したのか、家康 完
本多弥八郎正信
「殿らしき方が、ここからすぐ近くの村にて身を隠しているとの情報を得ましてございます」
顔を伏して夏目広次に報告した。
「すぐ向かう。道案内を頼む」
広次はそう言うと、二十人ばかりの配下を従えて己の後に続く。
己をいぶかしむ様子はなかった。
広次とは、まだ松平と名乗っていた徳川家康に家臣として仕えていた頃に何度か顔を合わせたことがあった。それに三河一向一揆では共に反家康方として共闘した仲でもある。己は上野城、広次は野羽城と守る城こそ違ったが、一度だけ連携を取るために野羽城へいき、広次と対面したこともあった。
先頭を行く。己が本多弥八郎正信であると広次が気づいた様子はない。
はずれの村に辿り着いた。
そこには家康とその旗本衆三十人ばかりがいた。
家康がこちらに気が付くとわずかに頷いたのが見えた。
広次が家康のもとへ駆け寄っていく。
「夏目か。そちには城の留守を任せていたはずであるが……」
家康は生をあきらめたような顔を作っていた。
「すでに多くのものが城へ落ち延びておりまする。ここは浜松城までもそう遠くはございませぬ。急ぎ城へ参りましょう」
広次は勧めるものの、家康は頑としてそれを拒んだ。
その様子を正信は後ろから眺めていた。
「ならば、やむを得ますまい」
家康はかたくなに戦場に赴こうとする。それを広次は後ろに控えていた配下の者に無理やりにでも浜松城へ連れて行くよう下知した。
次の瞬間には広次は殿の名を名乗り、戦場へと駆け出していった。
己は家康の右腕を両脇に抱えるようにし、追いかけようとするのを押さえ込んだ。
何か、匂う。
甲冑の錆の匂いと、汗の匂いの他に不快なものが正信の鼻をついた。
肥しのようなそれである。
まさかと思ったが、今はそれどころではない。
家康を宥めつつ騎乗させると、浜松城へと先導した。
曲輪の内はすでに手当てを受ける者や、誰かを探し求める者でいっぱいになっていた。
天守閣に入ると、その一間に二人きりで向かい合って座った。
「武田信玄。やはり、踏んできた場数が違う。全く歯がたたなんだわ」
家康はくつろいだ様子で天井を仰いだ。
「いえ、殿も大将として見事な指揮ぶりでござった」
「それは冗談で言っておるのか。おぬしらしくもない」
家康は改めて己の顔をじっと見た。
「して、弥八郎。命じていた本願寺門徒の件、首尾を聞こう」
「殿もすでに報告を受けており、御存じかと」
「改めておぬしの口から聞きたいのじゃ」
「さすれば申し上げます」
正信は唇を嘗めた。
「武田に内応を企てていた鳥居四郎左衛門忠広、武田軍との戦いにてお討ち死にいたしました」
「うむ。やはり先陣に置いたのは正しかったのだな。しかし、あの四郎左衛門がまことにわしを裏切ろうとしていたのか。いまだに信じられん」
「はい。私の手の者を彼の屋敷に遣わし、武田内応を誘ったので間違いございません」
「しかし、あの藤蔵までも裏切るとは思わなんだ」
家康はあからさまに落胆の表情を作った。
「あれは危ういところでしたぞ。私が四郎左衛門の討ち死にを伝令のふりをして報告せねば、あの場で殿は成瀬殿に切られていたやもしれませぬ」
武田との戦がはじまり、半刻がたった頃であった。
敵軍に切り込んでいく鳥居四郎左衛門に裏切る様子がないのを見届けると、幔幕の張られた本陣に向かった。
ちょうど伝令のふりをして幕の中に入った時であった。
四郎左衛門と共謀し武田内応を企てていた藤蔵が殿の背後で刀を抜こうとしていたのである。藤蔵が徳川を裏切るであろうことは彼の屋敷を配下に見張らせていたため、明らかになっていた。
実際には四郎左衛門が死んだことは確認していなかったが、正信は伝令のふりをして家康にこう告げた。
「鳥居四郎左衛門殿、お討ち死に」
彼の死を知ったのはこの少し後のことであった。結果的には嘘にはならなった。こうでも言わねば藤蔵はあの時、家康を切っていたかもしれなかったのである。
