バルバロッサの誕生日
シエナの前には鉄板が置かれている。
その鉄板は直径3センチメートルほどの窪んだ穴が均等に並んでいる物で、シエナがヴィッツの冒険者ギルドの工房で作ってきた物である。
シエナは熱魔法で良い温度に熱せられた鉄板に油を引いて、小麦粉を水とあごだしで溶き、みじん切りにされた具材を混ぜた生地を流し込む。
ジュウウゥ~と言う良い音が鳴り、穴ぼこの中に生地が満遍なく行き渡ると、今度は茹でて赤くなった切ったタコの足をその中へと投入していく。
しばらくジッと生地が焼けるのを待ち、ある程度焼けたところでキリを使って焼けた生地をくるくると裏返していく。
ひっくり返された生地はまだ少し生焼けな感じに焼けている。
また少しの間、ひっくり返した生地が焼けるのを待ち、時間を置いてはその生地を何度も転がすようにひっくり返す。
一度目にひっくり返した時には歪な形をしていたそれも、何度か転がしている内にコロコロと丸い球状に形成されていき、美味しそうな焦げ目も付き始めていた。
シエナはその球状に焼きあがったモノを素早く皿へと並べていく。
そしてソースを塗り、マヨネーズを添えてルクスの前にその出来上がったばかりの食べ物を置いた。
「相変わらず青のりとかつお節がないのが非常に残念ですが、たこ焼きの完成です!熱いので最初は少しずつ食べた方が良いですよ。一気に1玉頬張ると口内を火傷してしまいますので」
まだ鉄板に残っているたこ焼きを、別の皿に移して同じようにソースを塗ってマヨネーズを添えてフリートやテスタの前に置いていく。
初めて見るその食べ物に、フリートやテスタは少し困惑するばかりである。
そんなフリートやテスタとは裏腹に、ルクスはシエナの助言通りにたこ焼きを少しずつ食べていた。
もはやルクスにとってはシエナの作る料理は警戒をせずに安心して食べられる物になっているのである。
まだ、中にあるタコまでは到達できていないが、あごだしを使用した生地はソースがなくても美味しく仕上がっている為に、ルクスは恍惚の表情を浮かべる。
そしてフーフーと息を吹きかけたりして少しずつ熱を冷ましながら食べていき、たこ焼きのメインであるタコに到達すると、驚きの表情へと変化し、ただ一言「うまい!」と素直な感想を口にする。
外はカリカリに焼けていて中はトロトロ、そして歯ごたえの良いタコ足、その美味しさにテスタ達も驚きを隠せず目を見開いていた。
それからは雑談を交えながら各々がたこ焼きを堪能する。
その雑談の最中に、フリートが「まさかクラーケンの子供がこんなにも美味しいとは…」と呟いた時、ふとした疑問がシエナの頭に浮かぶ。
「そういえば、タコは昔の人が試しに食べてみたら中毒死したというのを聞きました。たまたま唾液腺のところか何かを食べてしまったのでしょうね…。なので、それから誰も食べようとしなくなったのはわかりますが、なんでイカは誰も食べなかったのですか?やっぱりクラーケンの子供って思ってたから怖くて食べれなかったのですか?」
イカには毒は含まれていないので、もしも誰かが食べていたのであればすでに現在でも食べているハズであった。
なのに誰も食べていない点から、シエナは疑問に思ったのである。
「それも同時期の話しなんだが、タコを食べて死人が出たから、同じようにクラー…えっと、イカ?にも、毒があると思って、まずは近くにいた動物に食べさせてみたら、その動物が死んだみたいなんだ。それからは両方共『食べてはならない生き物』として、伝わったんだ。怒ったクラーケンが襲ってくる可能性もあったからな」
「…もしかして、その毒見をさせた動物って『猫』じゃないですか?」
シエナの問いに、フリートは「そうなのか?」といった具合でテスタを見る。
「えぇ、言い伝えでは確か猫だったはずよ。でも、なんでわかったの?」
テスタの答えに、シエナはあちゃーっと言いながら自身のおでこを押さえる動作を取る。
「生のイカにはチアミナーゼという成分が含まれてまして、猫には毒なんですよ。食べたのが少量だったら生きてたかもしれないですが…死んだという事はそれなりの量を食べたのでしょうね」
それからシエナは、チアミナーゼがビタミンB1を分解する反応速度を促進させる酵素である事や、猫にとってはそのビタミンB1がとても大事な栄養素である説明、そして猫がイカを食べて発症した病気がビタミンB1欠乏症という事を説明したのだが、そもそも栄養素という概念がわかっていないこの世界の住人には全くもって意味のわからない説明であり、シエナの話しを聞いていたテスタ達は首を傾げるばかりであった。
