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恋姫竜神記  作者: DGK
38/40

タビノオワリ


〜晋陽〜


「どういう、ことだよ。」


理解不能


それしか思い浮かばなかった。


嫌な予感に急かされるままに辿り着いた河北の地は、彼の想定を超えて最悪へと向かっていた。


幽州の防衛戦は突破され、反乱の波は河北全体へと広まりつつある状態。さらに従属していたはずの匈奴族が反乱軍に協力したとの情報もあり、各地の官軍の士気は落ちに落ちている。これだけでも十分に最悪だ。


だが、もっと最悪な情報が、終の元に齎されていた。


「現在の河北の情勢は、丁原が異民族と結託して引き起こした変事である……それが洛陽に護送される理由のようです。」


理解できない、出来るはずがない理由。


信と言う人物を僅かでも知っているのならば、一笑に付せる理由。


最悪の時期に、最悪な手段を取っている現状では全く笑えない、質の悪い冗談。或いは、悪夢である。


「阿呆が!!信さんがそんなことするわけねぇだろ!!」

「ですが、事実として丁原殿は捕らえられています。つい先ほど、南門より出るところを目撃した者もおります。真実である可能性が――――」


それ以上言葉を紡ぐことを、終は許さなかった。


振り下ろされた剣が地面を大きく切り裂いた。明確な彼の怒りに、小沙良は沈黙する。


彼女も、それが真実であるとは思っていない。信という人物にあったことはないが、終の話から国を裏切るようなことをする人物ではないと思っていた。だが、今ある情報では、彼女が乱の一端を担っていると考えてしまうのだ。


「どこへ行くつもり?」

剣を鞘に収め、その場を去ろうとする終を雪蓮が止める。


「直接本人に聞きに行く。」

そう言ってまた歩き出す終を、今度は腕を掴んで止めた。


「やめておきなさい。罪人と話そうとするなんて、どんな疑いをかけられるかわかったものじゃないわ。」

「あの人は罪人じゃねぇ!何かの間違いだ!」

「その間違いが罷り通るのが、今の漢なのよ。」


ギリギリと終の腕を掴む手に力が籠もる。何があろうとも彼を行かせないという意思と、この状況を作り出した元凶に対する怒りから来るものだ。


「どんな名士だろうと、どれだけ実力があろうとも、洛陽の連中に目をつけられたら一瞬で潰される。奴等にとって都合のいい連中が力を持ち、それ以外は目をつけられないように日々を過ごすしかない。……そんな状態なのよ、この国は。」


吐き捨てるように語る雪蓮の顔には、普段の快活で明るい雰囲気はない。今も洛陽にて争っているであろう、宦官や奸臣達の姿を想起し、その顔を嫌悪と怒りで歪めていた。


本音を言えば、この手を離してしまいたかった。終が行うであろう救出劇を見過ごしてやりたかった。だが、それをしてしまえば終を『漢の敵』にしてしまう。無双の武を誇ろうとも、一つの国を相手にして無事でいられるわけがない。


「わかったら、大人しくしなさい。」


有能な士が、それも己の友が、嬲り殺しになるところを見たくはない。声なき声を聞いた終は、己の無力さに奥歯を噛みしめる。


「呂布殿!?」


失念していた、と言えばそれまでだ。この一団の中で、信と最も関わりのある人物が誰であるか。その人物が、このことを聞いてどのような行動に出るのか。少し考えればわかることだった。


「…!恋!!」


赤よりも鮮烈な深紅の色が、視界の端へと消える。終は、自らを引き止める腕を振りほどき、彼女の向かう先へ駆け出した。








『良かった……本当に……』


数年前、匈奴の侵攻によって、両親を失った日。村唯一の生き残りであった恋は信に救われた。村が壊滅してから、3日後の出来事だ。その間、恋は飲まず食わずで隠れていたため、彼女の体は衰弱仕切っていた。


必死の介抱の甲斐あって、体の方は順調に回復したが、全てを失った恋の心は完全に壊れていた。何処までも無感情に、無表情に、ただ息をして、死んでいないだけの存在になっていた。


