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兄と妹

「もう、お兄様ったら酷いわ、あんまりよ!」

 涙ぐみながら、そう叫んでバタバタと走り去って行く妹の背に、

「足音を立てて走るな、はしたない」

と声を掛けるも、彼の妹は兄の方を振り返ることはしなかった。

 恐らく客人を見送るために屋敷のエントランスに向かったのだろう。

 そこで妹と客人が、どんな会話をしているのかが容易に想像出来て、溜息が出る。

 どうせ、

「折角来てくれたのに、石頭なお兄様でごめんなさい」

 とか、

「いや、良いよ。また来るから、あまりデュオンを責めないでやってくれ」

 とか言いながら、さりげなく妹の肩を抱き寄せたりしているに違いない。

 その客人……幼馴染みであり親友でもあるレイドリック・エイベリーが、妹、ローズマリーとの結婚の許可を自分に得る為に、足繁く通い出したのはもう間もなく社交シーズンが終わろうか、という頃である。

 元々は彼の父親と、自分自身が言い出した二人の縁談であり、当初は二人とも反発したり、あれこれと考えたりしていたようだったが、紆余曲折した結果互いの関係を、大切な幼馴染みから、将来を誓い合った恋人同士に昇格させたらしい。

 だがその紆余曲折の中で、デュオンとしてはどうしてもレイドリックに対して、二つ返事で結婚を許してやる気になれない出来事があって、その尾を今も引き摺っている。

 その結果がつい先程の妹の捨て台詞だ。そして恋人を見送った後は、多分またこれで何度目になるのか判らない兄妹喧嘩が勃発するのだろう。

 縁談を最初に持ち掛けたときには、凄まじい勢いで嫌だと言っていたくせに、今の妹の変わりようと来たらどうだろう。あの頃と今とでは別人のようだ。

 もっともそれを言うならレイドリックも同様で、二人ともこの短期間の間に随分と変わったものだと思う。

 それ自体は喜ばしいことだ。

 いつまでも過去を引き摺り、ぐだぐだしていた親友が立ち直り、過去ではなくこれからの未来を見られるようになったことは素直に安心したし、子供子供していた妹も誰かと将来を過ごす覚悟が出来る程大人になったことは、これで良かったのだとも思う。

 思うのだが。

「もう、デュオンったら。一体いつまで拗ねているつもり?」

 横合いから掛かった声に、気難しい表情を浮かべたままデュオンが顔を向ける。現在のこのノーク男爵家の屋敷の中で、家長であるデュオンが唯一敬意を払う、母親がつい先程ローズマリーが飛び出していった出入り口に立っていた。

「別に拗ねてなどいません」

 そう、拗ねてはいない、別に。

 ただ少しばかり、面白くないだけだ。

 憮然と答えれば、くすくすと笑う母の声が続く。

「いい加減認めてあげなさいな。内心では、もうとっくに許しているのでしょう? 誰よりあの子の幸せを願っているはずのあなたが、その妹の幸せを潰してしまうつもり?」

 思いの他、母のその言葉が堪えた。そんなつもりはない……そんなつもりはないけれど、自分が意固地になってしまっている自覚はある。

 これ以上ごねると、今度はローズマリーの方が拗ねて手が付けられなくなるわよ、と続く母の言葉に、内心「あれはもうとっくに拗ねてます」と答えながら、ことさら大げさな溜め息を付いて見せた。

