11
凄絶な悲鳴に法子の足が止まる。教室の中からだ。さっきの生徒の悲鳴だ。何をされているのか分からない。あるいは殺されてしまったのかもしれない。分からない。分からないから恐ろしい。
恐ろしさで足が震え誰も居ない廊下で立ち止まり、その瞬間法子は何もかもが嫌になる。
教室の中で行われる惨劇も魔物が次々と現れる異常事態も、ピエロの様な恰好をした魔物も自分の事を非難した生徒も、誰も居ないこの廊下も沢山の人間に溢れるこの学校も、学校で行われる学園祭もそれに参加する事を憂鬱に感じる自分も、誰とも喋れない自分も誰とも関われない自分も、タマに愛想を尽かされた自分も人を傷つけてしまった自分も、いつまでも落ち込んでいる自分もきっと立ち直れないと諦めている自分も、そしてここで逃げようとしている自分も、全部が全部嫌だった。
逃げる事も嫌だ。立ち向かう事も嫌だ。知らぬふりも嫌だ。見捨てる事も嫌だ。戻るのは嫌だ。やられるのは嫌だ。迷う事も嫌だ。悩む事も嫌だ。苦しむ事も嫌だ。何もかも、全部が全部嫌だった。
嫌になって嫌になって、この世界に居る事すら嫌になった。消えてしまいたい。そう思った。もう全てを放り出したい一心で、法子は再び教室に駆け込んだ。こうなったらあのピエロに挑んで死んでやる。死ねば全てから逃げられる。でもただでは死なない。せめて一矢報いて死ぬ。せめて襲われている生徒を逃がして死ぬ。
自暴自棄な心で、法子は駆ける。武器は無いか。あのピエロに突き立てる武器は。
数歩先に剣型のアクセサリーが落ちている。目にでも刺せばきっと痛い。理性は出来る訳ないと断じるが、そんな事に頓着する暇はない。法子は駆けながら身を低くして刀をとる。体勢を崩して倒れそうになるが、自分の背丈よりも長い刀を杖にして自分の体を支え、勢いを殺さずにそのまま駆ける。ああ、もう何でもいい。とにかく襲われている生徒を助けよう。それでこそ我が主。どうせこの先、私なんかが生きていても碌な事にならない。それならばきっと未来の広がっている別の誰かに人生を預けた方がきっと良い。いや、それはどうかと思うけど。
黒を基調とした丈の短いドレスを身に纏って法子は駆ける。目の前のカーテンを刀で切り裂き、その向こうへと跳びだす。
生徒が襲われていた。口から血を流した生徒はピエロに顔面を掴まれ、無理矢理目を見開かされていた。けれどまだ生きている。何をされているのか、法子には分からない。分からないが、襲われている、そしてまだ取り返しのつかない事にはなっていない、それだけで十分だ。
法子は敵意を持ってピエロを見据える。
ピエロの魔力は微弱。雑魚だ。そう見て取った法子はそのまま駆けて、刀を抜いて一閃し、ピエロを切り裂いた。ピエロの体が切り裂かれると、何故かピエロの首も手足も体から離れ、バラバラになったピエロは溶ける様にして消えた。
あまりにも呆気無い。もしかしたら油断させる為の罠だろうかと警戒するも、気配はまるで感じられない。まさか本当に終わったのだろうかと法子が気を抜いた時、頭の中に声が響いた。
「いや、まだだ」
タマの声だった。
「た、たま、たっ、たた、たま、た」
「落ち着いて。乱れすぎていて心が読み取れない」
「ふぉふほほうふへ」
「だから落ち着けって」
落ち着いてなんかいられる訳が無い。
「タマちゃん?」
「どうした?」
「本当にタマちゃんなの?」
「勿論。だからどうした」
「どうして? 戻って来たの?」
法子が自分の体を見ると、魔法少女の衣装を着ていた。いつの間に。
タマが笑う。
「戻ってくるも何も私はずっと君の手首に垂れ下がって居ただろう? 私が居なくなった事は無いよ」
「でも話してくれなくて」
「それは黙っていただけ。君があんまりにも私に頼りっきりだからお灸を据えようとね」