そんな彼女をどうにかしようと多くの人間が彼女の周りに集まった。だが、何をしても人形のように反応を示さない彼女に、ほとんどの人間が挫折し彼女の周りから離れた。


ただ、一人を除いて


「信!」

檻に入れられ、運ばれる信を見つけた恋。彼女の目には、その周囲を囲んでいる兵は写っておらず、一切速度を緩めずに信の元へと駆ける。


「そこの貴様!!止まれ!!」

「邪魔ッ!」


行く手を遮る形で現れた存在に、問答無用で斬りかかる。その人物は、恋の凶行に驚きつつも、剣でその一撃を受けた。特別力も入れていない、ただ払い除けるためだけに放たれた斬撃。しかし、恋の手で行われたそれは、受けた相手を文字通りに弾き飛ばした。


「姉者!!」

その様子を見て、檻のすぐ傍に居た存在が、恋に向けて矢を放つ。恋は、目前に迫った一射目を冷静に回避し、弐射目を素手で叩き折り、間断なく放たれた矢を悉く捌いていく。常人であれば、すぐさま躯を晒すことになる必中の矢は、恋には通用しなかった。


「ハァ!!」

だが、全くの無意味であったわけではなく、微かに前進の速度を下げることには成功していた。その一瞬を突いて先程弾かれた存在が横合いから彼女に斬りかかる。


如何に武勇に優れていても、矢と剣による二方面の攻勢を前に無視を決め込むことは出来ない。剣を持った存在が弓の射線に入るように、鍔迫り合いの状況に持ち込んだ。ここに至って恋は、ようやく足を止めたのだ。


「恋!!!」


突然の襲撃に混沌としている状況に、良く通る声が響く。その声を聞いた恋は、押し合っていた力を緩めると、そのまま流されるように押し返され、終の隣まで下がった。


「逃がすか!!」

追撃を仕掛けるために、黒髪の女剣士が駆け出す。このままでは埒が明かなくなると見た終は、一旦場を収めるために恋と剣士の間に割り込んだ。


「なっ!?」

突然、剣士が剣を振り下ろす寸前で止まる。なぜ、と終がその剣士を見ると、それが見知った顔であることに気づいた。


「春蘭?」

「終!?何故お前がここにいる!?」


春蘭と呼ばれた彼女の名は夏侯惇、字は元譲。


旅の出会いの一つであり、ある人物の従者である存在。


(こいつがここにいるってことは……)

「なんの騒ぎかと思えば……」


澄んだ女性の声。何気ないただの一声で、場が支配されるような感覚に襲われる。己の意志に関係なく、無理矢理抑えつけられるような感覚は、常であれば不快以外の何者でもない。だが、彼女の曝け出す気配は、そうあって然るべきと納得させる『強さ』があった。


「久しぶりね、終。」


目が覚めるほどの鮮やかな金の髪。大空を思わせる蒼い瞳は、全てを見通されているような錯覚を覚える。体格は漢に住む女性の平均と比べて小柄だが、纏う覇気は並大抵のものではない。


英雄


誰もが望み、多くが挫折する存在。それの体現者と言える少女の真名を、彼は知っている。


「華琳…」


曹操、字を孟徳。


権力のある家の出の友人であり、終が最初に出会った英雄であり、そして今最も出会いたくなかった人物である。


「その様子だと、私と別れたあとも、その才を持て余していたようね。」

「そういうお前は、随分と上手いこと使ったみたいだな。」

「有るべきものを、有るべきままに用いているだけよ。大したことじゃないわ。」

「相変わらずなようで何よりだ。」

「その言葉、そっくりそのまま返すわ。」


互いに互いの近況を語り軽口を叩くも、終の心中は穏やかではない。


華琳の後ろにある檻の中には、最後に見たときと変わらぬ姿の自身の母の友がいる。その事実が分かっただけでも、恋と同じように飛び出したい気持ちだった。だが、終は目の前の人物を、正しく認知している。


