第四話 それじゃ皇帝をやったのは……!
アズマ屋モヘイの言った通り、俺たちが案内されたのはこの宿でも二つしかないという豪華な部屋だった。部屋の外には檜造りの大きな露天風呂があり、大浴場と違ってこちらは夜中でも自由に入れるという。
「大浴場の方は子の刻から寅の刻まではお客様のご利用はご遠慮頂いております」
だいたい午後十一時から翌午前五時の間である。今は夕刻で、夕食までまだ間があるということで、俺たちはその檜風呂を堪能することにした。
「これはいい湯だな!」
「誠に!」
早速服を脱ぎ捨てて温泉に浸かっているのはオオクボ国王とガモウ閣下である。
「まさか陛下と同じ湯に浸からせて頂けるとは思いもしませんでした」
「ツッチーは不自由そうだな」
腕に巻かれた包帯を湯に浸けないようにしながらゆっくりと入浴するツッチーを見て、オオクボ国王が心配そうに語りかける。
「そうですね。やはり入浴と便所は難儀致します」
「よし。では余が背中を流してやろう」
「そんな、滅相もない! 陛下に背中をお流し頂くなど……」
「無粋を申すな」
そう言って義父がツッチーの背中を擦り始める。
「陛下、浴槽の中では皆が迷惑致します」
「そうなのか?」
「城の風呂ではございませんので」
「義父上、我々身内のみなら構いませんが、大浴場では絶対になさらないで下さいね」
「何だか小難しいな」
生粋の王族とは、やはりこのように世間知らずなのか。
「ところでその大浴場とやら、是非行ってみたいのだが、この風呂とどう違うのだ?」
「大人数でも入れるように浴槽の大きさが違いますね」
「なに! だとすると泳げるのか!」
子供じゃないんですから。
「泳ぐのはご法度です」
「ご法度! ということは罰せられるのか?」
「領民に冷めた目で見られますよ」
「そうか……だが行ってみたい!」
「分かりました、お供致します。あと少し浸かって一休みしたら行ってみましょう」
宿の宿泊客にはすでに俺たちが泊まっていることは知られているし、今さらこそこそする必要もないだろう。それに普段は威厳に満ちて怖いくらいの義父が、まるで子供のように楽しそうにしているのだ。水を差すこともないと思う。
それからしばらくして宿の浴衣を着た俺たちは大浴場へと向かう。その途中、ふと宿の受付を見て驚いた。宿泊希望者が列を成していたのである。おそらく俺たちが泊まっていることを聞きつけた者たちが、こぞってやってきたのだろう。その大半は女性であった。
「ほう、これが大浴場か! なるほど、大きいな!」
優に三百坪はあろうかという広い浴室に、大小さまざまな浴槽が置かれている。中でも一番大きい浴槽は石造りのもので、ぱっと見百坪くらいはあるんじゃないかと思えるほどだ。冗談抜きに泳いでも問題なさそうである。
「へ、陛下!」
「まさか……まさか国王陛下!」
先客の男たちが俺たちを見て驚いていた。彼らは慌てて浴槽から飛び出し、隠すものも隠さずその場に平伏す。
「構わん。我らのことは気にせずともよい。存分に温泉を楽しまれよ」
「そんな! 陛下と一緒の風呂なんて!」
「何だ、余と共に入浴は不満か?」
「と、とんでもねえです! 本当によろしいのですか?」
「よい。我らも其方らも同じこの宿の客だ。それより何か世間話でも聞かせてくれ」
「へ、へえ……」
彼らは最初は萎縮して浴槽の隅の方で縮こまっていたが、ツッチーの嫁探しが目的だと告げると何となく打ち解けてくれたようだ。
「そ、それじゃ皇帝をやったのは……!」
「首を取ったのは共にいたモモチ殿ですが、最初の一太刀はこの私です」
「す、すげえ! そんなすげえお人がまだお独りで、嫁を探していなさるのですか!」
「おいらに娘がいたらいの一番に差し出したいところです!」
領民の屈託のない表情に、あまり元気のなかったツッチーも笑顔を見せている。その後に大浴場にも人が増えてきて、俺たちは男たちに囲まれて大盛り上がりだった。特に義父は心の底から楽しんでいるように見える。
「義父上、そろそろ出ませんと湯あたり致しますよ」
「お? そうか。では皆の者、楽しかったぞ。礼を申す」
かなり長湯をしてしまったせいか、少しクラクラするが思いがけず領民たちと交流が叶ったことで俺は気分がよかった。ところが再び浴衣を着て浴室を出ると、今度は女たちが俺たちを待ち受けていたのである。
「陛下!」
「きゃあ! 本当に陛下だわ!」
「皆様、どうか道をお開け下さい! 陛下にご無礼があってはなりません!」
宿の者が必死に制しているが、女たちは全く聞き耳を持たずに俺たちに詰め寄ってくる。それにしてもこの女たち、誰もが俺の目にはブサイクに見える。ということは俺以外には皆美人に映っているに違いない。そう思って辺りを見回してみると、遠くの方でアズマ屋モヘイが俺に笑いながら肯くのに気がついた。なるほど、そういうことか。
「ツッチー、今宵は楽しい夜になるかも知れんぞ」
キョトンとするツッチーに、俺は満足げな微笑みを投げかけるのだった。