「…これは、栄養素の説明自体を広める必要がありそうですね」
栄養素の概念を広めなくても、無意識に人は必要な栄養素が含まれている食物を食べてはいるようであるが、栄養素を知っているのと知らないのでは日々の食生活にもかなりのバラつきが出そうであった。
むしろ、バルバロッサがカツサンドばかり食べていた点からも、すでにバラつきは生じているのである。
そういった傾向は主に富裕層に多く見られていて、味が濃くて美味しい食べ物があるのであれば、多少高くても人間はそればかりを食べてしまう。
お金さえ払えば美味しい物が食べられ、お金に困ってないからこその富裕層なのであるから当然の結果であった。
そしてその結果、本当に必要な栄養素が足りなくなってしまうのである。
栄養素だけでなく、元素といった概念もまだこの世界には浸透していない。
この世界の魔法が使える者のほとんどが、自分の魔力をイメージによって別の物質に作り替えて魔法を使用しているのに対して、シエナは魔力を操ってすでに存在している物を利用している。
それは目に見えるものだけでなく、原子や分子であったり物質の根源を示す概念である元素ですらも利用しているのであった。
H(水素)やO(酸素)の原子を操り、組み合わせる事によって化合物H2O(水)を生み出す事ができ、魔法を解除した後もそれらが元に戻るわけではないので、シエナが魔法で生み出した水は消えないのである。
この世界で魔法が使える者が元素を知り、元素が魔力で操れる事を知る事ができれば、この世界の魔法は飛躍的に発展を遂げるのである。
しかし、それはまだ少し先の話しになるのであった。
ちなみに、この世界の人間は基本的には魔法は魔力を変化させて使っているが、『土』魔法だけは既存の土を利用している。
魔力を変化させる必要がなく、どこにでも存在している土に魔力を通わせてイメージした通りに操るだけであるので、この世界では土魔法が最も基本的な魔法なのであった。
土を操れるようになれば初級魔法使い、魔力を別の物質に変化させる事ができるようになれば中級魔法使い、中級魔法を生活に役立てたり戦闘での攻撃の手段に使用する事ができれば上級魔法使いである。
どれくらい前の前世かはシエナは全く覚えていないが、この世界では上級魔法であっても、魔法が存在していた前世の世界でははっきりいって初級レベルであり、いかにこの世界の魔法のレベルも低いかが窺われる。
だからといって、その前世の上級レベルの魔法を使おうと思ってもシエナでは魔力が足りなさすぎて使う事ができないので、それらの魔法を教えようと思っても教える事はできないのであった。
せっかく土魔法ですでに存在する物質を操れる事がわかっているはずなのに、『魔力を変化させて魔法を使う』と言った固定概念に囚われている為か、この世界の人間は別の物質を操ろうともしない。
非常に勿体ない話である。
更にこの世界の人間は、金属が土魔法で操れる事に気付いていない。
魔力不足なせいでシエナであってもそこまで自由には操れないが、鍛冶技術と土魔法、そして熱魔法を併用すれば高温に耐えられない程の炉であっても金属の合成と精錬が可能なのである。
これを利用して、シエナは刀であったり様々な道具に使用する金属の部品を製造しているのであった。
土魔法は、当然砂や岩も操る事ができる。
ガラスを作るのだって土魔法があればそれなりに簡単に作れ、透明度も高い物を作る事が可能なのであった。
ほとんど錬金術に近い状態である。
そして、シエナはこの世界の人々は魔法でそれらの事が出来る事を知っていると思っている為、今まで何も口に出してこなかったのであった。
「ふぅ~…美味しかったぁ…」
バルバロッサとベアトリーチャの子供組が8個、ルクス達大人組が16個で満腹感を得られた中、シエナだけは1人で80個ほどのたこ焼きを平らげていた。
シエナはそれでもまだまだ食べたりなかったが、残念ながら用意した材料が尽きてしまった為にそこで打ち止めなのである。
当然、皆はそんなシエナを見て「食べ過ぎだろ…」と呆れている。
「あ、あの…シエナ。頼みたい事があるんだけど…」
シエナが冷たいお茶を飲んで一息ついているところにバルバロッサが少しだけもじもじとしながらやってくる。
「はい?なんですか?」
シエナは優し気な笑顔を浮かべてバルバロッサの頼み事を聞く姿勢を整える。
「明日、ボクの誕生日なんだけど…その…シエナがメインで料理を作ってくれないかな~?なんて…」
