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したのか、家康 1

鳥居四郎左衛門忠広

「わしは武田家に寝返ろうと思うておる」


 心の内をはじめて明かした時、目の前で水浴びをしていた成瀬藤蔵(なるせとうぞう)正義(まさよし)は、こちらに目線を向けたまま、しばらく愕然と己を眺めていた。

 それもそうであろう。

 鳥居家は、徳川家臣きっての忠臣として家中に知れ渡っていたからである。


 父の鳥居忠吉(とりいただよし)は、先代から仕えており、兄の鳥居元忠(とりいもとただ)も、今川家の人質として松平竹千代と名乗っていた家康が駿府に赴く際、近侍としてついていったほどの忠義者であった。

 兄の元忠は、今では家康の側近として徳川家を支える重臣のひとりとなっている。

 一番忠誠心の厚い人物は誰かと家中の者に尋ねると、十人のうち九人はこの二人のどちらかを真っ先に挙げるに違いないと思われた。

 それほど、鳥居家は徳川家に忠実な家柄であったのである。


「おぬしの兄も、同意のうえか」


 藤蔵が辛うじて口を開いた。

 四郎左衛門は、かぶりを振る。


(兄上の意向が、それほど気がかりか)


 妬心のようなものが、腹のあたりから逆上してくるのをぐっと抑え込む。

 兄の元忠は、己よりたまたま先に生まれ、今川家に預けられる殿についていくこととなった。

 殿と幼少期を共に過ごせたのも、運がよかっただけではないか。

 剣技も勉学も、己とさして変わらない能力の兄を、ただ強運に恵まれているだけの男と四郎左衛門はみなしていた。


 鳥居忠吉の四男として生まれた四郎左衛門は、これまで三河の岡崎で育った。

 城主が不在の岡崎城を、家康が帰ってくるまで必死に守っていたのは父、忠吉であった。

 いずれ今川家から松平家を独立させ、一大名とするために、父は密かに鳥居家の生活費を削りながら、財を蓄えてきていたのである。


(それほどの恩義が、松平家にあるのか)


 父の苦労を間近に見てきたからこそ、疑問に感じずにはいられなかった。


 桶狭間の戦いで今川義元が討ち死にし、家康は岡崎城に帰ることができ、念願の独立を果たした。

 独立できたのは無論、父、忠吉の貯蓄のおかげである。

 鳥居家が岡崎城を奪うこともできたのではないか。

 当時、このような疑問が四郎左衛門の頭をよぎった。


 今川家の没落を契機として、三河国の平定に乗り出した家康であったが、永禄六年(1563)、浄土真宗である本願寺門徒との間に諍いが起こり、国中を巻き込んだ一揆へと発展した。

 三河一向一揆である。

 四郎左衛門は、徳川家臣としてではなく、一向宗の一員として参戦した。

 四郎左衛門だけでなく、徳川家臣の多くが主君を裏切り一向宗側に加担した。

 戦は、双方から多大な犠牲を払う結果となった。

 なかには親兄弟が敵となり互いに戦うこととなった一族もあった。

 その一つが鳥居家である。

 四郎左衛門は、浄土真宗を心底信じていたわけではなかった。

 主君と対峙することを選んだ理由は、歪んだものであった。

 唯々諾々と家康に従う父と兄に一泡吹かせたい。鳥居家の苦労も知らず、それが当たり前であるかの様に岡崎城に居座っている主君、家康に物申したい。

 一向宗に加担したのは、こうした幼少期から感じていた、いかんともしがたい苛立ちからであった。


 一揆の抵抗は一年間も続いたが、ついには家康に屈することとなった。

 はじめから勝つことが目的ではなく、門徒としての権益を主張し守るための戦であったため、一向宗の抵抗は時間と共に緩慢となっていった。

 また、一向宗にはこの集団を指揮する者、統率する者がいなかったために、各地で起こった一揆は、個々に徳川軍によって鎮圧されていったのである。

 もともと家康の家臣であったが、一揆がおきるとこれに加担した者が多くいた。

 その中には、本多弥八郎(ほんだやはちろう)正信(まさのぶ)夏目(なつめ)次郎左衛門(じろうざえもん)尉広次(のじょうひろつぐ)といった名があった。

 一向宗の敗北が決定的となったのは、本多正信が降伏したことが大きく影響した。

 表沙汰にはなっていないが、どうやら正信と家康の間で何かしらの取引があったようである。

 もともと家臣であった者の中には、己や夏目広次のように帰参を許され、再び徳川家に仕えることを許された者もいたが、多くの者は三河国を追放されることとなったのである。

 

