シュバルヘーレ②
「しばらくの間、帰ってこないので一旦チェックアウトします!」
シエナは黄昏の女神亭へと戻り、部屋に置いていた荷物を全て纏めると、受付で事務作業をしていたローズにチェックアウトの手続きをお願いした。
シエナの言葉に、食堂を清掃していたディータは動揺する。
「えー!またシエナちゃん冒険に行っちゃうの?」
普段、家業の手伝いをしているディータの話し相手は、父であるチェスターと同じくらい、もしくはそれ以上の年上の男性ばかりである。
家業を率先して手伝っている為、同年代の子供と遊びに行く事すら滅多にしないディータにとって、2歳年上ではあるが、自分と同じくらいの背格好の同性の子供であるシエナが宿泊してくれてる事を嬉しく思っていた。
ディータはシエナともっと仲良くなりたかった。
初めて会った時にはみすぼらしい格好に、ガリガリに痩せた体。生気のない眼に少し恐怖を覚えていて、話しかける事ができずにいたが、しばらく経ってから勇気を出して話しかけた結果、シエナと少しずつ仲良くなっていった。
今はまだ、宿屋の店員と客という間柄から抜け出せてないが、友達に近い関係にはなっている。
そんな中、シエナは危険な冒険ばかりを繰り返す。
心配で堪らないディータは、もしシエナが望んでくるのであれば雇ってあげてほしい。と、チェスターとローズにお願いをしていた。
チェスターもローズも、シエナの事は心配であった為それを了承するが「あくまでも、シエナから自発的に言ってこない限りは雇わない」と、ディータに言づけていた。
シエナが自分の事を羨ましそうに見つめている事があるのにディータは気付いていた。
それがパパやママがいることを羨ましがってるのか、平穏な生活を羨ましがってるのか、しばらくの間わからずにいたが、それからシエナの様子を見ていると、どうも宿屋で働きたいという雰囲気が感じられるのに気付いたからだ。
ただ、それを自分から誘うわけにはいかないので、ディータはモヤモヤした気持ちでシエナの事を心配する日々を過ごしている。
だからこそ、もっとシエナと仲良くなりたいと思っているのだった。
「大丈夫です。今回は少し長く冒険に出ますが、必ず帰ってきます」
ディータの眼は少し涙で潤んでいた。暫しの別れが寂しいのと、長い冒険に行ったまま、帰らぬ人になるのではないかという不安からである。
「し、シエナ!帰ってきたら、一緒に遊びに行こう!」
ディータは勇気を振り絞り、今までちゃん付けで呼んでいたシエナの事を呼び捨てにして遊ぶ約束をする。
突然のディータの行動に、シエナは少し驚いたが、優しく微笑み返すと…。
「うん、絶対に遊びに行こう。ディータ」
と、同じようにディータを呼び捨てにして、ディータを抱き寄せた。
「これ、シエナが男だったら許せねぇパターンだよな」
たまたま様子を見に来たチェスターが、自分の愛娘を抱くシエナの姿を見て呟いた。
そんなチェスターの頭をローズが叩く。雰囲気が台無しである。
シエナはそれから冒険の身支度を整え始めた。
シュバルヘーレまでの道のりで最低でも往復で2週間…この世界の1週間は10日なので、20日間という事になる。
それはあくまでも最短の道を、迷わずに突っ切る事ができたらの話しであり、シエナはシュバルヘーレの詳しい位置は知らない。
なので、それ以上に日数はかかってしまうだろう。
そして、シュバルヘーレを見つける事ができれば、今度は内部の探索となる。
シュバルヘーレは、ヴィシュクス王国と隣の国である元フォルト王国…現グバン帝国を繋ぐ大きな迷宮となっている。
それは、大山岳の中がそのまま迷宮化しているのでかなり広い。
目的の魔晶石が、どの辺りで採れるかわからないシエナは、シュバルヘーレの内部をかなりの日数を費やして探す事となるだろう。
そうなると、往復1か月では到底足りなくなってしまう。
その分の食料や消耗品などを揃えなくてはならない。
水に関しては、シエナは魔法で生み出す事ができる。
厳密には、大気中の水分を集めて水にしているのだが、魔力と大気中の水分がある限りは水はどこだって生み出す事が可能なので、多く持って行く必要はない。
魔力切れの事を考えて、万が一の分として少量は持っていくがそれでも持ち運ぶ水の量を控える事ができる魔法の存在にシエナは感謝していた。
「とにかく、保存の効く食料を大量に持っていかないとなぁ」
そうしてシエナは、着々と準備を進め、黄昏の女神亭の庭に置かせてもらっていた、木製の自作手引き車に荷物を載せ、テミンを出発した。