法子が刀をゆっくりと自分の目の前に掲げた。
「どうした? そんなに懐かしいのか? まだ一週間も経ってないだろうに」
そしてそれを膝の上へと叩きつけた。折れない。だからもう一度膝へ。膝へ。何度か試みるも刀は折れそうにない。
「待て! 待て! 何をしているんだ?」
「タマちゃんを折ろうと」
法子が静かに答える。
「怖いよ! 君、本気で言っているだろ」
「うん」
「うんって」
ふいに法子の目から涙がこぼれた。
「本当に寂しかったんだから」
一転した湿り気のある法子の思念に、タマは流石にたじろいだ。
「ああ、悪かったよ」
「本当に寂しかったんだから!」
また法子が膝に刀を叩きつけた。
「ああ、もう! 分かった! 分かったから落ち着けって。今はそれよりも魔物の方に集中しよう。文句は後で聞いてあげるから」
「そうだ! 忘れてた」
忘れんなよとタマは思ったが、伝えなかった。今は事態に対応する事が先決だ。法子は襲われていた生徒に駆け寄って容体を確認する。
目立った外傷は無い。だが口から血を流し、意識も落ちている。息はある。どうなのだろう。素人の法子には危険なのか大丈夫なのかも分からなかった。タマが答える。
「気絶しているだけだね」
「本当?」
「ああ。臓器が潰れているかもしれないけど、致命傷じゃなさそうだ」
「それって問題なんじゃ」
「大丈夫。とりあえずこの人間は置いておこう」
タマはあっさりと怪我人を置いていく事を主張した。法子がそれに対して非難の意志を送るがタマは飄々としている。
「とりあえず死にはしないよ。それよりも魔導師が先だ。あいつは厄介だから」
「もう倒したよ?」
「いや、さっきのは偽物だ。あいつは自分の偽物を作りだすんだ」
「じゃあ、まだ終わってないんだ」
「ああ。だから早く行こう。被害が広がる前に」
「でも」
法子は尚も怪我人を気にしてその場から離れようとしない。それをタマは諌める。
「目の前の事に溺れちゃいけない。あの魔導師を逃す事の方がよっぽど不味い。本当に死人が出る」
「でも」
でも目の前には血を流して倒れている怪我人が居る。法子にはそれを放っておく事がどうしても出来なかった。
その時、突然、教室の壁が爆発した。吹き飛んだ壁の向こう、白煙の立ち昇る先に、人影が立っている。
まさか魔物かと法子は剣を構えるが、現れたのは魔物ではなく、以前闘った魔法少女だった。
「あれ? あなたは前に会った」
法子の体が緊張で震えた。前に会った時は、こてんぱんにやられた時だ。嫌な思い出に法子の体は固くなった。
「ここに居た魔物は?」
「……さっき、私が倒しました」
思わず敬語になる。
「ホントに? なんだ、変身する必要なかったな」
「ち、違います。あいつ一人だけじゃなくて、いえ、確かに一人なんですけど、沢山居て」
「どういう事?」
「そのつまり、さっきのは偽物で、本物は別の所に」
その時、外から悲鳴が聞こえてきた。法子ともう一人の魔法少女が窓に駆け寄って外を見ると、沢山のピエロが校庭の生徒達を囲んでいる。
「まずいな。後手に回るぞ、このままだと」
タマの切羽詰まった思念が法子の心を焦らせる。焦るだけで何も出来ず、おろおろと辺りを眺めまわし、それだけ。具体的にどう行動すれば良いのか法子には分からない。
「ねえ、あなた」
魔法少女が法子に語りかけてきた。
「何ですか?」
「あの魔物に詳しいの? 本物の居場所は分かる?」
分からないと答えようとした時、タマが分かるよと囁きかけてきた。それにつられて思わず答える。
「分かります」
「そっか。じゃあ本物は任せた。私はみんなを守るから」
「え? あ、はい」
法子が賛同したのを見て、魔法少女はにこりと笑うと、その場に居るもう一人、怪我をして倒れている生徒に近付いて、その体に手を翳した。生徒は光に包まれ、痙攣が収まった。
