北風と太陽
北風と太陽、と言う話をご存じだろうか。
平和な時代。
平和と言うのは実に喜ばしいことだがそれが続いてしまえば倦怠感を感じてしまうというのもまた事実。
それは退屈なある日、北風は太陽にとある話を持ちかけた。
「太陽よぉ、暇だからさ今からちょっとしたゲームでもしようぜ」
「……は?」
普段は温厚な太陽に気軽な気持ちで話しかけたのだが、まるで太陽は汚物でも見るような目を北風に向けたのだった。
「え、ちょ……な、あんだよその目は……」
「はあ……あのさ、北風。アンタさ、私が誰だか分かってんの?」
「え、太陽は太陽だろ?」
はあ、と太陽はまた溜息を吐いて、気だるそうに小さく「バカが」と呟いた。
「私は太陽。いい、太陽って言うのは太古の昔から多くの人間たちに崇め奉られてきたわけ。人間たちの神話の中では常にセレブ級の扱いを受けて来たわ。植物がすくすくと育つのも世界が明るいのも全て私のおかげなのよ。それにこの太陽系では私を中心に全てが回っているの。だから私は皆が一目置く絶対不可侵な超超越的存在と言っても過言ではないわけ。そこんとこドゥーユーアンダスタン?」
「い、いえす。ええと、つまり……?」
「アンタみたいなゲロカス野郎が私に話しかけるなんて100億光年早いってわけ。わかった? ゲロカス野郎」
太陽は今まで見せたことも無いくらいの満面の笑顔で北風に「ゲロカス野郎」と言った(大事なことなので二回言いました)。
「ちょ、ちょっと待てよ。俺だって、ほら『風神』とかいって人間たちから崇められてた時期もあったじゃん? だから俺と太陽は同格って言っても別に構わないっしょ?」
同格。その言葉を聞いた太陽からブチッと何かが切れる音がした。
「じゃあ、『北風』って一体何なのよ?」
「え、それはえーっと……」
「ほら、自分でもわかんないんじゃない。大気の流れ? 木が揺れてる? 波が起こってる? 雲が流れてる? でも、アンタは木でも波でも雲でもないじゃない」
「う、そ、それは……」
「ふん、所詮アンタは実体をもたない曖昧な存在なのよ。そんなアンタが気軽に話し掛けれるほど私は安い存在じゃないの。それじゃあね」
自分の存在について頭を悩ます北風をよそに太陽はどこかへ行こうとする。
「あ、ちょっと待て!」
「何よ、まだ何かあるの? アンタは吹流しのビラビラでもずっとヒラヒラさせてればいいのよ」
「ここまで言われて黙ってる俺じゃないぜ!」
何を思ったか北風はいきなり……土下座をした。
「……何のつもりかしら?」
「お願いです! 俺とゲームをして下さい!」
「いやよ」
「そこをなんとか! この惨めな北風めにご慈悲を! 太陽……様!」
北風のあまりにしつこい懇願に流石の太陽も嫌気がさしてきた。
このゲロカス野郎はそこまでして私に構ってほしいのかしら。
「……いいわ。そこまで言うならアンタのゲームに付き合ってやろうじゃない」
「マジでございますか。いやっふうぅうう! あ、言い忘れてたけど、このゲームに負けたら勝った方の言うことを何でも聞くっていうルールだからそこんとこよろしく」
「ちょ、ちょっと聞いて無いわよ!」
「言い忘れてたんだから聞いて無いのは当たり前じゃなーいんですかー? あーあ、流石の太陽さまもついに頭がどうかなっちゃたんですかねー」
「何ですって! せっかく私が情けを掛けてやったのに! いいわ、誰がゲームなんかやるもんですか!」
太陽はぷりぷり怒りながら再びどこかへ行こうとする。
「あー、いーいんですかー? “あの”高貴で皆から尊敬されてる太陽さまが“ゲロカス野郎”ごときが挑んできた勝負を投げ出すなんて。こーんなこと皆が知ったらとんだ笑い者ですねー、ぷぷぷ」
「くっ、こいつめ。ああ、わかったわよ! やればいいんでしょ、やれば!」
「うひひ、始めから素直に従ってりゃいいんで……ブヘッ!!」
太陽の黄金の左がすれ違いざまに北風の顔面にクリティカルヒットした。
北風はそのまま数十メートルほど吹っ飛んだ。
「い、いひなり、なにすんら!」
「あら、ごめん遊ばせぇ。影があまりに薄いから気が付かなくて“ちょっと”ぶつかってしまったわ」
「こ、このぉ……」
たらたらと鼻血を流す北風は顔だけじゃなくて心も傷つけられたから擦ったくらいじゃ治らないぜ!
