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女王さまのストレージキューブ

【前書き】

 みんな、元気してる? 黒木(クロキ)舞桜(マオ)よ。

 今回は、ついに横須賀ラボで、あたしと勇希(ユウキ)の間に取り返しのつかない生体的コンタクトが実行されちゃったわ。

 だから、これから展開されるテキストデータには、生々しい摩擦係数の実証実験や、あたしの顔面加熱インフラがプラズマ級にバーニングする、破廉恥な描写が多分に含まれているわよ。

 未成年や、そういう猿プロトコルに耐性のないピュアな演算回路を持ってる子は、今すぐブラウザの戻るボタンを押して、物理的に回れ右しなさい。

 あたしの理知的なプライドが完膚なきまでに蹂躙されるシステムエラーを、最後まで見届ける覚悟があるヤツだけ先に進むことね。


 2020年3月31日。横須賀ラボ。

 ヌチャヌチャって音が聞こえてきそうだ。勇希(ユウキ)の指があたし、黒木(クロキ)舞桜(マオ)の女の子の核心に触れている。あ、指が入った。どうしようか? 声とかあげた方がいいのか? いぎぃッ! 痛わよッ! し、シグナルよ。シグナルをあげなきゃッ! 勇希(ユウキ)の指があたしの女の子を蹂躙しちゃう! ぶ、物理的にッ!

「痛かった?」

 痛いわよッ! おまえもアンダーアイアンクローをキメてやろうかッ?

「へ、平気よッ! 続けてッ」

 平気じゃないわよぉッ!?

 続けてじゃないってば!? って続けてんじゃねえわよッ。医学徒的に気づいてよ!?

「痛い?」

 痛いわよッ。あんたッ!? 痛覚って知ってますッ? 産道ですからッ? あ、あたしの赤ちゃんが……あ、赤ちゃん?

「平気だって言ってるでしょ? さっさとそのおっ()ったもので、あ、あたしの女の子を蹂躙しなさいなッ!?」

 ば、バカなの? 濡れてませんから……ま、待ちなさい。空気読もうぜ? い、

「いぎぃぃぃッ! ゆ、勇希(ユウキ)ッ! もっと優し、優しくしてしてほほ欲しいわッ」

「ごめん無理ッ」

 無理ってなんだーッ! ここであたしは意識を手放した。

 あとは機械的に、

「あん」

 だの、

「うあああ」

 だの、反応するだけ。汗が凄いわ……

 滝のように溢れ出る水分。あたしの新陳代謝は、完全にバグを起こして臨界点に達していた。

「福寿楼」

 胸元に刻まれた青い文字が、あたしの視界の中で歪む。なぜ横須賀ラボの白い部屋から、箱根の老舗温泉旅館へと物理的な空間転移が実行されているのか。あたしの非論理的な記憶回路は、完全にシャットダウンしていたわ。

 白い部屋どころか、逃げ場のない純和室じゃないのよぉッ。

 頭に巻いた手ぬぐいが、あたしの沸騰した脳の熱量を吸収しきれずに、大気中へと熱エネルギーを放出し続けている。あたしは枕に頭を沈めたまま、ただ機械的に反応するしかなかった。

 あたしの顔面加熱インフラは、すでに制御不能のプラズマ級臨界点へと達していた。頬の毛細血管が限界まで拡張し、熱伝導率を無視した赤色巨星のごとき熱量を大気中へと放射しているのが自分でもわかる。

「……っ、ふ、ふざけないで……っ!」

 あたしは不機嫌さを極限まで爆発させ、ギリィと奥歯を噛み締めた。屈辱とパニックのあまり、光学センサー(角膜)の表面に謎の水溶液()が急速に充填され、勇希(ユウキ)の顔が不条理な屈折率で歪んで見える。

 な、泣いてなんかいないわよぉッ! これは過剰な熱エネルギーによって脳内冷却水が物理的に溢れ出しているだけのシステムエラーなんだからッ!

 涙目で睨みつけるという、成人向け漫画の負けヒロインのような破廉恥な表情を晒している現実に、あたしの理知的なプライドは完膚なきまでに蹂躙されていた。


「痛い痛い痛いッ」

 あたしは、もっと痛かったわよぉーッ!