「構いませんよ、これくらい。レイドリックには良い薬です。今後また、同じようなことをしでかさないための戒めですから」

「そんなことを言って。レイドリックも充分反省していると思うけれど?」

「母上もローズも、結局あいつには甘いですからね。俺が厳しいくらいで丁度良いんです」

 もう二、三度は苦い思いをして貰いますと告げる息子に、やれやれ困った物だと母が肩を竦めて見せる。

 けれども逆を言えば、あと二、三度で一応は折れてやろうという意思表示でもある。

 仕方がないわねと苦笑する母の声を聞きながら、デュオンはなかなか戻ってこない妹と、彼女と共にいるだろう親友の事を頭に思い浮かべた。

 妹の結婚相手にはレイドリックを、と思う様になったのは、父である前ノーク男爵が病床についた頃だ。

 それまではデュオンの頭の中で妹の結婚はまだ遠い未来の話であり、今はまだ考えなくても良いことだと判断されていた。ローズマリーはまだ子供だったし、単純に可愛い妹が、他の男に掻っ攫われていく未来を想像するのが腹立たしかった、という理由もある。

 けれど、病床の父から母と妹のことを繰り返し頼むと言われ続ける内に、その考えを変えた。

 自分が認めなくとも、妹は直に大人になる。自分がいつまでも彼女を守ってやれるわけではない……どんなに望んでも、この父のようにいつかどうにもならない別れが訪れる可能性だって否定は出来ないのだ。

 父だってきっと、自分やローズマリーがせめて結婚するまでは見届けたいと思っていたはずだ。けれども、現実はそんなささやかな願いも叶えてくれない時が多々ある。自分だって、いつどうなるか判らない。

 ならば、自分が見届けられる間にと、そう思った。

 それにデュオンにとって、妹のローズマリーの他にも、親友のレイドリックのことも長く気がかりだった。

 ある日を境に一時感情を無くしたように表情を凍り付かせていた友人は、その理由を自分にもなかなか話そうとしなかったけれど、聞こえて来る噂や状況からおおよその想像はついていた。

 馬鹿みたいに騎士の訓練に打ち込んで、なのに周囲の様子に心がすり減るほど気を張り巡らせて。あの時のレイドリックは、ちょっとした振動ですぐに切れてしまいそうな、張り詰めてすり切れた糸の様に見えた。

 一度彼にしこたま酒を飲ませて、前後不覚にまでさせた夜にその感情を吐露させたことがある。

 無理矢理とはいえ吐き出させたその感情は、印象以上に傷つきひび割れていて、こいつは本当にこのままで大丈夫なのだろうかと、いつもは辛辣なことばかり口にするデュオンですら不安にさせた程だ。

 全く、質の悪い女に惚れたものだ。

 レイドリックは多分、自分で思っている以上に不器用な男だ。

 自分の心がこうだと決めたら、もう他の可能性に目を向けることが出来なくなる。良く言えば一途、悪く言えば盲目。その分、入れ込む感情も深い。

 どうせ惚れるのならそんな面倒な女ではなく、ローズマリーのような素直な娘の方がこの男には似合いだろうにと、何度思ったか判らないくらいだ。

 デュオンは、もう随分と前からローズマリーがレイドリックを慕っていたことに気付いていた。恐らくローズマリー本人はそれを恋とは認識していなかっただろうが、傍から見れば明らかにレイドリックの存在を意識していたことは間違いない。

 憧れの人がいるとかなんとか、一丁前のことを言っておきながらもその憧れの人に対して、身分が違うだのなんだのと言いながら積極的に振る舞うこともせず、視線はいつも疎遠になった幼馴染みを追っていた妹。

 別に、だから、と言うわけではない。妹の初恋を叶えてやろうなんて、物分かりの良い兄の考えで二人を夫婦にと考えたのではないのだ。

 ただ、妹の幸せを考えた時、真っ先に頭に浮かんだのは彼女の隣に立つレイドリックの姿だった。

 そして同じように親友のことを考えたとき、一体誰が情けないあの男の性根を叩き直してやれるのかと想像して思い浮かべたのが、自分の妹の姿だった。

 繰り返し何度考えて見ても浮かぶのは二人の姿だけで、他には想像もつかない。

 妹には幸せになってほしい。その次くらいに、レイドリックにも立ち直って欲しい。

 その思いが、デュオンの身勝手なエゴだと言われればその通りかも知れない。

 けれど、二人がそうやって自分達で立ち直り、支え合って結ばれるならそれが一番だと思ったのだ。

 本当ならば、レイドリックのような過去に面倒な問題を抱えている男は、大切な身内の結婚相手として見た時に、相応しくはないのだろう。

 二人が本当の意味で結ばれるためには、その問題を解決しなくてはならないし、その過程でひどく傷つくこともあるかもしれないと思えば、そんな面倒な男よりはもっと何の問題も無い男を捜した方が良いと考える人間は、きっと多い。