「この人の事も任せて。あなたは行って」
「はい」
何だか急な事態に法子は焦る。とりあえずどうすれば良いだろうと考えながらおろおろとしている法子を、魔法少女が怒鳴りつけた。
「早く!」
「は、はい!」
法子は慌てて壁の穴を通り、廊下へと飛び出した。
「どうしよう、タマちゃん。ああ言ったけど、私本物の居場所分からないよ」
「大丈夫。私が分かるから。扉を出たら右へ」
「さっすがタマちゃん」
法子は勇んで東に向かう。風の様に廊下を走り抜ける。
「止まれ!」
タマの急な制止に法子が立ち止まろうとして、つんのめって転んだ。そのまま擦れながら廊下を転げまわって、しばらくして止まる。
「痛い」
「さっきの部屋からおかしな魔力を感じた。多分そこだ」
法子が顔を上げて、今駆け抜けてきた廊下を眺める。それぞれの入り口を順繰りに眺めて、タマに問いかけた。
「何処?」
「あの、音楽室って書かれた所」
「分かった」
法子が立ち上がって一息に跳び抜け、音楽室の前に着地する。
「居るんだよね?」
「十中八九」
法子が気合を入れて、刀を握る手に力を込め、扉を蹴り破った。
ピエロが鍵盤の上で踊っていた。さっき倒したピエロと寸分違わぬピエロだった。
ピエロがとても楽しそうに悲しそうに鍵盤の上で踊っている。
不気味だった。狂った様に踊るピエロ。滑稽で、とても滑稽で。何故今、踊りなんて踊っているのか。敵対者が目の前に居るというのに。まるで人間とはかけ離れた精神を持っている様な。不気味。負ければ、捕まれば、どうなるかは分からない。
「安心してよ。魔力の量で言ったら君よりもずっと少ない。真正直に戦えば、君の方が強いよ」
「本当に?」
「実を言うと、前の主があいつと闘った事がある。だからあいつの事は分かっている」
「ホントに? じゃあ、教えて! って駄目? あんまり頼っちゃいけない?」
「いや、そんな事言っていられないよ。あいつは厄介だから」
「厄介?」
「そう、魔力こそ少ないけど、能力が厄介。偽物を作りだす能力ともう一つ鏡の中に入り込む能力」
急にピエロの動きが止まった。かと思うと、鍵盤に乗ったピエロが三人に増えた。背後からも気配を感じる。振り返ると、更に多くのピエロが居た。
「早速取り囲まれたね」
「でもダミー達なら余裕」
法子が振り向きざまに一歩踏み込んで、刀を振るった。法子の背後をとっていたピエロ達がまとめて消し飛んだ。踏み込んだ足で跳ね上がり、天井に手を突いて無理矢理方向を変え、ピアノの上のピエロに切りかかる。刀を振るうとピエロが二人消し飛ぶ。本体には一瞬前に避けられた。
「外した」
「まあ、本体は偽物より強いから」
ピエロが音楽室を飛び跳ねながら、偽物を次々と増やしていく。偽物達も跳び回ってどれが本物のピエロなのか、眩惑する様な動きを繰り返して本物と偽物は入り混じっていく。
「さあて、どれが本物の僕が分かるかな」
沢山のピエロが一斉にそう言った。
「奥で笑ってる奴が本物」
タマが伝えてきた。
法子が鞘に納めた刀に手をかけてピエロ達へと躍り込んだ。そして跳ねているピエロ達を無視して、一番奥で笑っているピエロへと切りかかった。
ピエロが刀を避けようと横に跳ぶが避けきれず、脛に半ばまで切れ込みが入った。
「痛い、痛い! 運が良いよ、一発で正解を当てるなんて。でも次は当てられるかな?」
そうしてまたピエロが増えていく。今度はさっきよりも多い。皆、脛に傷がついている。
「ちょっと待って」
部屋を埋め尽くすピエロの大群。法子は一歩も動かず、近付くピエロだけを切り裂きながら、待った。待っていると、
「あれだ!」
タマの思念がダミーの合間に一周だけ見えたピエロを指した。。
