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最終章 純白の堕天使


―― 悪魔たちとの決戦から、どれくらいの時が流れただろう。


 ディアロ城の騎士団は平和な毎日を取り戻していた。フィアが女だと知った上で騎士団に入団させていたルカにくだされた処分は……なし、だった。普通なら、国の法に従い、処罰を受ける身であるはずのルカ。しかし今回はお咎めなし、ということだった。

 そんな異例の決断が下された理由は、女王の一言。


「フィアが女だったからといって、何か不都合がありまして? 寧ろ、あの子に救われた者の方が多いはず。尤も、嘘を吐いたことに関しては問題があります。でも、彼女の意志は本物だった……私はそう思う。だから、ルカ。貴方を罰することは私には出来ないわ。他のセラたちはどう思っているの?」


 そう言って、ディアロ城の女王、ディナは騎士団の統率官たちを見つめる。美しい、左右違う色の瞳が、真っ直ぐに見据えていた。

 暫しの、沈黙。それを破ったのは、緑髪の魔術医だった。


「ルカがかけがえのない友人だということを差し引いても、彼を罰するに値するとは思えません。僕自身、ルカにもフィアにも散々救われました。だから、陛下が許すと仰るのなら、僕は嬉しい限りです」


 ジェイドは微笑んで、そう言った。呪いを受けた証の逆十字は消えていないが、呪いの効果は完全に消えたらしく、腕も元のように動くようになっていた。


「俺もそう思います。……というか、俺も何となく気が付いてた。あの”女装”の一件から。それを口に出さなかった俺も悪い。ルカが罰せられるなら、俺も然るべき罰を受けるべきじゃないかと思います」


 クオンはそう言って苦笑混じりに肩を竦めた。……正直、フィアが女性である可能性は以前から考えていた。しかし、それを口に出すことをしなかった。だから、もしルカが罰されるというのなら、自分も同じ罰を受けるべきだと、彼は言う。吹き抜けた銀の髪を風が揺らした。


「俺はそもそも男しか騎士になってはいけないという習わし自体を撤廃するべきなんじゃないかと思っています。フィアは確かに強かった。フィアの強さは、天使の力だけではない。彼奴の意志の強さが彼奴をあそこまで強くした。それだけの意志があるなら、男も女も関係ない。大切なものを守るために強くなりたいと願うのは、男も女も一緒なんじゃないか……と思ってます」


 アレクは真剣な顔をして、そう言った。彼はずっと、思っていた。大切なものを守りたいという感情は、何も男性だけが抱くものではない。男性でなければ騎士になれないというその規定自体に違和感があるとずっと思っていた。そう言いながら、アレクは真っ直ぐに女王の瞳を見つめ返した。


「僕も、ルカの事を罰するのは見当違いだと思います。だって、実質フィア君のおかげで僕たちは、僕らの国は救われた。それなのに、そんなフィア君のお願いを聞かないっていうことこそ、騎士道に反してるんじゃないかなぁ、と僕は思うんですけど。陛下は?」


 アンバーはそう言って微笑む。確かにフィアは騎士団の規則を破った。しかし、自分の秘密が露見することを理解した上で、自分が人としての命を失うことを理解した上で、フィアは自分たちを守ってくれたのだ。そんな彼の想いを無視することこそ、騎士道精神に反するのではないか、とアンバーは言う。そして緩く首を傾げながら、女王を見つめた。

