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第九話 黒猫

 窓から差し込まれる太陽光が目に当たり、目が覚める。

「ふぁあ、よく寝た⋯⋯気がする」

 大きな欠伸(あくび)をして、目を擦りながらそんな言葉を呟く。

 ソファから飛び降り、ちらりとエルナの眠っているベッドの方へと視線を向ける。

 エルナは普段早起きで、しっかりとしているやつだが、昨日よほど疲れていたのか、今も小さな寝息を立てて眠っていた。

 ふと、エルナの使っていた毛布が2/3(さんぶんのに)ほどずり落ちている事に気がついた。こいつと出会って2日くらいしか経っていないから、というのもあるが、意外な寝相の悪さに少し驚く。

「バカ、風邪引くぞ?」

 そんな独り言を呟き、起こさないように、そっと毛布をかけ直してやる。

「んん⋯⋯むにゃ⋯⋯」

 エルナがなんとも幸せそうな表情で、小さくそんな寝言を呟いた。

「幸せそうに眠りやがって⋯⋯俺が悪い奴だったら、とか思わないのかよ」

 言葉を返すみたいに、エルナがふふっと小さく笑った。その表情は本当に、心の底から幸せそうな表情だった。


 俺は1人、家の外に来ていた。ちなみに、エルナは未だに眠っている。

 俺は近くにあるベンチに座り込み、小さくため息をついた。

 どんな夢だったかは覚えていないが、とても気持ちの悪い夢を見た覚えがある。だが、その内容を思い出そうとすると、まるで霧がかかったかのように思い出すことができなかった。

 こういう時、他のやつはどうしているんだろうか。

 そんな事を考えながら、俺は空を見上げた。

 今日は本当にいい天気で、白いキャンパスに水色の絵の具をムラ無く塗ったみたいに綺麗な雲一つない青空だった。

 俺が空を見つめ、物思いにふけっていると、ベンチのすぐ後ろの茂みがカサカサと揺れた。どうやら何かがいるらしい。

 俺は茂みの方へと視線を向け、少し身構える。

 だが、その必要は無かったらしい。茂みから何かが飛び出したかと思えば、ステップを踏んで俺の膝に乗ってきた。

 恐る恐る視線を向けると、そこにいたのは黒猫だった。

 俺は安堵すると同時に、その黒猫をそっと抱きかかえる。

 黒猫はとても綺麗な毛並みをしており、ピンク色の肉球が毛と毛の間からチラチラと見え隠れしている。目はオッドアイと呼ばれるもので、右が黄色、左が緑色となっていた。

「お前、どっから来たんだ?」

 そんな事を黒猫に問いかける。

 だが、黒猫は口を開こうとしない。代わりに、黒猫のお腹が小さく鳴った。

「お腹減ったのか?すまんが、今は持ち合わせがなくてな」

 そう言うと、黒猫は少し残念そうな表情をした。その表情に、少し心が傷んだ。

 どうしたものか、と俺が悩んでいると、1つの案が浮かんできた。

 エルナの家に行けば、何かしらあるかもしれない。キャットフード的なものは無いかもしれないが、ミルクやハムの一切れくらいは置いてあるだろう。

 そうと決まれば、急いで帰るとしよう。

 俺は黒猫を赤ちゃんのように抱きかかえ、帰路についた。


 家についた俺は、黒猫を落っことさないように慎重に扉を開け、中へと入った。どうやらエルナはまだ眠っているらしく、物音1つ聞こえなかった。

 はたから見れば猫を抱えた盗人だな。

 俺はそんな事を考え、思わず苦笑する。

 ゆっくりとキッチンへと向かい、黒猫でも食べられるようなものを探す。探し始めて2、3分ほど経った頃、包装されたハムが見つかった。残念ながらミルクは見つからなかったが、ハムが見つかっただけマシだろう。