その時を見逃さず、法子はダミー達を押し飛ばしながら本物へと瞬く間に近付き、思いっきり刀で薙ぎ払った。今度はピエロの腹が真一文字に切り裂かれる。ピエロの腹から玩具がゴロゴロと飛び出してくる。
「良くやった、法子。このままいけば帰す事が」
タマの言葉が途切れた。ピエロは大きく後方に跳躍して、ピアノの上に立つ。また最初と同じ構図。辺りに犇めいていたピエロ達は皆消えて、今はピアノの上の一人だけになっていた。何だか薄気味悪い。何かしてくる。そんな気がして法子はうかつに飛び込めない。相手の出方を待つのが賢明だ。
「何しているんだ! 早く! あいつを鏡に入れさせるな!」
タマの叫びに法子が動く。刀を構え、踏み出し、ピエロの元へ、だがそれよりも遥かに先に、ピエロは後ろに倒れ、そうして窓に触れ、そのまま鏡面を通り抜けた。
「イッツショーターイム!」
窓の中に入ったピエロは楽しそうに飛び跳ね、側転し、隣の窓へと移る。楽しそうに楽しそうに、窓の中を飛び跳ねている。
「入られたか。まずいな」
タマがぼやく。法子は楽しそうなピエロをぼんやりと眺めている。
「あれ、窓の向こうに居る訳じゃないんだよね?」
確かにピエロは一見窓の向こうで飛び跳ねている様に見える。だが良く見れば、それはあまりにも平面過ぎた。
「ああなる前に、仕留めたかったけれど」
「どうしよう」
「どうしようもない」
音楽室にまたピエロが増え始めた。今度の増殖は緩やかで、一人また一人、少しずつだけれど確実に、ピエロの数が増していく。
「鏡に入っている間、分身は精度が落ちる。けど、こちらの攻撃が届かない所から延々と攻撃されるのは面倒だぞ」
「あれさ、窓を壊しても駄目なんだよね?」
「ああ、近くに他の鏡がある限り。この学校もそれに町も鏡ばかりだろ? 無駄って言って差し支えないよ」
偽物のピエロが襲い掛かってくる。法子はそれを一歩退いてから、上から下へ切り裂いた。更にもう一人、横合いから飛び掛かって来る。下に振り下ろした刀を逆手に持ち替えて、下から上へ切り裂いた。続けて、二人、左右から襲い掛かってくる。法子は刀を順手に持ち替えて、綺麗に一回転して二人切る。キリが無い。
今度は頭上から。身を低くして切り上げる。四方から同時に。回転して切り裂く。時間差で前後、上から。後ろを突き、頭上の攻撃を避け、着地したのと前からのを一息に突き刺す。キリが無い。
今度は上から。切る。右から、左にも、切る切る。右、左、上、切る切る切る。上、前、左、前、右、斜め、前二人、後ろ、右、斜め、五人、六人、キリが無い。
一人一人はとても弱い。攻撃は単調で遅く、一度切ればそれだけで消える。けれど数が多い。幾ら切っても幾ら切るっても、新しいピエロが増えていく。そしてその大本は安全な窓の中で寝転がり、意地の悪い笑いを浮かべながら泣いている。
切る。切る。切る。だが増える。更に多く、増殖する。キリが無い。
法子の手元が狂い切り損なった、ピエロが目の前へと迫る。危うい所で、かわして、切り飛ばす。法子は自分の魔力が少しずつ減っていく事を自覚していた。あの魔法少女と闘った時よりも更に早く魔力を消耗していく。それでもあの魔法少女戦より長く闘えていた。成長したという事だ。けれどそれでも、限界は見え始めていた。
「どうすれば良いの、タマちゃん。疲れてきた」
「正直、どうにも」
「どうにもって! 前に闘った時はどうやって勝ったの」
「前に闘った時は、こちらの魔力の量も扱いも君よりずっと長けていた。だから三日三晩闘って、あの道化師の魔力が尽きるまで待った。でも魔力切れを待つにしても、怪我を負っているからあの時よりは早いだろうけれど、それでも一日は見ないと」
「そんなの無理だよ」
「分かってるさ。だからどうしようも無いんだよ。現状を打開するには、あの本体を叩くのが一番だけど」
