03
「それじゃあ、変身をしてもらおう」
「はい!」
鞄を投げ出してベッドの上に勢いよく座り込んだ法子はタマを目の前に捧げ持って嬉しそうに笑った。
「それで、どうすれば良いの?」
「簡単に言えば、変身したいと願うだけだ。それが変身において、いや魔術において基本であり、奥儀でもある」
「でも、前に学校で習ったけど、頭の中だけで魔術をするのってとっても難しいんでしょ?」
「その通り。それが出来れば一流どころか稀代の魔術師だ。でも安心して欲しい。私が補助するからそこまで難しい事は無いはずだ」
「うんうん、じゃあ早速」
法子が勢いよく立ち上がって、気合を入れた。だがそれをタマは押し止める。
「焦らない焦らない。良いかい。そうは言っても、君にはまだ出来そうにない。今日学校で拝聴した授業のレベルを考えるとね。君が学校で習う事よりも遥かに先を独力で学んでいるのなら別だけれど」
法子が口を尖らせる。
「じゃあ、どうすれば良いの?」
「普通の魔術の様に精神統一の為の補助行為を重ねれば良い。魔法円や詠唱、踊り等々、道具を使っても良いし、とにかく変身しやすい状況を作るんだ」
「例えば掛け声とか?」
「ああ、そういうのだ。そんなに難しくしなくて良いし、難しく考える必要も無い。君が変身できそうって思える様な事を何か」
「分かった」
法子は思案する。ぐるぐると頭の中で呪文が回る。沢山の呪文が浮かんでは消えていく。思い浮かぶには思い浮かぶのだが、実際に自分がそれを口に出すと考えると恥ずかしくて、どうにも決めきれない。
考えているだけでも段々と恥ずかしくなって、法子は我慢できなくなって呟いた。
「私はあなたと契約する」
「確かに契約と言えなくも無いね。そんな堅苦しい物には考えて欲しくないけど」
「そうじゃなくて、呪文。私はあなたと契約する!」
「え?」
「悪い?」
「いや、悪くは無いけれど」
渋るタマに法子は言った。
「とにかく、変身させて!」
「本当に後悔しないかい?」
「しない!」
タマはしばし悩み、
「まあ良いか。いつでも変えられるんだし」
吹っ切った。
「分かった。じゃあ、立ち上がって」
言われた通り法子は立ち上がる。
「深呼吸をしてみて」
法子が何度か息を吸って吐く。
「それじゃあ、呪文を唱えて」
「えーっと、私は」
途端に法子は何か不思議な体の中が渦を巻く様な感覚に襲われた。
悲鳴を上げようとする法子をタマは叱責する。
「声を上げない! 集中! 続きを!」
「あなたと」
その後と共に法子は自分の体が溶け崩れた様な錯覚に陥った。自分の肌がどろどろに溶けていく。そんな気がした。でも後には引けない。
「契約する」
その瞬間、法子の髪が解かれ、色が根元から次第に金色へと変わっていった。制服の色が黒く変じて、その形も少しずつ変わっていく。法子の手に握られていたタマは元の刀へと戻る。黒い衣装の上に黒いローブを羽織って、法子は魔法少女になった。
「はい、終了」
「え? 終わり?」
「ああ、無事に変身できたよ」
「ホントに何だか実感がわかないけど」
そう言いながら、法子は自分の体を見回して息を呑んだ。
「服が変わってる」
「服だけじゃないよ。鏡を覗いて見な」
言われるままに鏡を覗くと、二つ縛りの黒髪だった自分が金色のストレートな自分に変わっていた。
「おわう!」
奇妙な叫びを上げて後ずさり、また足を踏み出して今度はしげしげと自分の姿を眺めはじめた。
「本当に変身してる」
「そりゃあね」
「でも、顔とか体は変わっていないんだね」
その言の通り、鏡に映った法子は服や髪の色は変わっているものの、その幼い顔立ちと体つきは全く変わっていなかった。
「だから絶世の美女になる訳じゃないと言っただろう」
「そうだけど……でも他の人に見られて私が魔法少女って知られるのが恥ずかしいんだけど」
「安心しなよ。正体はばれない様になっているから」
「そうなんだ」
法子は変身した自分をしばらく眺めて、顔を赤らめた。
「どう? 変身した感想は」
「うん、実際に着てみるとこういう衣装って恥ずかしいね」
「この期に及んでそんな感想?」
「だって」
恥ずかしそうに体を小さくする法子に、タマは呆れた溜息を送る。
「まあ、良いけどさ。じゃあ、行こうか」
その言葉に法子が慌ててタマを見た。
「何処に?」
「何処にって魔物の気配を察知したからそこにさ。君は変身したら魔物を倒して人々を救うと言っただろう?」
「そ、そうだけど」
「今更怖気づいたのかい?」
「そうじゃなくて、恥ずかしいんだよ! この恰好! ほら今日はもう変身できたんだし、魔物退治は明日からって事で」
「アホか! さっさと行く!」
「えー」
「文句言わない!」
タマに促されて法子は渋々と部屋から出ようとして、廊下から弟の足音の如き音が聞こえたので、回れ右をして窓を開けて、夜の闇に躍り出た。
魔法少女となった法子が民家の屋根〱を踏み締めながら飛び越えていく。月明かりに照らされて仄かに見えるその表情はいつになく明るい。