 目先の幸せを考えるならば。

 しかし長い結婚生活の中では、必ず何かしらの大きな問題の一つや二つは存在する。その問題に直面したとき、自分達が心底望んで結婚した夫婦であるか、あるいは親兄弟に言われるがままに結婚した夫婦であるかで、大きく変わってくるだろう。

 夫婦の価値は平和な時に問われる物ではない。

 何か問題があったときに、二人で乗り越えられる力があるかどうかで、問われる物だとデュオンは思う。それを思えば、結婚前の問題くらい解決出来る力がなくてはお話にならないではないか。

 結果二人は、見事に問題を解決して、これからもトラブルに打たれ強い夫婦になるだろう。それこそ、自分が望んでいた二人の姿だ。

 めでたしめでたしである。

 だがしかし。

 二人が寄り添う姿を目にするのは、デュオンが当初想像していたよりも面白くなかった。嫉妬だと言われてしまえばその通りだ。

 レイドリックの問題にローズマリーを巻き込んで怪我をさせただとか、想像以上に妹を泣かせたことが気に入らないだとか、あれこれと理由を付けながらも、結局は自分はまだまだ妹離れが出来ていないのかもしれない。  

 来年。

 妹はこの家を出て、違う家の人間になる。

 いつも手を引いて導いていた小さな妹が、自分の手を離れて他の男の妻となり、いずれ母となるだろう。

 リアルな現実になったその時を想像すると、今はその現実が、寂しいと感じてしまう自分の心に溜め息が出る。世の中の花嫁の父とは、皆こうした葛藤を抱いているものなのだろうか。

 やれやれ。仕方ないな。

 これではローズマリーやレイドリックを叱れない。

 結婚に向けて準備をしなければならない二人とは別に、自分もそれまでにきちんと心の準備をしておかねばならないようだった。




 すったもんだの末に、どうにかいくつかの問題を片付け、デュオンも折れ、婚約も済ませて翌年の挙式へ向けて準備が進む中、ローズマリーが兄の元を訪れたのは、とある冬の夜だった。

 この冬はデュオンと母、そしてローズマリーの家族三人が共に過ごす、最後の冬になるだろう。

 ノーク男爵家の領地には、冬雪が降る。それはエイベリー子爵家の領地でも変わりないが、今年の冬はいつもより感慨深い気分で仕事の手を止め、窓の外の月の光を受けて、青白く光る雪を眺めていた時だ。

 コンコンと軽く扉をノックする音がして、入室を許可すれば、開いた扉の向こうから現れたのはローズマリーだ。

「どうした?」

 短く問えば、妹は扉の外でしばしもじもじとしながらも、再度視線で促す兄の眼差しに従って部屋の中に入ってくる。

 どうやらワゴンを押してきたようで、そのワゴンに乗っているのは一本のワインとグラス、そしてつまみとなるような軽食だ。

「少し、休憩しないかと思って」

「だからワインを持ってきたのか? お前にしては随分珍しい事をするじゃないか」

 デュオンの記憶にある限り、妹が酒を運んで来たことなどこれまでにない。当たり前だ、そういったことはメイドか、あるいは執事の仕事である。しかしそれを今夜に限ってわざわざ自らが運んで来たと言うことは、彼女なりに意図があるのだろう。