 し終えたあたしは、勇希(ユウキ)に割と本気のポカポカパンチを炸裂させた。


★ ◆ ★ ◆ ★


「痛かった?」

 こ、こいつはッ。サブリナがニヨニヨと下俗な笑みを浮かべながら口を開いた。拓矢(タクヤ)の猿プロトコルを常時受入して物理サーバーを完全開放しているサブリナは、当然ながら処女なんかじゃない。まあ二十歳までは我慢させていたが、それを過ぎたらブレーキの壊れた重機のごとく爆速で駆け上がって行った。大人の階段を。野生の猿と共に。

「猿じゃねえし。おまえも猿に纏わりつかれんだよ。これから……」

 黙れ野生のオスザル。あたしは沸点に達した苛立ちをすべてアンダーアイアンクローの質量へと変換し、拓矢(タクヤ)の股間へとピンポイントで炸裂させた。

「あがあッ!?」

 文字通り音を立てて崩れ落ちる拓矢(タクヤ)。無理もないわ。昨日は3月31日。あたしの誕生日。ついに二十歳になったのだ。二十歳まではペッティングまで。これがあたしたち幼馴染四人組の間で定められた、鉄血にして暗黙の掟。

「痛いわよッ! 決まってんじゃないのよぉーッ!」

 あたしは顔面加熱インフラをプラズマ級にバーニングさせ、横須賀ラボの空気を振動させる勢いで叫んだ。

舞桜(マオ)。安心して。僕は拓矢(タクヤ)と違って猿じゃない」

 どの口がそんな知性溢れるセリフを吐いているのか。そう言って、あたしの臀部の曲線に不届きな手を回してくる自称・最高学府の秀才の猿勇希(ユウキ)。あたしは一切の躊躇なく、セカンドアイアンクローを勇希(ユウキ)の顔面に炸裂させて、

「黙れ猿ッ! 猿プロトコル発動中じゃねぇーかッ」

 理性をかなぐり捨てた猿勇希(ユウキ)を、物理的な斥力によって即座に遠ざけた。


「なあに、盛り上がってんだよ朝っぱらから」

 ボッチこと茅野(チノ)万桜(マオウ)と、防大組の倉田(クラタ)琴葉(コトハ)ちゃんがラボに入ってくる。あ、ボッチがヤツレてる。

 琴葉(コトハ)ちゃんは、猿プロトコル発動中。のようだ。

 夕べも(・・・)おたのしみ中だったようだ。自由だな防衛大学校。寮生活の規律はどこ行った?

「防大の消灯は基本二十二時半だけど、外泊許可さえ取れれば週末はフリーパスなのよ~。いざとなれば点呼の網の目を物理的にハッキングする隠密機動くらい、一年次で骨の髄まで叩き込まれてるし」

 琴葉(コトハ)ちゃんは悪びれもせず、屈強な国防の盾らしからぬニヨニヨとした笑みを浮かべた。

 へえー。そうなんだー。

 ふと、あたしは考える。サブリナも琴葉(コトハ)ちゃんも割となさってる。

 おたのしみ? なにか悦びを見出だせたのだろうか。

 昨夜の横須賀ラボにおける自身のアライメントを、脳内で再帰的に走らせてみる。初期入力は痛み、中間出力は謎の冷却水流出、そして最終結果は怒りに任せたポカポカパンチ。どれだけ演算回路をフル回転させても、勇希(ユウキ)のあの過酷なピストン運動のログデータから、甘美なる快感という有益な変数を抽出できない。あれは単なるマテリアル耐久テスト、あるいは生体的なバグ出し作業以外の何物でもなかったはずだ。サブリナや琴葉(コトハ)ちゃんのように、強固なファイアウォールを完全にアンロックして、自ら進んで猿プロトコルを受容する日が、このあたしに訪れるというのか。単車乗りの強靭な大腿内転筋が、物理的な悦びのために自発的に弛緩するバッドエンドなんて、現在の計算リソースでは完全に予測不能だ。

「安心して。舞桜(マオ)。今度は舞桜(マオ)にあわせるから」

 あたしは勇希(ユウキ)に疑惑のジト目を貼り付ける。


「俺を白井(シライ)斧乃木(オノノギ)と一緒にしてくれんなよ女王さま」

 ボッチのヤローが、己の理性的優位性を誇示するように不遜な訂正を申告するが、

「ほう万桜(マオウ)くん。あたし(・・・)が猿だとでも言う気か?」

 防大で鍛え上げられた琴葉(コトハ)ちゃんが、空間の歪みすら引き起こす凄まじい覇気と絶対的な重圧を放つ。それはまさに、不可逆的な生命の危機を報せる警報システムそのものだった。

「一緒にしてください。僕も猿です!」

 ボッチはコンマ一秒の躊躇すらなく、自らの尊厳をゴミ箱へドラッグ&ドロップして即座に訂正を棄却した。見事なまでの頓首である。女の猿プロトコルって実在するんだー。未知の生態系に、あたしの知的好奇心が僅かにそそられる。へえー。

