06:商家の拾われ子
「――まだ生きている! 誰か、水を持ってきてやれ!」
声が聞こえて、まず他を持ち上げる。ぼやけた視界のまま、水の入った器をあてがわれて、湿る唇に思わず口を開いて思いっきり飲み込んだ。勢いが良すぎたのか、むせかえってしまい、涙目になる。おかげでといえばいいのか、乾いていたらしい目は潤い、さらに 数度瞬きをすれば視界はだいぶクリアになって、自分を抱えてくれている人の顔が見えた。
そこにいたのは、柔和そうな男性だった。貴族とまでは言わないが身なりはよく清潔感が漂っている。……商人、だろうか。
「だ……れ」
やっとのことで開いた口から飛び出たのは、驚くほどかすれた声だった。頭はまだぼんやりしていて、この目の前の人はいったい誰で、ここはどこなのだろうと思う。
彼は私の問いに、少しほっとしたような笑みを浮かべて、答えた。
「私は、バルテレミー=ジュペ。商人をしているよ。キミはどうしてこんなところに倒れていたんだい?」
「わたし……わたし、は……」
問われて、答えようと思考をめぐらす。と、そこで自分が倒れるまでに起きたことを思い出して、思わず飛び起きた。ジュペと名乗った彼は驚いたように目を瞬かせている。
「そう、だ。帝都……、帝都に戻らなきゃ……!」
その勢いのまま、どちらが帝都の方角なのかを尋ねる私に、彼は「落ち着いて」となだめてくる。下手をしたら暴れそうにでも見えたのか(でも実際に暴れていたのかもしれない)、別の人が私を後ろから抱き込むように抑えて来て、なしくずしに身動きが取れなくなった。
「少し落ち着いて、お嬢さん。起きたばかりにそう慌ててもよいことはないよ。――キミは、帝都から来たんだね?」
もう一杯水を差し出されて、私はしぶしぶ受け取った。私を抑え込んだ人に、椅子替わりの箱に腰かけさせられて、それを一口飲むころにはやっと周りの様子が見えてくる。大きな荷馬車が三台、それとジュペさんを筆頭に何人かの商人らしき人と、その護衛らしき人が数名。商隊のようである。
ジュペさんの問いに、私はうなずいた。さすがに魔法のことは言えないし、まだ混乱してたどたどしさが残ってしまっていたが、状況の説明を加える。
「帝都で、暮らしていて。でも、クーデターが起きて、帝都中が火にまかれて、それで逃げて……」
「…………そうか。それはつらかったね」
ジュペさんは、痛ましげに目を伏せた。私の後ろにいた人(多分護衛の一人だろう男性だ)が、頭をなでてきて、思わずびくりと肩を揺らす。ちろりと上を見れば、やはり沈痛な面持ちの表情を浮かべていた。
「それよりも、リオが、大事な仲間と途中ではぐれてしまって。だから私、帝都に帰らなきゃいけないんです……!」
「だから、どちらにいけば帝都につくか教えてください」と水を飲み終えた私は、立ち上がって頭を下げる。
しばらく無言が支配した。
そのまま頭を下げ続ける私の頭に、ため息が降ってくる。
「頭を上げなさい、お嬢さん。ちょうど、我々も帝都に向かう途中だったんだ。内乱の様子によっては途中で引き返すことになるが、それでよければのせていってあげよう。代わりに、つくまでの間に、君が見た帝都の様子をおしえてくれるかい?」
「っありがとうございます!!」
私はもう一度大きく頭を下げたのだった。
私が倒れていたのは、帝都から馬車で丸一日の場所だった。練習もしていなかっただろう突発的な転移魔法にしては、随分遠くへ飛ばされたものだと思う。それだけきっとリオの能力は高かったのだろう。ならばきっと、私をかばったリオだって生きている、はずっだ。そう思い込みたかった私だが、不安を消し去ることはできなかった。だって心の奥底ではわかっているのだ。あの状況で生き残れる方が稀有だということを。
私は自分の名前を名乗り、それから馬車の中でできうる限りのことを詳しく語った。話が進むたびに表情が険しくなるジュペさんだが、それも当然かもしれない。仮にも国の中心である帝都が、壊滅しているような話なのだから。
不安で一杯の一日が過ぎて、私をのせたジュペさん一行は帝都の側まで来ていた。
「――入れない?」
「はい。どうやら、門を閉鎖しているようです。外へ出るのも、中に入るのも禁じているようでして……」
「勝ったのはクーデターを起こしたほう、かい?」
「はい」
「そうか……」
さすがに馬鹿正直に中に入って無駄な火の粉を浴びたくはないらしく、帝都に入る前少し前の森の中に待機して、護衛の一人のサシャ・ドロンさんだけが先行して様子を見に行ってくれた。しかし、その結果は中に入れないというものだった。
「あの、外には? 外に逃げた人たちはどのくらいいましたかっ?」
子供だから、という理由で置いていかれてしまった私だが(そうやって大人に子供であることを考慮されたのは物凄く久しぶりだ)、ドロンさんの報告を聞いて思わず口をはさんでしまった。
「それは……」
何故か彼は言いよどむ。それに胸騒ぎを感じて、私は衝動的に走り出した。
