プロローグ
初投稿です。よろしくお願いいたします。
目の前で、無情に電車のドアが閉まる。
背後から容赦なく体を押され、閉ざされたドアにぶつからないよう咄嗟にその場で踏みとどまると、その隙に銀色の車体がわずかに揺れ、ゆっくりと動き出した。
背後にいる男性が、小さく舌打ちをする。
忙しい通勤時間帯だ。苛立つ気持ちもよく分かる。だが、あの息苦しい満員電車の中に押し込まれなくて良かったと、安堵する自分もいる。
どうせ数分後にはすぐに次の電車が来る。
だが、その車体にも既に人が詰まっているに違いない。ゆったりと座る余裕はないのだろうけど、一本電車をやり過ごした分、せめて少しでも呼吸がしやすい場所を確保できたらいい。
ふう、と溜息をつく。
夏が近い。
日差しが強く、空は目に痛いほどの一面の青だった。
体にまとわりつく生温い空気は多量の湿気を含んでいて、暑く、重い。じわりと背中に汗が滲む。不快感が増していく。
世界は、自分に対してこれっぽっちも優しくはない。
ほんの少しだけでいいのに。
降り注ぐ日差しの強さが。
この身に吹き付ける風の温度が。
呼吸が楽になる空間が。
すべてのことが、もう少し自分の思い通りになれば。
(無理だろうけど)
無意識に、自嘲の笑みが浮かぶ。
まだ十六年しか生きていないのに、自分は何もかも諦めている。
世界のすべてを知るわけではないし、この世は不運だけでできているのではないのかもしれない。
……でも、幸せだと感じることも、とても少なかった。
(楽になりたいな)
楽になりたい、逃げ出したい、……もう、終わらせたい。
ただ立ち尽くすしか術のない自分には、何をどうすればいいのかは、分からないけれど。
次の電車の到着を告げるアナウンスが響く。
周囲の空気が一斉に動き出す。
早く次の場所に行きたがる背後からの圧が強まる。
その圧を受けたのか、それとも暑さにふらついたのか。
押されるようにして、足を踏み出す。もつれる。
ちゃんと、踏み止まるつもりだった。
なのに、止まれなかった。
ぽっかりとひらけた空間へ、身体がそのまま投げ出された。
取り巻く世界の動きが突然、ゆっくりになる。
遠い誰かの悲鳴。
近づいてくる眩い光。
光の中、運転席にいる人物が目を見開いているのが、やけにはっきりと見える。
ふと浮かんだのは、迫りくる衝撃への恐れではなく、ガラス越しに驚愕の表情を見せている運転手に、申し訳ないと思う気持ちだった。
(ごめんなさい)
これは不慮の事故です。
あなたの罪じゃない。
もう、これでいいと心のどこかで安堵している、私の罪だ。
どうか、私がこの世から消えても、あの人が気に病みすぎることがないように。
銀色の車体がすぐそこに迫る。
『私』は、ただ静かに目を閉じた。
びくんっと体が跳ねた。
咄嗟に上がりかけた悲鳴を呑み込んで、身を起こした。
部屋はまだ薄暗く、夜明け前の静けさに満ちている。
呼吸が荒い。耳の奥の鼓動がうるさい。
息を整えて、ゆっくり深呼吸をして。暗闇の中、手探りで自分の身体を確かめる。
……どこも痛くない。
欠けたところもない。
「……わたし……」
掠れた声が耳に残る。
私は、こんな声をしていただろうか。
無意識に、髪に触れる。
長く、暗闇に融ける色。
それにも違和感を持つ。
母譲りの明るい茶色の髪は、いつも生活指導の先生に怒られていたはず……。
そこで、普段使うことのない言葉の違和感に「ああ」と息をつく。
「……夢か」
物心ついた頃から、何度となく繰り返し見ていた夢だ。
今の自分が生きる世界とは、全く違う世界。
魔術も魔力も身分もない。今知るものとは別の理で動いていた世界。
あれが以前生きていた世界だということは、年齢を重ね、何度も繰り返し同じ世界の夢を見ているうちに理解していった。
(こんな記憶があったからと言って、役立つことは何もないけど)
あの世界で培った知識が、この世界の自分を救ってくれたことは一度もない。あの世界でも、この世界でも、自分という人間はいつも……
(無能、だから)
ぽつりと胸の内で呟く。
ベッドから降り、古い鏡の前に立つ。
そこに映るのは、表情に乏しい一人の少女。
漆黒の髪と、瞳。
この世界で受け入れられることのない色彩。
「……エルゼ」
エルゼ・オルテンシア。それが今の自分の名前。
かつての名前は、もう思い出せない。
それなのに、今でも時折、あの世界の夢を見る。
まるで何かの予兆であるかのように。
呼吸も、鼓動も落ち着きを取り戻した。それなのに、胸の奥がわずかにざわめいている。
(ああ、きっと)
今日は、何かが起こる。
穏やかな一日にはならない予感がした。
第4話まで一気に投稿します。その後、一話ずつ更新予定です。
執筆にあたり、ChatGPTとの対話により、誤字脱字の修正、構成などを行っています。