 騎士たちの視線が、女王に向けられる。女王はそれを見て、にこりと微笑んだ。


「……そうね。私たちの思いは一つみたい」


 可笑しそうに笑って、女王は真っ直ぐにルカを見た。緊張した表情で自分を見つめ返すルカ。ディナは静かに息を吸い込み、口を開いた。


「ルカ・ラフォルナ。貴方の処分は……」

「ちょっと待ったぁぁッ!」


 ルカへの処分を伝えようとした女王の言葉を遮って、誰かが謁見の間に乱入してきた。バタバタと駆け込んできた騎士たちを見て、セラの騎士たちは驚いたような顔をする。


「し、シストさん……」


 無論、やってきたのはシストとアネット。そして、控えめにアルが立っていて。


「ルカの事を罰するってなら、俺たちが代わりに受けます!」


 女王の前に跪き、叫ぶシスト。アメジストの瞳に、決意を灯して。


「だから……!」


 頼むよッ! と女王に向かって頭を下げるアネット。彼も真っ直ぐに女王を、そしてセラたちを見つめる。

 彼らの様子に女王は暫し呆気に取られていたが……やがて、くすくすと笑い声を漏らした。そして、彼らの方へ歩み寄ると、静かな声で言う。


「……シスト、アネット、落ち着きなさい。私はルカを罰するつもりはないのよ」


 女王はふわりと微笑み、そう言った。


「え……?」


 それを聞いて、乱入してきた騎士たちは、ポカンとする。彼らの表情を見てくすり、と笑うと、女王はルカの肩に手を置いて、言葉を続けた。


「ルカ、貴方に罰は与えません。貴方のこれからの働きに期待しています。いなくなった部下の分まで、しっかり働いてくださいな」


 そう言って、ディナは穏やかに微笑む。ルカはそれを聞いて大きく目を見開くと……深々と頭を下げた。


「ありがとうございます。陛下……」


 罰を受けることを覚悟していた。自分がしたことは明確な規則違反だったのだから。フィアにも、もしバレたら自分が罰を受けると伝えていたくらいなのだから。

 しかし罰を与えられることはなかった。誰一人、フィアの事を蔑まなかった。誰一人、ルカの事を貶さなかった。寧ろディナの決定にほっとしていたのだ。

 ふ、と息を吐き出したクオンが腕を組む。そして呟くような声で言った。


「……はぁ。ドアの前に二十人。窓の外にも十人。まだまだあちこちで聞いてるな」


 クオンはそう言って、肩を竦める。それを聞いたアレクは深々と溜息を吐き出すと、すうっと息を吸い込んで……


「隠れて聞いてる奴、全員出てこい!」


 空気を震わせるような大声で、アレクは怒鳴る。彼の声と同時に至る所から騎士たちがおずおずと出てきた。


「良かった」

「ルカ教官がいなくなったら、困るんですよ!」

「それに……」


 フィアにもたくさん世話になったから、そう言って騎士たちは笑う。

 彼らも皆それぞれに、不器用で不愛想な天使の事が大好きだったのだ。



*** 



 ルカの処分が決まってから、数週間後。ルカは、一人で丘に来ていた。昔から大切な家族であった”彼”とよく剣術の練習に使っていた丘に。


「ルカ!」


 不意に名を呼ばれて、身体を起こしてそちらへ視線を向ければ、淡紫色の髪の少年の姿があって。ルカはそれを見てぱちりと瞬く。


「ん? あぁ、シストか」


 どうかしたか? とルカは首を傾げる。その反応に呆れたような顔をして、シストはルカの額を小突いた。


「何サボってんだよ、雪狼統率官。女王陛下が探してたぞ」

「陛下が? 何でまた……」


 ルカは不思議そうに、首を傾げる。女王に呼ばれることなど、滅多にない。何かしでかしたという自覚もないし、一体何故なのだろう。そう思いながら、ルカは目を細めている。

 シストはそれを聞いて、軽く肩を竦めながら、言った。


「新しい騎士だとよ。お前が教官として御指名らしいが?」


 それを聞いてルカは少し驚いたように目を見開く。それからそっと、溜息を吐いた。


「何で俺……まぁ、良いけどさ」


 そう言いながら、ルカは肩を竦める。それを聞いたシストは小さく笑って、言った。


「俺もあってないから知らないけど、随分凄腕の騎士らしいぜ? 女王陛下直々の推薦だってさ」

「ほー? 期待の新星だな」


 ルカはそう言って、笑った。その表情は微かに寂しげだった。かつて、”期待の新星”と呼ばれていた、自分の従弟の事を思い出しているから、だろう。

 そんな思いをかき消そうとするかのように、ぐっと伸びをしながら、ルカは言う。


「んじゃあまぁ、行ってくるかな」


 あまり陛下を待たせるのも気が引ける。そう言って肩を竦めた彼が歩き出すより先、シストが慌てた声をあげた。


「あ! 待て、ルカ。俺も一緒に呼ばれてるから」


 一緒に行こうぜ、とシストに言われ、ルカは怪訝そうな顔をする。


「はぁ? シストも?」


 統率官である自分が呼ばれるのは、わかる。しかしそれにシストも同行、というのは一体何故なのか。そうルカは問うが、シストも知らないらしい。苦笑まじりに肩を竦めて、彼は言った。


「俺だって訳わかんねぇよ……」


 事情は良くわからないが、呼ばれているのは事実だ、と彼は言う。


「ふぅん……まぁ良い。 それなら、一緒に行くか」


 ルカは笑って、そう促す。シストはそれに頷いて、彼と共に歩き出したのだった。



***



「……なぁルカ。お前さ、最近漸く部下に普通に接するようになったよな」


 道中、シストはルカにそう声をかけた。ルカは怪訝そうな顔をして、シストのほうを見る。


「どういう意味だよ?」

「そのまんま。フィアがいなくなって暫くは、お前……なんつーか、少し距離とってるっぽかったからさ……」


 言葉を選びながら、遠慮がちにシストは言う。

 ずっと、気にかかっていたのだ。一見すればいつも通りの彼に見えただろう。フィアが居なくなって落ち込んでいる様子を見せていたのも数日、それ以降はいつも通りの、明るく快活な統率官に戻ったように見えていた。しかし実際は違うとシストは気が付いていたのである。

 それは、ちょっとした変化。ルカが、仲間たちから距離を取っているように見えたのだ。以前ならば迷いなく頭を撫でたり小突いたりしていたであろう状況でも、笑いかけるだけであったり、一緒に遊びに行こうという仲間の誘いを何かと理由を付けて断っていたり……そう言った些細な違いを、シストは見抜いていたのである。

 彼の指摘にルカは暫し驚いたように瞬きをしていたが……やがて、困ったように笑った。


「ははっ。やっぱりお前にはバレてたか」


 隠し通せるとは思っていなかった。そう言いながら、ルカは肩を竦める。そして、遠くを見ながら、呟くように言った。


「いい加減にある程度割り切らねぇと、な」


 仲間たちから距離を取っていたのは、フィアを喪った時に感じた虚無感をもう感じたくないと思ったからだ。親しくなればなるほど、大切だと思えば思うほど、喪った時の傷が深くなる。……昔からわかっていたはずのことだったのに、今更のようにそれを痛感してしまったのだ。

 しかし、いつまでも悲しんでばかりもいられない。仲間と、部下と距離を取っていれば、仕事にも少なからず支障が出る。それに気が付いて、最近はどうにか割り切ろうとしていたのだとルカは言った。そして、視線をシストに向ける。


「……お前もだぞ、シスト。お前もいい加減にパートナー作れよ。パートナーが居ないお前に任せられる仕事が少なくて困るんだ」


 シストはそう言われて、少し眉を寄せる。困ったように指先で髪を弄りながら、彼はそっと息を吐き出した。


「そうか、そうだよなァ……でも、今一つ、此奴とならって奴が見つからなくてさ」


 言い訳めかしてシストはそう言う。彼のアメジスト色の瞳には、相変わらずの寂しげな光が灯っていて。


「俺にとってのパートナーって、やっぱり……彼奴だけ、だったんだと思うから」


 一度は、完全にパートナーを持つことを諦めた。もう一度喪うくらいならと、一人でいることを選んだ。他人と親しくなることをそれとなしに拒み、壁を築き上げてきた。そんな壁を壊して、隣に立つことを、共に戦うことを選んだのが、シストに選ばせたのが、他でもないフィアだったのだ。そう簡単に、割り切れることでもない。シストはそう言って、肩を竦めた。