これを聞いた藤蔵は、殿の身代わりとなり時を稼ぐと言って戦場へと駆け出していったのである。
「四郎左衛門は武田の将、土屋との一騎打ちで首をかかれたと言っていたではないか。あれは嘘だったのか」
「はい。土屋の隊と思われる敵と交戦していたのを見ましたので、一騎打ちの末ご討死、ということにいたしました。成瀬殿には鳥居四郎左衛門殿に裏切る意志はなかったとあの場で明確にしなければならぬ、ととっさに思いついた嘘にございます」
「左様か。まさか藤蔵にまで裏切られようとはな。ところで」
家康は疲れたと言わんばかりに自らの肩を揉みながら続けた。
「ところで、夏目広次も武田に内応しようとしていたのか。三河の一向一揆のとき、温情をかけてやったというのに」
広次の死は先ほど浜松城に帰り着いた直後に知らされていた。
敵に対しても徳川家康だと名乗り、殿の身代わりとして死んでいったらしい。
「いえ、夏目殿に裏切る素振りは微塵もございませんでした」
「しかし、村にいたわしのところに広次を連れてきたのはおぬしではないか」
「夏目殿は心から殿に恩を感じていたようにございます。それゆえに殿のもとへ案内したのでございます。夏目殿ならば身命を賭して殿を守ろうとするであろうと思ったのでございます」
事実を語った。
「さすれば、これで一向宗が再び三河で起つときがあれど、それを指揮する将はいなくなったと思ってよいのだな」
家康が本当に恐れていたこと。それは武田と三河の本願寺門徒が手を組むことであった。
信玄は此度の戦において、上洛することを最終の目的としているようであったが、京都は家康の同盟者である織田信長が支配していた。そこで信玄は、反織田勢力の一角である大阪本願寺と同盟を結び、上洛の際には連携して信長をつぶそうと画策しているらしかった。
武田と本願寺が手を組むと、想定されるのが三河一向一揆の再燃である。大阪本願寺が三河の門徒衆に蜂起を促す可能性が浮上したのである。
家康が一番危惧していたのは、このことであった。故に己が徳川家に呼び戻されたのである。
己は三河一向一揆で反家康側につくと、上野城にて抵抗を続けていた。己は心から浄土宗を信仰していた。故にそれを軽んじた家康に反旗を翻したのである。
しかし正信は、松平軍との戦いで痛いほど思い知らされた。
頂に立つ絶対的な君主が必要である、ということにである。
一向宗の者たちは、各々の城に籠るとそれぞれが思うがままに戦をしていた。
夏目広次が籠る野羽城へ一度赴いたことがあったが、すでに広次に戦意は感じられなかった。ほかの城に籠る一向宗と連携し松平打倒を図ろうとしていた正信は、広次の態度をみて絶望したのである。
頂に立つ存在。
意を統一し、衆をまとめる存在。
それが戦においてどれほど重要であるかを実感した。
野羽城の広次が降伏すると、一向宗の敗北は決定的となった。
正信もそれから間もなく家康に降った。
家康に直々に呼び出されたのは、降伏の書状を配下の者に届けさせてから数日後のことである。
家康は二人きりにするよう侍従を下がらせてから正信にこう言った。
「本多弥八郎正信。おぬしの帰参を許す。しかし、条件がある。数年間は、諸国の情勢を探ってほしい。何かあればすぐに知らせてくれ」
家康は表向きには己の帰参を許さず、三河追放処分とした。
しかし、三河を去ったのちも使者を介して正信は家康と連絡を取り合った。いわば各地の情勢を探らせる密偵のような活動を家康は己に課したのである。
そして元亀三年(一五七二)、信玄が攻めてきた。
正信は家康に再び呼び戻された。八年ぶりの対面である。
「弥八郎、おそらくわしは武田との戦に敗れるだろう。だが、岡崎に残してきた家族だけでも守りたい。岡崎から浜松に本拠変えを行ったのは武田の侵攻に備えるためだ。しかし、ある噂が流れておる。信玄が大阪本願寺と手を組んだというのだ。そこで厄介なのはおぬしらのように浄土宗を信ずる本願寺門徒だ。大阪本願寺が三河の門徒たちに蜂起を促したらば一大事じゃ。内部崩壊だけは避けねばならぬ」