 成瀬藤蔵正義。

 家康が岡崎城から浜松城へ本拠を移した際に、城下の武家屋敷が隣同士となった男である。

 毎朝、日の出と共に中庭に出て行水をするのが日課であったが、藤蔵も同じ時刻に行水するので、自然と話をするようになり、しだいに肝胆相照らす間柄となっていた。


 己が寝返ることを藤蔵に打ち明けたのは元亀三年(1572)十一月の半ばのことである。

 武田信玄が、徳川領である遠江へ侵攻を開始してから一月ばかりがたった頃であった。

 密かに屋敷に訪れた武田の使いの者が、己に武田につくよう誘ってきていたのである。

 はじめのうちは断っていたものの、三度目にその男がやってきたときには、己の心は徳川をすでに見限っていた。

 家康が、あの連戦連勝を重ねる信玄に勝てるはずがない、と思ったからである。 

 それに、父や兄の厚遇に対して、徳川家の己への冷遇に不満があった。

 もう一度反旗を翻すならば武田が攻めてきた今この時しかない。

 藤蔵も誘うことにしたのは、家康が信玄に敵うはずがない、と愚痴を漏らしたのを聞いたことがあったからである。

 藤蔵は暫く放心したように唖然としていた。

 しかし、やはり今の状況から徳川が武田に勝てるはずがないと悟っていたようで、藤蔵は沈思ののち己に深くうなずいてみせた。


 屋敷の周りを誰かに見張られていると感じ始めたのは、それから数日がたった頃のことである。


「我らの背信を誰かが疑っているのやもしれぬ」


 藤蔵も監視の目に薄々気づいていたようである。

 そこで、話を合わせて一芝居打つことにした。


 師走に入り、一段と寒さも深まっていた朝のことである。

 いつものように中間に言いつけて、行水のための湯を沸かさせていた。

 このような寒い日に行水などなされば、風邪を召してしまいます、という中間に対し、


「敵にいつこの首が討たれるともわからぬ。その時に垢などついておれば武士の名折れ。普段から首を洗っておくのが真の武士というものよ。隣の腰抜けとは心構えから違うのよ」

 

 庭に出た四郎左衛門は隣家に聞こえよがしに大声でそう言うと、盥に溜めた湯で体を清めはじめた。

 これを聞いていた藤蔵、


「湯で行水など弱虫のすること。真の武士は湯など使わず冷水でするものぞ」


 家から出てきた藤蔵は、中間に井戸で汲んだ水を盥に持ってこさせると、歯を食いしばりながら冷水を自らの体にかけ流しはじめた。

 それを見ていた四郎左衛門。

 今度は中間に氷がたっぷり入った盥に水を入れて持ってこさせた。


「氷水に暫く体をつけておくと垢がよく落ちるという。まあ、このように冷えた朝に隣の腰抜けが同じことをできるとは思えぬが」

 

 四郎左衛門は、奥歯をがたがたいわせながら氷水に体を浸した後に、手拭いで真っ赤になった体をこすりはじめた。

 

「隣の弱虫は手拭いなんぞで垢が落ちると思うておるらしい。砂をつけた縄でこすらねば、あの男の頑固な垢は落ちぬよ」

 

 藤蔵は中間に持ってこさせた縄に砂をつけると、四郎左衛門の方へそれを投げつけた。

 

「藤蔵。先ほどから弱虫、弱虫と聞き捨てならぬ。言いたいことがあるならば、堂々と申せばいかがか」


 投げられた縄を掴んで、思いっきり力を込めて投げ返す。

 それがぴしゃりと藤蔵の顔面に命中。


「おのれ。いい加減にしろ」


 藤蔵は縄を地面にたたきつけると大声で叫び、脇に置いてあった刀に手を伸ばした。


「上等じゃ、藤蔵」

 

 四郎左衛門も中間に刀を持ってくるように言いつけると、裸のまま藤蔵の前まで歩み寄った。

 相手も刀の鯉口を切る。

 これはいかんと思った二人の中間が、


「誰か。主人たちの喧嘩を止めてくだされ。誰かいらっしゃらぬか」


 屋敷の表へ飛び出しながら大声で呼び回った。


「これこれ、四郎左衛門、藤蔵、いかがいたしたのじゃ」


 互いに睨み合い、切りかからんばかりの二人の前に現れたのは、徳川家臣の中で一、二を争うほどの重臣、酒井左衛門尉忠次であった。


「二人ともやめぬか。諍いのわけは知らぬが、いまは家臣同士で争うている場合ではない。近々、武田との大戦がある。その時、どちらが敵の首を多く討ち取れるかで、この喧嘩の勝敗を決めたらよいではないか」


 酒井忠次の仲裁で、この場は収まった。

 無論、事前に打ち合わせていた通りの芝居であった。

 こうして、二人の仲はたいそう悪く、毎日のように喧嘩をしている、という噂が徳川家中に広まったのである。

 