「……そっか」


 難しいよなぁ、とルカは呟く。シストもそれに頷いた。それきり二人はどちらも言葉を発することなく、ゆっくりと歩みを進めていった。



*** 



 二人がディナに呼びだされていた広間に着くと、既に先客の姿があった。白髪の、白衣の少年。彼の姿を見て、ルカは驚いたように瞬く。


「あれ、何でお前までいるんだ?」

「それは僕の台詞ですよ。お二人とも、どうして此処に?」


 ルカの言葉に、アルは不思議そうに首を傾げている。


「いや、俺たち二人とも、陛下に呼ばれてきたんだよ、新しい騎士に会わせたい、って」


 シストがそう返すと、アルは黄色の瞳を大きく見開いて、声をあげる。


「えっ、お二人も、ですか? 僕も、陛下に呼ばれたので来たんです。何か、見せたいモノがあると言われて……」


 それを聞いて、ルカとシストは顔を見合わせる。どうやら、三人とも同じように呼びだされたらしい。女王は一体何を考えているのか、と三人は首を傾げた。


「あら、そろったみたいね」


 丁度その時、彼らを呼びだした張本人……ディナがやってきた。ゆったりと緑のロングドレスの裾を揺らし歩いてくる彼女は、どういう訳か、嬉しそうに笑っている。彼女は色彩の違う双眸で騎士たちを見つめると、部屋の奥のカーテンの方へ視線を投げた。そして穏やかな声で、言う。


「貴方たちに真っ先に逢ってほしかったの。さぁ、出てらっしゃい。”純白の堕天使”さん」

「純白の堕天使……?」


 そんな呼び名に、彼らは少し面食らう。今女王が口にしたのは、功績を残した騎士に付けられる二つ名のようだ。しかし、シストとルカは新米の騎士に会わせたいと言われて呼びだされたのだ。それなのにもう既に二つ名がつけられているとは、どういうことなのだろう? ルカとシストは怪訝そうな顔をして、カーテンの方を見つめた。

 ディナが呼びかけると多少カーテンが揺れた。そこに誰かが居るのは間違いないだろう。しかし、呼ばれた人物は顔を見せない。その様を見て、ディナはくすくすと笑い声を上げた。


「ふふ、何を恥ずかしがっているの? 早く、出ていらっしゃい。会いたかったのでしょう?」


 ディナがそう声をかけても一向に姿を見せない、中の人物。ルカはしびれを切らし、そのカーテンの方へ大股で歩み寄った。


「だーっ! まどろっこしい! 早く出て来い!」


 そう言いながら、ルカは躊躇いなくカーテンを開く。そして……紅の瞳をこれでもかと、見開いた。

閉ざされていたカーテンの向こう側……そこに立っていたのは、小柄な少年だった。青い留め具の白い騎士服を身に付けている。ショートカットの髪は亜麻色で、瞳は美しい海のような蒼色。色白で、中性的な容姿。その少年……否、”少女”は、ルカを見つめていた。


「え……」


 掠れた声を漏らし、ルカは思わず一歩後ずさった。見開かれた紅の瞳は動揺に揺れ、眼前の騎士を穴が開くのではないかという程に見つめる。そんな彼の視線を受けて、少年騎士はぎこちなく、微笑んだ。


「……何だよ。もう、俺の顔を忘れたのか、ルカ」


 ぎこちない声音でそう言ったその人物は、おずおずと笑みを浮かべた。


「フィア……?」


 掠れた声で名を呼んで、驚きと困惑の入り混じった表情で、ルカは目の前の少年を見つめた。そんな問いかけに決まり悪そうな顔をして頷く、少年。


「……あぁ」

「何、で……お前、だって……」


 死んだはずじゃ、否、消えたはずじゃ、という言葉を口に出すことは出来なかった。上手く言葉が出てこない。どうして、何で、どうやって……そんな疑問詞ばかりが頭に浮かぶ。

 意味がわからない、というようにルカが白石の騎士……フィアに問いかけた時。


「フィア……ッ!」


 泣き声で彼の名を紡ぎ、がばっとアルがフィアに飛びついた。まるで、迷子になっていた子供が、親に抱きつくかのような勢いで。


「うわぁ?!」


 フィアはアルを抱きとめることが出来ず、その場に倒れこむ。驚いたように目を見開いたまま固まるフィアの胸を、アルはその小さな拳で何度も殴った。


「バカバカバカ! フィアのっ……馬鹿ぁ!」


 馬鹿馬鹿、と繰り返しながら、アルはフィアの胸を殴り続けている。涙で顔がぐしゃぐしゃになってしまっているのにも、お構いなしに。


「あ、アル、ちょっと落ち着いて……」


 あわあわとフィアが弁解しようとした……が。


「どの口がそれを言うんだ?!」


 シストはそう言ってフィアの頬を思い切り抓った。力の限り抓られて、フィアは小さく悲鳴を上げる。


「い……痛い、痛いからやめろ、シスト」


 驚きと困惑の滲む声でフィアは叫ぶ。アルに抱きつかれたままで逃げることは出来ないし、シストはそれなりに本気で抓っているらしく、大分痛い。やめてくれと悲鳴を上げるフィアだが、シストは手を緩めない。アメジストの瞳でフィアを睨み付けながら、彼は言う。


「痛くしてるんだから、当然だろうが……馬鹿フィア」


 吐き捨てるようにそう言うと、彼は指を離した。彼の声は、微かに震えている。それに気付いていないフリをしながら、フィアは一つ溜息を吐き出した。シストに抓られていた頬をそっと撫でる。痕になったらどうするんだ、とぼやくフィアだったが…………


「フィア……」


 小さな声で呼ばれ、彼はそちらへ視線を向ける。相変わらず自分に抱きついたまま泣きじゃくっているアルにちょっとごめん、と言ってから引き剥がし、立ち上がった。そして、弱い声で自分を呼んだ人物……ルカを見つめる。

 ルカは暫し無言でフィアを見つめていたが……不意に、彼を強く、抱きしめた。抵抗することもしないままフィアは目を伏せ、今にも消え入りそうな声を出す。


「ルカ、俺……」

「その一人称、抜けねーのな……」


 微かな笑いを含んだ声で、ルカは言う。フィアはぱちりと蒼の瞳を瞬かせた。


「え?」

「……女だって、バレてんのに」


 相変わらず、一人称は俺、なのな。そう言って笑う、ルカ。予想外の言葉に、フィアは少々困惑しつつ、頷いた。


「もう、癖になってしまっているから、な」


 そう言って、フィアはぎこちなく笑う。その視線は、微かに揺れていた。

 ……何といったら良いのか、わからない。どういう顔をして彼を見たら良いのか、わからない。アルのように泣いたり、シストのように怒ったりしてくれたら対応もしやすいのに……ルカのような態度を取られては、どうしたら良いのか、さっぱりわからないのだ。