法子が窓に入ったピエロに視線をやった。ピエロが大きくあくびをして、笑っている。
「でも鏡の中を攻撃するなんて無理だろ? だから、とりあえず撤退して、同業者に代わってもらうってのはどうだい? あの魔女に。あっちはもしかしたら鏡の中に攻撃する手立てを持っているかも」
「絶対に嫌」
それは嫌だ。それでは悔しい。折角タマちゃんが戻って来てくれたんだから、これ以上失望させたくない。今回位は良い所を見せたい。
「そうは言ってもね。鏡の中を攻撃するなんて」
法子は必死で考える。鏡の中を攻撃する方法を。誰にも頼らず、必死で考える。
その思考を覗き見て、タマが嬉しそうにほくそ笑んでいるが、法子は気付かない。ひたすら襲い掛かってくる偽物のピエロを切り裂きながら、思考に没頭する。
鏡の中の敵を攻撃する方法は? 法子は今まで読んだ漫画や小説、見たアニメや映画を思い出しながら、考える。大抵鏡の中に入った敵は攻撃しようとして鏡から出た時に倒される。結局鏡の外に干渉するには鏡の外に出るしかないから、相手が攻撃してくる時を狙い澄まして反撃すれば良い。
しかし目の前のピエロは違う。確かに鏡の中の本体が鏡の外に直接攻撃する事は出来ないみたいだが、鏡の外に偽物を生み出す事で攻撃を行えている。
では他に対抗策は無いだろうか。例えば鏡を割るという方法。鏡を割れば鏡の中に居る事は出来ない。鏡を割って外に出て来たところを叩く。だがその作戦は先程否定されたばかりだ。
例えば鏡の中に入るという方法もある。相手が鏡の中に入れたのなら、こちらだって何らかの方法で中に入れるという道理だ。鏡の中は相手の舞台で厳しい戦いになるかもしれないが、それでも相手に干渉する事が出来るだけマシだ。
「それだ!」
「え、ちょっと、法子、流石にそれは」
法子が駆け出した。偽物ピエロ達を避け、飛び越え、ピアノの上に着地して、そしてピエロの居る窓へ飛び込む。法子は窓に触れて、そのままガラスを突き破った。甲高い破裂音が響く。飛び出した法子はそのままベランダを越えて、中空へと飛び出し、危うい所でベランダの手すりを掴んで、下に落ちる事だけは避けた。
手摺を力強く引いて、体を浮かせ、軽やかに手摺の上に着地する。音楽室の中の沢山のピエロが法子の事を笑っている。割れた窓の隣の窓の中に本体のピエロが居た。そいつも法子の事を笑っている。腹が立った。
ふと外の様子が気になって振り返って下の校庭を見ると、あの魔法少女とそれから昨日助けてくれた黒い騎士が校庭に集う生徒達を守る為に奮戦していた。ピエロの数は多いが、それを全く近寄らせない。けれどやはりキリが無い様で、危なげは無いものの、打開出来る様子も見えない。
私が何とかしないと。改めて気合を込めた法子は、背後から飛び掛かって来たピエロの首を視線もやらずに跳ね飛ばして、くるりと回り、音楽室を見据えた。
鏡の中のピエロをどうすれば倒せるか。
思考する間にもピエロが襲い掛かってくる。二人の腹を切り、もう一人の腕を切り、ベランダの下へと落ちて行くピエロには目もくれずに考える。
最も単純な方法は純粋に魔力をぶつける事だ。窓に入るには作品世界でのエネルギーを使っている場合が多い。そしてその鏡の中に入るエネルギーを遥かに超えたエネルギーをぶつける事で、相手を鏡の中から無理矢理追い出すと言う方法だ。
これは良いんじゃないかと、飛び掛かって来たピエロの腕を跳ね飛ばしながら、内心で得意になる。あのピエロは自分よりも魔力の量が下らしい。ならばこちらが相手の持つ魔力よりも大きな魔力をぶつければ外に追い出せるのではないだろうか。
「無理だよ」
タマの否定が入った。
「駄目?」
