1・春の朝に赤い毛糸玉が起こす奇跡
朝、高校に向かう駅からの通学路。
明るい日差しが柔らかく差す桜が舞うその通りは、この時間は学生しかほぼ居ない。
そんな中、地面の点字ブロックと歩道の白線を見ながら歩く僕の目線の中を、珍しい物ではないが、そこにあるのは不自然な物体が横切る。
【赤い毛糸玉】だ。
風に舞う様にコロコロと僕の足元に纏わりつくように転がる。
蹴ってしまいそうになるが、かと言って拾い上げるのもどうしようか?という感じで悩みながら歩いていくと、僕の歩くスピードを越えて毛糸玉は転がり始め、先に行く。
転がった先には、『彼女』が居た。
校則に従って膝下まであるスカート。
無駄無く彼女にフィットした制服は彼女の為にデザインされたかの様だ。
腰まであるストレートヘアは漆黒の艶を保ち、サラサラと風に揺れている。
後ろ姿だけでも『彼女』と分かる美しいフォルム。凛とした立ち姿で無駄のないその美しさと聡明さを体現している。
崎高の奇跡、大和撫子の真骨頂…
――古賀澤はるか
崎高内で知らない者は居ないとまで言わしめる彼女が、毛糸玉を追って僕の上げた視線の先に入る。
彼女はその雰囲気から周囲に人が群がるタイプではない。
これだけ周囲に多くの学生が居ても、僕とは違う理由で彼女は孤高だ。
その彼女の足元まで転がった毛糸玉はそのスピードが弛み、彼女の周りに纏わりつくように転がる。
彼女はその視界の端に捕らえたのか毛糸玉の動きを追うように歩みながら視線を送る。
僕は毛糸玉と彼女の僅かな戯れをそのまま視線で傍観しながら後を追う。
別にストーキングしている訳ではない。彼女も同じ学校に向かっているだけだ。
やがて、毛糸玉は転がるペースを落として僕の方に戻るように転がる。
彼女の視線が必然的に後ろを振り返り、僕の視線と毛糸玉という違和感と共に交わる。
彼女は僕の視線に気付くと少しはにかんだ様に笑った(気がする)と思ったら、軽く会釈をしてくれた。
釣られて僕も会釈したが、本当に僕に対してなのか確信が無かったので、かなりぎこちない対応だったとおもう。
……余りの出来事に動悸が凄かった。
毛糸玉はそのドサクサで見失ったが、どうでも良かった。
僕の名前は国木戸健一。
この春高校二年生になった。
沿線に生えた桜並木の元、最寄り駅から少し戻って行くと山間に見えてくるのが観音崎高等学校。
普通科と特進科が併設されている。
自分で言うのもなんだけど、僕は普通科に通う雑草みたいな存在だ。
古賀澤さんは、特進クラスの実質トップらしい。
その孤高な姿は誰も寄せ付けない高貴さを持ち、その容姿の美しさも相まって崎高の奇跡と呼ばれているが、どんな気持ちで普段生活しているのだろうか?
朝のあの僕と視線が交差した感覚が忘れられない。
彼女と視線が合った時に、電気のようなショックというか、頭の芯がしびれる感覚に襲われるのは初めてで、地味に目立たない様に生きている僕の人生で、本来機会のない感覚なのだろうと認識する。
恐らくあれだ「至高の芸術に遭遇した時の衝撃」みたいな奴だとおもう。
知らないけど。
それはさて置き、いや、さて置けずだからこうして今もそのことだけを考えているのだが…足元に転がる毛糸玉、それに視線を奪われて後ろを振り向いた仕草、流れる髪の毛をたくし上げる手先の動き、翻るスカートとそこから見える美しい脚。ギャルの様に着崩しているわけでもなくそれでも無駄のない体のラインを包む制服。
そしてその視線が僕の視線と交差したときの少し驚いたような瞬間と目線と、最後の軽い会釈…
ずっとずっと僕の頭の中でリピートを繰り返す。
いやいやいや、そうじゃないその前の違和感だって…
そう、赤い毛糸玉だ。
駅から高校までの通学路は線路沿いに一直線、人によっては逆戻りになるが桜並木沿いのわずかなこの道を毎日通り、今年の春で二年目に入ったこの道は、途中コンビニがなく、小さな商店と文房具屋以外は自販機もない。
つまり、毛糸玉が落ちているいわれがない。
不思議であった。結局、古賀澤さんに目を奪われた後に見失って、もう一度周囲を見渡したが見つからなかった。
まあ、たまたま誰かが手芸の毛糸玉を持ち歩いていて、落としたのかもしれない。そうに違いないと想像してそれ以上は考えないようにした。
授業中にくだらない妄想をして真面目にやらなかったとしても、誰も僕のことは咎めない。
窓際に座り、春の日差しに照らされてボーッとしていても、誰も気にしない。
テストの成績は良く無い。が、赤点でも無い。
スポーツは苦手だけど走れないわけでは無い。
真面目じゃ無いけど、不良でも無い。
オドオドし過ぎていじめられないし、いじめもしない。
ただ、僕は少しだけ普通じゃない部分もある。それを隠して生活している。
コロナ過が小学生の時に起きてからは、僕は大きなマスクを常につける様にしている。
空気の様な存在。
モブに徹する。
皆んな人それぞれだけど、承認欲求を持っていることは知っている。一見同類に見える生徒でも、裏でSNSで暴れている人も居れば、インスタやTikTokで懸命に盛って画像や写真をあげるクラスメイトもいる。
僕は…SIMカードの入っていない、母のお下がりを持っている。電話は当然使えない。Wi-Fiはフリーで使えるところ以外では繋がらない。
そして家にはネットは無い。
一時期は登校途中の繁華街駅で降りてフリーWi-Fiを拾って情報収集を試みたが、ズレた時間帯で繋がれる友人など作れるはずも無く、早々に諦めた。
学生生活に希望を持てない僕は、高校無償化(授業料免除)のお陰で学校に通っているものの、早いところ就職したいと考えていた。
赤い毛糸玉の出現は、全てを封鎖して灰色に徹しようとしていた僕の視界と思考を簡単に破壊してしまった。
あの古賀澤さんとの邂逅は、どうしょうもなく矮小な僕の心を一瞬で桜色に塗りつぶしてしまった。
別の場所に掲載されていた作品の微調整再掲載モノになります。