この時、シエナは気付いていなかった。
自分の後を尾行けている人間の存在がいる事を…。
道中では、なるべく戦闘行為は避けるように安全を確認しつつ進み、大量の魔物に囲まれそうな時には逃げの一手を繰り返すシエナ。
移動して、陽が沈んだら安全そうな木の上で眠り、獲物を見つけた時だけ狩りをする。
(あの時に比べたらこんなの全然マシだしなぁ…)
普通であるならばかなり過酷な環境であるハズだが、シエナはそれ以上の過酷な環境で旅をしてきた事があったので、このくらいなんとも思ってない。
テミンを出発してから12日が経過し、シエナはシュバルヘーレのある大山岳地帯へ到着をした。
「さて…どこにあるのやら…」
物資を揃える時に、情報も少しは集めていたシエナ。
ダンジョンの出入り口は1つだけでなく、複数存在する事が多い。
人工的な建造物のダンジョンはテミン周辺にはなく、あくまでも天然の洞窟に貴金属を集める魔物が住み着いているからダンジョンと呼ばれているだけである。
天然の洞窟は探してみると意外にも出入り口があちこちにある事が多く、シュバルヘーレも例外ではない。
ただ、他のダンジョンと違い、シュバルヘーレはその出入り口の全てが陽の差し込まない場所にある。
なので、陽の当たらない場所を探せば自ずと出入り口は見つかると情報を得ていた。
「手引き車は持っていけないなぁ」
山岳の比較的登りやすそうな場所から登り始めようとするが、舗装された道というわけではないので、手引き車は引いて行く事は不可能だった。
シエナは、ある程度の荷物をリュックに纏め、少しの休憩を挟んだ後に山岳を登り始めた。
シエナは、山岳を登っては陽の当たりそうにない場所を見つけてはそこへと降り、シュバルヘーレの入り口を探す。
入ってすぐに行き止まりの洞窟ならいくつか見つけたが、明らかに迷宮として続いてそうな洞窟の入り口は見つからず、大山岳に入ってから4日が過ぎようとしていた。
「み、見つからない…と、言うか戻る方向も見失ってしまいました…」
シエナはかなり適当に進んでしまっていた為、自分が来た道すら見失っていた。
一応、太陽の位置で方角だけは把握はしているが、このままでは遭難してしまう。むしろ、現在進行形で遭難しているのであった。
「うぅ…とりあえず、東へ戻りましょう。もし入り口が見つからずに山を降りてしまったら、その時は諦めて帰りますか…」
そう呟いてシエナは東へと向かって山を登り降りし始めた。
それからまた1日が過ぎた頃、少し渓谷になっている場所を歩いていたシエナは陽の当たらない場所に洞窟を発見する。
「…まぁ、一応確認しておきますか。またすぐに行き止まりでしょうけど」
もう何度も同じように期待して入ってはすぐに行き止まりの洞窟を見つけてるので、シエナは半ば自棄になっていた。
しかし、そんなシエナの思いとは裏腹に、その洞窟は長く奥まで続いていた。
「あれ?もしかして、ここ、シュバルヘーレの出入り口?」
シエナはそう呟いて、洞窟の更に奥へと潜っていく。
竜の王を討伐する某有名RPGのナンバリングの1作目で登場し、以降はリストラされてスピンオフ作品でしか出てきてない呪文を参考にした、自分の周囲を照らす魔法を使っていて、シエナは暗闇をものともせずに奥へと進んでいく。
魔力切れの時を考えて松明も持ってきているが、それはあくまでも保険である。
ある程度進んだところで、分かれ道などが存在していて、シエナはようやくシュバルヘーレ内部である事を実感し、突入できた事を喜んだ。
「よし、あとは魔晶石を見つけるだけです!ミレイユちゃんのところにあった魔晶石のように、淡く光ってるはずなのでそれを探しましょう!」
そして、シエナは肝心の情報を知っていなかった…。
シュバルヘーレの魔晶石は光を放ってなく、普通の魔晶石と違い黒い水晶だと言う事を…。
シエナは、シュバルヘーレを奥へ奥へと進んでいく。
自分が放つ光以外は全く光が差し込まない暗闇となっている為、時間の経過がわからず、ある程度の疲労を感じた時と、眠くなった時に休むようにしている為、シュバルヘーレに入ってからすでに2日が経過している事をシエナは知らなかった。
シュバルヘーレ内には、蛇や蜘蛛、蠍や蝙蝠などの、暗闇に適応した、毒を持つモンスターばかりが生息していた。
そして、そのモンスター達はどれも大型であり、特に蜘蛛のモンスターを見た時のシエナは鳥肌が止まらなかったくらいである。
(ひいぃぃ…あんなに大きい蜘蛛…気持ち悪い!怖いですぅ!)
