04
民家の屋根を飛び移る。金色の髪を月明かりに晒し、闇に夜色のローブをはためかせながら。その顔は行きの明るい笑顔とはまるで違った沈んだものだった。
「まあ、そう落ち込むな。まだ始まったばかりじゃないか。これからだよ、これから」
「うん」
法子は黙り込んで屋根から屋根へと飛び移っていく。タマもそれ以上何も言わなかった。繋がる今、法子がその胸に様々な感情を抱いて折り合いを付けようとしているのが分かったから。自分から立ち上がろうとするのなら、タマが何かを言う必要は無い。
やがて法子は沈んだ調子ながらも力の籠った意識でこう言った。
「ねえ、私はどうすれば強くなれるの?」
法子が悔しさを感じているらしい事はタマにとって良い兆候だ。法子の日常に対する接し方を見ると、悔しさを感じても押し殺してしまいそうな気がしたけれど、悔しいと感じてそれを打破したいと思う、そんな気持ちがあるのならそれは良い事だ。出来れば打破をする手段を人に聞く前に自分で探すまでになって欲しいが、それはおいおいで良いだろう。
「そうだな。とにかく鍛える事だな」
「具体的には? 魔術の授業をちゃんと受けるとか?」
「魔術もそうだが、体もだ。明日からは毎日走り込みだな」
「そっか。ちゃんと私自身が強くならないといけないんだ」
「当たり前だよ。私の変身は持っている力を引き出すものだからね」
「分かった」
丁度家に着いた。器用に窓枠へ着地した法子は、そっと窓を開いて自室へと戻る。部屋の中に入った法子は一度鏡を見てその中の普段の自分とはかけ離れた自分を見て、タマに尋ねた。
「ねえ、元に戻るにはどうすれば良いの?」
「戻りたいと思えば良い。また呪文を設定しても良いけど、変身する事に比べれば大分簡単だから、戻りたいって思うだけでも戻れるんじゃないかな?」
法子が戻りたいと思うと、ローブは消え、服は制服に戻り、髪は黒く戻って二つ縛りになった。タマも掌に乗る大きさに戻る。
突然、法子の体が沈む。急激に身体に疲労が来て、体が思う様に動かせずに倒れ込んだ。
「何これ」
「そりゃあ、私の変身は君の魔力を使うからね。要は生命エネルギーの消耗だ。変身してるだけでも疲れるし、力を使えばもっと疲れる。特に今回は初めてだったし」
「あれ? でも授業で自分に宿る魔力は使いすぎると危ないから使っちゃいけないって」
「まあ、使いすぎれば死ぬからね」
「な!」
法子が驚きに身をすくませた。逃げようとするが体は動かない。倒れたままで怯えながら手の中のタマを見つめた
タマが笑う。
「安心しなよ。普通は使ったって寝れば戻るから。それに命に関わる程の魔力は使おうとしても私が使わせないよ。そもそも死んでしまう位使ったらこの星を滅ぼせるよ。そんなに使わないだろう?」
心臓が凍り付いた法子はしばらく頭の中を空白に呑まれていた。
やがて気を取り戻した法子は、とりあえず自分の取り越し苦労だった事を知り、その上でタマが幾分からかってきた事とそれに引っかかった事が悔しくて、一発タマにデコピンをしてから、何とか体を起き上がらせた。
「訓練を……」
「止めときなよ。今日はもう無理だ。訓練は明日から」
「そう? でも……」
「無理したって良い事無いよ。ゆっくり寝る事も訓練の一つ。それにもう今日は十分に鍛えられたよ」
「本当?」
「本当。だから寝な。さあさ、ベッドはすぐそこだ」
「うん、分かった」
法子は箪笥を開けて、タオルとパジャマを取り出して、部屋のドアへと近付いた。
「ちょっと、何処へ行くんだい? まさか外へ? これ以上鍛えるなんて」
法子は左手で制服の首元を引っ張って、自分の鎖骨を反対の掌に乗ったタマに見せつける様にした。
「この汗まみれの体でお風呂にも入らずに寝る位なら、死んだ方がマシ」
その意味を計りかねてタマが考え込んでいる間に、法子は部屋を出て風呂場へと向かった。
翌朝、地響きの様な唸り声が部屋に満ちた。布団がゆっくりと動く。枕に掛かっていた黒い髪の毛がゆっくりと掛布団の中に引きこまれていく。そうしてしばらくもぞりもぞりと布団が波打って、布団の横から腕が現れ、頭が現れ、体が現れて、そのままベッドの端から落っこちた。床にへばり付いた法子が唸るように言った。
