05
「魔物は? 居る?」
ひときわ高く跳び上がり、夜の風に吹かれながら、法子は辺りを一望した。住宅地には仄かな温かみを持った光が灯っている。それがむかつく。太陽の様な輝きがあるでもなく、常世の様に暗い訳でも無い。もっと輝けるのに、人の為という名目でその力を抑えている。その実に中途半端な様が気に食わない。
遠く行く先には、爛々と照る輝きがある。ビルや繁華街の強烈な明かりが灯り、昼とまでは行かないが、文明を持つ身として精一杯に輝いている。その光に誘われる様に法子は跳んでいく。
「ああ、微弱だけれど感じる。行く先そのまま」
法子は頷いて見知らぬ屋根の上に着地して、また跳んだ。
「嫌な気分になっているのは分かるけれどね、八つ当たりは感心しない」
「うるさい」
法子は民家の屋根を跳び次ぎ跳び次ぎ、やがて駅を中心とした繁華街に辿り着いた。一際高く跳んでビルの屋上へと上り、縁に立って駅前の広場を見下ろす。
人々はあちらへこちらへ勝手気ままに歩き回っている。遊び歩く姿、駅へと向かう姿、待ち合わせをしている姿、誰も彼もが我が物顔でのし歩いている。だが屋上に立つ法子には気が付いていない。自分が立っている事を誰も知らないのだと思うと、法子には目の前の光景がどうにも愚かな気がして、とても嬉しくなった。
「それで魔物は?」
「視界の右端、五階建ての建物の五階」
言われるままに視線を右に滑らすと、五階建ての駐輪場があった。窓や隙間から見るに、一階から四階までは人の往来があるのに、五階にだけは人が居ない。
「何かあったのかな?」
五階に人が居ないのと魔物の存在は関係があるのか。もしかしたら五階に居た人々を丸々消し去ったのかもしれない。だとしたら相当凶悪な魔物だ。
法子は屋上の縁を蹴り、そのまま駐輪場へと飛び降りた。一度、駐輪場の屋上へと降り立ち、無駄に後方宙返りをしながら再び宙に躍り出て、壁に沿って頭から落下し、大きく開かれた五階の窓枠に手を掛けて、五階へと滑り込んだ。
誰も居ない駐輪場、ずらりと並んだ自転車の合間に一匹の犬が見える。
犬、では無い。魔物だ。
法子が見つめている前で、魔物は突然法子に吠えたてて、かと思うとお尻を向けて、その後唐突に振り返り、俄かにぐるるると喉を鳴らし、いきなり跳びあがって自転車の影に隠れた。法子にはその行為の意味がまるで分からなかったが、歓迎されていない様だと思った。何て生意気なんだろう。
「さてと、憂さ晴らしに付き合ってもらいましょう」
法子は酷薄な笑みを浮かべて刀を抜き放った。殺す。そんな凶暴な思いが湧いた。殺す。学校での会話を思い出す。笑われ、馬鹿にされ、嫌われ。殺す。頭の中に浮かんだ嫌な映像を切り裂き、暴れだしたくなる気持ちを手に持った白刃に込めて、横一文字に構えた。辺りに気を配る。隠れた魔物はすぐに見つかった。いつの間にか背後に回っている。
即座に振り返る。魔物は自分の尾を追って回っている。法子は刀を両手で振り上げて、明確な殺意を持って切り下した。魔物の腹に切れ目が入る。悲痛な声を出して、魔物は自転車の影へと逃げ込んだ。
追う。追っている法子の胸に、後味の悪い後悔がわだかまり始めた。魔物が何をしたというのだろう。ただ人を遠ざけただけ。確かに迷惑をこうむった者も居るだろう。だがそれが追われ、切られ、殺される程の罪だろうか。
そんな当たり前の疑問が法子の胸に湧いてしまった。だがもう後戻りは出来ない。全てへの反感が強く〱しこりとなって容易には取り除きようがない程膨らんでしまった。これをどうにかしなくては生きる事すらままならない。そう魔物を殺さなくちゃいけないんだ。心の中でそう叫ぶと、ふつふつと怒りが湧いた。魔物を殺そうとする自分は間違っている。そんな当たり前の感情に流され、後悔し、投げ出そうとする自分すら憎らしく、目の前が暗く赤く染まっていく。自分を含めた全てが気に食わない。
今日の学校での陰口、いつも一人で居る自分、暗澹として生きつづけている自分、そんな見たくも無い光景が頭に浮かぶ。これをどうにかするには切るしかない。切って殺すしか、私は生きられない。
法子は魔物を見失って、跳びあがった。体を上下反転させて、天井に着地して、隅の方で震えている魔物を見つけて、足に力を込める。刀を鞘に納め、殺気を漲らせる。そして天井を蹴りだし、魔物へと跳んだ。