「ああ、無理。魔力だけで追い出すには膨大な量が必要だからね。万全でも無理なのに、今君はあのピエロよりも遥かに消耗している」
「じゃあ、八方塞り?」
「だからさっきそう言っただろ」
「そんな」
法子がしょげ返って、思考が途絶える。簡単に落ち込む法子に苛立って、タマがしまいとしていた助言を思わずしてしまった。
「あのさ、魔力って何だか分かっているの? 魔術って何か分かっている?」
「え?」
「学校で習わなかった?」
「習って……ない」
「あのね、魔術っていうのは概念の力を別の力に変える方法な訳。で、魔力って言うのはその概念の力の事」
「概念の力?」
「だから、因果の、いや、原因と結果って言った方が分かり易いか? もっと平易に言えば、ああすればこうなるっていう繋がりが概念。その繋がりの結びつきが概念の力」
「良く分からないんだけど」
「まあ何となくで良いよ。で、逆に言えば魔術を使えば概念を無理矢理付け加える事が出来る訳だ。例えば、そうだな、初歩的なので言うと、羽が勝手に宙に浮いたりとか」
「それは授業でやった!」
「物凄く簡単に言うと、何かに新しい機能を付けられるんだよ。例えば君がいつも使っているドライヤーから熱風じゃなくて水を流したりね」
「うん」
「勿論もっと複雑な事も出来る。例えば、飲んだら人の感情を変える水だとか、切ったら物が消える包丁だとか、絵の中の人を撃てる銃だとか」
「うんうん。で?」
「だから」
タマの言葉が止まった。これ以上言えば、ヒントどころか答えになってしまう。今ので充分、与え過ぎな位ヒントを与えたのだ。これ以上は、少し位は自分で考えてくれなくては困る。
「いや、それだけ」
「え? どういう事」
「ああ、もう良いから! そんな事より、さっさとあの道化師を倒す方法を考えな」
法子は混乱しながらも、偽物のピエロを切り捨てながら鏡の中の本体を攻撃する方法を考える。
そして突然大きな声を上げた。
「分かった! 分かったよ、タマちゃん!」
「良く気付いた」
答えに行きついた法子をタマが褒めた。
法子が思わず口に出していたので、ピエロがそれを聞きつけて、首を傾げて尋ねてきた。
「分かったってなーに?」
「うっさい! 覚悟しなさい、あんた達!」
法子がタマを握りしめる。
「それでどうすれば良いの? 何か呪文が居る?」
「いや、今の君じゃまだ無理だよ。本当に高度な概念だから。魔術の式はこちらで組み上げる。魔力も私が今まで蓄えてきたものを使う。君はとにかく私との間の流れを保ち続けて。どれだけ流れが乱れようと」
「分かった!」
と気合を入れて応じたが、法子には流れというのが良く分からない。何となく感じるタマとの繋がりだろうかと思うのだけれど、その繋がりはいまいち掴みようの無い感覚で、乱れというのも保つというのも良く分からない。
まあ、なる様になるさと、法子が気楽に構えて、襲い掛かってくるピエロを切ろうとすると、
「待て。概念を付与すると魔力の消費が激しくなる。概念を付与した刀で切れば更に。だから魔術が完成するまで、いや完成してからも本体を切るまで他のは切るな」
法子が慌てて手首を無理矢理動かして切っ先を逸らし、迫って来るピエロの胸倉を掴んで後ろに放り投げた。
「そういう事は早く言ってよ!」
「悪い。じゃあ、始めるぞ」
その瞬間、法子の中に何か仄明るい違和感が灯った。何だろうと思っているとそれはどんどんと大きくなって、胸を圧迫してきた。何だ何だと思っている間に、それはどんどんと広がって、胸の奥が削られる様な錯覚が起こった。削られていく。痛みは無いが、やるせない気持ちの悪さが胸から喉へせり上がってくる。削られる振動で視界が揺れる。
怖い。何だか自分が壊され、作り変えられてしまう様な怖さを感じた。だが法子はそれに耐えて必死にタマとの繋がりを確認しながら、襲い掛かるピエロを避け、蹴り飛ばし、投げ飛ばした。