「フィア」


 彼にかける言葉に悩んでいたその時、もう一度、ルカがフィアを呼び、少しその体を離した。そして、優しく微笑みながら、口を開く。


「……お帰り」


 ルカはそう言った。まるで任務を終えて帰ってきた自分を労うように。あまりにいつも通りの……しかし自分と久し振りに耳にした従兄であり上官である彼の言葉に、フィアは大きく目を見開く。

 そんな彼を見て、ルカは喉の奥で笑った。そして軽くフィアの額を小突き、言う。


「ただいまくらい、言えよな。この……馬鹿」


 そう言ってもう一度フィアの額を小突いたルカの瞳は、微かに潤んでいた。

 と、その時。くすくす、と華やかな笑い声がその空間に響いた。


「うふふ。サプライズ成功、ね」


 笑い声の方へ視線を向ければ、嬉しそうに笑っているディナの姿があって。まるで悪戯が成功した子供のような自分たちの君主の姿を見て、フィアは溜息を吐いた。


「俺はやめようと言ったんだが……」


 こんなの、悪趣味だと。そう言って溜息を吐き出すフィア。しかしディナは悪びれた様子なく肩を竦めて、言う。


「折角の再会なのだから良いじゃないの、ね?」


 ディナがそう言ってあまりに楽しそうに笑うものだから、フィアも諦めたようだった。小さく首を振って、微かに笑みを浮かべている。

 そんな彼らの様子を見つめていたシストが、でもさ、と口を開いた。


「お前、何で此処に……だって……」

「死んだはずじゃないか、か?」


 フィアがそう問いかければ、無言で頷くシスト。アルはまだ不安げにフィアを見ている。誰もその問いを投げなかったのは、それを聞いてしまったらまたフィアが姿を消してしまうのではないかと心の何処かで考えていたからだった。

 不安気な彼らを見つめたフィアは苦笑しつつ、言った。


「そうだな。俺も死んだと思っていた。厳密に言えば死ぬ、というのとは少し違うかもしれないが、人として消滅することは間違いなかったからな。それも覚悟の上で魔術を使った。だが……実際は、そうならなくてな。皮肉な話、彼奴らの……影猫の奴らの御蔭で俺は今、此処に居られるようなもの、なんだ」


 そういって、彼は肩を竦めた。それを聞いて、アルは不思議そうに首を傾げた。


「どういうこと?」


 話が今一つ飲みこめずにいる仲間たちを見つめたフィアは何から話せば良いのか、と迷うような顔をしてから、語り始めた。


「俺は、天使族最強の魔術を使った。でも、どうにもそれが不完全だったらしい」

「え? あれで不完全?」


 ルカが目を見開いた。あれだけ多くの人間を、村を一つ救うことさえ出来たのに、何が不完全だったというのか。そんなルカの問いかけに、フィアは言葉を選びつつ、説明を続けた。


「本来なら、俺はあの魔術を行使した時点で全てを失うはずだった。人としての命も、人として生きた記憶も、何もかも。それが、あの魔術を使うことの代償だった」


 そんな説明に、騎士たちは小さく頷く。それは、ジェイドが調べてきた文献の文言そのままだった。それを皆理解し、受け入れた。だからこそ、フィアは死んだものだと思ったのだ。

 しかし、と彼は言葉を続ける。


「それなのに、俺は何故か天界に飛ばされただけで、死んでもいなければ、記憶も失っていなかった。本来、あの魔術を使った天使は、俗世間と切り離され、聖天使として他の天使たちの上に立つ存在になるはずだったらしい。でも、俺はそうならなかった。理由は割と単純でな……」


 そこで一度言葉を切ったフィアは、そっと息を吐いた。そして大袈裟に肩を竦めながら、言う。


「俺の中にある悪魔の魔力が悪いのだと、天界の天使に言われた。”血の契約”で、俺の中に流し込まれた悪魔の魔力が聖天使に相応しくないと反対されて、俺は聖天使になることが出来なかった。まったく……天使があんなに狭量で陰湿とは思っていなかったな」


 俺が悪魔の魔力を受け入れたのは不可抗力だったというのにな、と言って、フィアは可笑しそうに笑う。そのまま、言葉を続けた。


「それで、天界から追い出された俺は地上に逆戻り。地上に戻った所で身体の傷は癒えていなくて堕とされた場所で気を失っていた。で、その打ち棄てられていた場所というのが……」

「この城の裏門だった、というわけなの」


 ディナ女王が締めくくる。悪戯っぽく笑っている彼女は、まるで子供のように無邪気に目を細めながら、語った。


「私はすぐに気付いたわ。フィアだってね。でも……すぐに貴方たちに教えるのはやめようと思ったの。もしこれで、フィアじゃなかったら、貴方たちを余計に傷つけてしまう気がしてね……」


 フィアが居なくなった時の騎士たちの消沈ぶりはディナもよくよく知っていた。それぞれの立場で彼のことを大切に思っていた騎士たちが、彼らなりに少しずつ、自分たちを守って散っていた天使の不在を受け入れようとしていたことも。そんな彼らに不確定な希望を抱かせてはいけないと、彼女は考えたのだという。


「それで、この子の傷が癒えるまで、私の部屋に隠していたのよ。フィアから事情を聞いて、この子が本当にフィアだってわかった。私は、貴方たちに知らせようと思ったわ」


 そんなディナの言葉にルカが少し、眉を寄せる。何故伝えてくれなかったのか、と言いたげに。そんな彼を見てくすっと笑ったディナはフィアの頭をそっと撫でて、言う。


「でも、この子が止めたのよ。ルカたちには知らせないでくれ、って」


 そんな言葉に、彼らは大きく目を見開く。


「は?」

「何で?」


 仲間たちに一斉に問われ、フィアは顔を背けた。


「それ、は……単純に、あんなことをした後で、のうのうと帰れるはずがないって……」


 消え入りそうな声で、彼は言う。一度は、本気で死を覚悟したのだ。もう二度と仲間たちに会うことは出来ないと覚悟をして、あれだけのことをしたのだ。仲間たちもそんな自分の死を受け入れてくれているだろうと思った。そんな状況で、まるで何もなかったかのように姿を現すことなど出来る気がしない、フィアはそう思ったのだ。