武であれば負けなしと豪語出来る彼も、その他の面において遅れを取ることはしばしばあった。特に、華琳に対しては、武以外で勝てた試しが殆ど無い。もし、この場で無理に押し通ろうとする等の狼藉を働こうものなら、どのような結末を迎えるかなど容易に想像できる。


「それで、何があったのかしら?」

「……お前が護送している人物なんだがな。俺の母の友人で、こいつの養母なんだ。家族同然に慕っている人が、檻に入れられて平静でいられなくなったらしくてな。少し『大袈裟に騒いで』そっちの目に止まっちまったんだよ。」


事情を知らない者であれば、誰であろうと理由を聞きたくなる。特に嘘をつく理由もなく、要点のみを抑えて経緯を話す。流石に襲撃したと言ってしまえば言い訳ができなくなるため、そこの部分だけはぼかして言った。


「何を言っている!?どう考えてもそっちが」

「ならいいわ。」

「華琳様!?」

誰がどう見ても襲撃であったので、春蘭がそのことに抗議を入れようとするも華琳の一言によって遮られた。


「此方の警戒を誘うほど『騒ぐ』と言うことは、それだけ彼女を思っているということ。相手が罪人であろうと、その人を思って嘆く程度は許されるはずよ。」


襲撃を仕掛けた時点で十分に捕らえる理由にはなるが、華琳はその現場を『見ていない』。ただ、嘆き悲しみ、それが目に余るほどのものであったという形にして、この件不問とすることにしたのだ。


春蘭は主の意図には微塵も気づいていないが、自身の主が決めたことであるため、不満ながらも引き下がった。


「……借りが一つ出来てすぐで悪いんだが、一つ頼みを聞いてくれないか?」

「言ってみなさい。」

「少しだけでいい。俺と恋に、あの人と話す時間をくれ。」


相手が賄賂でどうにかなるような相手なら、まだ幾らか勝機はあった。適当に金を掴ませるなり、皆殺しするなりして信を助け出すことも考えられた。だが、相手が華琳である以上、万に一つの可能性さえなくなった。


ならば、せめて最後に、話だけでもさせてほしい。彼女を母のように慕う親友のために、自身の母に友の最後を伝えるために


「そうね……」


華琳は目を閉じ、しばしの間考える。終は、逸る恋を抑えながら、彼女の返事を待つ。


「いいわよ。」

返事は存外あっさりしたものだった。若干拍子抜けするも、華琳がそれだけで終わらせる訳がないと思い直し気を引き締める。


「ただし、時間はこちらで決めさせてもらうわ。こちらにも都合があるということは理解しなさい。」

予想通りに言葉が続き、予想外の緩い条件にまたも拍子抜けする。彼女の性分を考えれば、家臣になれ、とまではいかなくとも、必要な時に力を貸せ、程度は言ってきそうだったからだ。


(いや、俺からそうさせることに意味があるのか……)

単なる善意で、実質無償で、罪人と引き合わせることを許すほど、華琳は甘い女ではない。その行動には必ず、彼女にとって有益な何かがある。彼女と友誼を交わしたからこそ、彼女の油断ならない性分は良く理解していた。


何を考えているかは確信が持てない。だが、信と話が出来るのであれば、それは今詮索するべきことではない。


「……感謝する。」


何時か返すことになるだろう貸2つ。己の記憶に刻んだ終は、恋と共に檻に向かう。


「信!」


恋が檻に駆け寄り、信の名を呼ぶ。久しぶりに合う義母は、彼女の記憶にあるそれとは比べ物にならないほどみすぼらしくなっていた。だが、そこに居たのは間違いなく、彼女のもう一人の母だった。


「恋!?終君も!?」


騒ぎの間も一切動じた様子を見せなかった信も、自身の義子の声を間近に聞いてはそれを保つことは出来なかった。顔を上げ、声の方を向けば、そこには自身の娘と呼べる存在が、自身の友の息子と共に居た。