「どうでもいいけど、さっさとゲームのルールを説明しなさいよ」
「……いいだろうルールはこうだ! ちょうど都合良くあそこを歩いてる男のコートを脱がせた方が勝ちだ!」
そう言うと鼻の穴にティッシュを詰めた北風は自分たちの真下を歩いていた男を指差した。
50代くらいの髪型に明らかに違和感のある男がロングコートを羽織って人通りの少ない道を一人歩いていた。
「あの幸薄そうなオッサンのコートを脱がせばいいのね。気分は乗らないけど、まあいいわ」
「ルールはわかったな! それじゃあ……って、何してんの?」
北風の目に映ったのはクラウチングスタートの体勢で今にも走り出しそうな太陽だった。
「え? だからあのオッサンのコートを脱がせるんでしょ」
「いや、そうだけど。まさか直接脱がしに掛ろうとか言うんじゃ……」
「もちろん、そのまさかよ」
「ちょ、ちょっと待って! そんなことしたらオッサン燃えちゃう! 200万度の高熱でオッサン焼けちゃうぅううううううぅ!!」
「大丈夫よ、熱いのは一瞬だから」
「いや、そんなことしたら地球も一瞬で終わっちゃうから!!」
北風はオッサンに突撃しようとする太陽を必死に押さえつけた。
暴れる太陽のひじ打ちや裏拳が北風に襲い掛かるがそれでも北風は耐え続け、何とかして太陽を止めることに成功した。
こうして北風のおかげで地球が救われたのである。
ま、正直どうでもいいことだけどね。
「ルール追加ぁ! 直接手を出してオッサンのコートを脱がしてはダメぇ!!」
「チッ、わかったわよ」
「よしっ、それじゃあ俺のターンだぜ!」
そう言うと早速北風は思いっきり空気を吸い込んでそのまま一気にビューっと吐き出した。
北風の吐息は突風となってオッサンの服を脱がしにかかる。
「あのさ、前から思ってたんだけどさ」
「ゼエゼエ、何?」
「アンタのそれってホントに原始的よね。超強力送風機を使えとまでは言わないけど、せめて扇か何かぐらい使ったらどうなの?」
「いや、だってこうやって息を吹いて風を作るのが伝統っていうか……」
「新しいことに挑戦しようとか思わないの? アンタってホントにつまらない男ね」
予想外の毒舌に北風はがっくりとうなだれる。
いや、でもさ、太陽も本心でそんなこと言ってるわけじゃないんだよ。そうだよ、太陽はツンデレなんだよ、ツンデレ。今流行りのツンデレなんだよ。
北風はそんなことを考えて現実に目を向けるのを止めた。
「それに見なさいよ、ほら」
「え?」
太陽がオッサンを指差した。
見るとオッサンは風が強いのでコートが飛ばないようにコートの襟をきっちりと掴んでいた。
あ、オッサンの不自然な髪型が強風のせいで吹き飛ばされた。
やっぱりオッサンはズラだったのか……。
「なんだって……俺がこんなに息を切らしてまで風を起こしてるのに逆効果だったなんて」
「あのオッサン、カツラが飛ばされてるのにコートの方に夢中ね。ま、アンタの力なんてせいぜいカツラを飛ばす程度のものなのよ」
「そ、そんなことはないぜ。見てろよもう一度やればオッサンのコートだって……」
再び風を起こそうとする北風の肩を太陽がポンと叩く。
太陽は笑顔で北風に言った。
「何度やっても無駄なのよ。所詮アンタはヅラ飛ばし要員なんだから」
太陽の毒舌が北風の心にザクザクと突き刺さる。
もうやめて! 北風のライフはもうゼロよ!