 少しからかうような目で見やると、視線の先で案の定ローズマリーはいささか視線を彷徨わせながら、それでも堪えた。

「たまには良いんじゃないかと思ったの。……兄妹水入らずも、あと少しでしょう?」

 意地っ張りなローズマリーにしては、素直な言葉だった。その素直な言葉が、デュオンの心に優しく染みる。

 どうやら、来る春に向けて、少しばかり寂しく感じていたのは自分だけではなかったらしいと。

「なるほど。良いだろう、折角だからお前も付き合いなさい」

「ええ? 私、お酒は飲めないわよ?」

「たしなむ程度に覚えても良いだろう。まあ……私か、レイドリックの前以外では禁止だがな」

「もう。お兄様はやっぱり、子供扱いするんだから」

「言っただろう。私に取ってお前は、いつまでも小さな子供のままだと」

 本気でそんなことを思っている訳ではない。ただ、出来れば子供でいて欲しかったと願う気持ちは存在する……情けないことに。

 むうっと頬を膨らませながらも、しかしローズマリーはやはりワゴンを押して素直に近づいてきた。

 二つのグラスにワインを注いだのはデュオンだ。

 テーブルを間に挟みながら、向かい合わせに座り、兄妹は静かにグラスに口をつける。

 これが最後の冬だからと言う事で、特別な何かを話す訳ではない。交わす会話はその日あったことや思ったこと、式の準備についてやレイドリックのこと、そして昔の事……そんな他愛のない事ばかりだ。

 けれど妹とそんな他愛ない会話を交わしながら、デュオンはきっと今夜の時間は自分達にとって大切な思い出になるだろうと、そう感じていた。

 酒に弱い妹は、ワインを一口、二口と口にしていくらもしないうちにその肌をバラ色に染める。

 次第に言葉もあやふやになってきて、眠そうに目を擦り始めた。

「眠いのなら、部屋に戻りなさい」

「うん……ねえ、お兄様?」

「なんだ」

「……お嫁に行っても、お兄様はお兄様よね……?」

 ほんの一瞬、デュオンが口を閉ざした。もちろん妹の言葉を否定する為の沈黙ではない……その返答を正しく口にするための沈黙だ。しかしローズマリーは、そのデュオンの返答を聞き届ける前に、ふにゃふにゃとソファに寄りかかるようにして目を閉じてしまった。

 一度こうなってしまうと、彼女はなかなか目覚めない。幾つになっても幼い頃と変わらない部分を持つ妹の姿に、苦笑した。

「全く、この調子では先が思いやられるな。兄の前とはいえ、もう少ししっかりしてくれなくては困る」

 だが同時に、こんな風に気を許してくれることを嬉しくも思う。

 兄は兄か。そう彼女は言った、当たり前だ、例え嫁に行こうとデュオンが結婚しようと、兄妹は兄妹だ。その血のつながりも関係も変わらない。

 だけど。

「お前の中での優先順位が、夫に変わる……それだけのことだ」

 これから先は悩み事も困った事も嬉しい事も楽しい事も、全て自分より先に夫が耳にするようになるだろう。……いや、既にそうなっているだろう……そうでなくては困る。

 やれやれと腰を上げ、妹の傍らへ移動するとその顔を見下ろした。

 来年の春、妹は親友であり幼馴染みである青年の妻になる。改めてその来るべき未来を噛み締めた。

 それまでの間、自分には後どれだけのことをしてやることが出来るだろうか……そんなことを考えながら、静かに眠る彼女の、自分と同じ黒髪をゆっくりと撫でた。

書籍化記念として書きました。

本当はレイドリックとローズの小話にしようかなと思ったのですが、書いてみればお兄ちゃん視点に(笑)

お兄ちゃんとしては、手の掛かる妹はやはり心配で、同じくらい寂しいのかなと……気分はまるで娘を嫁に出す男親ですね(笑)


ご覧頂きました皆様のおかげで、一冊の本にして頂けました。ありがとうございます。書籍版の方も、是非どうぞよろしくお願いします。

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