「二人ともどうしてここに?」

「晋陽であなたが護送されると聞いたんです。信さんは、どうしてこんなことに?」

純粋な疑問に手短に返す。時間が限られている以上、話す内容は簡潔にしなければならない。


「……私を真名で呼んでくれるんだな。」

「色々と、学びましたので。」


こんな再会の仕方はしたくなかった。本来であれば、恋と出会うまでの旅の話、恋と出会ってからの旅の話を、酒でも呑みながら語り合いたかった。だが、それが許されるような状況ではないことに、終は奥歯を噛み締める。


「……なんのことはない。洛陽の腐れ宦官どもに、目をつけられただけだ。」

「やっぱり、無実なんですね。」

「実のあるなしなんざ、連中には関係ないのさ。ただ、私が邪魔だから。それだけで、この首を切るには十分なんだろうさ。」


豪放が服を着て歩いているような人物が、似合わない皮肉気な笑顔を浮かべる。その様から、本当に大した事のない、心底くだらない理由でこうなったことが容易に読み取れた。それこそ、賄賂を渡さなかった、といったような非常時にあるまじき理由のように……


(何処まで腐ってるんだ……!)


反乱が起きている最中でも、考えるのは己の権益と保身のみ。例え国が滅び、民が塗炭の苦しみに喘ごうと、己さえ良ければそれで良い。そのような輩が権勢を握っていることを、嫌でも認識させられる。


「今、出す!」

恋が檻を壊そうと置いていた檄を手に取ろうとした。ここでそんなことをしては、もう言い訳をすることができない。終は全力でその手を抑えた。


「止めろ!恋!そんなことしたら、お前はこの国を敵に回すことになる!」

「それでもいい!信は悪くない!」


振りほどこうと暴れる恋。絶対にさせないと羽交い締めする終。終は恋の気持ちが分かっていた。恋も終の気持ちが分かっていた。だが、終と違い理屈だけで大人しくできるほど、恋は感情を制御出来ていない。


抑えつけるものと、抑えつけられるもの。何方も必死ではあるが、やはり本心ではこのことに納得がいっていない分、終の抑える力は恋の家族を救いたいと思うがゆえの暴走と比べると、やや劣っていた。徐々に檄に手が近づいていき、指先が触れる。


「止めろ、恋。」

それを止めたのは、檻の向こうから伸ばされた信の手だった。それは決して力の籠もったものではなかったが、彼女の動きを止めるには十分なものだった。


「もう、いいんだ。」

「信……」

「元々、こうなることはわかっていた。その時が、今来たというだけのことなんだ。」


丁原は、ここに至るまでの道程を思い返す。


明日をも知れぬ日々を送る中、日銭を稼ぐために近隣の賊を退治していたところを、偶然その場に居合わせた役人に見出された。それからは戦いの日々だ。幾度の戦場を駆け抜け、数多の敵を切り捨ててきた。時に負けることもあったが、多くを勝利で飾ってきた。その果に、并州刺史となったのだ。


だが、武芸のみでは生き残れないのが、彼女の置かれた地位だ。辺境の地であろうと刺史は刺史。政とは切っても切れない関係にある。元々学のない彼女は、もし自分が朝廷に目をつけられれば、すぐさま除かれることを理解していた。だからこそ、目立たぬように、只管与えられた職務のみを遂行した。


その努力も、此度の反乱で無駄になった。服属していたはずの南匈奴から、幽州へ向かう者が出たのだ。南匈奴は彼女の管轄だ。それが一部とはいえ漢に反旗を翻したのなら、如何なる理由があろうとも責任を問われる。そこを好機と見た者が、賄賂を渡せば助けてやると持ちかけてきたが、そんなことをせずとも、自らの武を持ってこの乱を鎮圧すればいいと取り合わなかった。


結果がこれだ。敵を目前にして現場の将を無理矢理連行するとは、微塵も予測できなかった。それどころかありもしない罪を着せられて、処刑されることが確定されるなど誰であっても予測できない。


