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炎鎖のアシェイラ ~剣の輪舞  作者: なりちかてる
碧と灰色の章      
9/21

白銀色の月光

 廊下がきしむ音に、グレアードは顔をしかめた。足を止める。

 しばらくの間、耳をすましてみるが、闇の向こうからは何の音もしなかった。

 ――びっくり、させるなぁ。

 大きく、息を吐き出した。

 グレアードは大柄な男性だった。頭の先が天井にくっつきそうなぐらいあるが、痩身で手足もほっそりとしているので、あまりがっしりとしているような印象を与えなかった。

 顔立ちは眉が濃く、しっかりとしたあごと鼻筋を持っていた。髪を後ろになでつけ、額を広く見せている。その体格なのだけどグレアードは猫背でなく、歩く姿ものっそりとしていないので、意外に敏捷なのかもしれなかった。

 黒馬亭の廊下はろうそくひとつ灯されておらず、真っ暗だった。窓も木の扉でぴったりと閉ざされていて、外を見ることはできない。空気も流れないので、湿気で満ちていた。日が落ちてから数時間がたつのに、まったく暑気が去らず、特に今日は寝苦しい夜のようだった。

 グレアードは廊下の突き当たりまで、やって来た。扉の前に立つと、軽く押した。手にしたナイフを扉と木の枠の間に差し込む。下から上へとすべらせた。

 かちり、と小さな音がした。鍵が外れたようだった。

 ――やった!

 ゆっくりと、グレアードは扉を開けた。部屋の中に入る。

 部屋はランプの明かりで薄暗く、照らされていた。グレアードがとっている大部屋より狭いが、ベッドはふたつしかなかった。

 扉の正面には窓があり、ベッドの反対側、左手の壁ぎわには荷物などを入れる棚が置かれていた。

 グレアードが壁にかけられていた、ランプのすぐ近くを通りかかった。その明かりに、グレアードの金髪や碧色の瞳が浮かび上がった。

 と、グレアードは窓が開けられていないことに気づいた。廊下と同様、ひどい湿気だ。汗があごの先から落ちてくる。貫頭衣の前で顔の汗を拭うと、グレアードはこんもりと毛布が盛り上がっているベッドへと、近づいていった。

 グレアードの狙いはこの部屋に宿泊している、女だった。金回りがいいのは、彼女がひとりきりでこの上等な部屋を貸切りにしていることからわかるし、こんな寝苦しい夜は女を抱くのが一番だ。金も手に入って、一石二鳥になる。

 グレアードは一階の酒場に入ってきた女性のことを、思い出した。

 ――首筋のところで切り揃えた黒髪と、大きな焦げ茶色の瞳。

 やや少年っぽくて、妖艶ということばには程遠いが、顔と瞳――特に、あのまなざしを見てから、どうかしてしまったようだ。ずっと頭に残って、離れなかった。

 剣を吊っていたのが気になるが、部屋のなかだ。まぁ、何とかなるだろう。

 女性は横を向いて寝ていた。寝息が聞こえる。グレアードは足音を忍ばせて、女性の背後にまわった。腕をのばし、まず口をふさごうとした。

 と、その腕をつかまれた。ベッドに、引き込まれた。仰向けになる。

 何が何だか、さっぱりわからなかった。が、鼻先に短剣を突きつけられて、グレアードはすべてを了解した。

 女はグレアードがこの部屋に忍び込もうとするのに、感づいたようだ。寝たふりをしているところへ、間抜けにもグレアードが近づき、取り押さえられてしまったらしい。腰の上に、女性が座っていた。まったく、動かない。

「お、女に上に乗っかられるのも好きだけどさ……おれはどっちかって言うと、女を下にするほうが趣味だな」

 女が嘲るように、目を細めた。

「この状況で、冗談が言えるとはね」

 グレアードは、金髪をつかまれた。あごがのけぞる。

「女には人を殺せないとでも、思っているの?」

 グレアードは黙った。喉のなかの唾を、音をたてて飲み込む。

 女が顔を、近づけてきた。

「だったら今から、試してみる?」

 耳もとで、ささやいた。

 女が本気なのが、グレアードにはわかった。にわかに殺気が増した。

 グレアードは降参の意思を示すため、ベッドのシーツを軽く叩いた。

 女が笑うのが、空気を通して伝わってきた。「あたしはね、男嫌いなの」

 笑みを口もとに引っかけたまま、女が言った。

「ある日、あたしが家に帰ってみると、母親は死んでいた。男に、殺されたのよ」

 急に、女の表情が変わった。瞳に陰りが生じた。

「あたしの母親は、商売女だった。……汚れた女だって、思うでしょう? でも、そうしなければ母親とあたし、ふたりとも生きのびることはできなかった――それなのに、母親は殺された。殺されてしまった」