「行ってはダメだ!」
相変わらず子供の足では大人には敵わないらしく、森を出そうになったところでドロンさんに捕まる。離して、と暴れるけれど、護衛をやっているだけあって鍛えられた体はびくともしない。
「なんで行っちゃだめなの!?」
「……外に逃げた人で、逃げきれた人で街壁の側にとどまっている人は、いなかったんだ。今向かっても、誰にも会えないよ。……追い返されてしまう」
その言い方に、私は引っかかるものを感じて抵抗をやめる。
「逃げきれた人で、とどまっている人は、いない?」
「そうだ。さあ、ジュペさんのところへ戻ろう」
「――逃げきれなかった人は、そこで死んでいたの?」
私の問いに、彼は一瞬目を見開いてから、そっと目を伏せた。私の頭をなでて、それからそのまま抱き上げる。
人さらいに担がれて以降、そんなことをされたことがなかった私は、思わず身を固くした。でも、ごまかしはしないでほしい。そう思いを込めて彼を見つめていると、観念したようにドロンさんは口を開いた。
「……そうだ。みんな死んでいたよ。あれは、君みたいな子供が見るものじゃない」
「…………うそ。嘘、嘘だわ」
彼は何も答えず、ただ私の頭をなでた。
それが明白な答えを語っていて、私はもう、どうしたらよいのか、わからなかった。信じたくない。けれど逃げた人も、中にいる人たちもたくさん死んで、あの時私をかばってくれたリオも、イザークたちも、イェニー達も、生きている可能性がとても低いのは、確かだと心のどこかが告げた。望みを持っても、無駄だ、諦めて自分だけでも生きろ、と。
悲しくて、つらくて、どうしようもないというのに。
涙は、出なかった。
ただ、生きたいと強く思った。
その後、ジュペさんのところまで連れていかれた私は、ドロンさんに下ろされてすぐにジュペさんに膝をついて頭を下げた。日本人だったころで言う、土下座である。
驚く商隊の面々を無視して、自分の要望を告げた。
「どうか私を、商会で働かせてください!」
これが自分勝手な望みだとわかっている。「雇うなら子供じゃなくて大人だ」と何度言われたことか。でも、今の私がこれから生きていくために、思いつくのはこの道ぐらいだったのだ。…………見ず知らずのみすぼらしい子供を拾って、ここまで連れてきてくれたこの人なら、同情して雇ってくれるぐらいの人の好さがあるかもしれない、という打算もあった。
「……顔をあげなさい」
そう言われたけれど、私はそのまま動かない。いいといわれるまでは、頭を上げるつもりはなかった。
ため息が降ってくる。びくりと肩が揺れてしまった。
「帝都のほかに、頼れる人は?」
「……いません。私は、人買いに売られて帝都に来て、そこで逃げ出してスラムで生きてきました」
「スラムで、どうやって生きてきたんだい? ――盗みを、したことは?」
「盗みは、5歳の時に一度。そのあと、スラムで同じような境遇の子供たちと、力を合わせて何とか生きていました。私は、小さな子たちと一緒に、ごみを漁ったり、捨てられていたものを直して売ったりして。あとは、年上の子たちが、その、スリや盗みで稼いできたものとを、合わせて、食べてきました」
少し迷ったが、正直に告げた。嘘をついても、多分身なりや身のこなしから、そうだとは察していただろう。商人なら、多分そういった嘘は嫌う。正直がすべていいとは限らないけれど、信頼がなければ取引は成立しない。
「ジュペ商会は、カディア公国でもそれなりに大きな商会だ。だから確かに、人手はいくらあっても困らない。……だけど、質が悪い人手であっても困る」
「……わ、私は! 誓って恩人のあなたを裏切るようなことはしません! 一生懸命働きますし、ご飯と寝床さえもらえれば、賃金もなくて構わないんです。だから、どうか、この商会で働かせてください!」
しん、とした空気の中。断られそうな風向きになって、私は思わず声を上げた。ジュペさんたちは、見知らぬ子どもである私に手を差し伸べてくれた、この世界で初めての大人である。できるなら、この人の元で働きたい。
それに、やっと私が「人らしく」生きることのできるチャンスなのだ。逃したくは、なかった。
同時に、これで雇ってくれたら、きっとこの人はお人よしが過ぎるとも思う。この厳しい世の中で、そんなことが起こりうるのだろうか。
私がドキドキしながら判決を待っていると、やがて先ほどよりも穏やかな声音で、「顔をあげておくれ」と言われる。私がためらっていると、少しばかり苦笑を含んだ声がさらに降ってきた。
「うちに丁稚奉公しにくる子も、ちょうど同じぐらいだからね。まあ、一人増えたところで構わないだろう。――代わりに、ほかの子とも同じ条件で、衣食住はあるけれど賃金はほとんどないし、仕事はそれなりに大変だ。素行や出来が悪かったら放りだすことになる。家族のいないキミだと、かなり厳しい条件でもある。それでいいなら、うちにおいで」