風切りの音がびょうびょうと耳に木霊する。夜の冷たい空気が気持ちいい。視野は何処までも遠くを見渡せた。何百メートルも先に猫みたいな生き物を肩に乗せた女の子の後姿が見える。
「それで、何処に行くの?」
「体の赴くままに進めば大丈夫。勝手に魔物のところに着くから」
「何が居るの?」
「伝わる魔力からすると大した事無い魔物だよ。練習にぴったりのはずだ」
「楽しみー!」
一際大きく跳ぶと、そんな気はまるで無いのに、糸に操られる様にして、公園へ着地した。タマと出会ったあの公園だ。少し離れたブランコの上に、霧状の生き物が居た。猫の様な目がついている。可愛いんだか、気持ち悪いのだか分からない。
「やぱりかなり弱い魔物だね。練習にもってこいだ」
「うーん、何だか可哀そうだけど。倒さなくちゃ駄目?」
「勿論。良いかい? 魔物というのは、どんなに弱くても居るだけで周囲に影響を与えるんだ。その影響が積み重なれば、いずれ魔導師というもっと強いのが現れる。その魔導師が更に周囲に影響を与えて、それが積み重なると魔王が現れる」
「強いの魔王って?」
「ああ、非常にね。遥か昔には幾つもの国を滅ぼした奴だっている」
「そっか、倒さなくちゃそういうのが出てきちゃうんだね。それでどうすれば良いの?」
法子は刀を構えた。何だか舞い上がっているのが自分でも分かる。はしゃぎたくてたまらない。
「基本は私を使って相手を切れば良い。刀の使い方は分かるかい?」
「持った事も無い」
「大丈夫。触れれば切れる」
「おお! 心強いよ、タマちゃん!」
嬉しそうに叫んだ法子は、刀を握る手に力を込めて、駆けた。一歩で距離を合わせ、二歩で魔物の目前に迫り、右手を柄に添えて、ふわふわと浮いている魔物に向けて見よう見まねで抜刀した。刃先は魔物へ吸い込まれ、その身を切り裂く。
切った。確信を持った法子は笑みを浮かべて、魔物の居た場所を見つめ、
「え?」
そこで相も変わらず何て事も無い様子で浮いている魔物を見て呆然と呟いた。
そんなはずは無い。そう思って、法子は刀を振り上げ、魔物へと振り下ろす。刃は過たず魔物を通り抜け、変わりのない魔物はふわふわと浮いている。
「何で?」
「いや、何でって霧状だからだろ」
言われてみればその通りで、霧を切れるはずが無い。
「でもさっき触れれば切れるって」
「切れるよ。ただ魔力を込めなくちゃ」
「魔力を込める?」
「そう。刃先まで力を行き亘らせないと、魔力で出来た物は切れないよ」
「そう言われても」
魔力を込める方法何て分からない。
「もしかして出来ない?」
「……だって習った事無いし」
「ま、まあ、大丈夫だよ。教えるから。難しい事じゃない」
タマは励ます様にそう伝えてきた。
「まずは目を瞑ろう」
言われた通りに法子は目を瞑った。
「次に自分の手の先に私が居る事を感じて」
柄をぎゅっと握る。
「君の延長に私が居る」
私の延長。
法子は自分の体の中にまた渦の様な感覚が立ち込めて来るのに気が付いた。
「それが君の魔力。それを私のところまで届かせて」
渦の先は意のままに動いた。腕を通り、手の先、刀へと流れ込んでいく。
「よし、目を開けて。それを維持」
目を開けると刀は鈍く光っていた。
「そのまま刀を魔物に!」
法子は刀を正眼に構えて、振り上げ、勢いよく振り下ろした。
「あ、駄目だ」
タマの声が響いたが、気にせず刀を魔物へと振り下ろす。だがやはり魔物は切れなかった。刀の光は消えていた。
「むー。切れない」
「力を込めた時に気を散らしたね」
「難しいんだけど」
「練習あるのみ」
その時、風切り音が鳴った。続いて土を噛む音がする。地面に映る魔物の影に一本の矢が突き立っていた。何事かと思う間もなく、風切り音は数を重ね、魔物の影の周りに新たな矢が四本突き立った。矢は甲高い音を発して光り輝き、魔物の影は光りの中に消え、光が収まった後も、影は消えたままだった。魔物が消えていた。
「帰したか。法子、後ろ! 上!」
「分かってる」
ひしひしと背中に圧力を感じていた。振り返ると、遥か頭上、公園の隣にあるマンションの屋上に黒い人影があった。ひたすら黒い。黒い鎧に黒いマント、口元だけが晒されて真一文字に引き結ばれていた。
「あれは」
「同業者、かな?」
黒い影は背を向けて飛び退り、マンションの向こうに消えた。
残された法子は街灯の薄暗い光に照らされた公園の真ん中で呆然と立ち尽くし、やがてぽつりと漏らした。
「何だか助けられたみたい」
「そのつもりだったんじゃないかな。苦戦しているみたいだから助けてくれたのかもね」
苦戦なんてしていなかった。次の一太刀で倒せたはずだ。
失敗した。折角魔法少女になったのに。早速失敗してしまった。その上、赤の他人に助けられた。これじゃあ、いつもの自分と変わらない。
法子は悔しくなって大きく叫んだ。
「何なのよ! もー!」
町の犬達が呼応して吠え声を上げた。