 女が手にしている短剣が円を描くようにして、ぐるぐると動いた。

「それからあたしは、どうしたと思う?」

 グレアードは首を横に振った。答えはわかっていたが、口にはしなかった。

「あたしは必死になって母親を殺した客を見つけだし、そして仇を討った」

 女は首を横に振った。額にかかる髪を、後ろになでつける。

「あんたにも、見せたかったな。派手に血を流してさ。最後まで、命ごいをしていたよ。あんたは、どうしてやろうかな。短剣を心臓に突き立てて、息の根を止めるのもいいし、わざと急所をはずして、激痛にのたうちまわるのを見るのもいい。それとも、全身の動脈を断ってゆっくりと死に至るのを、見物しようかしらね」

 赤い舌が炎のように短剣の刃の上を走るのを、グレアードは黙って見上げていた。

 ――やっぱり、いい女だな。

 場違いなことを、グレアードは口には出さず、つぶやいた。

 下の酒場では、ろうそくの光ごしに女の顔を見たのだけど、こうして月の光に照らされた顔を見ても、グレアードの印象が裏切られることはなかった。

「どれがいい? あたしはこれでも、慈悲深いつもりだからね。死に方ぐらい、選ばせてあげるよ」

「そうだね」

 グレアードはちょっと、考え込む顔をした。「おれとしては、あんたとこうしていつまでも、話をしていたいな」

「ふざけないで!」

「ふざけちゃいないよ」

 まじめな顔をして、グレアードは言った。「なかなか迫力があったけど、あんたが男嫌いとか、母親が殺されたとか、その仇を討ったとか、嘘なんでしょ?」

「何を言って――」

「あんたからは殺気が感じられるけど、殺意がないね。もし本気でおれを殺すつもりなら、ベッドに押さえ込んだ時に腕を自由にしておくのも不自然だし、身の上話なんかする必要もないよね」

 女は何も、しゃべろうとしなかった。

「ってことは、少なくとも今ここで、おれを殺すつもりはないんじゃないのかな」

 女が、グレアードの腰の上からどいた。後退りすると、暖炉のそばにある椅子に腰を下ろした。短剣を慣れた手つきで、鞘に収めた。

 グレアードは思わず、口笛を吹きたくなった。

 後退りをする時、女がいっさい隙を見せなかったことにも感心させられたが、短剣を扱う腕前はかなりのものだった。実際に短剣を振わなくても、グレアードにはそれがわかった。

 ――こりゃますます、興味が出てきたな。「おれは、グレアード。あんたは?」

 女を刺激しない程度にゆっくりとベッドから上体を起こし、床に足をつけた。

「アシェイラ」

「アシェイラ、か」

 つぶやいてみた。

 ――うん、いい名だ。

「それで? アシェイラ。あんたの望みは?金なら、あまり持ってないよ。金に変えられるようなものも、ほとんど持ってないから」

「必要ないわ。あなたの身なりを見れば、財布の中身についてまったく期待できないのは、明らかだから」

「身なりを見れば? そんなにおれ、ひどい格好してるかな」

 グレアードは自分が着ているズボンやチュニック、貫頭衣などを見下ろし、それからチュニックの袖のにおいをくんくん、と嗅いでみた。とたん、吐き気がこみあげてきた。

「あー、あんたの言う通りだね。こりゃ、ひどいや」

 咳き込んだ。

「で? まだ、答えを聞かせてもらってないんだけど」

「あなたを雇いたいの」

「雇う? おれを?」

「ことば通りよ。あなたの腕を買いたいの」

 アシェイラが立ち上がった。窓のそばまで行くと、壁によりかかった。腕を組む。

「あなた、ここらへんの出身じゃないでしょう」

「おれが?」

「隠さなくたって、いいでしょう。あなたの金髪と碧眼の組合せは、ここでは珍しいものだし、日焼けも褐色でなく、火傷をしているみたいに赤い色をしている。決定的なのが、ことばね。微妙になまりがあるわ」