家康が正信に密かに下した命。それは武田の遠江侵攻に乗じて徳川家に反旗を翻し再び一向一揆を蜂起させようとする人物を洗い出すこと。そして、その始末をすることであった。
二人の家臣の名が挙がった。
夏目次郎左衛門尉広次と鳥居四郎左衛門忠広である。
始末の方法は、戦で討ち死にする方法を取ろうと正信は決めていた。
まずは夏目広次である。
己の手の者を武田の使者と名乗らせ、徳川を反目するよう誘わせた。後で聞いたことだが、その使者は一刀のもとに切られたという。あの広次に、である。決して激することがなく温厚で知られていた彼にだ。
(夏目殿は徳川を裏切らない)
正信は遣わした者がいっこうに帰ってこないことでこう確信したのである。
次に鳥居四郎左衛門を探った。
同じように偽の武田使者を三度遣わした。三度目に四郎左衛門は徳川を裏切る旨を告げたらしい。
戦では彼を先陣に配置するよう家康に進言した。
遣わしたのは偽の使者ではあるが、万が一にも味方の情報を武田に漏らすようなことや、家康の首を狙うようなことがないよう戦の最中、監視を続けていた。しかし、寝返る様子は最後まで見せなかった。
想定外だったのは成瀬藤蔵正義である。裏切る素振りはしていたものの、武田内応に乗り気には見えなかったのである。
しかし、殿の命を奪おうとしていた。たまたま本陣に己がいたからよかったものの、もしあの場にいなければと思うと背筋が凍る思いである。
二人の間に沈黙が下りる。
その沈黙を破ったのは正信であった。
「殿、武田軍はいままさに、ここ浜松城へ攻め寄せてくるでしょう。何か方策は立てておられるのですか」
家康の表情を窺ったが、そっぽを向いたきり頬を掻くばかりでいっこうに返事をする様子がなかった。
おそらく何も考えていないのだと正信は悟った。
「ならば空城の計で一晩は城を防ぎましょう」
「空城の計だと……。なるほど」
家康は、自嘲するかのように苦笑いした。
空城の計とは、城門を開け放ち、城内に入れば罠が仕掛けられていると敵に錯覚させ警戒させることで城を守る戦術である。敵に見破られれば味方が全滅するという危険極まりない作戦だが、正信はこの状況こそ有効であると確信していた。
「それと、もし城の北方にある犀ヶ崖付近に敵が野営するようなことがあれば、夜襲を仕掛けるのがよろしいかと」
あの付近は夜目では認識しづらい崖があり、夜襲にはうってつけの土地であった。正信は籠城戦に備えて事前に浜松城の周辺を見て回っていたのである。
「分かった。すぐに備えさせよう」
家康は家臣にこのことを伝えようと立ち上がった。
その時、足首に何か茶色い物体がこびりついているのを正信は見た。
「殿、足に何かついております」
家康は足元に視線を落とした。
「これは非常食用に持っていた焼き味噌じゃ。いつの間にか布袋から落ちたのだろう。洗い落とすために行水せねばな」
家康はそう言いうとそそくさと部屋から立ち去っていった。
「脱糞……したのか、家康」
深い溜息がこぼれ出た。
正信は三河一向一揆の時、帰参を許されたことから家康に恩を感じていた。それ以来、家康を天下の頂に立たせることが己の使命であると思い定めていた。
しかしそれは長い道のりになるだろう。
「されば、やりがいがあるというものか」
あきれ笑いが口から洩れた。
まずは目の前の強敵にどう対処すべきか。
さっそく難題である。
籠城にて時を稼ぎつつ織田の援軍を待つ。それと同時に武田領の北に領国を持つ上杉に武田領への侵攻を催促する。関東の北条にも同心するよう働きかけねばならぬな。
正信の頭には、幾通りもの作戦が浮かんでいた。
「如何にするかの」
正信の心は焦りよりも難問を前に踊るようであった。
完