「どんな顔をして会えば良いのかわからな……痛っ?!」


 言い終わるより早く、思い切りルカがフィアの頭を小突いた。そのまま、きつくきつく、フィアを抱き締める。窒息しそうなほど、強く。フィアは小さく息を詰まらせ、黙り込む。


「くだらないこと考えてねぇで帰ってくりゃよかったんだよ、馬鹿フィア!!」


 震える声で、ルカは言う。それを聞いたフィアは何度も瞬きをする。


「そうだよ。僕たち……本当に」

「……ずっとずっと、あの日の事が夢だったなら、って思ってたんだからさ」


 ルカが、アルが、シストがそう言う。ディナはその様子を見て嫋やかに笑いながら、彼らを宥めるように言う。


「まぁまぁ。良いじゃないの。それで、私はフィアの決心が固まるまで私の部屋に隠していたのよ。出ていこうとしたけれど、赦さなかったわ。この子はきっと今は迷っているだけだってわかっていたから」


 そう言いながら目を細めたディナは微笑んで、言う。


「そしてついこの間、フィア自身の口から覚悟が決まった言葉を聞いて、貴方達に逢わせることにしたという訳よ」


 納得してくれたかしら? とディナは彼らに問いかける。まぁ事情は理解したけれど、と頷いたルカは視線をフィアの方へ向ける。


「覚悟が決まった言葉、って……フィア、なんて言ったんだ?」


 ルカが訊ねるが、フィアは顔を赤くして背けてしまった。恥ずかしくなったようで、ルカの腕の中から逃げだしてからも、口を噤んだままだ。

 そんな彼の代わりに、ディナが答える。


「ふふ、フィアはね、こういったのよ。

 『陛下。俺がもう一度騎士として働くことを許してください。俺、やっぱり……騎士団の皆の事が、大好きだから』、ってね」


 ディナによる暴露で、フィアはすっかり顔を赤くして、俯いてしまっている。ふるふると、小さく肩が震えていた。


「へぇ……フィアがそんなことを、ねぇ」


 意外だ、というようにシストがフィアを見る。普段の……かつての彼ならば怒ってものでも投げつけて来そうな発言と表情だったが、未だに多少の後ろめたさを感じているらしいフィアは俯きながら、言った。


「騎士団に戻りたい、なんて無理を言っていることは百も承知だった。だから、本当は俺が生きていることは明かさずに、この国から出て行こうと思った。何度も何度も。でも、出来なかった。陛下に止められていたのも勿論あったが、それだけではなく……」

「やめろ」


 短くそう言ったルカがフィアの口を大きな掌で塞ぐ。フィアは大きく目を見開いて、口を噤んだ。そんな彼を見たルカは、声を絞りだすようにして言う。


「もう、いい」


 困惑気味に固まるフィアを見つめたまま、彼は言う。


「お前は、今此処にいる。それだけで俺は良い。……何でも良い。お前が天使に嫌われようが、悪魔に嫌われようが、どうでも良い。俺は……」


―― お前のことが好きだから。


 そう言って、ルカは笑った。その頬に一筋だけ、涙が伝い落ちる。


「なっ?! な、何を言い出すかと思ったら……!」


 ルカの言葉に、フィアは顔を真っ赤にして、上ずった声をあげた。動揺して視線を揺るがせる彼を見たルカはにかっと笑って、フィアの身体を開放する。


「フィア」


 ルカがフィアを離すのと同時に、アルが声をかけてきた。いつになく、真剣な声音で。そんな親友の様子にきょとんとして、フィアは振り返る。


「ん……何だ、アル?」

「ちょっとこっち向いててね?」


 アルはそう言ってにこりと笑うと……ピシャンッとフィアの頬を一度、叩いた。響いた小気味良い音。まさかアルに引っ叩かれるとは思っていなかったために、フィアは驚いた顔をして、自分の頬を押さえる。そんな彼を見つめたアルは泣き出しそうな顔をした。


「これで、おあいこ、だよ。僕の心も、今のよりずっとずっと、ずーっと痛かったんだからね?」


 アルはそう言った。あの時、フィアが自分に背を向けて去ったあの時の胸の痛みは、未だに忘れることが出来ない。その痛みをフィアにもわかってほしいと、彼はフィアの頬を平手打ちしたのである。そしてアルはぐいと涙を拭うと、いつも通りの明るい笑顔を浮かべて、何かを差し出した。


「……良かった。大事に取っておいて」


 フィアに、ちゃんと返せて良かった。そう言いながらアルが差し出しているものを見て、フィアははっと息を呑む。


「これ……」


 アルが差し出しているもの。それは、アルがフィアにプレゼントしたブレスレットだった。フィアのためにアルが作った、抑制機。大切な、フィアの宝物。あの日、フィアが自分の手に預けていったそれをアルは大切に持っていたのだ。


「フィアのための、お守り。今度手放したら、僕、許さないからね?」


 そう言いながら、アルはそっと、フィアの手首にブレスレットを付ける。もう二度と、離さないで。そんな彼の言葉に、フィアは微笑みながら、頷いた。


「……フィア」


 次はシストがフィアの名を呼ぶ。フィアは叱られることを覚悟してシストを見た。フィアは彼の過去を知っている。誰よりも、他者を……仲間を喪うことを恐れていたはずだ。そんな彼を一人置き去りに、一度は完全に姿を消してしまった自分は怒鳴られても、嫌われても仕方ないとフィアは思っている。