27インチの自転車のタイヤくらいの大きさの胴体に、それと同じくらいの長さの脚。
全長だけ見れば、シエナよりも大きい蜘蛛であり、怖いのも無理のない話しであった。
幸運だったのは、蜘蛛は糸で巣を張っていて、そこにかかった獲物のみを狙って動いていた為、シエナの姿を確認しても襲いかかってこなかった事である。
逆に、蛇のモンスターはシエナの姿を発見するなり襲い掛かってくる。
シエナは、身体強化の魔法を眼と耳に集中させた。
微かな音や動きを見逃さない為である。
そして、少しでも危険を感じると一目散に逃げるように徹底していた。
(やばいやばい!魔力がもたないです!)
周囲を照らす魔法に身体強化の魔法を、常に断続的に掛け続けている為、シエナの魔力はみるみるうちに少なくなっていく。
元々、シエナは魔力がかなり低い人間である。
この当時のシエナの魔力は、現在13歳であるシエナの丁度半分程の総魔力量である。
ただ、使い方が他の人と全く違う効率の良い使い方をしている為に燃費が良く、更にイメージ力も強い為に魔力切れギリギリまで使う事が可能な為、シエナの魔力はかなり多く見えるのであった。
安全そうな場所で警戒しつつも休んでは奥へと進んで来ていたが、それだけでは魔力は完全には回復しきれなかった。
その結果、シエナの魔力はもう底を尽きそうになっていた。
「うわわ!痛い!痛い!」
そして大型の蝙蝠の大群に襲われ、シエナは頭を抱えて逃げ出す。
逃げようとしているその先が崖になっている事を知らず…。
「えっ!?わああぁぁぁぁー!!」
そしてシエナは足を踏み外し、崖下へと転がり落ちていく。
シエナの様子を見ていた人物は、闇から姿を現し、シエナに襲いかかっていた蝙蝠を一網打尽にして崖下を覗き込む。
「…これは…助けられないな。…ここまでか」
シエナの後を尾行けていた人物は、そう呟くと踵を返して洞窟の出口を目指した。
「全く…面白い魔法の使い方をしていたからつい様子を窺っていたが…こんな結果になるなら様子を見ずに早めに行動に移しておけばよかった。時間の無駄をしてしまったよ」
その人間は、自分に襲い掛かってくるモンスターを返り討ちにしつつ、灯りも無しにその暗闇の中を歩いて行き、そしてその姿を消した…。
しばらくの間、気を失っていたシエナは、目覚めてから自分が生きていた事に安堵する。
「あ~…びっくりした…。いたた…あちこち打撲しちゃったなぁ…折れてはない、みたいだね」
シエナは起き上がり、自分の体の様子を確認する。
身体強化の魔法で体の強度を上げていた事と、背中に背負っていたリュックがクッションになった事により、シエナはそれなりの高さから落ちたにも関わらず生き延びる事ができた。
骨も折れてなく、擦り傷や打撲で済んだならかなりの儲けものである。
「モンスターが近くにいる気配もないし、このままここで休もうっと…」
シエナは松明に火を点け、リュックの中を確認する。
持ってきていた保存食のいくつかはペシャンコになっているが、問題なく食べる事はできる。
シエナは魔力の回復を図る為にも少し多めに食料を食べ、横になって眠りについた。
ほんの1時間程眠ったシエナは、起き上がって魔力が少し回復しているのを確認すると、怪我の酷い箇所から回復魔法を使って怪我を治し始めた。
(う~ん…やっぱり回復魔法はあまり得意じゃないなぁ…前世で解体新書でもしっかり読んでおくんだった)
体の組織や細胞の事をよく知っていれば、もっと効率の良い回復魔法が使えると感じているシエナであったが、前世はグロテスクな物に耐性がなかった為、あまり触れられずにいたのであった。
なので、シエナの使う回復魔法は、この世界で主に使用される回復魔法である、人体の持つ治癒力を高めるイメージで使われている。
シエナは、その治癒力を高めるというイメージは少し苦手であった。
シエナの得意とするイメージは、実際に見てきた物であり、治癒力という目には見えない物はイメージし辛いのである。
それでも回復魔法が使える辺り、シエナは器用貧乏である。
少ない魔力である程度の怪我の回復が図れたシエナは、再度魔力回復の為に眠りについた。