「体が重い」
法子は這ったまま枕元のタマを掴み揚げる。
「軽い筋肉痛だよ」
「全然軽くない」
頭の中にくすくすという笑いが響いてくる。それに苛立って法子は思いっきり立ち上がった。
「だっしゃー!」
気合一閃。だが閃いた気合はすぐに立ち消え、法子はベッドの上に倒れ込んだ。
「無理。今日学校休む」
「ほら、さっさと用意する」
無慈悲なタマの言葉を法子は渋い顔で受け止めて、もぞもぞと動き始めた。
ぐったりと机にへばり付く法子の耳に、転校生が来るという会話が何処からか聞こえてきた。
転校生か。法子は机に頬を付けながら思いを馳せる。
季節外れの転校生は何か秘密を持っていると相場が決まっている。何かの組織の一員だったり、特殊な能力を持っていたり、あるいは前の学校で暴力沙汰を起こしたとか。一体どんな秘密を持っているんだろう。そんな風に楽しい空想にふける。けれどふと自分の方が余程秘密めいていると気が付いてにんまりと笑う。そう法子は人々がうらやむ魔法少女なのだ。
転校生か。話してみたい。法子はにやつきながらそう考えたが、すぐにその笑顔が引っ込んだ。話してみたいけれど、でもカッコ良いと言っていた。そんな人が私と話す訳が無い。いやどんな人であっても私は話す事が出来ないか。
話せる人。そう例えば同じ魔法少女だったら。他の人と違った秘密を抱える者同士話が合うんじゃないだろうか。あるいは私と同じ様にあんなノートを書いている人だとか。いや、そんな人居る訳無いか。
法子は時々体の痛みに眉を顰めながら、ぼんやりと様々な空想に耽った。顎を支える腕の先ではブレスレットになったタマが黙りこくっていた。
教室の一角に人だかりが出来ていた。転校生に群がる人々だ。法子は振り返ってそれをちらりと見て、餌に群がる犬の様だと思った。
転校生は盛大な歓迎と若干の妬みでもって迎えられた。鋭い目つき、高い背丈、最初に入って来た時はクラスの十中八九がとっつきにくそうな威圧感を覚えた。だがその表情には薄い笑みが漂っていて、自己紹介で朗らかに元気よく挨拶を行った瞬間、ほぼ全ての後ろ向きな評価は覆され、後は好意と妬みだけが残った。
法子はと言うと、秘密を持っている(持っていなければならない)転校生よりも一等高い秘密を持った自分に酔いしれる心と、人と話せない自分を情けなく思う気持ちと、重い痛みに捻り潰されそうな思い、詰まる所、外の異変よりも内に対する心に惑っていた為に、外界の転校生などにはまるで興味を持てなかった。それどころか顔すら上げずに俯いて、内に渦巻く三つの障り、中でも強烈な疲労感に抗う事が出来ず、苛まれ怠惰な脱力感を覚えて、顔を上げずに一切転校生を見ないどころか、耳すらもまともに働かせる事が出来なかった。何とか得た転校生に関する情報は下の名前が将刀という事と、季節外れの転校の理由がありきたりな親の仕事の都合という事だけだった。
今も人垣に囲まれてその向こうに居る転校生の姿は見えない。顔を戻して机に突っ伏し、どうでもいいやと眠りに入る。だがどうしても耳は後方の人だかりに向いてしまう。
その時ふと嫌な言葉が耳に入った。
「あそこで寝ているのは?」
え?
途端に嫌な汗が全身ににじみ出た。まさか私の事かと法子は焦りつつ、必死で心を落ち着けようとする。
そうだ、目の前の何とかっていう子も寝ているんだ。だからそっちかもしれない。そりゃそうだ、私になんて注目するはずが無い。
高鳴る心臓が嫌な予感を告げ続けている。
また声が聞こえてくる。
「あのおさげの子」
法子は自分の髪型を改めて考えて、数秒思考を巡らせて、ようやくおさげだという事に気が付いた。
私おさげだ。
でも分からない。まだ私と決まった訳じゃない。他の子かも知れない。
他の子であります様にと法子は祈りながら耳を澄ませ続けた。
「ああ、あれは、えーっと名前なんだっけ?」
私じゃありません様に。私じゃありません様に。
「なんだっけ? えーっとね、ちょっと待って、あー、えーっと、あ、法子だ。何とか法子」
私だー!