ここ数日でバルバロッサはシエナの料理に完全に心を奪われている。
しかし、初対面の時からシエナにはあまり良い印象を持たれていないと思っている為に少しだけ頼みにくそうにしたのであった。
「え!?明日が誕生日なんですか!?わかりました!腕によりをかけてご馳走を作りますね!」
シエナは何も気にしていない為にバルバロッサの頼みを快く了承する。
シエナの屈託ない笑顔を、バルバロッサは耳を少し赤く染めながら眺めるのであった。
「今から俺達は町の調査に出かけるけど、シエナはどうする?」
ティレルとケイトと共に、ルクスはこれから出かけようとしていた。
今日の調査ではシエナを同伴していても問題のない内容なので、ルクスとしてはシエナと一緒に見て廻りたいと思っている。
「私は明日のバルバロッサ君の誕生日の料理の材料を買いに出かけます。戻った後は料理の仕込みとかもしたいので完全に別行動をしたいですね」
作りたい料理に必要な材料をメモした紙を用意し、シエナは1人で町中へと出かけていく。そんなシエナの行動にルクスはがっくりと項垂れる。
「次の俺の誕生日は…王都でお披露目パーティーか…その後は王宮から出られないだろうし…ちくしょう、バルバロッサめぇ…」
シエナに誕生日を祝ってもらえ、ご馳走を作ってもらえるバルバロッサにルクスは嫉妬をする。
もっと早くシエナに出会っていれば、自分もシエナに誕生日を祝ってもらえたかもしれないのに…。そんな気持ちがルクスの心の中に渦巻き、やるせない気持ちになっていた。
ヴィッツの町並みにも慣れてきたシエナは、目的の材料が売られている店の位置もほぼ把握できていた。
中には少し探す必要のある材料もあるが、1日余裕があるならば焦る必要もない。
シエナはゆっくりと、観光をするかのように色々なお店を見て廻るのであった。
次の日になり、その日に必要な傷みやすい材料を館の使用人達に買ってきてもらうようにお願いをし、シエナは当日に行う料理の仕込みを開始する。
前日からの仕込みも万端であり、夕方に開かれる誕生日パーティーには余裕をもって間に合う状態である。
社交界デビューという訳でもなく、身内のみの小規模誕生日パーティーであるので、シエナも全く気負いはしていない為、バルバロッサが好きそうなメニューでオードブルを作るのをメインにおく。
なるべく多くの種類の味が楽しめるように、1つ1つの料理を一口サイズの小さめに作る。
ミートボール、エビフライ、フライドチキン、白身魚のフライ、一口カツサンド、ミニピッツァなどなど、本当に子供が好きそうなメニューばかりであった。
仕込みが完了し、後は焼いたり揚げたりするだけとなったところで、シエナは前日に作っておいたスポンジケーキを、持ってきていた小型冷蔵庫から取り出してケーキを作り始めた。
「ん~…やっぱり苺じゃないのは寂しいなぁ…」
生クリームを塗ったスポンジケーキに、苺の代わりとしてクランベリーを乗せていってるのだが、やはりケーキといえば苺が欠かせないとシエナは感じる。
しかし、季節が合ってないのでしょうがないのである。
「そういえば、苺って種に見える粒々が本当の苺の実で、その中に種があるんですよね。それで、普段食べてる実だと思ってる部分は本当は茎なんだよね」
急にそんな事を思い出して独り言を呟くシエナ。そのシエナの独り言を聞いていた料理人達は「え!?そうだったのか!?」と驚くばかりであった。
夕方になり、館の大広間にて使用人も一緒にバルバロッサの誕生日パーティーが開かれる。
「8歳の誕生日おめでとう」
「ありがとうございます」
フリートが代表してバルバロッサを祝い、バルバロッサがお礼を言うと周りから拍手が巻き起こる。
「おめでとうございます」
「おめでとう」
バルバロッサを中心に、皆が拍手をしながらおめでとうと言うこの光景を見て、シエナは「最終回かな?」と、1人だけ全く別の事を考えているのであった。
誕生日と言えば、一番初めにケーキに年の数だけロウソクを差して、部屋を暗くした状態で主役がロウソクの火を消すのから始まるが、この世界にはそのような文化はなかった。
ケーキを作り、せっかくロウソクも準備をしていたので、シエナは皆のお祝いの言葉と拍手が止んだところでフリート達にそう言った文化がある事を説明する。
「バースデーケーキに差したロウソクの火に、願い事を思い浮かべながら一息で火を消す事ができれば、願いが叶うという言い伝えもありますよ」
月の女神アルテミスの説明をしてもこの世界の人々には意味がわからないだろうから、その説明を省いてとにかくロウソクの火を消すという事だけを説明する。