異民族との戦いに全能力を注ぎ込んでいた信は、朝廷にこれと言った伝手を持たない。故に、この決定を覆す手段もない。こうなった時点で、全て終わってしまっていたのだ。


「……嫌」


檄へと伸びていた手が、信の手を握る。


「いや」


言葉にすれば、単純で短い。だが、そこに込められた思いは、とても言葉では言い表せない。


「恋…」

「信は、恋を助けてくれた。恋を大事にしてくれた。」


出会った当初は、良好な関係であったとは言い難かった。差し伸べた手を払ったことなど、一度や二度ではない。それでも嫌な顔一つせず、時には政務を途中で切り上げてまで世話を焼いてくれた。并州から外に出たいと思った頃は、過保護と呼べるほどになっていたため、少しだけ窮屈に感じてはいたが、それだけ自分を思ってくれていると分かって嬉しかった。


恋にとって、信はもう一人の母となっていたのだ。それが、今奪われようとしている。認められる訳がなかった。


「恋は、ずっと、信と一緒にいたい。」

「……私もそうしたいさ。お前と過ごした日々は、本当に楽しかった。お前のことを、本当の娘のように思っていた。」


この仕置を認められないのは、信も同様だった。無実の罪を着せられて、承服できるわけがない。一昔前の彼女であれば、自身を貶めた人間をその場で殺して、漢に反旗を翻してもおかしくなかった。


それをしなかったのは、恋がいたからだ。自分の行動如何によっては、養子である彼女にも害が及ぶかもしれない。そう考えると、何もできなくなった。恋は、家族と言える存在がいなかった彼女にとって、たった一人のかけがいのない家族だったのだ。その家族が害されるのは、己が死ぬよりもずっと恐ろしいものだった。


「でも、もうダメなんだ。ーーーもう、ダメなんだよ。」


あらぬ罪で侮辱されようとも、悪名が独り歩きすることになろうとも、恋が無事であるならばいくらでも耐えられる。


既に覚悟を決めてしまっている信を止める手段は、どこにもないのだ。


「……嘘つき」


恋の手が檻を掴む。彼女が本気を出せば、容易く壊れる囲い。だが、もしそれをしようとすれば、彼女は自ら命を断つ。それがわかったから、何も出来なかった。


「……お義母さんの、嘘つき。」

「……ごめんな、恋」


涙を流し項垂れる恋の頭を、信は優しく撫でる。これで本当に最後なのだと思い知らされ、恋は小さく嗚咽を洩らした。


(ちくしょう)

煮えたぎるような怒りが終の中に渦巻く。腐りきった朝廷、それに取り入ろうとする佞臣、己のことしか考えぬ愚者達。だが、何よりも怒りを感じたのは、それを知っていながら、今まで何もしてこなかった己自身だ。


もし、ほんの少しでも、他者に頼らず己の手でこの世を変えようと動いたのなら


華琳達のような『本当の英雄』ではなく、『偽りの英雄』であったとしても


ここにある涙くらいは、流さずに済んだのではないかと、そう思わずにはいられなかった。


「……終君。」

「はい。」


信の視線が、恋から終へ移る。彼を写す目は、先程の自己犠牲の覚悟とは、また別種の覚悟を秘めていた。


「君に伝えなければならないことがある。落ち着いて聞いてくれ。」


一瞬周囲に気を配り、恋と終以外に声を聞かれることがないこと確認する。


そして、微かに迷うように、一度目を閉じると、衝撃の事実を口にした。



















「君は、仁竜神王ではない。君の母も、仁玲ではない。」


















思考が白く染まる


視界が歪み、周囲の輪郭が曖昧になる


身を焦がす憤りも、彼方へと消え去った


この身に受けた衝撃は、それほどのものだった





「…………どういう、意味ですか?」


理解できない


理解したくない


今、この人は、何を言った?


