縁
王弟直属部隊の襲撃から三週間後、戻り森は平和を取り戻していた。
ミヤシロの結界は再びはりなおされ、結社に避難していた住人達もそれぞれの住まいに帰り、日々を過ごしている。
王宮に行っていた閑芽達も、あの日の事が遠い昔の事に思えてしまうくらいに、元通りの穏やかな暮らしを送っていた。
「もう行くのか」
名残惜しそうに眉をさげて、もう少しいればいいのに、と目で訴えかけてくる閑芽の顔に平手が飛んでくる。
「うぜぇ」
「痛たた。ちょ、棗コレマジで痛い」
ミシミシと骨が音をたてるほどの容赦ないアイアンクローに、閑芽は少しばかり本気で焦った。
このままでは顔が潰れてしまいかねない、それは客商売をするものにとって激しい痛手だ。顔面包帯男が客相手に給仕など出来ない。
「うっとおしいんだよ。だいだい俺達はもっと早くに行くつもりだったのに、誰のせいで今日までズルズルと」
当初の予定では、一週間前には棗は柊と共に戻り森を発つつもりでいた。それなのに、この天然大男が体躯に似合いもしない小動物のような目で引き止めてくるせいで、二週間も引き延ばしてしまったのだ。
今日という今日は絶対に戻り森を出なければならない。情報屋が情報集めも出来ない場所にひきこもっていては仕事にならない。
柊は胡乃実と別れの挨拶をしつつ、ほだされて二週間も出発出来ずにいた棗が、うざい、うっとおしいなどと言っても説得力はないな、と思ったが聡明な彼女はそれを口に出す事はしない。
「じゃあ、行くわね、胡乃実、閑芽。直葉やミヤシロ様達にもよろしく」
「はい」
直葉は今この場にはこそいないが、別れの挨拶は先にすませてある。
またすぐに来るのだろう、新しいレシピを考えて待っている、との言葉通りに今頃食材集めをしながら、新しい料理でも考えているのだろう。
「なぁ、あと一日くらい良いじゃないか?」
閑芽はまだあきらめきれないのか、しつこく棗にまとわりついている。だがそろそろやめておかないと。
「閑芽、もう」
「テメェに付き合ってたら一日が一カ月、果ては一年になっちまうわー!!」
「ぐほぅ!」
見事なアッパーが決まった。柊が閑芽を制止するために伸ばした手は間に合うことなく、そのまま彼女のこめかみをおさえる。
「閑芽さん、しっかり!大丈夫ですか?」
胡乃実の優しさだけが、この場の清涼剤だった。
直葉は森を進んでいた足を止めて、後方へと振り返る。
何か清樹の方向から、暴力的な気配が漂ってくるような気がしないでもないような。
「気のせいか?」
多少気にはなったが、まあいいかと結論づけて、高い位置でひとつに結いあげた白雲色の髪を揺らしながら直葉は歩みを再開する。
その腕にかかえられた籠の中には、緑が鮮やかな採れたての山菜が所狭しと並んでいる。
山菜採りにいそしむ神獣というのもなかなかにシュールだが、直葉はこうしていられる日々と家族に感謝している。
戻り森に帰ってから閑芽と胡乃実、棗と柊、結社のミヤシロとその側近二人に直葉は自分の正体が神獣である事をあかした。
皆、言葉もなく驚いていたが我を取り戻したときに真っ先に言われたのが「戻り森からいなくなったりしないで」なのには、流石に面食らった。
どうやら彼らにとって直葉は直葉でしかなく、神獣よりも家族であったらしい。だから直葉は変わらず清樹でシェフとして、ただの異族として、戻り森の家族の一員として暮らしていられる。
「山菜はどう料理するかな?てんぷら、おこわ、軽く焼いてソテーっぽくするのもいいかもしれないな」
歌うようにメニューをとなえながら歩き進む直葉は目的地に着き、ぐるりと視線を巡らせた。戻り森のなかにある池。結社とは比べるべくもないほどの小ささだが、美味しい魚が多種、生息している。
その池のほとりに座り真剣な顔をしながら釣り糸をたらしている背中に、直葉は顔をほころばせる。
直葉は彼の隣に歩み寄り、その名を呼ぶ。
「千早」
「おう」
千早は水面から直葉へと顔を向け、笑った。
あの時、直葉は神力で千早の命の時の時間を正しい流れへと動かした。神々に力を与えられ命を創造した神獣だ、それくらいの事は可能である。そして動かそうとして、千早の命に触れた時、感じたのだ。風前の灯火ながらも、死に向かいながらも、まだ死してはいない命の音を。
千歳が時間を止めたのは千早が絶命する前、つまり千早は死にかけてはいたが、死んではいなかった。
死んだ者を蘇生する、新しい命を与えるには、直葉の魂である神獣の霊宝を引き換えにしなければならないだろう。だが、新しい命を与えるのではなく、本来あった命に魂の欠片を与えたらどうなるのか?