「十八娘とかいう変わった苗字の」
「いっつも本読んで誰とも話さない」
やめてー。
「何かいつもこそこそしてるよね」
「休み時間本読んでばっか」
「たまににやにや笑ってるし」
やめて。
「そういや話してる所見た事無いな」
「前に話した時ずっと俯いてて感じ悪かった」
本当に止めて。
法子はそっとタマを肌から離してポケットの中に入れた。
陰口をたたいているのはごく少数だった。転校生の周りに集まっていた内のほとんどはクラスメイトに対するあからさまな悪口に眉を顰めて、その内の半分はその場を離れていった。けれど陰口を止めはしない。止めれば次に何かを言われるのは自分だ。
俯いて背を向けている法子にはその光景が見えなくて、あたかもクラス中が自分の事を馬鹿にして居る様な気がしていた。
「あの子、前に風呂敷持ってきた時あったじゃん」
「あったあった。何かおばあちゃんが持ってきそうな古い感じの。お弁当包みだっけ?」
「そうそう。しかもそのお弁当の中身が煮物と梅干とごはんと焼き魚だったの。婆じゃねえんだから」
「あれは笑ったね」
だって、丁度お母さんが入院してて、おばあちゃんに来てもらって、いつも通りじゃなかったんだもん。それにあのお弁当はおじいちゃん用のお弁当を私が間違って持ってきちゃったからだし。そのお弁当だって忙しくて夕飯の残りをそのままお弁当にしたものだし。おばあちゃんは上手だから料理はとっても美味しいし、あの日の私と弟の為のお弁当はフレンチ風の豪華なので。
そんな言い訳を心に思い浮かべながら、法子は必死にじっとしていた。何か反応すれば、更に陰口を言われる事は目に見えていた。
「うちらのクラス、みんな結構仲良いけどさ、あの子だけ何か浮いてるんだよね」
「ね。壁作ってるよね」
「しぃ。それ以上大きな声出すと聞こえるよ」
もう聞こえてる。
法子は俯きながら心の中で力の無いつっこみを入れた。
やっぱり私、みんなに嫌われてたんだ。
クラスに溶け込めていない事は法子自身分かっていたし、多分良い思いをされていないだろうとも覚悟していたけれど、実際に周囲の心を聞かされると覚悟なんて易々と貫いて、酷い悲しみが法子の中に突き抜けてきた。
鼻の奥が痛くなって思わず鼻根に指先を持っていく。当然、そんな事をしても痛みが取れる訳が無い。鼻根に添えた指の先に目から流れてきた液体が触れて、法子はいたたまれなくなって更に顔を俯かせた。
「そういえばいつもノートに何か書いてるよね」
「前見たらへたっくそな絵が」
「なあ、そんな事は良いからさ」
転校生が話を遮った。
法子はようやく自分に対する陰口が終わった事に安堵しつつ、同時に転校生が自分に対して何の興味も持っていない事が分かって、嬉しい様な悲しい様な気持ちになった。悪目立ちするのは嫌だけれど、見られないのは寂しい。普通の人は簡単に両立して自分を主張しているのに、自分にはそれが出来ないと思うとやはり悲しみの方が大きくなった。
転校生が次の言葉を接ごうとした時に、丁度教師が入って来て、同時に予鈴が鳴る。授業の始まりに当たって、クラスメイト達は各々の席に戻り、法子は自分の席についたまま俯いて震え続けた。
その日一日、法子はずっと顔を俯かせて過ごした。顔を上げればまた泣いてしまう。そんな気がして顔を上げる事が出来なかった。
時間はいつもの通り、時に遅く、時に早く進み、やがては下校時刻となって、真っ先に教室を出た法子は俯いたまま、あの公園へと足を向けた。
誰も居ない公園。四方を囲むマンションが影を作りだして、その影によって辺りが閉ざされる気がして、法子はほっと安堵した。ここならば誰も来ない。ゆっくりと、昨日魔物が浮いていたブランコに歩み寄って、勢いよく坐り、思いっきり漕ぎ始めた。筋肉痛の痛みすら、嫌な事を忘れる為の清涼剤に換えて、法子は漕ぎに漕ぐ。
「なあ、パンツ見えるぞ」
「ぴぎゃ」
思いっきり地面に靴を突き立てて、何とか急停止し、恐る恐る後ろを振り向くと、背の高い男子が居た。法子の見たところ、年頃は法子より少し上。整った顔立ちで、少し冷笑的な表情を浮かべている。
「なあ、あんた、十八娘法子だっけ? もうちょっと周りを見て行動した方が良いよ」
余計な御世話だと沸騰しかけたのは一瞬で、すぐに相手が自分の名前を知っている事に引っかかって何も言えなくなった。