「何だ、シスト……」


 少しぎこちなくそう応じれば、シストは、フィアの頭を乱暴に撫でた。そして、少し掠れたような声で言う。


「今度は、絶対に守ってやるから。本当に、もう二度と、辛い思いさせないから……だから」


 シストの言葉に、そして彼が続けるであろう言葉に、フィアは首を振った。


「パートナーには、なりたくない」

「何でだよ?!」


 先を越されたのと、断られたのとにショックを受けてシストは上ずった声をあげる。フィアはそんな彼を見て、曖昧に微笑みながら言った。


「……今なら、あの時お前がパートナーを作りたくないと言った理由がわかる。……もう、同じ思いはしたくないんだ」


 仲間を、相棒を喪うというのがどれほど恐ろしいことかを痛感してしまった。だから、もう近い存在を作りたくないと、そう思った。フィアはそう言って目を伏せた。

 それを聞いて、シストははぁ、と溜息を吐いた。


「……そうかよ。俺の気持ちがわかったか……なら」


 呟くようにそう言ったシストはにっと笑って、フィアの頭に手を置いた。そのまま、ぐしゃりと乱暴にその頭を撫で、言う。


「命を捨てる覚悟なら、騎士になる時からしていたさ。それに、俺は死なないよ。死んだら、もう何も守れない。俺は弱い。事実、お前を守ることは出来なかった。でも、強くなるために騎士になったんだ」


 そんなシストの言葉に、フィアは目を見開く。深い海のような瞳を見つめ、シストは真剣な表情で、言葉を紡いだ。


「フィアは、俺にとって大切な仲間だ。守りたい相手なんだ。……俺が、お前を守ってやるよ」


―― 以前、落ち込んでいたシストに、フィアが言った台詞を、シストが紡いだ。


 フィアは笑顔のパートナーを見て、呆れたように溜息を一つ。


「……人の台詞を取るな。馬鹿シスト」


 そう言いつつもフィアは嬉しそうに表情を綻ばせている。しかし、フィアは俯いて、言った。


「だが、やっぱり無理だ。だって、俺は……女、だし」


 それだけは変えられない事実だ。そう言って、フィアは目を伏せてしまう。


「お前と、組んだところで足を引っ張る結果になるかもしれない。ちゃんと、男で優秀なパートナーを探した方が……」


 きっと、その方がシストにとって良いだろう。俯いたまま、フィアはそう言う。

 と、その時。


「それは随分と今更なのではありませんか?」


 不意に声が響いた。響いた声の主を見て、フィアは目を見開いた。


「ジェイド、様」


 そこに佇んでいたのは、翡翠の髪を揺らす魔術医。彼は穏やかに微笑みながら、ゆったりと首を傾げる。


「陛下も意地悪ですね。僕らを呼んでくだされば良いのに」


 僕たちも当事者ですよ、と言いながらにこりと微笑むジェイド。その後ろには、アレク、クオン、アンバーも居る。ディナは叱られた子供のように頬を膨らませて、すぐに呼びに行くつもりだったわよ、と応じる。


「何でお前ら此処に……?」


 彼らには、自分が呼びだされたことを話していない。ディナの反応を見るに、彼女が呼んだという訳でもなさそうだ。それならば、何故。そうルカが訊ねると、クオンが溜息を吐いて答えた。


「アンバーが、ずっと浮かない顔してるなぁと思ってな。一体どうしたんだって訊いてみたら期待しないできいてほしいんだけどって前置いた上で、フィアが生きてたかもしれないって言うからさ」


 こうして確かめに来たって訳だ。そう言って、クオンは肩を竦める。もっと早く言えよな、とクオンが咎めると、アンバーは決まり悪そうな顔をした。


「本当だとは思ってなかったんだよ。あの一件から僕の予知能力も弱くなったみたいだから」


 もし勘違いだったら申し訳ないと思って言えなかったのだと、アンバーは困ったように頭を掻きながら笑う。


「……あの」


 フィアはセラたちに頭を下げた。散々迷惑をかけたこと、嘘を吐いていたこと、自分の性別を明かしたうえで、騎士になりたいと望んでいること……どれから謝るべきかわからず、フィアはただただ頭を下げていた。


「……陛下から聞いてないのか? 俺たちの決定」


 アレクはそう問いかける。フィアは少し躊躇うように視線を逃がしてから、小さく頷いた。結局あの後、ルカへの処罰がなかったことも、女性が騎士になれないという規則自体を見直すことになったということも、聞いている。それでも……とフィアは、目を伏せた。

 アレクはそんな彼を見て、そっと溜息を吐き出す。そして、フィアの前に歩いていくと、フィアの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。


「う、ぁ」

「お前の事を貶す気も、ルカの事を罰する気もなかった。だから、今お前が此処にいることを俺たちは素直に喜んでいるんだぜ?」


 気にするなというように、アレクが微笑む。その笑顔や声音に嘘はなく、心の底から自分たちを赦してくれているのだと理解する。その事実に安堵したフィアは少し、表情を綻ばせた。

 その刹那。


「うわ……っ?!」


 不意に後ろからぶつかられ、フィアは声をあげた。そのまま、前に倒れ込む。……この状況は何度も経験しているためにすぐに、理解する。フィアは冷静に声をあげた。


「……アネット、重い。降りろ、離れろ」


 のしかかってきているであろう人物の名を呼べば、ひゅっと息を呑む音が聞こえた。


「……マジで、フィアだ」


 放心したように呟く声。フィアにのしかかっている人物の声だ。フィアはそれを聞いて、そっと溜息を吐き出した。


「俺以外に、誰がいる? と言うか降りろって、重いから」


 呆れたように、フィアは言う。そんないつも通りの雰囲気を纏う彼の声。それを聞いて、アネットはフィアから降りた。そして、嬉しそうに目を細める。


「……良かった」


 ぽつり、と呟くようにアネットは言う。彼にしては珍しい表情だ。それを見て、フィアは少し驚いたように瞬いた。アネットはそんな彼を見つめ、緩く笑いながら、言う。


「フィアに、もう一度会えて、良かった。細かい事情は俺がきいても理解出来ねぇから、純粋に俺が思ったことを言う。……良かった、お帰り、フィア」


 そう言って、アネットは笑った。裏のない純粋な笑顔。それを見て、フィアは頬を掻きながら、ぼそりという。


「……ありがとう」


 少し照れたように言う彼を見て、アネットは小さく笑う。そして、ぽんとフィアの頭を撫でて、言った。


「今度さ、会わせたい奴がいるんだ。俺の家、来いよ」


 ちょっと遠いけどな、と言って笑うアネット。それを聞いて、フィアは表情を綻ばせる。……こうして仲間たちと一緒に過ごすことが出来ることが、幸せだ。改めて、そう思いながら。