「なまりか。結構、気をつかっていたつもりなんだけどね」

 グレアードは頭の後ろをかいた。それから、ちょっと顔を引き締めた。

「そうだ。おれはソール戦士領の生まれだよ」

「ソール戦士領?」

「……大陸の東にある、傭兵たちの国だよ。おれはそこから――流れてきたんだ」

「傭兵たちの国……じゃあ、あなたも傭兵なのね」

 グレアードは大きく、息を吸った。

「そういうことになるね」

「あたしも剣には、そこそこ自信があるの。だから、あなたが戦いをなりわいをしている人間なのは何となく、わかったわ。雰囲気がそうだったし、下の酒場ではいつでも剣を抜けるように、置いていたでしょう。動きにも無駄がないし、何よりもまなざしが、酒場にいた人間と決定的に違っていたわ」

「まなざしが?」

「ええ。あなたのまなざしは、人を殺したことのある人間の目よ。それが直感でなく、あなたを戦士と思った一番の理由」

「……そこまで、見られていたとはね」

「勘違いしないで。見ていたのはあなたではなく、あなたの戦士としての腕前よ」

「はっきり、言うねぇ」

「変な期待をさせても、悪いから」

「で?」

 グレアードが聞いた。「おれに、何をさせたいのさ」

「復讐よ」

「え? 復讐?」

「そう。……さっき、あなたに話したでしょう。家に帰ったら母親が死んでいたとか、

仇を切り刻んでやったとか。あれは、嘘じゃないわ。母親が商売女ってのは嘘だけど、それ以外は本当のことよ」

 アシェイラは胸もとをまさぐった。鍵のようなものを取り出した。

「仇はあたしの目の前で母親を殺し、そしてあたしも殺そうとした」

「……そいつは、どうなった?」

「今も――今も、生きてるわ! だから追いかけ、見つけだし、自分が流した血だまりのなかで命ごいをさせるのよ」

 アシェイラの横顔に、暗さが増した。グレアードは彼女の瞳に、凍える炎の色が灯るのを目にした。

「じゃあ、あんたがおれにやらせたいことってのは、その仇を討つことなの?」

「いいえ。そうじゃないわ。あいつを殺すのは――追い詰めて、胸に剣を突き立てるのは、あたしよ。それだけは、譲れないわ」

 そこでアシェイラは大きく、息を吸った。「あたしはひとりでも――地の果てまであいつを追いかけてって、復讐を遂げるだけの心構えはできているわ。でも、女のあたしには……できないこともある。だからその時、あたしの手助けをして欲しいの」

「ふぅん。わかった。でも、あんたが仇を殺しそこなった時は、どうする」

「そんなことには絶対ならないけど、でもあたしが死んだら、あなたへの依頼もそこで終わりってことになるわ」

「なるほど、ね」

 今の質問は、仇を殺しそこなったらと口にした時のアシェイラの反応を見るためのものだったのだけど、相手は冷静だった。

「ベッドの上で――」

 と、グレアードは口にした。

「え?」

「おれが軽口を叩いた時、殺気を感じたけど、あれは本気だったの?」

 アシェイラがグレアードを見た。

「――ええ」

「そうか」

「もしかして、気を悪くした?」

 立っていた窓ぎわの壁から、アシェイラが一歩前に出た。心配そうな顔を浮かべた。

 それにグレアードはちょっと、びっくりした。さっきまでの態度と、まったく違っていたからだ。そして、グレアードは思った。あの態度は強く見せるための演技で、こっちが本当の彼女の顔なのかもしれない、と。