頭の中で何か音が鳴っている。それは手の先から流れて来る音で、ひたすらに不快で、意識が遠のきそうな程、抑揚が強くかつ単調な、長く聞いていれば発狂しそうな音だった。それにも耐える。不安はあった。だが同時に信頼があった。タマが自分に変な事をする訳がないという信頼、タマが失敗するはずが無いという信頼。だから耐えた。耐えられた。反響する不快感が法子を苛んでいく。それに抗って、法子は必死にピエロと闘った。
そして、
「良し、出来た。法子! 後は本体を切るだけだ」
不快感が消えた。代わりに刀へ力を吸い取られていく感覚があった。
「分かった。でも」
だがいつの間にか本体のピエロは居なくなっていた。法子達がおかしな動きをしていると気付いて既に逃げ出したのだ。
「早く追いかける」
「うん、でも」
目の前にはダミー達が犇めいている。刀を使えない今、そこに道を作るのは困難だ。「私がもう一人いたらな。こいつ等ばっかり増えてずるいよ」
「アホな事言ってないで」
法子とタマの意識が同時に法子の手の先に注がれた。手の先には刀がある。法子が魔法少女になってから使い続けてきた刀だ。だが反対の手にも刀が握られていた。それも全く同じ刀が。
「私がもう一本?」
タマが呆然と呟く。全く同じ刀が二本。だが法子にしてみればその二つは明確に違う。一本がタマで、もう一本はタマでない。
「まさか友達欲しさに私を増やしたんじゃ」
タマが気味悪そうに言った。
「知らないよ! この刀、タマちゃんみたいに意識は宿ってないよ。それより今は武器が増えた事を喜ぼうよ!」
「そうだね。そっちの刀には概念を付与していないから、切っても消耗は少ないだろ」
「よし! じゃあ行くよ」
法子がベランダの手すりを蹴って音楽室に踊り込み、新しく生まれた刀を一閃する。それだけで周囲のダミーは消え去った。法子が進む。刀を振るう。ダミー達が消えていく。音楽室を飛び出すと廊下にも同じ顔をしたダミーが犇めいている。法子が刀を振るいながら右の廊下を突破していく。曲がり角を左に曲がると遠くに本体が見える。足と腹を怪我して思う様に動けていない様だ。追いつける。だがさっきよりも沢山のダミーが足の踏み場もない程犇めいていた。法子は横に跳び、壁に足を着け、壁を蹴って一気に前へと跳んだ。ダミー達の頭上を跳び越え、落ちそうになるとダミーの頭や肩を蹴って、ダミーの上を走っていく。法子が本体に追いついたのと、本体が傍の教室に逃げ込もうとするのが同時だった。
「もう逃がさない!」
法子が逃げ込もうとする道化師の背中を切る。だが傷は浅く、ピエロはそのまま教室の中に駆け込み、そして窓の中に入った。
「ひひ、残念!」
ピエロが高らかに得意げに宣言する。だが法子は駆け寄って窓ガラスに思いっきり刀を振り下ろした。窓の中に宿る存在を切るという概念を付与した刀を。
窓の中のピエロは袈裟に切られ、理解出来ないといった表情で法子を見た。法子が更に切ろうと刀を構えたのと同時に、背後から追いついてきた大量のダミーが法子目掛けて襲い掛かる。
法子は舌打ちしつつ、構えた刀を戻して、反対の刀でダミー達を切り払う。ダミーは消えたが同時に刀も折れた。
「え?」
折れた刀の先を眺めて法子が呆然とした。
「壊れやすいみたいだな」
使える武器は無い。そこへダミー達が再び襲い掛かってくる。かと思うと、法子は折れた刀を床に刺して、新たな刀を生んだ。法子自身も驚く程、まるでいつもそうしてきたかの様な必然さで法子の手に新しい刀が生まれていた。
「けれど簡単に作りだせる。便利な能力だな、それ」
ダミー達を切り払う。消えたダミーの向こうからまたダミーがやって来る。一体いつまで切れば良い?