何処で名前を知られたか思いを巡らせても一向に分からない。何処かで会っただろうか。美形、背が高い、プラス失礼。会ったら忘れそうにない相手だ。けれど覚えがない。まさか小さい頃遊んだとか? それで結婚の約束をしていたり? と段々脱線し始めた思考は、記憶の引っかかりが現れた事で躓いて止まった。
この男子の声、何だか聞いた事のある声だ。一昨日じゃなく、もっと最近。法子の行動範囲は限られている。すぐに自分の関わった人々が頭の中に網羅され、そうしてすぐに思い当たった。
「あ、転校生」
「ああ、そうだけど」
変な事言っちゃった。法子は自分の口走った言葉を反省した。今日一日、ずっと俯いていた為に、転校生の顔すら見ていなかった。しかし転校生からすれば、あの時クラスに居た全員が自分の事を見知ったと期待しているに違いない。その期待を裏切ればどんな逆恨みをされるか分からない。
とりあえず、ここは何とか和やかなムードにして退散しなければならない。法子は必死に会話の方法論を頭の中に思い浮かべて言った。
「えーっと、将刀君」
相手の名前を呼ぶ事が仲良くなる第一歩。いきなり名前も失礼かと思ったので、苗字で呼ぼうと思ったが、残念ながら苗字を知らないので仕方が無い。
「ああ、野上将刀っていう。よろしく」
「よろしく」
とりあえずの挨拶を済ませ、法子は次の会話を考える。
だが既に万策は尽きていた。
話題も何も持たない法子に会話を接ぐ力はない。興味のほとんどをフィクションの世界に向ける法子にとっては、天気の話すらも困難だ。今日が雨だろうが何だろうがどうでも良い。だからそれに対する感想も言う事が出来ない。
会話が出来ずに、法子が心の中で右往左往していると、先に将刀が口を開いてくれた。
「学校、嫌いなの?」
「え?」
「楽しそうにしてなかったから」
何で急にそんな話題を? 今日来た転校生に言われる程、楽しそうではなかったのか。まあ、その通りではあるけれど。
法子は恥ずかしい気持ちで一杯になって、口すら満足に開けない。黙っている法子を見て将刀はふっと笑った。
「まあ、分からなくはないよ。俺もあんな陰口を言うクラスは嫌だ」
「ち、違うよ!」
思わず法子は叫んでいた。
「あれは私が悪いだけだから」
そう、誰もがしている当たり前の事をまともに出来ない自分が悪いのだ。言われるだけの理由がある。自分がもっとちゃんとしていればあんな事は言われない。それなのにこの転校生はクラスの人達を悪く言うなんて。転校してきたばかりで何も知らないくせに。
そう考えるうちに、本当に自分は駄目な奴だなと嫌な気持ちになった。
きっとこの転校生は孤立した私に同情して気を使ってくれたのだ。それなのに、その優しさを不快に感じてしまった。もう私は他人の優しさすらまともに受ける事が出来ない。
どんどんと思考の泥沼にはまって、法子はいたたまれなくなって、その場を後にする事に決めた。
「とにかく違うから。悪いのは私だから」
ぼそぼそとそれだけ言って、法子は背向け、公園の出口へと向かう。
その背後に向けて転校生が言い放つ。
「だったら笑って話せば良いだろ。そうすればあんな事は言われないし、あんただってそっちの方が幸せなはずだ」
それを聞いて、法子はもうその場に居られなくなって、走り出した。
そんな事は分かっている。そんな事は分かっているけれど、それが出来ないから苦しいんだ。それが出来れば苦労しない。それなのにあの転校生は無神経にもあんなことを言った。
走って走って。
ああ、分かっている。あの転校生にとってそれは当たり前の事で、至極簡単な事なんだ。だからそれが出来ない私がやっぱりおかしいんだ。
家の前まで来て、玄関を開けて、自室に飛び込んで、ベッドの上に転がって、ポケットからタマを取り出して、そうして強く握りしめた。
「今日は災難だったね。まあ、あまり思い詰めるなよ」
「良いから変身させて」
「は? どうしたんだい? 随分と焦っているね。今日の事なら」
「良いから変身させて。私はあなたと契約する」
タマはしばし沈黙していたが、やがて法子の服装が変わり、髪の色が変わり、法子は魔法少女になる。魔法少女になった法子は煮えたぎる様な薄気味の悪い悲しみの猛るままに、窓の外へと飛び出した。