もしかしたら、彼を生きのびさせる事ができるかもしれない。確証はなかった、こじつけですらない暴論だ、けれど直葉は賭けた。
人界とそこに生きる命を創造するには天上の神々から力と、それを与えられた神獣が四匹、必要だった。でも目の前の大切な彼一人のまだ生きている命をつなぐ事なら、直葉の魂の欠片でも。
直葉は手を伸ばした、千早と一緒に生きる事のできる未来へ。そして、つかみ取ったのだ。
「山菜は採れたのか?」
「もちろんだ」
直葉は抱えていた籠の中身を千早に見せてくれる。籠に並んだ見事な山菜に千早はうっと苦虫を噛んだ気分になる。自分の結果とは天と地ほどの差だ。
「千早、メインは魚だからな」
「分かってるさ。もう少し待て」
直葉はからかうように笑っている。そして、最期を覚悟した千早は直葉に救われ、こうして共にいる。しかし代償がなにもないわけではない。
まず、千早は直葉の魂の欠片を与えられたため、彼女と一定の距離を離れると生命活動が停止してしまう。
これには直属部隊、とくに億斗が荒れに荒れた。せっかく生き延びる事が出来たのに千早と離れるなんて絶対に嫌だ、と。
直葉は千早が王宮にとどまりたいと望むならそうしても良いと言ってくれたが、千早は直葉を戻り森に帰すと断固として譲らなかった。
この事態を収拾したのは、意外にも千歳だった。王弟は死んだ事にする。どこにでも行け。彼はそう言ったのだ。生きていてくれるなら、それでいい、と。
そして、もうひとつ。直葉がほとんどの神力を失ってしまった事だ。
千早の命の時間を動かし死にかけの命に魂の欠片を与えるというのは実際かなりの無理があり、それでもそれをやってのけた直葉は神獣の霊宝が起こすという奇跡をもう何一つとして起こせはしない。
それでも後悔していない、それを補ってなお余りあるものがあるから。直葉はそう言ってくれたが、その余りあるものであるところお千早としては心中複雑だ。
これから直葉にどうやって何をかえしていけばいい?考えても考えても思いつかず、ついには本人に聞いてしまった。
すると、直葉は少し眉をつり上げた。
「一緒にいたい、一緒に生きていたい。そう言ったじゃないか」
ほんの少し、顔が赤くなっていたのは気のせいだったのか、よく分からない。その後、直葉は胡乃実並のシャイスピードで走って行ってしまったからだ。
けれど今、直葉が千早の隣にいてくれる事が答えなのだろう。
「ん?千早、ひいてるぞ」
「なに!?」
千早は慌てて釣り竿を持ち直す。確かに手ごたえありだ。しかも、この引きの強さは大物の予感がする。
「くっそ!強いって……わああああ!!」
「千早!?」
余りの引きの強さに千早はバランスを崩して、池の水面へと引き込まれる。直葉が立ちあがって手を伸ばすが、間に合わない。
激しい水音と共に高い水しぶきが上がった。
「ち、千早……」
「……っは!!げほっ」
池の中から顔を出した千早は水を吐き出しながら、激しく咳き込む。服は水を吸って重く、せっかくの大物は釣餌だけきっちり食らって逃げ出してしまった。池の水深が深かったため、水中に投げ出されても怪我をしなかった事が不幸中の幸いか。
「ちくしょう……!」
やっと出てきたのは悪態で、それも引きに負けた自分自身になのか、逃がした大物になのか、自分でも判断がつかない。
「……っふ、はは、はははは!」
直葉が声を上げて笑いだした。人が散々な目にあったというのにそれはないだろうと思ったが、あまりに楽しげなので、千早も気づけば笑っていた。
一緒にいる。
一緒に生きていく。
魂の縁を綴っていく。




