第五話 俺たちの立派なモノを見せつけてやろうぜ!
「シナノから領民のガキを一人攫ってこい」
シナノとの国境に軍を進めるキノシタ・ヒデカツは、馬車の窓から併走する側近のイチクラ・ゴンジュウロウに向かって言った。
「なるほど、その人質を見せつけてシナノを煽るわけですね?」
「温いわ。奴らの目の前で串刺しにしてやるのよ」
「何と!」
「自国の領民、しかもガキが目の前で惨殺されるのだ。並の者なら怒り狂うであろう?」
並の者でなくても怒り狂いますよ。イチクラはそう思ったが、決して口に出すことはなかった。彼の主であるヒデカツという伯爵は、およそ情けというものを持ち合わせていないのだ。一言でも彼の不興を買えば、その場で首を刎ねられるのである。それは側近だろうが重臣だろうが、それこそ女子供だろうが容赦はなかった。
「そのガキはこちらに迷い込んだことにしろよ。でないと叔父貴の言い付けに背くことになるからな」
「心得ております」
「それにしても叔父貴も肝が小さい。タケダ如きこの俺がいつでもひねり潰してやるのに」
この一見恐怖政治を敷いているように見えるヒデカツだが、自軍の兵に対する恩賞は破格である。そのため彼の指揮下にある軍の士気は高い。さらに戦で討ち死にした者の家族に対しても、多額の見舞金を出すのだ。つまり、兵士は安心して死ねるということである。
「聞けばタケダの王はまだ若僧だそうじゃないか。シバタにしてもムライにしても、そんな奴にやられるなど片腹痛いわ」
「で、ございますな」
「まあ今回は叔父貴も本気らしいからな。さすがのタケダもコウフからの二十万には手も足も出ないだろう」
「ましてイサワに城はございませんし」
「そんなところに二十万で乗り込むとは、どれだけ臆病風に吹かれているのやら」
そう言って大きく笑い声を上げる主を見ながら、イチクラは一抹の不安を覚えずにはいられなかった。寄せ集めの民兵が大半を占めていたとはいえ、シバタ伯爵の軍勢は七万を数えたのだ。それが一瞬にして全滅させられたのである。タケダが何か途轍もない力を秘めているのだとしたら、この三万の軍もあっという間に滅ぼされるかも知れない。だがそれは絶対に口にしてはならないことだった。
「国境に着いたらまずは皆に休息を与えろ。その間にガキを取っ捕まえてきて余興とするのだ」
「はっ!」
その翌日、ヒデカツの軍はシナノとの国境に到着するのだった。
「申し上げます! ババ・ノブハル騎馬隊長殿、ご到着にございます!」
「通せ!」
「陛下、マツダイラ卿、ババ・ノブハル、お召しによりスノーウルフ三頭を引き連れて参上つかまつりました」
期間にすればそれほど長い間ではないが、王城にいる頃は毎日顔を見ていたので、何となく懐かしい気分である。
「長旅大儀。ゆっくり休めと言いたいところなのだが、そうも言ってられん」
「はっ! 心得てございます」
「時にツチミカドはどうしておる?」
「そ、それが……」
「陛下、私めはこちらに」
「わっ!」
驚いた。いつの間にかツッチーが俺の隣に立っていたのである。
「ツチミカド、どうしてここに……? 城の執務はどうした?」
「ウイ妃殿下が何とかして下さると」
「そうか」
さすがにウイちゃんも放っておかれたままのツッチーを気の毒に思ったのかも知れない。
「それより陛下、城下にニセモノが出たそうにございますな」
「そ、そんなこともあったかな……」
「陛下! 私めが参ったからには城下の徘徊は……」
「ツチミカド、すまんが今そのようなことを問答している暇はない」
やれやれ、エンザンに来てまでツッチーのお小言を頂戴するとは思わなかったよ。
「ババ、スノーウルフの調子はどうだ?」
「すこぶる絶好調にございます。特に今回は重要な任務ですので、最も人の言葉を理解する三頭を選りすぐって参りました」
「うむ。すでにヒデカツの軍はシナノとの国境に集結しつつある。奴らのケツに噛みつかせてやれ」
「御意」
ババさん率いるスノーウルフ部隊はイサワからシナノに入る予定だ。また、それとは別にウイちゃんからの情報で、ヒデカツの姑息な企みも露見している。もっともそちらはオガサワラ国王が対処してくれることになっていた。
それから二日後、キノシタ・ヒデカツの帝国軍約三万は、シナノとの国境に陣を構えていた。目的地に到着した彼らは、丸一日休息を取ったことになる。
国境を流れる細く浅い川は、雨が少ないこの時期は水量もあまり多くない。その対岸にはシナノの軍が対峙している。そこから少々離れた川下の雑木林の中に、ババさんのスノーウルフ部隊が配置についていた。
「シナノの腰抜け共は我らを見て漏らしておるのではないか?」
「違いない。だが雨の少ないこの季節、川も潤ってよいであろう」
ヒデカツ軍からはこれ見よがしに罵詈雑言が聞こえてくる。シナノ軍の兵は当然腹を立てていたが、挑発に乗ってはいけないときつく言われていたので、何とか我慢していた。
「おい、小便でもするか!」
「おお、シナノの粗チン共に、俺たちの立派なモノを見せつけてやろうぜ!」
そう言ってヒデカツ軍の兵士が数人、目の前の川に向かって小便を始めたのである。国境の川は帝国の物でもあるがシナノの物でもある。国境線としては川の中央だが、そこに小便を流せば当然国境線を越えて流れ込んでくるのだ。これにはさすがにシナノの兵士も我慢し切れなかった。
「奴らの小便が国境を越えた! これはつまり奴らが侵入したのと同じ!」
「今こそ我らシナノの力を見せつけてやろうぞ!」
「おお!」
無論この理屈は通らない。だが、頭に血が上ったシナノ軍は、すでに冷静さを欠いてしまっていたのである。そして、シナノの兵は一斉に国境の川に向かって走り出した。
「ガキを攫うまでもありませんでしたな」
「なあに、ならば奴らの目の前で両手足に縄を付け、馬に引かせて引き裂いてやればよかろう」
イチクラの言葉に、ヒデカツはそう言って不気味な笑い声を上げるのだった。