「やれやれ……これで全員揃ったな」


 そう言いながら辺りを見渡して、クオンは笑う。気が付けば、彼に関わった騎士たちがすっかり集合している。

 ふと、アンバーが溜息を吐き出した。そして、その琥珀の瞳を悪戯っぽく細めて、彼は言う。


「でもなー……僕らも嘘吐かれてたってことに少なからずショックは受けたし?」


 そう言いながら、アンバーはこてりと首を傾げる。そんな彼の声にフィアは俯いた。そして、呟くような声で言う。


「陛下、俺はやはり……」

「騎士になるのやめる、とか言ったら、それこそ許さないよ?」


 アンバーはそう言って、フィアの肩を抱いた。そして、嬉しそうに笑いながら、言う。


「ね、フィア君の二つ名を考えたのって、実質僕なんだよ? 陛下に聞いたでしょ、君の二つ名」

「……え?」


 フィアは驚いたように、瞬く。


―― 純白の堕天使


 ディナに告げられた、自分の二つ名。それは、自分が考えたようなものなのだと、彼は言う。驚いた顔をしているフィアの髪をそっと漉いて、アンバーはにこりと笑った。


「前にね、陛下から訊かれたんだ。フィアに二つ名を与えるとしたら、どんなのが良いかしら、って。それで僕は、”純白の堕天使”が良いんじゃないか、って答えたんだ」


 あの時は、ディナが大切な騎士の一人を失った悲しみを癒すためにそんなことを考えているのかと思っていた。フィアが二つ名をつけられるだけの功績を遺したことは間違いない事実だと思っていたから、アンバーは真剣に、彼の二つ名を考えた。


「フィアが天使になった姿は吃驚するくらい綺麗だった。でも、君は悪魔の魔力も持っているし、僕らに嘘を吐いていたっていう罪もある。だから、堕天使ってことで純白の堕天使って決めたんだ。どう? 気に入った?」


 あの時は本当にその二つ名を使われるとは思ってなかったけどね、と言ってアンバーは苦笑する。そしてそっとフィアの亜麻色の髪を撫で付けながら、目を細めた。


「だから、さ。折角のその名前、無駄にすることないじゃない? これからの騎士としての働きで僕らに示してよ。女の子でも君が十分強くて、騎士に相応しいってことをね」


 そう言って微笑むアンバー。ディナはそれを聞いてゆっくりと頷くと、フィアに向かってウィンクをした。


「そういうことよ。フィア。皆貴方を待っていたの」


 騎士をやめる必要なんてないわ、とディナは言う。そして、ぽんと軽くフィアの背中を押した。フィアは勢い余ってルカの胸に飛び込む形になる。


「わ?!」


 驚いた顔をしたルカとフィアは、ディナの方を見る。ディナは二人に微笑みかけて、言った。


「……ちょっと二人で話してきなさい。ルカ、今日から貴方がその子の教官よ。しっかり面倒見なさい」


 そう言われて、ルカはゆっくりと紅の瞳を瞬かせる。それから、力強く頷いて、言った。


「……はい!」


 そう言って笑うと、ルカはフィアの手を引いて、部屋から出て行った。



***



 彼らが出て行ったのを見届けて、クオンが溜息を吐いた。


「はぁ……それにしても」

「フィアが女だってわかった上で、此処に置いといて良いのですかね、別の意味で」


 クオンが言わんとしたことを理解したシストが苦笑気味に、呟く。

 ディアロ城の騎士団は女でも騎士試験を受けられるよう規定を改正した。しかし、実質試験を受けにくる女性はおらず、相変わらずの男所帯。フィアが強いことはよくわかっているが……


「女が一人でこの城にいるのって、不安じゃないのかね」


 そう言いながら、アレクは腕を組んだ。アレクが心配しているのはそこである。硬派な彼は、少々照れくさそうに髪を掻き揚げた。


「万が一、があったりしたら困る、しなぁ」


 躊躇いがちにそう言うアレク。暫し悩んでから、クオンが苦笑気味に肩を竦めた。


「まぁ、その辺は、大丈夫じゃないか? フィアを襲おうなんて間抜けな奴は早々居ないだろうし……たぶん、返り討ちにあうぞ」


 そう言って笑うクオン。フィアは綺麗な顔立ちをしているし、手を出そうとする人間が居ないとも限らない。しかし、それを赦すフィアではないだろう。返り討ちになることが目に見えている。そう言って笑うクオン。


「それもそうですね」


 くすくすと笑いながら、ジェイドは言う。そんな彼らの反応を見て、アンバーはでもさ、と呟くように言った。


「街の男はそうは思わないんじゃない? 強くて綺麗な女騎士。惹かれない男は居ないと思うんだけど」


 もし、フィアの性別を公にしたとしたら、それはそれは目立つだろう。美しく凛々しい、女騎士。それはきっと話題を攫うはずだ。しかしそれは良いことばかりではないだろう。殊更、城の外、街の男たちの視線を集めることになることは、まず間違いあるまい。

 アンバーがそう言うのを聞いて、ディナは少し考え込む顔をした。それから、ふっと微笑んで、言う。


「確かに、そうね。じゃあフィアの性別はこの騎士団内での秘密……ということにしておきましょうか」


 それならば、問題ないでしょう? そう言って、ディナは目を細める。そして、悪戯っぽく笑いながら、冗談めいた口調で、言葉を付け足した。


「外部の人間までフィアに惚れちゃったら、困るもの」


 そう言いながらくすくすと愉快そうに笑う女王。その言葉は、純粋にフィアの身を案じているのか、面白がっているのか、良くわからない。しかしそれこそ、彼らが仕える女王の気質だと、騎士たちは皆理解している。


