1話
六限目の終わりを知らせるチャイムがなった。
影を落としている空とは対照的に、恒一の心は晴れている。晴れている、というよりも日の光が強力すぎて雲が意味を成していない、というほうが正しいだろう。
高揚感が止まらなくなって、入学してからまだ二ヶ月の足は速足で四階へと向かう。
部活に入ってからはいつもこうだ。クラスメイトに変人だと思われていると思うと、身震いしてしまう。
四階は一般的には使われていない。四階は他の階と同じくトイレや教室がある、人がいないということ以外は他の階と何ら変わりない。その空き教室は換気が行われていない。梅雨の淀んだ生暖かい空気が溜まり、日の光がないこともあって、いかにもな雰囲気だ。
そんな教室を何度か見送って突き当たったところの『オカルト研究会』のネームプレートが付いたドア。それが目的地だ。
いつものようにドアノブをひねる、ドアがきしみ、建付けの悪さからか所々で引っかかる。
部室は10帖ほどで、理科室か何かの準備室を再利用して作られたらしい。
埃のにおいが鼻をさす。恒一はその臭いが嫌いではなかった。むしろ安心した。
部室の真ん中には、四人ほどが掛けられそうな机と椅子、その左右には壁を覆いつくすほどの本棚があり、そこには幽霊、妖怪、UMA、都市伝説、その他諸々のオカルト系の書籍がずらっと並んでいる。ここにはオカルトに関わるものなら何でもあると言っていいくらいだ。
恒一はこれを目当てにオカルト研究会に入り、入り浸っている。
ここに入り浸っているのは恒一だけではない。もう一人。白石ひより、という人がいる、白石先輩は二年生で、あろうことか部室に私物を持ちこんで、まるで部室が自分の家かのように振舞っている。前、なぜここで、そんなことをしてるのか聞くと「家はめんどい」と返ってきた。
そんな白石先輩は持ち込んだテーブルの奥にある、一人掛けのソファーで、ポテチ片手に持ち込んだテレビ台にテレビを乗せ、ホラー映画を見ている。
恒一はため息をもらす。
「先輩、こんちは」
「………」
恒一の声は聞こえているのか聞こえていないのか、白石先輩は中型テレビに食い入っている。
恒一は虚を突かれたような感じがして、黙って机に向かった。
白石先輩の食べ物の残骸や参考書、ゲーム機、DVDのパッケージ、などが散乱した机の上。恒一はそこにあるはずのものを探して机の上に目を滑らせる。結局、手で数々のゴミたちを手で除けながら探した。ついにそれが視界に入ると無意識的に口角が上がる。
それは。昨日まで読み進めていた本だった。
今、読み進めている本は、様々な怪談が100以上詰め込まれているもので、一つ一つの話のクオリティが高く、高評価を受けている。
この本は、部室の本棚から取ってありがたく読ませてもらっていた。
恒一は胸を躍らせてしおりが差し込まれているページを開く。隣でホラー映画が流れていて、その不安定なおどろおどろしいBGMのせいでいつもより一層、緊張感がある。心臓が冷たい恐ろしい手で触られているようだ。
恒一はその感覚が好きだった。怖いもの、未知なものに触れるとその感覚に襲われる。そのスリルのようなものにハマっていた。恒一のそれはバンジージャンプやパルクールにハマるのと近いのだろうか。
一文字、もう一文字、次々と目で字を追う。何でもないような文でさえ恐ろしいものに思えた。
物語がクライマックスに近づいてきた。ページを支える指が汗ばんで紙に滲む。
BGMも盛り上がりを見せている。
「ぎゃぁぁぁぁぁあああああああ!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!」
どこからともなく聞こえる叫び声に、体が跳ね、恒一は思わず絶叫し、手に持っていたオカルト本を放っていた。
そして、その驚いた反動で膝を机の裏につよく打った。
「いったぁぁ…」
恒一はあまりの痛みに机に伏せる。思わず膝をさするが、びっくりした膝と心臓がおさまるのは簡単なことではない。
痛みが和らいでくると叫び声の主に怒りが湧いてくる。
部室にいるのは、恒一を除いて一人しかいない。そう。さっきの叫び声はおそらく白石先輩のものだろう、ホラー映画のビックリ演出で叫んだに違いない。
「コウくん!だいじょうぶ!?」
白石先輩らしき人から名前を呼ばれ顔を上げる。
