第十話 無能な女神なのか
じわ、と葉から水滴が生まれてくる。
順々に落ちてくる水滴は、毒ではないけど当たっただけで僕たちを死に至らせる威力がある。
水の塊だ、中に入れば溺死。巨大な塊に押し潰されるだけで圧死だ。
なんてことない水滴でも、大きくなれば僕たち小さな人間にとってはどれも脅威になる。
アンナの炎でも、水滴を蒸発させることは難しい。
「水滴で防ぐってことは、葉っぱを燃やされたらマズイってことだろーな」
「どうするの!?」
葉に乗った水滴がやがて落ちてくるだろう……そうなる前に。
「女神様! お願いします、僕のセンスを解放してくださいッッ!!」
来訪の理由……こっちの用件を聞いているなら、女神様も動いてくれるはずだ。
追い返すのなら理由があるはずだ。なんでもいいんだ、女神様が僕たちを敵ではないと理解してくれれば、水滴は落ちてこないはずだから――。
『…………』
すると、小さな息遣いがあった。
女神様は、確かに僕の用件を聞いてくれている。……でも、あれ? 返事がなかった。
しかも葉の上の水滴は消えることなく垂れようとしている!?
「ちょ――女神様!?」
「女神様が居留守? まるでガキみたいね……」
ティカの呟きは不敬になるけれど、炎を吐いたアンナがいるなら今更だった。
不敬を言うならもっと前から不敬だったわけで……。
不敬を咎める動きもなかった。女神様は僕たちの用件を無視し、ティカの言った通り居留守を使って、僕たちが諦めて引き返すことを求めている。
なにも言えない事情でもあるのだろうか……?
「アンナ、なにかおかしいよね……一度戻って、」
「追い返したいなら理由を言えばいい。女神が居留守を使って逃げてんじゃねーッ!」
「アンナぁあ!?!?」
激情型のアンナは髪が上を向く怒髪天となり、さっきよりも大きな炎が口から吐き出された。
――落下した水滴と衝突し、今度は水滴を押し上げた。
炎魔法ではなく爆破魔法だったらしい。
周囲に弾けた水滴が周りの葉を揺らし、乗っていた水滴を僕たちから遠ざける。
でも、これでも時間稼ぎにしかならない。
世界樹から滲み出てくる水滴は、まだまだなくならないのだから。
「返事しろ! 西の女神は、噂通りの無能なのかよ?」
『…………ッ』
居留守を使った息の潜め方が乱れた。
感情が抑えられない地雷をアンナが踏んだのだ。
「全知全能の女神じゃないのかよ」
『…………』
「ロックのセンスも解放できない、やっぱり無能な女神かー?」
『…………っ、の、』
「北と南は優秀って聞いてるけどー? やっぱり組織にひとりは絶対にいる、役立たずの無能――よその女神におんぶにだっこな『なんちゃって女神』だったりっ?」
枝に着地したアンナが楽しそうに、楽しそうに……。
女神に重なる人間らしい部分に狙いを定めていた。
弱点を見つけたらそこだけを攻め続けるのは正しい……正しいけど。
心の中に直接響くような女神様の声が、同情するくらいに乱れていた。
まるで、嘘に嘘を重ねて辻褄が合わなくなり、パニックになる女の子みたいで……。
『~~~~ッッ! い、言わせておけば! いいわ診てあげる、事実をお望み通りに陳列してあげるから勝手に落ち込んで闇落ちとかしないでよねっ!?』
耳を塞いでも意味がない、頭の中にキンキンと響く声と共に視界が真っ白になって――
3
目を開けた時にまず見えたのは青い空。
大自然の中を、赤、青、黄色の小鳥が飛んでいた。
僕の胸に乗る丸い小鳥を見ようと視線を下げると、まるで白紙に描いている途中の風景画のように、青空から下は白くなっていた。
果てしない空間のようにも思えた。
白いから分かりづらいだけで、壁がすぐ近くにある可能性もあるけど。
「…………あれ!?」
飛び起きると小鳥が僕の胸からお腹を転がった。
地面に叩きつけられる前に両手ですくうと、小鳥は飛ぶわけでもなく、ぴょんぴょん跳ねて僕の膝から地面へ渡っていく。
「…………」
「ねえ、連れてきてあげたんだけど。なんの用かもう一度言ってみなさいよ」
声に振り向くと、サイズの合わない豪華な椅子に座っている女の子がいた。
頬杖をついた彼女は見て分かる不機嫌さだ。
寝癖(?)がついたような長い銀髪。
白と黒のマス目が彩られた女性用の……司祭服? を身に着けている。
露出はほとんどない、けど、スリットから覗く片方の生足が、彼女から感じられる唯一の色気の部分だ。全体的に細身で小柄。まるで美人さんの子供時代みたいな?