「はぁ……ま、それが賢明だと思います」


 シストはそう言いながら、軽く肩を竦め、苦笑した。


「フィアに手ェ出したらルカに斬られそうだしねぇ」


 アンバーもそう言って、くすくすと笑う。


「今まで通りってことで、良いんじゃないですか?」


 にこにこと笑うアル。


―― いつも通り。


 それが、彼らが一番望んだものだったのだ。



***


 

 一方その頃……――

 ディナの言葉で外に出てきたフィアとルカは、中庭に居た。ぐっと伸びをして、ルカは笑いながら、フィアに言った。


「やっと、二人で話せた」


 嬉しそうにそう言いながら目を細めるルカ。フィアはそれを聞いて、小さく頷く。他の仲間たちと一緒に居る時間も幸せだとは思ったが、こうしてルカと……家族と二人で話す時間も欲しいと思っていたのである。

 そよそよと、柔らかな風が吹き抜ける。フィアは流れた亜麻色の髪をそっと指先で撫でつけて、一つ息を吐き出した。

 と、その時。不意にぽんっと、ルカが手を打った。


「よし、ちょっと手合わせするか」


 そう言って、ルカはにかりと笑う。明るく誘う声に、フィアは驚いたように瞬く。


「は?」


 何を唐突に、とフィアは従兄を見る。ルビー色の瞳が、遊びを始めようとしている幼子のように光った。


「やるぞ! ほら、剣!」


 そう言いながら、ルカはフィアに魔術剣を放った。フィアが落として行った、彼女自身の誇りの剣。翼の飾りに蒼い石のはまった剣を受け取って、フィアは目を細める。

 ルカは自身の剣を構えながら、フィアを見つめた。そして軽くウィンクをして、言う。


「魔術は、なしだぜ?」


 流石に勝ち目ないからな、と言って笑うルカ。フィアはそれを聞いて、苦笑を漏らす。


「俺が居ない間に少しくらい使えるようになっておけ」


 そう言いながら、フィアも剣を構える。そんな彼を見て、ルカはにかっと笑った。


「じゃあ……行くぞ!」


 そう声をあげると同時、ルカはフィアに斬りかかった。

 何度も何度も、剣をぶつける。高く、小気味良い金属音が響き渡った。“白銀の狩人”の名前は伊達ではない。フィアは、魔術なしでは未だ勝てずにいる従兄と剣を交えながらじっと見つめる。


「は……やっぱり、お前は、強い!」


 そう言いながら、フィアはルカの剣を軽く弾く。キンッと高い音が響き渡る。体勢を立て直しながら、ルカは笑った。


「馬鹿にすんなよ? 剣くらいお前に勝てなくて、雪狼の統率官がやっていけるか!」


 ルカは笑いながらフィアの剣を弾く。フィアも笑顔でその剣を何度も打ち返した。何度も何度も、楽しそうに。子供の戯れのような、その一方で戦士の真剣勝負のような剣戟を繰り返す。しかし、二人の表情が楽しそうなものであることは事実で……――



***



 どれくらいの間、剣を交えていただろう。


「はぁ、もう無理。疲れた……」


 はっと息を吐いて、フィアは剣を引く。


「俺も」


 ルカもそう言って剣を納めた。そして二人は草の上に倒れ込み、笑い合う。


「なぁ、フィア」


 ルカは笑いながら隣に寝ているフィアに声をかける。


「……なんだ?」


 息を整えながら、フィアはルカの呼び声に応える。小さく首を傾げる彼を見て、ルカはにっと笑って、言った。


「ずっとずっと、俺の手が届くところに居ろよ、馬鹿フィア」


 そう言って、彼は笑う。しかしその表情は真剣そのものである。

 ……フィアがもう二度と帰ってこないと思った時の絶望感はそう簡単に忘れることが出来るものではない。もう二度と、経験したくなどない。きちんと自分の目が、手が届く所に居てほしい。それは、ルカの切実な願いだった。

 しかし、フィアはそっと溜息を吐き出し、首を振る。


「……はいはいわかったよ」


 呆れたように、適当に返事をするフィア。それを見て、ルカは拗ねたような顔をして、声をあげる。


「な?! マジで言ってるんだからな?!」

「わかってるわかってる」


 ひらひらと手を振りながら、フィアは言う。ルカは拗ねたように溜息を吐き出したが、すぐに、いつものように笑った。

 暫し、草の上に寝転んで休憩していた二人だが、やがてルカが体を起こして、言った。


「さて、戻るか。城にいる他の奴らにもお前が帰ってきたこと、伝えてやりたいしな」


 そう言って笑う、ルカ。彼に促されるまま立ちあがったフィアはぽんぽんと尻についた砂を払う。そして一度目を伏せると……


「なぁ……ルカ、俺は本当に此処にいても……」


 良いのかな、とフィアが呟くように言った。セラたちも、他の仲間たちもあの場では良いといってくれた。しかしあれはあくまでもリップサービスだったのではないか。ヒトではないモノの力を持つ自分が此処に居てはいけないのではないか……そんな想いが、抜けきらない。

 ルカが口を開こうとした、その時。


「良いに決まってるだろ!」

「ダメっていう人いると思う?」


 響いたのは、仲間たちの声。いつの間に追ってきたのか、他の仲間たちが皆、そこに居た。

 アル、シスト、アネットが、そして、他のセラたちが、そこに居て言う。騎士団に居て良いのだ、と。

ルカはからからと笑いながら、フィアにウィンクをした。


「これが総意だ。わかったろ?」


 そんな彼らの様子にフィアは驚いた顔をして……溜息を一つ。


「何処まで暇人なのだ、この騎士団は!」


 生意気そうに笑って、フィアはそう言って、笑った。その表情は酷く幸福そうで穏やかなもので。

良く晴れた空のような蒼い瞳には、大切な仲間たちが映っていた。



***



 その者、戦場に咲く一輪の花。氷のようなその瞳は冷たく、しかし、他者の心を捉え、離さない。

 その蒼い瞳の奥に秘められた優しさ。大切なモノを護りたいという強い意志。

 その優しさと意志の強さ故に犯された罪。

 人は、その者をこう呼ぶ。

―― 純白の堕天使、と。


 
















Knight ―― 純白の堕天使 ――  Fin


 

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