「やってみたいです!」
バルバロッサは目を輝かせる。
部屋は暗くはせずに、ケーキにロウソクを差して火を灯す。
バルバロッサがドキドキしながらケーキの前に立ち、胸の中で願い事を思い浮かべながらロウソクに向かって息を吹きかけた。
8本あったロウソクの火は、見事に全部一息で消えた。
それを見て、再度拍手が巻き起こる。
「誕生日おめでとうございます。リクエスト通り、沢山ご馳走を作りました。沢山食べてくださいね」
シエナがニッコリと笑顔で言うと、バルバロッサは目を反らしながら「ありがとう」と小さく呟いた。
それからのパーティーは立食式の、無礼講に近い形で執り行われた。
ある程度働きはするが、使用人達も交代でパーティーに参加をしている。せっかくの楽しいお祝い事なのだからと、テスタが使用人達に参加を命じたのであった。
使用人達も、自分達が主と主の子息の誕生日パーティーに参加させてもらえると思ってもなく、テスタの言葉に感動して「これからも誠心誠意仕えさせていただきます!」とやる気に満ち溢れるのであった。
一口サイズの料理で、種類も量もかなり有るので皆がそれぞれの料理に舌鼓をうつ。
シエナの思っていた通り、作った料理はどれもこれもバルバロッサが気に入る物ばかりであった。
「おいしい!やっぱりシエナに頼んで良かったよ!」
バルバロッサの言葉に、館の料理人達はショックを受けた表情をしていたが、シエナと自分達では料理の腕前もレパートリーもかなりの差があると自負している為、いずれはバルバロッサ様を唸らせるようなオリジナルの料理を作ってやる!と、ショックから立ち直った後に思うのであった。
(どの料理も美味しかったなぁ。…シエナがずっといてくれたら、毎日美味しい物が食べられるのかな…?)
満腹近くになってしまったバルバロッサは、デザートとして切り取られたケーキを食べながらシエナの方を見る。
シエナはメイド達と楽しそうに会話をしていた。
バルバロッサは、自分の隣にいる妹のベアトリーチェを見る。
ベアトリーチェは、シエナの作ったケーキの柔らかさと甘さにぴょんぴょん飛び跳ねるようにしてケーキを堪能していた。
この世界にもケーキは存在はしていたが、ここまで柔らかくもなく、またそんなに甘くもない。
ケーキというよりも、少し大きくて柔らかいクッキーのような物である。
「お兄様、ケーキおいしいですね!」
甘い物が大好きなベアトリーチェは、そのケーキの甘さによって、少し苦手で警戒するべき相手だと思っていたシエナの事が大好きになっていた。
こんなにも甘いお菓子が作れる人が悪い人な訳がない。
あまりにも単純で現金すぎるベアトリーチェの思考に、バルバロッサは苦笑するしかなかった。
再度、バルバロッサはシエナを見る。
可愛い顔立ちではあるが、それはあくまでも平民としてであり、貴族からすれば「まあ、ギリギリ合格ラインかな?」と言えるくらいの平凡な顔つき。
しかし、いつでも優し気な表情をしていて、笑った時のシエナの笑顔はバルバロッサには輝いて見えていた。
(あの笑顔をずっと見ていたいなぁ…)
バルバロッサも、理由もないのにシエナがこれからもずっとこの館にいる訳がないと理解していた。
ルクスと一緒にやってきたというのを聞いているので、次の秋夏の季節になればルクスと共にテミンへと帰ってしまうだろう、と考える。
(いやだ…ずっと一緒にいたい。シエナの料理を毎日食べたい…)
完全に胃袋を鷲掴みにされているバルバロッサは、いずれくるシエナとの別れを信じたくなかった。
そして、そう考えた瞬間には、バルバロッサは自分でも「何故こんな行動を取ってしまったのか」と、後から疑問に思うほど衝動的に行動を取った。
「シエナ!」
「きゃぁ!」
バルバロッサは、メイドと雑談をしていたシエナに後ろから抱き付いた。
驚いたシエナは思わず悲鳴をあげる。
メイド達は驚きに目を見開き、シエナの悲鳴にテスタ達も何事かと目を向けて、目を見開いた。
「シエナ、君と離れたくない!これからもずっとここにいて、そして…大人になったら…ボクと結婚をしてくれ!」
「え、えぇ!?」
後ろから抱き付かれているシエナには、バルバロッサの表情は見えなかった。
しかし、その抱き付いている力の強さ、そして勇気を振り絞ったと思われる震える腕。
(ほ、本気…なんだね)
嫌われていると思っていたシエナは、まさかのバルバロッサの行動に顔を真っ赤にする。
シエナは、この世界の人生で二度目の本気のプロポーズを受けるのであった。




