第七話 私めも妻を娶りとう存じます
土曜日なのに雨ですね。
というわけで今日も少し早めに更新しておきます。
「おのれ! おのれおのれおのれおのれおのれ!」
キノシタ・トウキチ皇帝は、タケダから送られてきた書簡を見て激怒していた。甥のヒデカツが戦死したことはさほど問題ではない。しかし協定を破り戦を仕掛けたのが帝国であるとの、証拠を伴った宣言は彼の思惑から大きく外れていたのである。つまり、ヒデカツは無駄死にしただけで、何一つ仕事を成さなかったということだ。
「皇帝陛下」
「何だ!」
「此度の件は民草の間にも流布しており、西のスルガへ逃れる領民が後を絶ちません」
すでにシナノとはもちろん、イサワとの国境も封鎖されている。そのため領民にはタケダやシナノに逃れる術はない。従って次に戦に巻き込まれるであろうコウフから離れるには、スルガに流れるしかないのである。
「兵たちの間にもタケダと和睦すべきとの声が上がっているようです」
帝国内でもその強さに定評があったヒデカツの軍が、それほど強いとは言えないシナノに、一兵の損害も与えることなく敗れ去ったのである。そこにタケダ軍の介入があったことは明々白々だが、一体何が起こったのかは見当も付かなかった。ただ一つ分かっているのは彼らが何か途轍もない恐怖にとらわれ、一太刀の反撃も叶わず死んだということだ。それはあの傲慢不遜とも言えるヒデカツの死に顔が、恐怖に恐れおののいたままであることからも窺える。
「和睦などと申す者は捕らえて首を刎ねよ!」
「は、ははっ!」
この後帝国軍に戦慄が走り、出奔する者が後を絶たなかった。
「帝国兵が逃げ出している?」
「タケダを本気で怒らせたとして和睦の声が上がる中、皇帝がその者たちの首を刎ねるよう命じたのが発端のようです」
「だが兵士たちは人質を取られているのではなかったのか?」
「一部では衛兵に金を渡して買収したり、殺したりして人質を救い出しているとか」
「まるで内乱だな」
俺はツッチーの報告に苦笑いせざるを得なかった。それでは軍の士気もかなり下がっていることだろう。
「オオクボ王国からの援軍は予定通りだな?」
「はい、オオクボ軍十万、ダテ軍二万、アシナ軍一万、それと我が軍五万の総勢約十八万が明日には到着するかと」
「十八万か、それにしても早いな」
「早馬の伝令では帝国にひと泡吹かせられるとのことで、全軍の士気は殊の外高く、とございました」
帝国の悪逆非道は東側にも広く知れ渡っているということだ。
「帝国軍を退けコウフを攻め落とせば、属国の座に甘んじている諸国の中からも離叛する国が出よう」
「二十万の帝国軍が本体だとすれば、それを叩くということは……」
「そうだ、事実上帝国の敗北となる」
それともう一つ、帝国を壊滅状態に追い込む作戦も考えてある。
「全軍が到着したらその足でコウフとの国境九町のところへ向かわせろ。だがそれ以上は進軍させるな」
「何かお考えがおありなのですね?」
「ああ、取って置きの策がな」
アヤカ姫が至極当然のように言った言葉だったが、それは自軍はもとより帝国軍の兵士たちの犠牲も最小限に抑えられる策なのである。俺はツッチーに作戦の内容を説明した。
「何と! しかしそれは……」
彼の言わんとすることは痛いほど分かる。恐らくこの大任を任せられるのはモモチさんとヤシチさんしかいない。しかしこの作戦は決死となるのだ。
「モモチとヤシチを呼んでくれ」
「陛下、本気なのですね?」
「無論だ。誰かが帝国の、いや、キノシタの暴挙を止めなければならない。そしてそれが出来るのは我がタケダ王国しかないだろう」
「御意」
それからしばらくして俺の前にモモチさんとヤシチさんが跪いていた。
「モモチ、ヤシチ、国王としての余の命を聞いてくれるか」
「何なりとお申し付け下さい」
この時、二人にはもう命令が何なのかは分かっていただろうと思う。それでも、察しろというわけにはいかない。
「皇帝キノシタの首を取って参れ」
「ははっ!」
「余は其方らに死ねと申しておるのだ。異論はないのか?」
「忍びとは主君に命を捧げて尽くすもの。そしてこの命を陛下に捧げられることは無上の喜びにございますれば、異論などありようはずがございません」
「モモチ殿に同じでございます」
「そうか……」
まずい、涙が出そうだ。しかしここは堪えなければならない。
「何か望みはあるか?」
「では任を成し遂げた暁には、たとえこの両手両足を失っても陛下にお仕え致したく存じます」
「相分かった。約束しよう」
モモチさん、頼むからもう泣かせようとしないでよ。
「サナとリツのことをお頼み申し上げます」
ヤシチさんは二人のことだけが気がかりのようだ。
「案ずるな」
「陛下」
「どうした?」
その時ツッチーがいきなり俺を呼んだ。何か変なことでも言ったのだろうか。だが、彼の表情は今まで見たことがないほど真剣そのものだった。
「許す、申せ」
「不肖、この私ツチミカド・ユウシュンめも、お二人と行動を共に致したく」
「なっ!」
これにはモモチさんもヤシチさんも驚かずにはいられなかったようだ。
「陛下、私にも望みを聞いては頂けませんか?」
「本気なのだな?」
「陛下にお仕えしてよりこの方、この身が死するのは陛下から命じられた時と決めておりました」
「モモチ、ヤシチ、ツチミカドを頼めるか?」
「何をおっしゃいます陛下。ツチミカド殿は我らと肩を並べる、いえ、それ以上の忍びでございますぞ」
マジか、そんなこと知らなかったぞ。しかし言われてみれば確かにツッチーは神出鬼没だった覚えがある。
「足手纏いになるようなことはございません」
「望みは何だ?」
「私が帰らずとも、城下の徘徊はご自重なされませ」
「うん? それは……」
「冗談にございます。もし帰ってくることが出来ましたなら、私めも妻を娶りとう存じます」
「妻を?」
しかしこれはツッチーの覚悟なのだろう。彼が忍びというなら、嫁を迎えるなど滅多にないことだからだ。
「心得た。何人でも好きなだけ娶るがよい」
俺は再び泣きそうになりながらも、ツッチーの肩を叩いた。そして俺は三人に、この世で最期になるかも知れない言葉をかけた。
「必ず成し遂げよ。失敗は許さん」
「ははっ!」
三人が去ってから誰もいなくなった部屋で一人涙する俺を、そっと抱きしめて慰めてくれたのはウイちゃんだった。




