第二十九話「全員、降板」
第二十九話 全員、降板
最初の十秒、誰も立たなかった。
無理もない。
観客席にいれば、凪一人の死で世界は助かる。
出演者になれば、自分にも何が起こるか分からない。
ディレクターが補足する。
『負担内容は予測不能です』
怪我をするかもしれない。
大切な記憶が一部欠けるかもしれない。
明日の予定が変わるだけかもしれない。
『参加報酬はありません』
バンが笑う。
「正直すぎる勧誘だな!」
「嘘をついて集めたら、また台本になる」
俺は観客席へ向く。
「凪を助けてくれ、とは言わない」
「言っていいよ」
妹が隣で言う。
「お兄ちゃんなんだから」
俺は息を吸う。
「妹を助けてほしい」
八十億人へ届く。
「でも、妹だけじゃない。誰か一人が死ぬことで安心する仕組みを、ここで終わらせたい」
数字も保証もない。
「三十秒だけ、自分の人生が台本どおりにいかない重さを、一緒に持ってください」
最初に立ったのは、佐伯奏太だった。
「僕は、修復士見習い」
自分で選んだ役名を言う。
「三十秒なら、直す方をやる」
次に相沢咲。
「私は絵を描く人。背景ではありません」
瀬名るか。
「私は十五歳。将来は、まだ決めません」
三枝千春。
高瀬修司。
バンを英雄と呼んだ少年。
百二十七人のノークレジット。
十万人。
百万人。
参加者が増える。
それでも必要数には遠い。
ディレクターが別の映像を流す。
参加者の予測被害。
崩れる家。
失われる記憶。
泣く家族。
人数の増加が止まった。
カイトが演出家の席へ戻る。
「俺が命令すれば、一億人は確保できる」
「しないで」
凪が言う。
「ああ」
カイトは金色のペンを、自分の役札へ突き刺した。
「皇カイト。本公演の演出家役を降りる」
舞台が大きく揺れる。
『演出家不在では、結末を確定できません』
「結末を一人で決めない」
最終稿が燃える。
カイトの補正も権限も消えた。
次にバンが立つ。
「犬飼バン。悪役役を降りる!」
黒い鎧を脱ぎ捨てる。
「俺は悪いこともした! いいこともした! どっちか一つにまとめるな!」
ミオが聖剣を折る。
「天城ミオ。主役役を降ります」
『主役がいなければ、観客は参加しません』
「私を見なくていい。自分で決めて」
スポットライトが消える。
凪は《最終犠牲者》の札へ手をかけた。
「鳴海凪。助けられる妹役も、世界を救う犠牲者役も、両方降ります」
白い光が砕ける。
残るのは俺。
《世界の敵》
《代役》
敵役を降りれば、世界は攻撃対象を失う。
代役を降りれば、俺は何の能力もなくなる。
「鳴海零」
ミオが名前を呼ぶ。
凪、バン、カイト、キューが続く。
役ではなく、俺を呼ぶ。
「世界の敵役を降りる」
黒い炎が消える。
「《代役》も?」
凪が聞く。
この力がなければ、ここまで来られなかった。
誰かの役を一時的に持ち、理解することもできた。
だが最後まで代わり続ければ、俺自身の選択がない。
「降りる」
固有技能《代役》の札を外す。
身体が軽くなる。
同時に、怖くなる。
もう奇跡は使えない。
六人全員が、役なしで舞台へ立った。
ディレクターの輪郭が揺らぐ。
『物語が成立しません』
「物語にしなくていい」
『始まりと結末のない世界は、管理できません』
「途中で変える」
『間違いが増えます』
「記録して、直す」
『犠牲が出ます』
「出さないとは約束できない」
カイトが答える。
「だから一人で決めない」
観客席で、新しい人が立った。
カイトの部下。
最適配役で救われた患者。
固定役を望む人もいる。
「役があった方が安心です」
その人は言う。
「でも、変更する権利は欲しい」
別の人。
「参加は怖い。三十秒だけなら」
一千万。
三千万。
八千万。
残り二十秒。
一億まで、あと七百万人。
ディレクターが観客席へ最後の命令を出す。
《参加しなければ安全です》
キューが訂正する。
「観客席も、世界の一部です。誰も完全には安全ではありません」
その一言で、表示が嘘だと判定された。
ディレクター自身が、台本の正確性を破った。
観客席の役札へ亀裂が走る。
人数が跳ね上がる。
◇
一億人へ達した瞬間、参加を取り消す者も出た。
「怖くなった」
その言葉を、誰も責めない。
人数が九千九百九十八万へ落ちる。
別の二万人が入る。
数は波のように上下した。
「固定してしまえば」
カイトが言いかけ、自分で首を振る。
「今のは演出家の癖だ」
「本人の気持ちもある?」
俺が聞く。
「ある。直前で変えられると、計画が崩れる」
「でも撤回権は残す」
「ああ。計画を直す側へ回る」
キューが参加開始の条件を変更する。
《一億人を一秒固定》ではなく、三十秒間の平均参加数が一億人を超えれば成立。
途中で離れてもいい。
途中から入ってもいい。
「一人ずつの三十秒ではない?」
凪が聞く。
「全体で支え続ける三十秒です」
誰かが限界なら交代できる。
最終公演まで、一人へ同じ役を続けさせない。
ディレクターが警告する。
『条件変更により、成功予測は九八・二%へ低下』
「二%も下がる」
カイトの顔が強張る。
ミオが尋ねる。
「固定する?」
「しない」
答えるまで三秒かかった。
「怖いまま選ぶ」
参加者へ、負担を分散する小さな光が届く。
一人は肩が重くなる。
一人は明日の予定表から一行が消える。
一人は知らない人の悲しみを一秒だけ感じる。
大きな犠牲ではない。
無傷でもない。
俺たち六人にも同じ負担が来る。
凪は三年前の記憶を一つ失いかけ、弁当箱を握る。
「何を忘れた?」
「分からない。でも、今ここにいるのは分かる」
ミオは右肩の痛みが戻る。
バンの古傷が開く。
カイトは母親の声を一部聞き取れなくなる。
キューの職員証から、一文字が消える。
俺はすぐ油性ペンで書き直す。
《キュー》
「勝手に名前を」
「本人確認」
「合っています」
残り一分。
参加数、一億二百万人。
ミオが俺の隣へ立つ。
「今なら、まだ逃げられる」
「お前は?」
「残る。でも零に同じ選択を求めない」
「俺も残る」
凪、バン、カイト、キュー。
全員が自分で答える。
中央の柱へ手を置く。
役はない。
誰も勝利を保証しない。
開始直前、参加数が一億を三万人だけ下回った。
世界中で、迷っていた人が最後に立つ。
《参加平均 一億人へ到達》
一億人へ、凪一人分の犠牲者役が分かれる。
一人あたり、〇・〇〇〇〇〇一。
傷とも呼べないほど小さい。
それでも無傷ではない不確実性を、本人の同意で分け合う。
ディレクターの白い身体へ、無数の亀裂が入った。
『配役を固定できません』
「固定しなくていい」
舞台が崩れ始める。
最後に残ったのは、世界崩壊までの三十秒。
キューが時計を起動した。
「三十秒。途中交代可。無理なら離れてください」
一億人が、自分の場所で舞台を支える。
俺たち六人は中央の柱へ手を置いた。
台本ではなく、安全確認から始まる。
世界で一番長い、台本のない三十秒が動き出した。




