王庭での談話
朝焼けとともにはじサードレードまったマイアの戦いはその日のうちに、終結した。
ドラゴンが倒されたことを知り、砦のフェザード市軍は砦に籠城することにしたようなのだけど、レドラック率いる騎馬魔道士連隊の支援を受けたサードレード市軍の勢いを止めることはできなかった。砦の門を打ち破り、戦闘は真昼を迎える前に終わった。
ドラゴンの襲撃を受けたサードレード市軍ではあるが、戦士の大部分を失ってしまったのではなかった。混乱している時にフェザード市軍の攻撃を受けていれば、どうなっていたのかわからないのだけど、その前に戦力を建て直すことができた。
そして、サードレード市軍はマイアの砦を占領すると、すぐにフェザード市を目ざして、進軍していった。
軍の中心となっているのはサードレード市軍なのだけど、戦士はそれだけではなかった。カレス・ファレル市から騎馬魔道士連隊が到着したように、ネスキアのさまざまな都市国家から兵が集まってきていた。
『なんかよぉ、それって調子がいいよな』
行軍の間、百人隊の戦士がそう話しているのを、アシェイラは耳にした。
サードレード市の人間が神官たちと戦っている時、他の都市国家が今回のように支援の手を差し伸べてくれなかったことを、その戦士は言っているのだろう。
もちろん、アシェイラだって面白くはない。だけど、この戦いは神官たちとの抗争と、意味が違うのだった。これから先、フェザード市のような存在が現れた場合、ネスキアは協調して、その都市国家を攻撃することを示さなければならなかった。
二日の間、アシェイラたちは街道に沿って東に、進んでいった。そして、ほとんど妨害らしい妨害にもあわずに、フェザード市にたどり着いた。
アシェイラは順調に軍が進んでいったことに不安を感じていたのだけど、その予感は的中してしまった。軍は都市の包囲を完了させたが、そこで戦闘は発生しなかった。包囲を終えるのと同時に、フェザード市の城門が開かれ、軍は市内に入ることができた。
が、市に残されていたのは女性や商店主、役人などばかりで、戦士は怪我人や退役した老人をのぞくと、ひとりもいなかった。
◇ ◆ ◆
「まずいですね」
王庭のベンチに座っているアシェイラを見つけ、レドラックが話しかけてきた。
「まずい? まずいって?」
王の庭は城でも、日当たりのいい場所にあった。昼過ぎともなると日差しが強くて、汗だくになってしまうのだけど、午前や夕暮れ近くなど風が吹き抜けていくので、アシェイラはよく、ここに来ていた。
「問うまでもないでしょう。フェザード市軍のこと——ひゃあ!」
言いかけて突然、レドラックが悲鳴をあげた。腰を抜かしてしまったようだった。庭の地面に転んだ。
周囲から笑い声があがった。百人隊だった。どうやらアシェイラは、彼らに好かれてしまったようで、気がつくとそばにいることが多かった。
「グレイ!」
グレアードが声をかけると、グレイがレドラックの顔をなめるのを止めた。レドラックから離れて、アシェイラとグレアードが座っているベンチまで、戻ってきた。
レドラックが立ち上がった。マントで顔をふき、からだについた土を叩き落とすと、せき払いをした。
悲鳴をあげてしまったレドラックだけど、怒ってはいないようだった。目もとに、照れ笑いのようなものを浮かべている。
グレイが舌をだして、尻尾を振っていた。また、レドラックに歩み寄ろうとする。
「グレイ」
しかりつけるようにアシェイラが言うと、グレイがぴんと立てていた耳を下げた。脚をのばして、その場にからだを長くした。
「悪いのですが、アシェイラ殿。私はあまり、犬が好きではありません」
「そのようね」
アシェイラは微笑みながら、レドラックを見た。
「でも、グレイは犬じゃないわ。狼よ」
「狼? 本当に、ですか?」
「本当だよ。おれも最初は、びっくりしたけどね。犬なら戦場で、あんなに身軽には戦えないはずだからさ」
レドラックは首を横に振った。
「狼であっても、私が苦手なのは変わりませんので、どうかお願いします」
「わかった。あなたには近づけないようにするよ。でも——変わってるね。騎馬魔道士連隊長のあなたが、犬の類が嫌いなんて」
「馬は、追いかけてきませんから」
「……なるほど」
レドラックの口ぶりからすると、幼い頃に犬に追いかけられて、恐い思いをした記憶があるらしい。
——でも、そんなレドラックがグレイに好かれるなんてね。
アシェイラは苦笑を、レドラックをまっすぐ見つめることで隠した。
「それで? フェザード市軍がどうしたって?」
レドラックはベンチから少し離れた、池のそばに立った。はるにれの樹の幹にもたれかかり、腕を組んだ。
「偵察隊から、正式に報告がありました。エラプト山の砦に、フェザード市軍が入ったようです」
そのことについてはユーリスと、以前から話し合っていたことだった。だから、今回のフェザード市軍の行動について、それほど驚きはしなかった。