震えている魔物に迫る。法子は刀の柄に手を掛けて、刀身にありったけの魔力を込めて、目前の魔物へと抜き放った。
しかし止められた。
必殺の意志を込めた刀は、横合いから出された杖を弾き飛ばしただけで終わり、魔物には届かなかった。
何が起こったのか。咄嗟に法子は判断できなかった。だが魔物を殺す。その凶暴な意志に支配された法子は、突発的な事象にまるで関心を払わずに、杖に当たって軌道の逸れた刀を、上段に構え直して魔物へと振り下ろそうとした。
再びそれは失敗に終わる。
突然横合いから衝撃を受けて、法子はふっとばされて転がった。その体には少女が一人抱きついている。
攻撃を受けたと思った法子は、全身総毛だって、必死になって体に巻き付いた何かを引き剥がす。引き剥がした何かと目が合った。良く見ればそれは先日助けてくれた魔法少女だった。丈の短いドレスの様な白い衣装を着たその魔法少女は、悲しげな顔をして法子の事を見つめていた。
「駄目だよ」
魔法少女が、そう諭す様に呟いた。法子にはどういう意味だか分からない。だが言葉に込められた切実な響きに何かしらを感じ取って、法子は魔法少女の話を聞く事にした。
「どういう事? 私はあの魔物をやっつけようとしたのに、どうして邪魔したの?」
それは本心からの言葉だったが、一方で既に法子の中にはその疑問に対する漠然とした答えも持ち合わせていた。
「駄目! あの子は悪い子じゃないんだよ! それを殺そうとしちゃ駄目!」
ああ、やっぱり。視線を逸らすと、魔物が震えている。
「でも、あれは魔物で」
「そんなの関係ないよ。あの子だって生きてるんだから。痛みも感じる普通の生き物なんだから」
あの魔物が何をした。殺されるだけの謂れがあったのか。
そう問う魔法少女に法子は心の中で必死に反論した。
ある。魔物は悪だ。人を害する事しかしない。放っておけばさらに強力な魔物を呼んで、放っておけば世界が滅びる。魔物は悪だ。だから、だから殺さなくっちゃいけないんだ。
法子は何度も何度も心の中でそう繰り返す。だが声には出さない。結局八つ当たりでしか無い事など自分でも分かっていたから。だが反論は出来ないものの、止めろと言われておいそれと従える程、法子のやるせない感情は軽くない。魔法少女の悲しげな目を睨み返した。
法子が魔法少女へ抱いた感情を読んで、タマが慌てた様子を伝えてきた。
「法子、君は一体何をする気だ」
「決まってるでしょ」
法子の親指が刀の鍔を押し上げる。魔法少女を敵と見定める。
「ここは退こう。これ以上衝突すると戦いになる」
「戦いは望むところだよ」
「目的を忘れたのかい? 君の目的は魔物を倒して人を救う事だろう?」
「その魔物を庇うなら、排除して目的を遂げるだけ」
「このままじゃ本当に殺す事に」
「だから何?」
完全に頭に血が上った法子には、タマの言葉も届かない。ただ魔物を殺す、邪魔者を排除する、二つの事にしか意識が向かない。
法子が唸る様に言った。
「魔物は悪だよ。痛みを感じようと、生きていようと、悪さをするなら排除するだけ」
そうして刀を構える。
魔法少女は驚いた様子で、一度振り返り、背後の震える魔物を見てから、再び法子を見て懇願する様に言った。
「それなら帰してあげれば良いでしょ? 何も殺す事は」
その必死な姿に向けて法子は思いっきり刀を抜き放った。だが刃が届く前に魔法少女はまるでバネに弾かれた様に後ろへと跳びあがり、魔物の前に着地した。
「どうしてもこの子を殺そうとするの?」
魔法少女が幾分冷めた口調でそう尋ねてきた。それに対して法子が怒鳴る。
「当たり前でしょ! そいつは悪い奴なんだから!」
言い終えると同時に、法子は地面を蹴った。目にもとまらぬ速さで、一気に距離を詰める。と、魔法少女は杖を掲げて応戦する気配を見せた。
もしも立ち向かってくるなら相手よりも早く切る。もしも避ける様なら、そのまま素通りしてあの魔物を切る。そんな単純な作戦を立てて法子は魔法少女へと突っ込んだ。
突然、目の前が爆発した。強烈な熱気に晒され、思わず立ち止まると、今度は煙が襲ってきて、法子は咳き込んだ。
