第十六話「あなたの適職は、一生変更できません」
第十六話 あなたの適職は、一生変更できません
最適配役は、拍手とともに始まった。
午前九時。
世界中の人間の頭上へ、役札が浮かぶ。
《医師》
《教師》
《配達員》
《母親》
《犯罪者》
《背景》
直後、駅前で高架橋が崩れた。
しかし死者は出なかった。
《避難誘導役》が最短経路を示す。
《救助役》が迷わず瓦礫へ入る。
《医師役》が重症順を正確に判断する。
十分で全員が救われた。
完璧に見えた救助の中央で、一人だけ動き続けていた。
高架下の避難門を管理する駅員。
頭上には《出口管理者》。
右腕から血が流れている。
最初の崩落で骨折したらしい。
「交代してください!」
同僚が手を伸ばす。
役札が拒む。
《出口管理者は、全避難者の通過確認まで持ち場を離れられません》
「残りは救助隊が数える!」
「役の認証が、俺にしかない」
駅員は青ざめながら改札を開閉する。
判断は正確だった。
一秒も遅れない。
だから誰も、彼を止められない。
最後の避難者が出た瞬間、役札に《職務完了》が出る。
駅員はその場へ倒れた。
医師役が治療し、命に別状はない。
「ほら、制度が助けた」
取材記者が言う。
「彼が持ち場を守ったから死者ゼロです」
本人は担架の上から、カメラを止めるよう求めた。
「俺は、持ち場を捨てたかったわけじゃない」
「では、何が問題ですか」
「交代したかった」
右腕を見せる。
「仕事は必要だった。でも俺一人である必要はなかった」
ディレクターの計算では、途中交代に三・二秒の遅れが出る。
死者予測はゼロから〇・〇三人へ増える。
「〇・〇三人を避けるため、あなたの腕を使った」
俺が言う。
「それで助かった人がいるなら、完全に嫌だったとは言えない」
駅員は目を閉じる。
「でも次も当然だと思われるのは嫌だ。次の人へ、交代できる鍵を作ってください」
要求は役の廃止ではなかった。
役を二人以上へ渡せる仕組み。
負傷を申告したとき、一時的に権限を移す手順。
その場にいた同僚が手を挙げる。
「次は私も認証を受けます」
「訓練が必要です」
「受けます。勤務時間として」
駅の運営会社は、最初「英雄的職務」として表彰を提案した。
本人は断った。
「表彰より、交代要員を雇ってください」
ニュースはそれでも、救助成功の映像だけを繰り返した。
死者ゼロ。
最短避難。
失敗しない社会。
数字は嘘ではない。
骨折した一人の希望を映さないだけだった。
ニュースは歓喜した。
『人類はついに、失敗しない社会を手に入れました!』
その隣で、十二歳の少年が警察へ連れていかれていた。
頭上の役は《将来の侵入犯》。
「まだ何もしてない!」
「予測犯罪率九七%。保護隔離です」
少年の名は春木空。
錠前を分解するのが好きで、全国大会に出るほどパズルが得意だった。
役はその才能を、犯罪へ固定した。
「今すぐ離して」
ミオが警察の前へ立つ。
「天城さん。あなたには《国民的英雄》への復帰命令が出ています」
「拒否しました」
「役へ逆らう者は、世界の敵に協力したと見なされます」
全員が俺を見る。
頭上の《世界の敵》が、昨日より濃い。
俺へ向ける銃の命中補正が上がる。
「空。鍵を開けたい?」
俺が聞く。
「開ける仕組みを知りたい。壊したくない」
「将来、何になりたい」
「博物館で、昔の機械を直す人」
俺は《世界の敵》と《将来の侵入犯》を交換しようとした。
《交換不可》
《世界規模役は、個別役と等価ではありません》
「なら、役ではなく証拠を作る」
凪が小道具を持ち込む。
空が修理した、古いオルゴール。
持ち主の老人が人混みから叫んだ。
「その子は壊れた鍵を開けて、中を直してくれた!」
ミオが配信を始める。
空本人へ話させる。
編集も演出もない。
「僕は、閉じた物の中を知りたい。でも、持ち主が嫌なら触らない」
視聴者から、新しい役名が集まる。
《修復士》
《鍵職人》
《博物館員》
ただし、人気投票で役を決めさせない。
「空、自分で選んで」
「修復士」
少年が言う。
《将来の侵入犯》へ亀裂が入る。
《自選役――修復士見習い》
警察の拘束が外れた。
ニュースは俺たちを批判した。
『予測犯罪者を野放しにする危険行為』
同時に、別の速報が流れる。
最適配役開始から三時間。
交通事故、四二%減。
医療事故、六八%減。
暴力犯罪、八一%減。
カイトの選んだ世界は、確かに人を救っていた。
その裏で、《背景》に選ばれた人間が、一人ずつ声を失い始める。
◇
空の役を書き換えた映像は、賛否に分かれた。