ただ、フェザード市にたどり着くまで、交戦がなかったことと、彼らが簡単に都市を捨ててしまったことは、予想外だったのだけど。
都市と砦では、なかで守ることのできる戦士の数や城壁の高さと厚さ、籠城に耐えられる期間など違ってくる。だから、アシェイラたちは大部分の戦士たちがフェザード市に残った後、エラプト山の砦で最後の反撃を行ってくるものと思っていた。
が、それはサードレード市やネスキアの都市国家にとって、好都合でもある。エラプト山での戦闘は激しいものになるのであろうけど、その分、戦闘が長く続くことはないし、ユーリスが恐れていたように、兵隊くずれによって、ファイブ・スプリングス湖の周辺の治安が乱れるのを防ぐことができる。
「で? まずいことになった、というのは、そのこと?」
ゆっくりと、レドラックは首を横に振った。「そうでないことは、貴官にもわかっているはずですよ。アシェイラ殿」
アシェイラは肩をすくめた。
「ちょっと、からかっただけだよ」
レドラックは目を閉ざし、ため息をついた。
「私たちは今すぐにでも、このフェザード市を発ち、エラプト山に向かわなければなりません。なのに、サードレード市の将軍たちは無用な会議ばかり行っております。彼らは冬をこの都市で過ごすつもりなのでしょうか?」
「ここで冬を過ごす、か。あたしはどちらかと言うと、もっと西の町で過ごしたいな」
「アシェイラ殿!」
「わかってる。わかってるよ、そんな顔をしなくてもね」
アシェイラだって、ここで足止めを食らっていることに、いらだちを感じている。ドラゴンの襲撃でアンドラーシュが重傷を負っていなければ、もっと決断を速くすることができるのかもしれないけど——それを言っても仕方がない。
マイアの戦いで、アシェイラもドラゴンの恐さを思い知った。マイアではドラゴンを倒すことができたけど、サードレード市軍の戦士のなかには、町が焼かれるのを目にした人もいる。
エラプト山に向かえば、フェザード市軍は確実にドラゴンを差し向けてくるはずだった。そして、ドラゴンという切り札があるからこそ、彼らはフェザード市を捨てることができたのだろう。
「でも——レドラック。勝つためであっても、都市を捨て去るなんてことが、できるのかしら」
「……それは、どういう意味ですか?」
「ちょっと、考えてみて。ドラゴンがいるといっても、この戦いに確実に勝利できるかどうかは、わからないじゃない? 都市を捨てたのは思い切った行動だけど、あたしだったら最後の死ぬ瞬間まで都市に残って、戦いたいと思うんだけど」
それだけ市民にとって、生まれた都市国家の存在は大きく、誇りと愛着を抱いているものなのだった。
「では、アシェイラ殿はフェザード市軍が何らかの企みを持っていると、そう考えているのですか?」
「頭には入れておいたほうが、いいんじゃない?」
「わかりました。ところで、アシェイラ殿——ふたりでお話があるのですが、よろしいでしょうか?」
アシェイラはグレアードやその場にいる戦士たちの顔を見ると、ベンチから立ち上がった。レドラックといっしょに、庭を歩いていった。
「何? 話って」
「アシェイラ殿」
レドラックの声が急に、低くなった。
「は……はい」
「アシェイラ殿はこの戦いが終わったら、どうするおつもりですか」
この戦いが終わったら……。
そんなこと、考えたこともなかった。
いや——終わりは必ず、来るものだった。
あの、十年近くも続いた神官軍との戦いも終結したのだから、この争乱だってどういう形になるか、はっきりとはわからないのだけど、終わりの時は来るのだろう。
「ここからは、あまり大きな声では話せないのですが——この戦いが終結したら、カレス・ファレル市に来るつもりは、ありませんか」
「え? カレス・ファレル市に?」
……びっくりした。そんなこと、言われるだなんて、想像もしていなかった。
「マイアでの、貴官の戦いぶりは拝見させて頂きました」
「あたしの戦い? でも、あの時は——」
レドラックはアシェイラたちがドラゴンに襲撃されてから、戦場に到着したはずだった。
「ええ。私には、魔法の視覚がありますから」
魔法の視覚——それはどんな遠いところの出来事も、すぐ目の前で起きているように見ることのできる、魔法の能力だった。
「ドラゴンを前にして全軍が混乱に陥っているのに、貴官が指揮する百人隊は誰ひとりとして逃げ出さず、攻撃を続けようとしました。……あれを見た私としては、考えるのですよ。もし、貴官が全軍の指揮をとっていれば、どうなっていたのだろう、と。もしかすると、フェザード市軍はドラゴンを出す以前に、砦を失っていたのかもしれません」
アシェイラは頭を横に振った。
「買いかぶりすぎだ。……あたしは、ちっぽけな存在だよ」
『いいかい、一番大切なのは自分の存在をちっぽけなものと思うこと』