 侵略すること火のごとく。

 武田軍は、遠江にある徳川方の城を次々と落城させると、天竜川を渡り浜松城の眼前、追分まで侵軍してきた。

 その数およそ三万。

 十二月二十二日の昼頃のことである。

 家康は、敵が浜松城を攻めてくるであろうと考え、籠城の仕度を整えていた。

 しかし、驚いたことに赤備えの軍勢は、浜松城の目の前まで来ると、突如として進行方向を転換。

 西へと通り過ぎていくのである。


「我々を挑発しておるのか」


 家康は歯を食いしばり、拳を膝の上で握りしめた。

 三十を過ぎたばかりの家康の戦歴は、年嵩の信玄とは比較にならぬほど少なかった。

 信玄の戦上手の噂は隣国まで伝わっており、信濃、上野、駿河と戦をするたびに領土を広げていた。

 七十を超える戦で負けたのはたったの三回だけだという。

 西に進軍する武田の狙いは、徳川本国の三河だとみた家康は、これを防ぐためには決戦あるのみと家臣たちに告げた。

 味方が寡勢であることを理由に、野戦を諫める家臣たちも多くいたが、


「我が屋敷を無断で踏み入ろうとする者を屋敷の内にいながら咎めない者があろうか。敵が多勢だからと出陣して咎めないなどということがあってはならぬ。これは徳川の体面を保つ戦である」

 

 織田の援軍と合わせて八千の徳川軍が、夏目広次を浜松城の留守居に残し、三方原台地の向こうへと去っていく敵の背を追うように出陣した。


 三方原台地に上る坂の手前まで来たところで、一度軍議が開かれた。

 寒空を粉雪が舞っていた。

 夕暮れ時である。

 軍議は戦を仕掛ける時と場所について話し合われた。

 数で劣る味方が勝つには、夜戦が有利ということになり、夜半に三方原台地を下り始めた敵を襲撃することに意見が一致した。

 軍議がまとまりかけたちょうどその時であった。

 燃えるように赤い武田の軍勢が、西日を背に鬨の声をあげて台地の頂上に現れたのである。

 幔幕内の徳川諸将たちは一斉に立ち上がり、声を失ったがごとく茫然とその様子を見ていた。

 それは次の瞬間に起きたことである。

 家康のいる方角から放屁音。

 間も置かずそのあたりから鼻を覆いたくなるほどの異臭を四郎左衛門は嗅いだ。


「いまからでも遅くはございませぬ。急ぎ全軍を浜松城まで退かせましょう」


 脳裏を介さずに出た己の言葉を己自身で疑っていた。

 武田の使者には、戦場で真っ先に寝返り徳川軍を襲うと伝えていた。

 にもかかわらず、口からこのような言葉が飛び出したのである。

 その場にいた藤蔵の驚いた顔が視界に入った。

 藤蔵とも寝返りの段取りはすでに打ち合わせていた。


「武田の大軍を前に臆したのではあるまいな、四郎左衛門」


 藤蔵が、戸惑い交じりの怒声を放った。

 いや、違う。

 戦が怖くなったわけでも、背信の露見を恐れたわけでもなかった。

 家康を見た。

 渋柿を食べたかのような表情を顔に浮かべている。

 その表情は、武田の急襲に慄いているようにも見えた。

 

「殿、弱虫の言うことになど耳を貸してはなりませぬ。ここで退いては後世の笑いものとなりましょう」


 藤蔵が家康に言い募る。


「弱虫呼ばわりされては黙っておれぬ。ここは敵から見て坂の下になりお味方の不利になりますゆえ、一度城まで退いて再度出陣してはいかがかと申したまで。決戦とならば仕方あるまい。藤蔵、どちらがより多くの首級を挙げるか競おうではないか」


 威勢よく言ったが、諸将の注目がこのやりとりに集まっていることに胸をなでおろす思いであった。

 言い捨てるなり幔幕の外へ飛び出すと馬に跨り、先鋒を任されていた己の隊へと駆け出していった。


 すでに敵と交戦をはじめていた配下のもとへ辿り着くと、そのまま最前線まで駆けた。


「臆するな。我に続け」


 己でも信じられぬほど大きな声が出た。

 刀を頭上に振りかざしながら赤い軍隊の中へと分け入っていく。

 武田に寝返ることなどすっかり心中から霧散していた。

 おそらくはあの時……、


「脱糞……したのか、家康」


 自然と四郎左衛門の口角が上がった。

 家康には三河一向一揆の戦で敵対した己を再び傘下に戻してくれたという恩があった。

 家康を羞恥の目から逃してやりたい。

 あの時、己はあろうことか、とっさにそう思ってしまったのである。

 父と兄が家康を慕う理由が、少しだけ理解できた気がした。

 

「狙うはただ一つ。信玄入道の首なり」


 太陽はすでに山の向こうへと落ちかかっている。

 愉快でたまらない。

 軽やかな心がそうするかのように、四郎左衛門は敵陣の奥深くまで疾駆し、赤い闇にどこまでも呑まれていった。


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