閑話 詐欺師フィンと陽だまりの幻影
こちらは書籍版に入りきらなかったショートです。
『第一部第七章 公女セレスティーナと道化の知恵』のサイドストーリとなります。
その日、フィンはひどく寝覚めが悪かった。
夢にリリィが出てきたからだ。孤児院を抜け出し、二人で初めて市場の祭りを見た日。あいつは目を輝かせ、串焼きを頬張っていた。あの頃は、ただ笑っているだけでよかった。
……だが、目が覚めれば、現実はこれだ。
あいつはもういない。
俺は、あいつの最後の言葉に縛られて、こんな贖罪の旅を続けている。気落ちしている自分自身に気づき、フィンは舌打ちをした。いら立ちが募る。
西の街道沿いの町。市場の喧騒から逃れるように、人気のない路地裏で壁に寄りかかり、一休みしていると、聞き飽きた手口が耳に入った。
「あら、お嬢さん。どうかなさったの?」
見れば、ふくよかな婦人(人買い)が、世間知らずな少女に、甘い言葉をかけているところだった。
『乙女たちのための救済院』、か。
リリィと二人で使い古した、人買いの常套句だ。ウンザリする。
だが、その「籠の鳥」――セレスティーナの後ろ姿が、なぜか、あの頃のリリィと重なって見えた。
陽光を知らない白い肌は違えど、その細い背中も、世間を知らないくせに、何かから逃げ出そうとしている意地っ張りな雰囲気も、驚くほど似ていた。
放っておけば、こいつもあの婦人に売り飛ばされる。
寝覚めの悪さが、これで最悪になった。
婦人が優しく手を差し伸べ、セレスティーナがその手を取ろうとした、まさにその瞬間だった。
「――おっと、そこの奥さん。そいつは早計ってもんじゃねえかな」
俺は、壁に寄りかかったまま、怠惰な声を割り込ませた。
……それから、三日間。
俺は、あの東門の爺さん(ヨハン)が言っていた、『金では買えない、本当の宝物』とやらを、この世間知らずのお姫様に、叩き込む羽目になった。
人を観察し、価値を生み出すこと。
こいつは、思った以上に、筋が良かった。
リリィとは、正反対だ。あいつは、どこまでも不器用で無鉄砲で、そして……。
最後の朝が来た。
俺が教えられることはもう何もない。
こいつはもう、一人で歩いていける。
「フィンさん。……ありがとうございました」
セレスティーナはそう言って、深々と頭を下げた。
その、真っ直ぐな瞳。
俺はその瞳から逃げるように、目をそらした。
「……ああ。……その、何だ……」
言葉が喉の奥でつっかえた。
(―――俺と、一緒に来ないか?)
その一言が、どうしても言えなかった。
こいつの手を引いて、リリィと果たせなかった旅をもう一度やり直す?
馬鹿を言え。
俺の手はあまりにも汚れすぎている。
こいつは俺とは違う。陽の当たる道を、自分の足で歩いていける人間だ。
俺はつっかえた言葉を無理やり飲み込んだ。
「……いや! やっぱ何でもない。それじゃあ、達者でな、セレスティーナ!」
俺は踵を返し、雑踏の中へと歩き出した。
振り返らなかった。
……いや、振り返りそうになるのを必死でこらえた。
(ちっ。……柄でもねえ)
なんであんな小娘一人の門出に、こんなに心がザワつくんだ。……リリィに、似てたからか。
ああ、きっとそうだ。それだけだ。
あのお姫様は、陽の当たる道を自分で歩いていける。俺とは住む世界が違う。
俺にはまだ、やらなきゃならねえことがある。
フィンは無意識のうちに、先ほどセレスティーナが握っていた自分の手のひらを、一度だけ強く握りしめた。
そして、その奇妙な温かさを振り払うように、雑踏の中へとさらに足を早めた。




