真紅色の街道
アシェイラはひとりで街道を、北に向かっていた。
二日だ。スタンドヒル村を出てから、既に二日がたっていた。背中の背負い袋も少し、軽くなっている。
二日の間、アシェイラは歩きづめだったけど、まったく苦ではなかった。戦士として行動していた時はこのくらい、よくあることだったし、今のアシェイラには一刻も早く前へ、進まなければならない理由があるのだから。
歩きながらふと、アシェイラは考えた。数十年、いや、もっと前にも彼女と同じような思いを抱えて、この街道を歩いていた人がいたのだろうか.そして、アシェイラの後にもこの街道を歩く人がいるのだろうか。
『だが今後、エボニーウォール市にいる連中が絶対に腐敗しないとは、言い切れまい。その時は数十年後――いや、もしかすると数年後にやって来るのかもしれん。そうすればまた、大きな戦いが起きることになる。同じことの繰り返しではないか』
アシェイラはガーウィンが言っていたことを思い出した。
――くり返し、ね。
アシェイラは声に出さず、口のなかでつぶやいてみた。
あたしたちはくり返しのなかで、ひとつだけじゃない人生を生きているのかもしれない。
あたしの前に、同じような人生を生きた人もいるし、これから同じ人生を生きていく人もいるのだろう。
アシェイラは足を止めた。目を閉ざし、ちょっと想像してみた。彼女の前にも後ろにも何十人、何百人と連なる人の群れを。
それでも、あたしは――あたしだ。
何十回、何百回と同じ人生を送る人がいるとしても、あたしはひとりしかいない。
――そう、この剣でリースヴェルトにとどめをさすのは、あたしだけだ。
アシェイラは腰に差した剣を叩くと、目を開けた。
道がまっすぐに続いていた。右手はウーフ山の斜面で、左手は立てば腰くらいまでの高さのある段差になっている。その向こうは森になっており、耳をすますと河のせせらぎが聞こえててきた。
夕刻が迫り、道の上は真紅に染まっていた。アシェイラの目にはまるでそれが、大地の下から血がにじみだしているように写った。
と、アシェイラは目を細めた。アシェイラから少し離れたところに、何かがいるのに気づいた。
――あれは……。
アシェイラは目を見開いた。その場から、駆け出した。
「グレイ!」
間違いなかった。道の上に座っていたのは、灰色狼のグレイだった。
グレイもアシェイラに向かって、駆け出してきた。はッ、はッ、と舌を出しながら、息を弾ませている。
が――。
アシェイラの目に、とある場面が浮かんだ。
……あれは五年以上、前のことだ。揺りかごに入れられていた、小犬みたいに小さいグレイを、アシェイラが抱き上げていた。顔をぺろぺろとなめてくるのを、くすぐったそうに笑い声をあげている。
――これ、あたしが飼ってもいいの?
――ええ。狩人に母親を殺されてしまったらしくて、森の中を鼻を鳴らしながら、歩き回っていたんですよ。
――母親を? ふぅん、そう。
――飼うんだったら、大切の育てないとね。
――そんなこと、言われなくてもわかってるよぉ。ありがとう、リースヴェルト。あたしの弟と思って、大切にするよ。
アシェイラは足を止めた。
――リースヴェルト!
アシェイラは剣に手をかけた。抜く。
グレイも駆けるのをやめていた。数歩の距離をおいて、黙ってアシェイラの顔を見上げている。
アシェイラは剣を振り上げた。グレイを見つめる。
――ありがとう、リースヴェルト。あたしの弟と思って、大切にするよ。
――今、ここにいるのは、復讐のためならばどんなことでもする獣だ。血を吸い、肉を食らい、骨を噛み砕く獣。
――グレイ。これであなたに助けられたのは、何度目なのかしらね。
――あたしの弟と思って、大切にするよ。
グレイの銀色の毛は夕方の日の光を浴びて、血に濡れているみたいだった。
あと一歩、前に踏み出して、剣を振り下ろせば、グレイを殺すことができる。だけど――どうしても、それができなかった。
アシェイラの手から、力が抜けた。剣が落ちる。
「グレイ!」
アシェイラはひざをついた。両手を広げると、グレイが胸に飛び込んできた。
「グレイ……グレイ。あぁ、ごめんね。本当に――ごめんね」
グレイははじめて出会った時のように、アシェイラの顔をただ、なめつづけていた。
◆ ◆ ◆
木の扉を開けると、熱気を感じた。たくさんの人々の声や歌声、食器をぶつける音などが聞こえてきた。
黒馬亭は入って右手の壁がカウンターになっており、正面には舞台が作られていた。床の上には椅子とテーブルがあって、そこには様々な客たちがいた。が、ろうそくの明かりで照らされた酒場内は薄暗く、それぞれの顔を見分けることはできなかった。
アシェイラはまっすぐ、カウンターに近づいていった。
「部屋は、あるかしら?」
高めの、透明感のある声で聞いた。
酒場の主人が近づいてきた。じろりと、ぶしつけとも言える視線を向けた。
「おひとりで?」
「ひとりよ。あなたが言っているのが、目で見える相手という意味ならね」
アシェイラは肩からすっぽりとかぶっているフードに、手をかけた。後ろにはねのける。黒髪と焦げ茶色の瞳をさらした。
と、酒場内が急に静かになった。視線が集中するのを、アシェイラは意識した。
――おい、女だ。
――若い女か。でも、珍しいな。
――本当に女か? 腰に剣を吊ってるぜ。
――だって、声は確かに女だったじゃないか。
――そんなこと言うんなら、おまえが話しかけてみろよ。
そんな声が酒場のあちこちから、聞こえてきた。アシェイラは横目で酒場のなかをちらりと見ると、
「夕食はいいわ。部屋に案内して」と、言った。
「へい」
アシェイラは主人について、酒場の奥にある階段を昇っていった。