませんでした」
「それはまずい! すぐに行った方がいいよ!」
「そうですよね、前科持ちなので」
ははは、と乾いた笑いを掛け合って、別れる。では、と会釈して急いで廊下を歩いた。
危なかった。虎の巻を用意して置いてよかった。
金山からメールが来たのを知られない為にいくつかシミュレーションをしていて、さっと写真を出せる様にして置いたのだ。
心臓に悪いけれど、更に心臓に悪い所に行かなければならない。
控え室4 金山一士 様
ノックをすると、どうぞ、と声が掛かった。
失礼します、とドアを開けると、本人が目の前に居た。
驚いて立ち尽くす私の手を引き入れて素早くドアを閉めた。
引き込まれて、横の壁に囲われる。
「随分と仲良さげだよな」
薄ら笑いをしている金山は義理人情の世界のお人かと思うぐらい怖い。眼鏡も掛けてないから本気モードだ、……怖い。
シチュエーションとしては所謂壁ドンなのに冷や汗が出て来る。勘弁して欲しい。
「金山さんのメール、見られそうになったので緊急処置です」
「メール?」
「ほら、多摩川の……」
「ああ、花火か」
少しだけ圧が緩む。
「浴衣来てきていいって、書いてあったから」
嬉しくて、と告げると、
だからあの顔か……
と金山が渋い顔をした。
「俺のメール廊下で見るの禁止」
「ええ?!」
「明らかに顔が違うからバレる」
「何も変わりませんよ」
そんな理不尽な、と言っている私の頬を金山はぐいっと乱暴に上に向かせた。
「素のお前は俺の前だけにしろ」
そして波に翻弄された。
「し、仕事前なのに……」
金山に縋って肩に額をがっくりと付ける。
腰を抱いてて貰わないと崩れ落ちてしまう。
「収録まで2時間あるだろ。切り換えろ」
「酷い」
「酷いのはお前だ」
「え?」
あんな可愛い顔、他の男の前で晒すな。
そう、耳に吹き込まれて第二波。
拙く応えてくる様になった唇を存分に楽しんだ後、金山は満足そうに身体を起こした。
「17時、上野毛のホームな」
「二子玉川じゃないんですか?」
「二子玉なんか揉みくちゃだ」
「……」
「どうした?」
「バレません?」
そんな沢山の人が集まる所、大丈夫なのだろうか。途端に不安になった。
大丈夫だ、と金山が乱れた前髪を梳いてくれた。
「後で小道具送るから」
「小道具?」
「まあ、楽しみにしてろ。俺も楽しみしてる、お前の浴衣姿」
「言うことが親父…」
照れ隠しにぼそっと呟くと、おっさんだからな、と良い笑顔が返ってきた。
私も、楽しみです、と言うと、知ってるよ、と頬に一つ落とされ、さあ、もう戻れ、と追い出された。
************
お、来たな、と狐が笑った。
上野毛のホームのベンチに珍しく金山が先に座って待っていた。金山は狐のお面を被って居る。顔を覆われているので、他の人には金山とは分からない。
じゃ、行くか。とさっと立つ浴衣姿に見惚れてしまう。
本麻の濃紺、何の柄も入っていない。角帯の灰色に少しだけ細く柄が入って貝の口に締めてある。
先に立って歩いた狐が付いてこない連れを腕を組んでおい、と声を掛けた。
あ、はい。とカラカラと近付くと、ん、と右肘を少しだけ開けた。
これは、腕に添えていいって事……?
伺うと、前を向いたまま動かないので、そうゆう事だ、と思ってそっと手を添えた。
これは、嬉しい。
普段大っぴらに手を繋げない私にとっては、心が震えるほど。
ゆっくりと歩き出した金山に付き添って歩く。カランカランと改札を抜けると、流石に人が集まっていた。ちらちらとこちらを見られる。
「あの、見られてる」
「そりゃそうだ、狐二人」
「悪目立ちしてます」
「顔は見られないから問題ない、それに…」
ドンッ パラパラパラ
先触れの花火の音がしたら、皆、空を見上げて花火を探している。本当だ、一瞬にしてこちらへの視線は無くなった。
空はまだ日が暮れていなくて、大きな煙と小さな煙が上がっているだけだった。
また上がるかと思って見ていると、ほら、行くぞ、と動かれて、手を添えているので身体が流れる。慌てて側に寄った。
人の流れに沿って歩いて行くと、屋台が出て来て、ビールと焼きそばと唐揚げ、フライドポテトを買ってくれた。
「屋台の焼きそばって美味いよな」
「沢山作るからですかね」
「かもな」
暫く歩いて河川敷に出ると、こっちだ、と河川敷の特設会場に連れて行ってくれた。
通された席はパイプ席だけど、カップル席だった。少しだけ隣と離れて設置されている。
あー疲れた。と金山がどさっと座る。
そうだった。あんまり人混み自体好きな人では無かった。いつも行く所は平日の動物園とか美術館とかで、ゆっくり過ごせる所ばかりだ。
「ありがとうございます……連れてきてくれて」
「うん?」
「憧れだったんです。好きな人と浴衣来て花火を見るの」
「そうだろうな」
「知ってたんですか?」
「駅のポスター何度も見てたからな」
そうだったんだ、知らなかった。
恥じ入って俯くと、ほら、食べろ、と私のお面を少し上げて唐揚げを放り込んでくれた。
もぐもぐと思いの外大きい唐揚げを咀嚼していると、金山が身体を寄せて面を上げたかと思うと唇の端をペロッと舐めた。
「んー! まだ食べてまふ! て言うかやめて下さい!」
だいぶ薄暗くなったとは言え、バレかねない!
「ここの席はそんな事やる奴ばかりのバカップル席だ。それにお前が悪い」
「何で」
「口の端にはみ出すな……これは条件反射だ」
条件反射? よく分からない。
ドンッ ドドンッ パラパラパラ
わっと周りから声が上がる。
始まったな。
はい。
狐のお面を半分だけ掛けて、二人、花火を見入る。
俺も夢だったよ。
囁かれた言葉に顔を上げる。
ドンッと花火が上がると同時に掠め取られた。
暫く続いた花火は音だけ。
目を瞑ってしまっていたから。
花火の音を聞いていたら、二人を書きたくなりました。
楽しんで頂けたら幸いです。