急にエルカのことばが、耳によみがえってきた。
「それに、あたしには魔力がない」
「え、魔力がない? 貴官に?」
「——ああ、そうだけど」
「では、貴官はあなた自身の才能に気づいておられないのですね」
「才能? 何のこと?」
今度はアシェイラが、聞く番だった。
「貴官は、魔力を持っておられます」
「あ——あたしに、魔力が?」
「はい。私にははっきりと感じられますよ、貴官の魔力が。……カレス・ファレル市に来られて魔道を本格的に勉強されれば、貴官も魔道士として身を立てることも可能です」
「冗談じゃ……ないみたいね」
息を飲み込みながら、アシェイラは言った。
「はい。冗談ではありません」
アシェイラは目を閉ざした。
これまで、自分には魔力がないものと、そう思い込んできた。だから戦士として、剣に生きようとしてきたのだけど——何が何だか、わからなかった。
「そう……だけど今は他に、考えられないから」
「復讐以外には、ですか」
アシェイラはレドラックを見た。と、彼女の落ち着いた碧色の瞳と出会った。
「……知っていたの?」
「はい。私は興味ある人物については、徹底的に調べますので」
レドラックは池に注ぐ小川にかかる橋の手前で、足を止めた。アシェイラの正面に立つと、腕を組んだ。
「お気持ちは、今も変わりませんか」
「それは、復讐をやめろってこと?」
アシェイラは首から下げた、さびた鍵に手をのばした。
『王妃陛下には、私も直接お会いしたわ——貴殿によく、似ていらっしゃった』
——あたしの、生みの親。生んでくれた女の人。
鍵を見下ろすと、アシェイラはそれをぎゅっと握った。
——あたしの母親は、エルカしかいない。
だけど、その女の人がいなければ、アシェイラがこの世に存在しないのも、本当のことだった。
——あの時。
アシェイラはセレブリートの町の神殿で、ユーリスと会話した日のことを、思い出した。
——ユーリスは、こうも言っていた。『仕方なかったのよ。……陛下はサードレード市から脱出されるのがやっとで、王女殿下が入れられていたゆりかごを、見失われてしまった。そのことを陛下はとても、悔やまれていたわ』と。
あたしに子供はいないのだけど、もしその子供と生き別れになってしまったら、どうだろう。どんな思いを、抱くのだろうか。
アシェイラは別に、生みの親を恨んでなど、いなかった。ただ——ユーリスに打ち明けられた時は、混乱していただけだ。突然、ウーリアス王の娘だと告げられて、びっくりしてしまった。
けど、王の娘というのを別にすれば、生んでくれた女性に、会ってもいい——レドラックに、この戦いが終結したらどうするのか、と聞かれて、そんなことがアシェイラの頭に浮かんだ。
「いいえ。そのようなことは、申しません。傍目ではくだらなく見えるようなことでも、当事者では真剣そのものであることが、よくありますから」
——傍目ではくだらなく見える?
思わず、アシェイラは吹き出した。
「はっきりと、言うんだね」
「真実ですから」
確かに復讐など、他人にはくだらなく見えるものなのだろう。
アシェイラは肩をすくめた。
「戦士というものは、人を傷つけたり、殺したりするのが役目ですから。時に恨まれることもありますよ」
と、レドラックが言った。
「え?」
レドラックの声に含まれる響きに、アシェイラは顔を上げた。
目が合うと、レドラックは恥ずかしげな笑顔を浮かべた。顔を横に向け、大きなため息をついた。
「私は、貴官と逆ですが——」
「逆?」
レドラックは目を閉ざした。ゆっくりと、ことばを続けた。
「まだ背の低い、小柄な男の子でした。やっと剣を握ることができるような、そんな男の子が私に、斬りかかってきたのです」
「その男の子は——どうなったの?」
答えは、問うまでもなかった。が、レドラック自身が聞いて欲しいようだったので、アシェイラは聞いてみた。
「死にました」
「……そう」
「あの男の子が亡くなったことについては、悔いのようなものはありません。戦いとは、命の取り合いなのですから。それについては、まったく譲歩するつもりはありません。ただ、私が唯一後悔しているのは——」
レドラックは一度、舌を休めるようにことばをおいた。深く、息を吸った。
「あの少年に直接、私が手を下さなかったことです」
「じゃあ、殺したのは」
「はい、私の部下です。それだけが、心残りなのです。ですから、アシェイラ殿」
「何?」
「貴官には、後悔して頂きたくないのです。復讐を遂げるにしても、しないにしてもね」
「連隊長——」
庭に続く建物の入り口から、レドラックの部下が姿を現した。階段を下ってくる。
「では、アシェイラ殿。後日、お考えを伺わせていただきますので、答えを聞かせて下さい。では」
レドラックはアシェイラの手を握ると、橋を渡って部下たちのもとへと歩いていった。