「っ、はい! ありがとうございます!」
私は思わず顔をあげて、それからもう一度深く頭を下げた。
「とりあえずは、カディア公国に戻るまでの間は……そうだな、トマ、君に頼んでいいかい?」
「はい、わかりました。大丈夫ですよ」
ジュペさんの側にいた、少しばかりふくよかな男性が、にっこり笑って頷いた。彼の名前は、トマというらしい。
「とりあえず、エリザ。トマに基礎的なところを教えてもらいなさい」
「はい! ありがとうございます。トマさんも、よろしくお願いいたします」
「うんうん、挨拶がちゃんとできてえらいね。これからよろしく、エリザちゃん」
穏やかなやり取りに、私も自然、顔が緩む。
思った以上に和やかな空気に、喝を入れるようにしてジュペさんは、ぱんぱんと手をたたいて口を開いた。
「さあ、新しい仲間も増えたところで、みんな、かえる準備をするよ。ほら、動いた動いた!」
みんなが、口々に「はい」と返事をして、商隊は活気よく動き出したのだった。
二人の子供がいるというトマさんは、とても穏やかな性格をした人で、教え方もとてもうまかった。
「まず、旦那様――ジュペさんのことは、旦那様と呼ぶこと。それから言葉遣いは……うん、スラムにしては丁寧だね。すごいよ」
「あ、りがとうございます」
ガタゴトと揺れる幌馬車の中で、荷物と一緒に座り込んで講義を受ける。ちなみに一緒に乗っている荷物は商品ではなく、自分たちの野営道具や食料である。商品は、商品だけを積んだ馬車の中にまとめて入っているのだ。
ほかの人たちは、帳簿の確認だったり、何かを磨いていたりと、思い思いのことをして過ごしていた。
「うん、そうやってきちんとお礼を言えるのもいいことだね」
どうやら彼はほめて伸ばすタイプらしく、にこにこと笑って、頭をなでてくれる。生まれてこの方、そうされたのは数えるほどしかなくて、照れるというか、こそばゆいというか。素直に喜べるようになるまで、もう少し時間がかかるだろう。
「大丈夫そうだけど、乱暴な言葉遣いをしないように気をつけてね。もし乱暴かどうかわからなかったら、最後に『です』とか『ます』とかつければなんとなく気持ちは伝わるから、大丈夫。基本的には、僕や旦那様、それから周りにいる商会の大人たちの言葉遣いを真似するようにすること。わからないことがあったら、遠慮なくきちんと質問をすること。――ここまでは大丈夫?」
「はい」
「よし、それじゃあ次だ。君の仕事は、僕たちの手伝い。だけど、今はまだ商品にさわっちゃいけないよ。扱いを間違えてはいけないものもあるから、そのあたりは公国の首都に着いたら本格的に学んでいくことになる。だから、君の仕事は野営の準備だったり、ランタン磨きだったり、食事の準備だったり、馬の世話だったりになる。いいかい?」
「わかりました」
丁寧な言葉でしゃべること、わからなかったら質問をすること、お仕事はトマさんたちの手伝い、商品には触らないこと。……うん、大丈夫だ。
頷くともう一度頭を撫でられて、「じゃあさっそく、仕事をしてみようか」とランタンと布を渡された。ガラスの部分が煤で汚れている。
「ランタン磨きだ。やり方はわかる?」
「……いいえ。教えてください」
ちょっと眺めて、触ったことのない物だとわかりすぐに匙を投げて尋ねた。スラム街ではランプなんて使わなかったし、壊れたものは修復不可のものばかり。聖女だったころには見たことがあっても手入れをしたことはなく、日本人だったころに至っては写真でしか見たことがない。
下手に触って壊すよりも、正しいやり方を最初に聞いた方が確実だ。
トマさんはくすくす笑って、もう一度私の頭をなでてくれる。……私、この商会と一緒に行動し始めてから一生分ぐらい頭をなでられているんじゃないだろうか。
「はい、わかりました。うん、さっそく言いつけを実践してくれて嬉しいよ」
そうしてトマさんは、私にランタンの手入れの仕方を教えてくれたのだった。
そんな風に、一つずつ丁寧に教えてもらいながら、カディア公国へと近づいていく。帝都で売る予定だったらしい商品は、途中の村や町で卸してさばいていっていた。
ジュペさん――旦那様は私を丁稚奉公をする子と同じ扱いをするといっていたから、きっとそれなりに厳しい指導をされたり、仕事があったりするんだと思っていたのだけれど。トマさんに限らず、護衛や商会のみんなが村でも帝都でもついぞされることのなかった「普通の子供扱い」で私に接してくれていて、嬉しいような、怖いような気がしてしまう。
「エリザ! ちょっといいかい?」
「はい! いま行きます、トマさん」
カディア公国への国境を抜けた先。公国の首都へ着く前の最後の野営地でトマさんに呼ばれた私は、元気よく返事をしてそちらに向かう。
……リオ達を見捨てたような私が、こんなに、優しくしてもらってよいのだろうか。
そんな不安を抱えながらも、この穏やかで暖かい居場所を手放したくないと思ってしまった。