「さぁて、次は私の番かしらね」
傷心で立ち上がれず「ずっと俺のターンだぜ」とうわ言のように言っている北風を完全に無視して、太陽は両手を大きく上に上げた。
「気温上昇! エターナルフォースパイロキネシス!!」
太陽が中二病よろしくな叫びを上げるとなんと地球の温度がみるみるうちに上がっていった。
まるで真夏のような、いや、それ以上の暑さ。
ジリジリと焼けつくような日差しがコンクリートジャングルを焦がす。
温度計を見ると既に摂氏40度を越えていて、しかもまだまだ上がり続けている。
もはや地球温暖化とかそういう問題ではない。
「こんな暑さの中じゃ流石に服なんて着てられないでしょ……って、アレレ!?」
太陽が驚きの声を上げるのも無理は無い。
この立っているのもやっとなくらいのクソ暑さの中、オッサンは信じられないことにその暑苦しいロングコートを着続けていたのだから。
「何でよ、どうしてよ」
「ふふふ、太陽。お前は判断を間違っていたようだぜ」
「!? どういうことよ、北風!」
「お前は暑くなればオッサンが脱ぐだろうと考えていた。だが、アレを見ろぉ!」
北風はビシィッとオッサンの方を指差した。
見ると汗をダラダラと流し、コートが汗で色を変えているにも関わらずオッサンは恍惚の表情を浮かべていた。
テカテカと光り出すオッサンの額。その顔はこの上も無く幸せそうだ。
「ひっ、あのオッサン変態じゃないの!?」
「そうだ。あのオッサンは変態なんだ。自分を極限状態まで痛めつけて快楽を得る、所謂『マゾヒスト』だったんだよ!」
「そ、そんなことが……」
「しかし、太陽のターンが俺より先だったらオッサンは服を脱いでいたかもしれないな」
「それはどういう……はっ! まさか、ヅラが!?」
「その通り! ヅラが無くなることでオッサンの体感気温は格段に下がる。だからオッサンはこの異常な暑さの中でも自分を痛めつけることに徹することが出来るんだよ」
「まさか、アンタここまで考えてズラを飛ばしたの!?」
「ははは、どうかな」
北風、侮れないヤツ。
太陽が心の中でそう思っている一方、北風は咄嗟にかましたハッタリが功を奏したことにホッと胸を撫で下ろしているのであった。
「ところでこれじゃあ勝負はどうなるのよ。引き分け?」
「いや、第二回戦で勝負を決めようじゃない……」
「あ」
「あ」
太陽を北風の口から不意に洩れた「あ」の音。
驚いたような顔をした二人の目線の先には先程のオッサンがいて、ちょうどオッサンの前を若い女の子が通り過ぎようとしていたところだった。
『ふひひ、お嬢ちゃん。ほーらぁ』
オッサンはおそらくそのようなことを言ったのだろう。
というのもすぐに女の子の叫びでオッサンの声が掻き消されたからだ。
何が起きたのか?
もうお分かりだろうがオッサンはその女の子の前でついにコートを脱いだのだった。
無論、そのコートの下は一糸まとわぬ生まれたままの姿。
キャアアアアアアアアアアアという女の子の叫びが天まで轟く。
「…………」
「…………」
「あのさ、私帰るわ。変なもん見て気分悪くなった」
「え、ちょっと太陽……さま!」
「あー、もう勝負はアンタの勝ちでいいわよ。じゃーね」
そう言うと太陽はスタコラサッサと北風の前から消えてしまった。
そこにはただ何とも言えない虚しさを覚えた北風が一人取り残されているだけだった。
北風は一応勝負に勝った?のだが、これで太陽にデカい顔が出来るようになったと言うこともなく。
むしろこの意見以来、太陽は北風のことを避けているようだし、北風と会ってもそのまま気まずそうな顔をしてサアッとどこかへ行ってしまうのだ。
これは関係が悪化したってことじゃないのかな、カナ?
「どうして俺がこんな目に会わなきゃならないんだー!」
ほら、耳をすませば今日もどこかの空で北風の哀しい叫びが聞こえてくるだろう?