「あんた、何歳なの?」

「え? じゅ……十九歳だけど」

 ――やっぱり。

「十九歳、か」

 そう言われて改めて彼女の顔を見れば、納得がいった。

 だけど――復讐を遂げるという彼女に対し、グレアードはことばだけでないものを感じていた。もし機会があれば本当に、彼女は仇の胸に剣を、突き立ててしまうに違いない。

「わかった。で、あんたの仇の名前は?」

「……リースヴェルト」

「リースヴェルト、か。そいつがあんたに何をしたのか、くわしい話はゆっくり聞くとして、依頼料は? あんたから見て、おれの腕はどのくらいのものなのかな」

「依頼料は……ないわ」

「ない?」

「ええ。今は、お金がないの」

「金がない? だって――下の酒場じゃ」

「あれが、あたしが持っていた唯一の所持金なの。だから」

 アシェイラが椅子の上に、短剣を置いた。グレアードへ、近づいてくる。

「今のあたしは丸腰よ。何も、持っていないわ」

 アシェイラはグレアードを立たせた。顔を見上げてくる。

「え? え? それって、もしかして――」

「あ、あたしが言わなくても、わかるでしょ」

 銀色の月の光の下で、彼女が顔を紅に染めているのがわかった。顔を横に向けた。

 グレアードは彼女が震えているのに、気づいた。手をのばし、肩に手を置くと、息を止めたようだった。緊張で、からだが硬くなっている。

 すぐそばに、アシェイラの肉体がある。若い女のにおいを、グレアードは感じた。

 ベッドに押し倒しても、彼女は抵抗することはないのだろう。彼女の緊張がグレアードにも、うつったみたいだった。体温が急に上昇したようになり、口のなかがからからに渇いた。

 グレアードが身を屈めると、アシェイラが目を閉ざした。顔を仰向かせる。その目尻に、涙の滴が浮いていた。

 グレアードはそっとため息をつくと、アシェイラの鼻の頭を舌の先でなめた。

「な!」

 アシェイラがびっくりしたような顔をした。グレアードが肩を押した。すると、彼女は短い悲鳴のような声をあげた。落ちるようにして、ベッドに腰を下ろす。

「何するのよぉ」

 アシェイラがチュニックの袖で、鼻の頭を拭った。

「やめた。気が変わった」

「――え?」

「そんな顔、しないでよ」

 グレアードはもうひとつ並べられたベッドに、腰を下ろした。

「依頼は受ける。ただ、あんたを抱くのはやめた」

「……どういうこと?」

「おれはあんたのことを知らないし、あんたもおれのことを知らない。だろ?」

「当たり前じゃない」

「だから、さ。そういう関係になるのはもっと、互いのことを知り合ってからでも、遅くないでしょ」

 アシェイラはまだ、わからないという顔をしていた。

「おれはね、これでも女を力づくで抱いたことはないんだ」

「夜這をしようとしたのに?」

「それは――」

 グレアードは顔を横に向けて、咳払いをした。

「あれだよ。夜這ったって、強引に抱くんじゃなく、あんたとおれとが承知した上で、抱こうと思ってたんだよ」

「――まぁ、いいわ」

 アシェイラはまだ、疑わしそうな顔をしていた。

「でも……あたしはあなたに抱かれてもいいって、そう言ってるのよ」

「そうじゃないでしょ。口には出していても、心ではそう思ってないんじゃない」

 アシェイラが顔をあげて、グレアードを見た。何も言わなかったが、目がすべてを語っていた。

「あんたを抱かないとは言わないよ。今だって――」

 グレアードは深呼吸をすると、立ち上がった。

「まぁ、それはいいよ。もし、あんたが心からおれに抱かれてもいいって思えば、その時に依頼料を受け取ることにするからさ」

「それで――いいの?」

「よくない!」

 グレアードは振り返った。アシェイラを見下ろす。

「よくないけど、仕方ないでしょ」

 グレアードは肩をすくめた。

「……わかったわ」

「じゃ、まぁ。そういうことだ」

 グレアードはひざを、ぱんぱんと叩いた。

「出発は、朝食を食べた後なの? 朝、起きたら考えが変わったって、言わないでよ」

「言わないけど、出発は朝食の後じゃないわ」

「朝食の後じゃない? じゃあ、昼食後? それとも、夕方に涼しくなってから?」

「逆よ」

「逆?」

「そう。夜が明ける一時間前に、ここに来て」

「一時間前? そんなに早く?」

 グレアードはアシェイラを見るが、冗談を言っているような顔ではなかった。

 ――まぁ、いいか。

 依頼主は彼女なのだ。彼女がそう言うなら、それに従うだけだ。

「わかった、一時間前だね。……朝食抜きの上に寝不足となると、明日はかなりきついことになりそうだね」

 グレアードは部屋の扉をあけた。あくびをする。

「じゃ、お休み」


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