「法子! やったぞ、あいつの魔力が尽きた」
本体が窓から抜け出していた。魔力が尽きて鏡の中に居られなくなったのだ。
法子がそれを追う。ダミー達が壁を作ろうとしたので、それを切る。すると再び刀が折れた。折れた刀を床に突き刺して、再び新たな刀を。
教室の外に逃げ出そうとしている本体に先回りして、その前を塞ぐ。本体が反転して逃げようとする。ダミー達が本体を守ろうとする。立ちはだかるダミーを切る。刀が折れる。それを突き刺して新たな刀を。そして逃げる本体に先回る。
そんな事を繰り返している内に、ついにダミーが居なくなった。魔力切れでもうダミーを生む事も鏡に逃げ込む事も出来ない。
「チェックメイト」
法子が恰好を付けて言い放った。
ピエロが笑う。
「残念無念」
諦めた様に腕をだらりとしたに垂れ下げて項垂れる。
かと思うと、飛び掛かって来た。
不意を打とうとしての事だったが、法子は薄く笑って剣を真っ直ぐにピエロの鼻先へ向けた。
タマの声が頭に響く。
「そのまま、帰したいと願うんだ」
法子は一つ頷くと、ピエロに向かって意地悪そうに笑った。
「イッツショーターイム」
ピエロの口調を真似て、そう皮肉気に宣言する。
すると教室の中に突き立つ折れた刀達が光りで結ばれて、巨大な魔法円を描いた。その光が爆発して、光が満ちる。そして光が消えた時には、ピエロが居なくなっていた。
もう気配は感じない。間違いなく帰した。魔物の恐怖は去ったのだ。
法子が後ろに倒れる。頭を打ち付けたが満面の笑みだ。
「勝った!」
「ああ」
「初勝利!」
「良くやった」
法子はしばらく天井を見上げて荒い息を吐き、それから息を整えてタマに尋ねた。
「見直した?」
「何度か危ないと思った場面もあったけど、そうだね、素晴らしかった。見直したよ」
「私、英雄になれた?」
「ふふ、外に行ってみんなの前に出てみなよ。きっとみんな君を英雄視してくれるだろう」
法子が危なっかしくふらつきながら、窓辺に寄った。外には沢山の生徒が居る。ピエロのダミーはもう居ない。生徒達の視線は魔法少女と黒い騎士に集まっている。どうやら生徒達は二人を褒め称えているらしい。
「ほら、校内の戦いを知らない彼等は、魔導師を倒したのがあの二人だと思っているよ。ここは君が出て行って、私が倒したってびしっと言わないと」
「やだよ。そんな浅ましい真似」
「英雄になれないよ?」
法子が微笑む。同時に魔力が尽きて、変身が解けた。
「良いの。人前に出るなんて恥ずかしいし。それにね、私はみんなに称えられる英雄じゃなくて、みんなを守る英雄になりたい。孤独でも何でも良い。誰よりも強くなって、みんなを守れるようになりたい」
「そうかい。なら何も言わないよ。君が人知れず世界を守る英雄になると言うのならそれも良いだろうさ。ただね、一つ気に食わない」
「何?」
「孤独という点さ。まさか今回勝てたのは全部自分一人の力だなんて思っていないだろうね? 誰が君を見捨てようと、私が居るだろう。君は孤独なんかじゃないさ」
「そうだね。うん。私、一人じゃない」
法子が素直に頷いた。頭の中に満足そうなタマの思念が流れてくる。それに釣られて法子もまた満足そうに笑った。