 俺はハムを1枚取り出し、食べやすいように小さく千切った。

「ほら、お腹空いてんだろ?これでも食べてろ」

 ハムの入ったお椀を黒猫の前にそっと置く。

 黒猫は警戒しているのか、お椀をじっと見つめたまま動かなかった。

「食べないのか?じゃあ俺が食べてしまおうか──痛っ」

 俺がそんな冗談を口にし、手を伸ばしたその瞬間、俺より何十倍も速い速度で黒猫の足が動き⋯⋯手の甲に傷をつけた。チクチクとした痛みとともに赤い血が滲み出す。

「猫の世界には冗談って概念は無いのか?まったく⋯⋯」

 そんな事をぼやき、なんとなく黒猫に手の甲の傷を見せる。

 その時、黒猫の目の色が変わった。獲物を見つけた獣のような目に、思わず身じろぎをする。

 ゴクリと生唾を飲んだ瞬間、黒猫が思い切り俺の手に飛びついた。

 俺はそれを避けきることができず、その場に尻餅をついた。

 な、なにをする気だ⋯⋯?こいつ、ただの猫じゃないのか⋯⋯!?

 そんな事を考えていると、傷口に湿り気のあるザラザラとした何かが触れた。見ると、黒猫がペロペロと傷を──いや、血を舐めていた。それも、とても美味しそうに。

「や、やめろこの野郎!」

 黒猫の首根っこを掴み、傷に目をやる。

 野良猫に傷口を滑られたのだ。感染症にかかる可能性もあるだろう。一刻も早く何とかしなければ──は?

 俺は目を疑った。

 手の甲には確かに血がついていた。だが、引っかき傷はどこにも見当たらない。血はあっても、出血の原因がどこにも無いのだ。

 恐る恐る傷があったはずの場所を触る。

 猫の唾液の混じった血液が指につく。だが、痛みはない。本当に傷が消えただなんて、信じられない。

「⋯⋯何してるんですか?神楽さん」

 俺が困惑していると、いきなり背後からそんな声が聞こえてくる。

 振り返ると、そこには眠たそうな目を擦るエルナが立っていた。どうやらつい先程起きたらしい。

「いや、特になにも──は嘘になるな⋯⋯」

 俺は小さくため息を付いた。

 ちらりと、俺の背後で顔を洗いながら座っている黒猫を見やる。よくわからないが、こいつが傷や血を舐めた途端に怪我が治った⋯⋯間違いなく普通の猫ではないだろう。

 であれば、考えられる可能性としてはこいつが”魔物”であること。実際傷が治っているし、俺の血液を美味しそうに飲んでもいた。可能性は高いだろう。

 だが、そうなってくると心配なのが、エルナだ。

 エルナに事情を話せば、きっとこの黒猫は殺されてしまうだろう。

 別に愛着があるわけではない。ただ、自分からここに連れて来ておいて見殺しにするのは⋯⋯神としても、人としてもどうかと思う。

 一体、どうしたらいいんだ?

 俺がそんな事を考えていると、しびれを切らしたのかエルナがゆっくりと俺の方へと近づいてきて──そのまま、視線を黒猫の方へと向けてしまった。

 しまった、と思ったのもつかの間。エルナは目を見開き、そして──

「へぇ、珍しいですね、黒色のルーナだなんて。どこで見つけたんですか?神楽さん」

 そのまま黒猫を抱きかかえた。

「え?あ、いや⋯⋯散歩してたら飛びついてきて⋯⋯」

「ルーナは人懐っこいですからね。納得です」

 エルナが黒猫の頭を優しく撫でる。黒猫は気持ちよさそうに目を閉じてクルクルと鳴き始めた。

「なぁ、さっきからルーナって⋯⋯」

「あれ、知らないんですか?ルーナは生物⋯⋯主に人間の血液を摂取して、それを糧に癒やしの効果を与えてくれる善良な魔物なんですよ。大抵白い子が多いので、この子みたいな黒毛は珍しいんですけどね」

「癒やしの効果⋯⋯」

 俺は小さく頷きながら、エルナの言葉を復唱した。

 なるほど、それなら俺の怪我が治ったのも納得だ。

「それよりも、このハムは何ですか?まさかルーナに与えようと⋯⋯?」

「え、あ、すまん。すぐ片付けるよ」

 俺はそそくさと地面に置いていたお椀を片付ける。その間も、黒猫──ルーナはクルクルと気持ちよさそうに鳴いていた。

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