僕よりひとつかふたつ下に見える。なのに胸が大きく、なぜかドキドキしなかった。
「…………女神、様……?」
「ええそうだけど。女神カグヤ――ちょっと、これが女神? とか思ったでしょ? そっちの理想像に振り回されて困ってるのはこっちだからね!?」
「いえ、決して、そんなことはないですけど……」
「あなたはそうでしょうけどね……、ん。あなたに八つ当たりしてもしょうがないもの。今のはナシ。忘れてくれる?」
頷くと、女神様が微笑み、両手を広げる。思い出したように空からの光を浴びる女神様は、なんとうか、その……あるはずのカリスマ性というものがなかった。
「勇者パーティの雑用……ロック、よね?」
「元、ですけど」「元勇者パーティの」
ぴん、と寝癖が跳ねた。
寝癖なのか分からないけど、女神様の調子が狂うと跳ねてしまうものなのかも。
「ロックよ……わたしに用がある、とのことですが、なんでしょう?」
「えっと……」
忘れそうになるけど、女神様の前にいるのだ。
僕は背筋を伸ばし、姿勢を正す――正座をして、女神様に向く。
「僕のセンスを解放してください! お願いします!」
「むりでしょう」「えぇっ!?」
笑顔で手を振る女神様。そのまま「じゃねっ、バイバーイ!」と僕を追い返そうとするので、せめて理由を、と食い下がろうとすれば……、
「無能だからできないんだろー?」
「無能というか、ガキみたいな女神だな――あ、ガキみたいですね」
「――無能じゃないッッ!」
青空の景色の中、木の枝に吊るされた鳥かごの中にいるアンナとティカが見えた。
ふたりは小さく揺れながら、僕たちを見下ろしている。
アンナが、飛ぶ赤青黄色の小鳥を目で追っている……、食べちゃダメだよ?
危険に気づいた小鳥たちが、アンナから距離を取っていた。
「無能じゃないならロックのセンスを解放してみなよ。できるでしょ、できないの? できないならおまえは無能だ、無能な女神だ!!」
「アンナっ、相手はこれでも女神様だから敬って!」
アンナはむすっと顔をしかめて、
「ってよ……。ロックのセンスの解放もできない無能を女神『様』って敬うのか? できないならできないで、理由を説明するべきなのに、それもしない。誤魔化して逃げるような女神に、ハイリョする必要ねーじゃん」
「こ、これでも……『これでも女神様だから……』って、言って……?」
女神様はブツブツと。
反論のない女神様を見て、アンナが納得したように手を打つ。
「なるほどなー、こんなんだから――」
女神様がキッと空を睨む。アンナに向けた敵意……だったけど、いつ爆発してもおかしくないフラストレーションを溜めながら、女神様は感情をぐっと飲み込んだ。飲み込んでくれた。
ギリギリだったけど、堪えてくれている。
無能かもしれないけど、でも、やっぱり女神様だ。
人間に八つ当たりをするほど、女神様は今の場所から降りてまで土俵を変えることはしない。自分が女神であるという自覚は、まだ手離してはいなかった。
「『こんなんだから』…………なによ、なんなのよっっ!?」
「――――そんな女神だからさ、魔王が生まれたんじゃないの?」
「っ!! あ、あのね……っ、こっちだって大変なんだからねっ!?」
「大変? そんなの、みんな大変ですけど」
「そーそー、女神サマだけじゃないんだよー」
揺れる鳥かごから落ちてくる言葉の刃。
女神様は下唇をぐっと噛んで頬を膨らませて…………がまんしてる。
やろうと思えばふたりのことを指先ひとつで消せる力があるはずだけど、しなかった。
えらいね、と頭を撫でたくなったけれど、これも不敬だよね……。
女神様も大変だったのだ。
もちろん、魔王が生まれてなにもせず放置し続けた女神様たちだった、とは僕も思っていない。
女神様の頑張りは見ていないし、伝わっていなかったけど、そこには僕たちに弱音を吐けないような、なにもかもが嫌になるようなひと騒動があったのだということは分かる。
ちゃんと伝わった。女神様が無能だとは、僕は思わない。
「あの、女神様……」「なに!?」
挙手をすると、反射的だったのだろうね……睨まれた。
ふしゅー、と息を吐く平静を保つための努力は、実を結んでいなかった。
「ぼ、僕のセンスの解放ができないのは、その……僕が悪いんですか……?」