茶髪のツインテールがひらひらと揺れていて、整った顔が目に入る。目を見ると心配半分嘲笑半分といった具合がよく見て取れた。
「大丈夫じゃないですよ!先輩のせいなんですからね」
恒一は白石先輩の目をにらむ。
「すごい音だったよ、ドカーン!って」
白石先輩はかわいらしい顔をしてクスッと笑う。
恒一は悪びれない先輩の態度を見て一瞬ひるんだ。
「そもそも、先輩ホラー映画苦手でしたよね!?」
「友達が面白かったって言ってたから……つい。てへぺろ」白石先輩はグーを作ってオデコあたりに当てて、舌を出す。
「てへぺろ、じゃないですよ――」
その時、部室に木のきしむ音が響く。ドアの音だ。恒一の目がドアに釘付けになった。
何回か引っ掛かりながらゆっくりとドアが開く。突然の来客に、助けを求めるような感情で白石先輩のほうを見ると、白石先輩には珍しく顔に緊張が走っていた。
今までのじめじめとした空気は一変して攻撃的で冷たい、張り詰めたものになった。そこから出てきたのは、艶やかな長い黒髪に長い手足と高い身長。清楚という言葉がよく似合う女性だった。
恒一は思い出す、黒瀬由奈先輩だ。
黒瀬先輩は、ほとんど部室に姿を現さない。いわゆる幽霊部員のようなものだった。
恒一は彼女とあったのはこれが二度目だ。初めて会ったときは、挨拶を済ませ、すぐに去って行ってしまった。
彼女の第一印象は「どこまでも冷たい人」だった。
「先輩…こんにちは…」
恒一は果敢に話しかける。仲良くしたかった。
黒瀬先輩は、こちらを一瞥して言う。
「黙れ。しゃべりかけるな。」
その声を聞いた途端、胸元に包丁を突きつけられているのかと錯覚した。平坦な、感情など存在していない声だった。極めて事務的で冷徹な声。恒一の表情は歪んだ。
黒瀬先輩はこちらの存在を認識していないように、中央の机にスクールバッグを置く。彼女はスクールバックから次々と本を取り出し始めた。次から次へと出てくる書籍に恒一は口をぽかんと開けることしかできなかった。
四次元ポケットから出てきたその本たちは、山を作っていた。それは、恒一にとって宝の山だった。
そのオカルト本たちが一つ一つ、黒瀬先輩の長細いけれど、どこか力強い手によって本棚に収納されていく。
まさか、この本を黒瀬先輩が持って来ているなんて思いもしなかった。そもそも誰が用意しているなんて意識したことがなかった。当たり前にあるものだと思っていた。
恒一はいてもたってもいられなかった。
「黒瀬先輩。本、ありがとうございます!」
「…あなたのためじゃない」先輩は蛇のような目で、変わらず平坦な声で言う。
「…でも、助かってるし――」
「大きなお世話よ」
恒一はたじろいだ。逃げ出してしまおう、とも思った。
「手伝いますよ」
恒一はそれでも口を開いた。それは、本を持ってきていることへの有り余る感謝の気持ちなのか、ナンパのようなものなのか、単なる興味なのか恒一にはわからなかった。ただ、この人に関わらないといけない、そんな気がした。
「触らないで」
本を手にしようとした途端、声で制止される。鋭い明らかに攻撃的な声。胸元にあった包丁が、心臓を貫いた。
「あなたに手伝ってもらうことなんてないし、邪魔」
黒瀬先輩は言い終わった後。何事のなかったかのように、本棚に向き直った。
恒一は呆れた。
ここまで手を差し伸べているのに、仲良くしようとしているのに、そのすべてを無視した挙句、攻撃的な言葉を並べる。そんな人はまともであるわけがない。この人とはもう関わらないようにしよう。
バン!!
突然、背中に衝撃を感じる。「ぬあっ」と情けない声を出して反射的に振り返る。
そこには白石先輩がいた。白石先輩はいたずらに微笑む。
恒一は面食らった顔をした。
「コウくん、帰ろっか!」
先輩の手にはスクールバックが握られていて、帰る気しかないように見える。
突然の出来事でためらっていると、白石先輩は恒一の手首をぐいぐいと引っ張る。彼女の力は強く、じたばたと暴れる恒一を一方的に引っ張っていく。手首がパンパンに腫れそうなほど強い力で握られていて、「痛い!」という抗議も受け入れられないようだ。
恒一は必死に自分のスクールバッグを確保して、おとなしく白石先輩に引きずられた。
部室から出る時、黒瀬先輩がこっちを見ていることに気づいた。蛍光灯ただ一つだけに照らされる不気味な部室の中にいる黒瀬先輩の目は薄く濁っていて、寂しそうだった。