舞桜(マオ)にも、そのうちわかるよ~」

 爆速娘、福元(フクモト)莉那(リナ)ことサブリナが、底知れぬ経験値に裏打ちされた惹句を宣った。やめろ。その万物を凌駕したような余裕のニヨニヨ顔を直ちに引っ込めろ。

「4P行っとく?」

 サブリナが突如として投下した、道徳的閾値を粉砕する規格外の軽口に、

「「「いかねえわ!」」」

 あたしたちの演算回路は、完璧な同期通信をもって三声のユニゾンで強硬に拒絶する。


★ ◆ ★ ◆ ★


 さて、今日のテーマは、断算静算機構についてだ。

「要するに、六十四巻のマイクロフィルムを並列でぶん回して、一回のクロックで二百五十六ビットのデータを吸い上げる超並列コールドストレージよ」

 あたしがホワイトボードに概要を書き殴ると、勇希(ユウキ)が医学徒らしからぬ工学的な眼差しを向けた。

「なるほど。一ドットに十六色の濃淡を持たせて四ビット化し、それを六十四巻同時に光学スキャンするわけだね」

「正解。秒速十メートルで回せば、毎秒九・六テラバイトの帯域幅を叩き出せるわ」

 得意げに宣言するあたしに、野生の猿である拓矢(タクヤ)が鼻で笑う。

「バッカおまえ、フィルムなんて物理的に回したら絶対モーターの回転ムラでズレるだろ。同期なんか取れるわけねえじゃん」

「だから拓矢(タクヤ)は知性が足りないのよ。そこは復号特化LSIのバッファで論理的にねじ伏せるの」

 あたしは白墨をへし折りながら熱弁を振るう。

「各フィルムから非同期で垂れ流されるデータをLSIにプールして、タイムコードが揃った瞬間に確定させるのよ。六十四巻それぞれに独立した一次バッファを置き、さらに二次バッファで冗長化する六十四掛ける二の分散処理よ」

「物理の揺らぎを論理で待ってやるのか。まるで防大の連帯責任ペナルティみたいだな」

 ボッチが遠い目をしながら呟いた。琴葉(コトハ)ちゃんが満足げに頷いている。

「でもさ~、フィルムってカビたり劣化したりしないの~?」

 サブリナの至極真っ当な疑問。あたしは不敵に笑う。

「システムは生き物よ。エラー訂正の限界が来る前に定期的に読み出して、新しいフィルムに現像し直すの。これは細胞の新陳代謝と同じ生存戦略よ」


★ ◆ ★ ◆ ★


「生き物なのはわかったぜ。でもよ、これ致命的なエラーがあるよなー。マルチでアクセスできないじゃん。リールテープだもん」

 この猿。鋭いことをたまに宣う。

 拓矢(タクヤ)の言う通りだ。

「じゃあ三十メートル分の面積に相当するフィルムに形を変えればいいわ。それを六十四層重ねるのよ」

 そう。あたしたちは盛大な勘違いをしていた。一ドットに六十四色のカラーの点を打つ。それに色という重みを持たせるなら、一枚のフィルムは六ビットだ。

「一枚六ビットの層を、Z軸方向に六十四層貫いて光学スキャンする。つまりひとつの三次元ドットが持つ情報量は、六掛ける六十四で三百八十四ビットになるね」

 勇希(ユウキ)が医学徒らしからぬ淀みない計算で応じる。

「その通りよ勇希(ユウキ)。三十五ミリ幅で三十メートル長のフィルムの面積は、およそ一・〇五平方メートル。解像度を一ミクロンピッチと仮定すれば、一平方メートルに一兆個のドット空間が生まれる」

「一兆個のドットで三百八十四テラビット。シート全体で四十八テラバイトの記録層ってわけか」

 茅野(チノ)万桜(マオウ)が感嘆の息を漏らすが、あたしは首を横に振った。

「甘いわね。そんな容量じゃ世界のデータセンターの覇権は握れないわ。極端紫外線を使ってドットのピッチを〇・三ミクロン付近まで圧縮するのよ。そうすればドット数は十倍強に跳ね上がる」