「それはここでは話せない。知りたければ、一刻も速く故郷に帰れ。」


混乱が治まる時間もなく、矢継ぎ早に情報が放たれる。


頭の痛みを感じながらも、思考は言葉を正確に読み取っていく。


「反乱軍の一部が常山に向かっている。兵の殆どが対応に追われている今、あそこは完全に無防備だ。」

「で、でも、あそこには母上がいます!母上ならきっと――――」

「縁は病に侵されている。」


次から次へと出てくる情報が、彼の内側を搔き乱す。信の放つ言葉の一つ一つが、彼の中の何かを崩し続ける。


「今のあいつは、そこらの賊にもやられかねない。」

「……そんなに、ひどいんですか?」


取り繕うことすら出来なくなる。


常に言葉に乗っていた覇気はなく、幼い少年を思わせる声音になる。


『本来の自分』が、自然と顔を出していた。


「…何時から、なんです?」

「知ったのは君が旅立った後だ。……その時点で、もう手遅れだった。」

「…!なんであの人は!」

「……それは、私にもわからない。だが、あいつの身が危ないのは事実だ。」


思考が纏まらない


自分が何を思っているかもわからない


だが、今しなければならないことはわかった


「時間よ。」

「わかってるな終君!すぐに縁の元へ!」


その言葉を最後に檻が遠ざかって行く。終と恋をその場で置き去りにして、信と華琳の一行はその姿を彼方へと消した。恋は、信が消えた方角を、涙の枯れ果てた目で見つめ続けている。一方の終は、信の姿が見えなくなると同時に動き出した。今の恋を置き去りにするのは、本来であれば決してしてはならない行為だ。だが、彼女の遺言も同然の情報を無駄にするわけにはいけない。


「麒麟!」


名を呼ぶと同時に、長年連れ添っていた相棒がすぐ傍に現れる。終は、恋を一瞥すると麒麟の背に跨った。


「終!!」


こういう時に限って、物事は良い方向に向かってしまう。


二人の速さに着いて行けず、振り切られていた面々が先程の声を聞いてようやく位置を把握したらしい。雪蓮を先頭に小沙良と璃空が、こちらに馬を駆けさせていた。


「すぐに故郷に行く。小沙良は俺と一緒に、璃空は他の連中を纏めて後から来てくれ。前話した通り、街道沿いに真東に行けば着く。できる限り急いできてくれ。それと雪蓮。悪いが、恋を見ていてくれ。見ての通りの状態だからよ。」


終は自身の前に三人が立つと、まともに会話をする気のない一方的な要求を口にした。多少の混乱はあったが、小沙良と璃空はすぐに指示通りに動き出した。


「待ちなさい!何があったっていうの?」

「母上達が危ない。すぐに行かなきゃ間に合わなくなる。」

ただ、雪蓮だけは、状況を大まかに理解しつつも、詳細を知るために理由を聞いた。それに僅かな時間も惜しいと早口で答える。


聞きたいことは教えた。これ以上話すことはない。そう言うように、麒麟を駆けさせようとしたとき、目の前に見慣れた深紅が写る。


「恋も行く。」

静かに、だが力強く、恋が同行を主張する。麒麟の背に終と相乗りする形で跨がり、右手には檄が握られている。


「恋…」

「……終を、悲しませたくない。」

振り返った顔には、涙の跡が残っている。養母との別れからまだ立ち直れていないためか、強者たる覇気が感じられず精神的に疲弊しているのが伺える。しかし、深紅の目は終を捕えて離さない。


かつて家族を失い、今また家族を失った。悲しみで胸が引き裂かれそうな感覚に、そのまま身を委ねてしまいたかった。だが、大切な人が自分と同じ苦しみを味わおうとしている。この痛みを知るものとして、それだけはさせたくなかった。


「ちょっと、何時までボーッとしてるのよ。」


呆れたような声のする方へ顔を向ければ、雪蓮が準備万端といった様子で馬に跨っている。


「急ぐんでしょ?速く出発するわよ。」

友人の家族が危機にあると聞いて、何もしない女ではない。恋も同行する意思を固め、特に何かをする必要もなくなった今、終と共に行く以外の選択肢はなかった。


「……ありがとう。」

「お礼は後でいくらだって聞いてあげるわ。」


小さな声で感謝する終に、雪蓮は笑みを浮かべつつ出発を催促する。


軽く麒麟の腹を蹴る。全ての景色が後ろに流れ、身を裂くような風が全身を打ち付けた。


(無事でいてくれ、皆!!)


暗雲立ち込める故郷へ目を向けながら、終は心の底から祈った。

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