『犯罪を起こす前に止められたのに』
『子どもの将来を大人が決めるな』
『修復士になって、本当に犯罪をしない保証は?』
保証はない。
空本人にも聞いた。
「将来、悪いことをする可能性はゼロじゃない」
「うん」
「役を変えたから安心、ではない」
「分かってる。だから鍵を触るとき、持ち主へ聞く」
少年は博物館の修復室で、一日体験を始めた。
最適配役の推薦ではない。
老人が紹介し、本人が応募した。
失敗もした。
百年前の時計を分解し、ねじを一本余らせる。
「向いてない?」
空が青ざめる。
修復士は笑った。
「ねじが余ったと気づけるなら、最初の失敗としては上等だ」
役札なら、適合か不適合の二つしかない。
人間なら、失敗して覚える途中がある。
一方、最適配役センターには長い列ができていた。
自分の役を早く知りたい人。
役を変更したい人。
家族の役へ異議を申し立てたい人。
俺たちは相談窓口へ入る。
「息子が《音楽家》になりました」
父親は喜んでいた。
「小さい頃から才能があった。これで迷わず専念できる」
隣の少年は黙っている。
「本人は?」
俺が聞く。
「音楽は好きです。でも仕事にはしたくない」
「そんなわけない。役が適性を証明してる」
「好きだから、失敗して嫌いになるのが怖い」
父親は初めて息子を見る。
正解は出さない。
期限を決め、学校を続けながら週二日だけ音楽を学ぶ案を一緒に作る。
役札は消えなかった。
だが《一生固定》の文字へ、小さな傷が入った。
次の相談者は、四十歳の男性。
《理想の父親》を与えられ、別居中の家族へ戻るよう命じられた。
「家族は嫌がってます」
「なぜ戻りたい」
「父親役だから。……いや、本当は寂しい」
「同じではない」
本人と元妻を別々に聞く。
同居ではなく、子どもの同意を得て月一回会う案になる。
最適配役は、結果だけなら速い。
俺たちの相談は、一件に一時間かかる。
センターの職員が苛立つ。
「非効率です。待っている人が千人います」
「だから相談員を増やす」
「適性のある人を配役すれば早い」
「本人へ希望を聞いてからなら」
役の候補を完全に捨てる必要はない。
地図として使い、行き先は本人が選ぶ。
その違いを制度にする前に、廊下で誰かが倒れた。
清掃員の女性。
人々は避けて通る。
視界には入っているのに、誰も存在として認識しない。
頭上に《背景》が浮かんでいた。
俺たちが近づくと、女性の名札から文字が消える。
「名前を」
口が動く。
声は出ない。
端末の勤怠記録にも、最初からいなかったことになっている。
キューが周囲を調べる。
「背景役の消失段階が、予定より速い」
「この人だけ?」
世界地図へ、同じ反応が何百万と灯る。
誰にも注目されない仕事をしていた人。
家族や職場で発言を求められなかった人。
記録の少ない人。
最適配役は、世界の記憶容量を空けるため、彼らから先に薄くしていた。
女性のポケットから、コンビニの名札が落ちる。
《相沢咲》
ミオが顔を上げた。
「この人、昨日のお店にいた」
毎朝何百人へ声をかけていた店員が、背景へ消えようとしていた。
◇
相沢咲を運ぼうとしても、担架が彼女の重さを認識しなかった。
《背景に物理的優先度はありません》
「人間一人分として測れ」
俺が体重計へ乗せる。
数字はゼロ。
バンが自分の上着で包み、背負った。
「重いぞ!」
その一言で、体重計が四十八キロを示した。
誰かが負担を感じ、存在を認めると物理世界へ戻る。
「背景役は、誰にも影響しない者として処理されます」
キューが解析する。
「なら影響を数える」
コンビニへ戻る。
咲が補充した棚。
毎朝掃除した窓。
忘れ物を保管した箱。
店長は最初、彼女を思い出せなかった。
勤怠表には空欄。
しかしレジの癖を見て、顔色が変わる。
「この並べ方、咲さんだ」
おにぎりの賞味期限が古い順に揃っている。
雨の日だけ、傘袋が取りやすい位置へ移される。
名前より先に、仕事の跡が人を呼び戻す。
咲が目を開く。
声は出ない。
俺たちは紙へ質問を書く。
《何をしてほしい》
彼女は震える手で答えた。
《私を主役にしないで》
《でも、いなかったことにもしないで》
ミオは配信カメラを下ろす。
「本人の希望を守る映し方を考える」
顔を大きく映すのではない。
咲が残した仕事と、名前を伝える。
人々へ、思い出を一行ずつ分けてもらう。
最初のレシートへ、店長が書いた。
《相沢咲さん。朝の棚を任せていました》
背景から人へ戻す、小さなスタッフロールが始まった。