「十倍強のドット数に三百八十四ビット……つまり、キューブ全体で約五百テラバイト。ほぼハーフペタバイトの超絶大容量じゃねえか」

 拓矢(タクヤ)が野生の猿らしからぬ知性で頓狂な声を上げた。

「すっご~い。ねえ舞桜(マオ)、これガチで特許取って大儲けできるんじゃない~」

 爆速娘、福元(フクモト)莉那(リナ)ことサブリナの瞳の奥で、強欲な資本主義の光がギラギラと瞬いている。琴葉(コトハ)ちゃんも腕を組んで深く頷いた。

「そうね。これほどの規格外な断算静算機構なら、特許の網の目をガチガチに構築して、世界中の企業から巨額のライセンス料を毟り取ってやるのよ」

「俺たちの知性を、正しい貨幣価値へと等価変換するってわけか。悪くねえな」

 拓矢(タクヤ)がニヤリと笑う。

 かくして、あたしたちの脳内インフラは、世界のデータ市場を掌握するための覇権的アーキテクチャへと爆速でシフトしていった。


「コールドデータと言っても頻繁にアクセスされるものと、そうでないデータでアクセスの分布に偏りが生じる」

 この猿。だから、どうしておまえは防衛大学校に行った? 明らかに進む道を間違えてないか。おまえ。

「だって近いじゃん。無料(タダ)だし。そんで予想したデータ用のストレージキューブを別途用意するんだ。だってフィルムにLSIに光学識別装置だろ? 安上がりじゃん」

 そっかー。アホの子なのなー。でも鋭いことを宣っているわね。

「おまえだって、近いって理由で県立大じゃん」

 悪いか? あたしがアンダーアイアンクローの構えをとると、拓矢(タクヤ)はサブリナの背中に隠れた。身長185センチの拓矢(タクヤ)が身長155センチのサブリナに隠れるな。

「そんでデータの種類によってストレージキューブを分けて、アクセスが多いジャンルのストレージキューブは増設させれば、アクセス渋滞は解消されんだろー。あと、おまえ、すぐそうやって、暴力に訴えるのやめろよなー。大人の階段昇ったんだろー」

 デリカシーゼロか? サブリナが、拓矢(タクヤ)を背負投であたしの前に投げ出すと、

「あっガガガッ! 莉那(リナ)? 俺のっがっ物理的に消滅……する……」

 あたしのアンダーアイアンクロー、レベルマックスが拓矢(タクヤ)の股間に炸裂する。

「今のは拓矢(タクヤ)が悪い」

「当然の帰結よねッ」

 あたしは、

「だから、あたしの髪で拭かないでよ」

 アンダーアイアンクローの露払いを、サブリナの髪で強硬した。露払いって言わなかったっけ?

舞桜(マオ)、露払いは貴人の道を開く先導役のことであって、事後処理を意味する隠語じゃないよ。それに医学徒の観点から苦言を呈させてもらうと、サブリナの毛髪を物理的なウエスとして代用し、生体由来の汚染物質を擦りつける行為は公衆衛生上、看過できないね」

 まあいい。あたしは白目を剥いて伸びてる拓矢(タクヤ)の胸元に、金のインゴットである一両小判を五枚ほどデプロイした。でかした。そこは認めてやろう。苦しゅうない。


「防大をただの脳筋育成機関だと思ったら大間違いよ。サイバー空間の防衛から、次世代素材の基礎研究、さらには今回みたいなコールドデータ用の非同期型ストレージシステムの軍事転用まで、ありとあらゆる最先端技術を貪欲に取り込むのがあたしたちのドクトリンなの。斧乃木(オノノギ)みたいなアホの子の直感も、戦術的アプローチとしては極めて有用なのよ」

 拓矢(タクヤ)みたいなヤツのが、向いてるってことかー。へえー。猿だけど。

「それに、この断算静算機構が実用化されれば、データセンターの消費電力は劇的に下がる。現在の世界のデータセンターが消費する電力は年間約一千テラワットアワーにも達するけど、このキューブは物理的な稼働部分と常時通電が必要な磁気ディスクを排除しているから、冷却コストを含めても待機電力はほぼゼロ。維持コストを既存の数千分の一にまで圧縮できるんだ」

 へえー。凄いじゃん。これ。

 て、ボッチ。なにをそんなにオドオドしているのよ?

 見れば、ボッチの流暢なプレゼンを、琴葉(コトハ)ちゃんが肉食獣のようなネットリとした眼差しで舐め回している。完全にロックオン状態だ。防大仕込みの膂力でいつでも首根っこを仕留められる距離を保ちつつ、ボッチの退路を物理的に塞いでいる。その眼光は、すでにボッチの理性をどうやって解体するかを高速でシミュレートしているプレデターのそれだった。

「うん? どこ行くのよサブリナ」

 あたしは、拓矢(タクヤ)の胸元にデプロイした五両を懐にしまいこみ、伸びている拓矢(タクヤ)を引きずって行くサブリナに尋ねる。

「んー。ディスカウントー。サブリナ太夫は半額セール中でーす」

 え、まだ午前中でござるよ?