煙で辺りが見えない。何処からいつ攻撃されるか分からない。恐怖を感じながら、とにかく煙から脱出しようと、法子は焦って横に跳んだ。幸い煙の量は少なく、すぐに煙から抜け出せた。そうして辺りを見回すと、フロアの反対側に魔法少女が立っているのが見えた。その頭上に光で出来た人の頭大の魔法円が四つ並んでいた。
「魔法陣……あれは」
「とても基本的な魔術だね。そういえば今日の授業でもやっていたな。ただ魔力を飛ばすだけのお手軽魔術。でも込められた魔力が強大だね」
「どうしよう」
「もう一度言うよ。退きな。これ以上続けても何も良い事が無い。魔物はあの同業者に任せて、君はこの場から離れるんだ」
「嫌! それだけは絶対に嫌! それじゃあ、私の負けじゃない!」
絶叫して再び駆ける。折角魔法少女になれたのに、魔法少女の世界でも自分は駄目なのか。そんな思いを振り払いたくて、法子は必死に駆けた。
遥か先の魔法少女の頭上には今や四つの光球が現れて、ぎちぎちと辺りに嫌な音をまき散らしている。
「避けなきゃまずいよ」
もうタマの言葉には答えずに、法子は刀に手を添えてじっと光球を見つめ続けた。
光球が一つ飛んでくる。拍子抜けする程ゆっくりとした速度。法子はそれを横に跳んで回避した。そこに二つ目の光球が飛んでくる。今度は物凄い速さ。横に跳んで体勢を崩した法子へと狙いを済ませた一撃だった。
迫って来る光球に驚いた法子は、無理矢理地面を蹴って何とか上へと逃げる。その際に避けきれず右の足に光球が当たった。激痛が走ったが、不思議な程動揺が無かった。痛みに顔を顰めつつ、体を反転させて、傷ついた右足で天井を蹴り、更に距離を詰める。
三つ目の光球が跳んでくる。避ければまた同じ事になる。そう判断して法子は刀を抜いて、光球を切った。魔力を込めた一撃で光球は霧散する。そこに四つ目が襲ってくる。無理な体勢から何とか刀を返して光球を切る。力はまるで入っていないが、魔力だけは込めた一撃で、触れた瞬間に光球は砕け散った。安堵して、着地し、更に床を蹴る。
もう光球は無い。魔法少女はがら空きだ。今度こそ切る。法子がそう思った瞬間、目の前にいきなり壁が出現した。止まり切れずに壁にぶつかり、全身に衝撃が走る。壁は砕け、突き破った法子は壁の残骸と共に床に転がり、何とか立ち上がった時には既に魔法少女は遠くに退き、再びその頭上に四つの光球を作っていた。
忌々しい思いで胸が一杯になる。法子は歯ぎしりしながら再び魔法少女へ向かった。ゆっくりと一つ目の光球が。法子はそれを刀で切った。そこに二つ目の速い光球が。法子は何とか刀の先をその光球へ触れさせた。光球は砕けた。触れさえすれば防げる事に気が付いた法子は刀を前に構えて、そのまま駆けた。そこに三つ目の光球がやって来る。触れて壊れる。四つ目がやって来る。触れて壊れる。
今だとばかりに力強く踏み出そうとして、足をもつれさせて転んだ。床に擦れて皮膚がそぎ取られるが、すぐに治っていく。見れば先程光球が当たった足から痛みが無くなっていた。体の傷が治っていく。そのくせ体は動かない。
「限界だね」
タマの声が伝わる。法子がそれを無視して弱々しく立ち上がると、魔法少女の頭上には既に四つの光球が用意されていた。
「初めての本格的な戦闘にしては良く動けていたよ」
一つ目が飛んでくる。法子は何とか刀を掲げて光球に触らせ打ち破る。
「でも疲労が極まった」
二つ目が飛んでくる。法子は刀を触れさせて、だが光球に変化はなく、そのまま突っ込んできて、法子は衝撃を食らって後ろに飛んだ。
「残念ながら君の負けだ」
三つ目は飛んで来ない。代わりに魔法少女が近付いてきて、腹這いになって何とか顔を上げる法子の鼻先に杖を突き付けた。魔法少女の目は驚く程冷たい。
殺される。咄嗟にそう思って、法子は後ずさろうとした。だが動けない。手足を微かに動かしただけ、惨めな姿をさらしただけだ。
魔法少女の杖に光が灯る。魔力が込められていく。それが放たれれば、死ぬ。
殺される。再びそう思って、法子は目と鼻から液体を流して、手足を少しずつ動かし逃げようとする。だがそれすらも次第に出来なくなって、体は完全に床へ這いつくばり、顔も上げる事が出来ず、顔面をくしゃくしゃに歪めながら法子は助けてと心で願い続けた。