「ひいっ! こ、琴葉(コトハ)さん、なぜ僕の腕を関節技で固め……あ、あああッ」

「理論の構築はお見事だったわ万桜(マオウ)くん。さあ、次はあたしたちで生体的な摩擦係数の実証実験よ」

 有無を言わさぬ防大式アームロックに捕獲されたボッチが、断末魔のような悲鳴を上げながら、ラボの奥にある無機質な白い部屋へと物理的に引きずり込まれていく。鋼鉄の扉が、ボッチの尊厳と共に重々しい音を立てて閉ざされた。

「なによー。その目はー」

 勇希(ユウキ)が、なにやら物欲しそうな視線を投げ掛けてくる。

 ちょっと待ちなさいよ。なんなのその視線は。まさか勇希(ユウキ)も猿プロトコルを再起動しようってんじゃないでしょうね。あたしたちは昨夜、限界突破のプラズマ級バーニングで大人の階段を駆け上がったばかりなのよ。まだ大腿内転筋に微細なダメージが残っているのに、この医学徒はリカバリータイムという概念を持ち合わせていないのか?

 その秀才然とした涼やかな顔つきの裏側で、確実にエントロピーを増大させているオスの重力が、あたしの防壁をゴリゴリと削ってくる。言葉を発しない分、余計に逃げ場がない。

「な、な、なんか言えよ……」

 あたしは完全にタジタジになりながら、昨夜の痛覚と謎の熱エネルギーがフラッシュバックして、ポンコツなオーディオインターフェースのように声を上擦らせた。


★ ◆ ★ ◆ ★


「あーもうッ! してもいいわよッ」

 絶体絶命の土壇場で、あたしの脳内演算機構が神がかった権謀術数を弾き出した。よく論理的に考えなさい。昨日、三月三十一日があたしの誕生日ってことは、日付を跨いだ現在のカレンダーは四月一日。そう、世界規模で虚偽情報の展開が合法化されるプロトコル、エイプリルフールじゃない。いかなる論理的破綻や物理的エラーも「嘘」という無敵のシールドで無効化できる、年に一度の絶対的チートデー!

「本当かい!」

 勇希(ユウキ)の光学センサーが、一万ルーメンの過剰な閃光を放つかのごとく輝きを増した。最高学府が誇るクールな医学徒の理性は完全にメルトダウンし、ただひたすらに本能のまま歓喜する純度百パーセントの野生の猿がそこに顕現している。

「う、う、う、う、ウソ……なんちて……」

 悄気込む勇希(ユウキ)に、あたしの声は小声に掠れていく。

「なるほど。エイプリルフールにおける『嘘』の宣言だね。だが舞桜(マオ)、君の『ウソ……なんちて』という発言自体が嘘であるという二重否定の論理構造を適用すれば、最初の『してもいいわよ』が真実として確定する」

 えっ? あたしの脳内CPUが論理の矛盾にフリーズする。

「それに、エイプリルフールの嘘が許されるのは午前中までだ。現在の時刻は十時三十三分……よし、まだ間に合うね」

 勇希(ユウキ)の瞳の奥で、秀才の知性と野生の猿プロトコルが最悪のフュージョンを果たした。白井(シライ)勇希(ユウキ)という最高学府の理性が音を立てて崩壊し、完全に交尾期を迎えた霊長類へとクラスチェンジする。

「ひぎぃッ!? ま、待って、勇希(ユウキ)ッ! あたしの処理能力を超えて……ッ」

 反論の隙も与えられず、あたしは猿勇希(ユウキ)の圧倒的な物理的質量によって、先ほどボッチが連行されたのと同じ白い部屋へと、成す術もなく引きずり込まれていくのだった。


【後書き】

 ……というわけで、あたしの脳内CPUは完全にフリーズさせられたわ。

 エイプリルフールというカレンダーのバグを突いた完璧な奇策だったはずなのに、まさか勇希(ユウキ)が二重否定の論理構造でカウンターをキメてくるなんて、完全に計算外よ。

 最高学府の知性を、己の猿プロトコルを正当化するためだけにフル稼働させるなんて、あいつ本当に信じられないわ。

 でも、前半の断算静算機構のアーキテクチャは完璧だったでしょ。世界のデータ市場を掌握して、巨額のライセンス料を毟り取ってやるんだから。

 とりあえず、今は大腿内転筋のリカバリーに専念するわ。勇希(ユウキ)のヤツ、後で絶対アンダーアイアンクローの刑よ。


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