第十話 はしたない真似は慎め
「い、いるって……」
「可哀想に、肩口から袈裟懸けに斬られた後、背中を滅多刺しにされてますね」
「惨殺ってこと?」
「ええ、それもヒコザ様たちが案内されたお部屋で」
「は?」
すすり泣く女の声は向かいの部屋から聞こえると聞いたのに、まさか俺たちの泊まる部屋が女中が殺された現場だったとは。恐らく、というか九分九厘あのシズという娘はそれを知らないのだろう。
「とするとやっぱり貴族の一族は呪い殺されたんだ?」
「いえ、そちらは疫病のようですわよ。殺されたお女中は今も地縛霊になったままですので」
霊界の事情はよく分からないが、ウイちゃんも元は地縛霊だったからね。
「と言うことは、殺された女中は今も苦しんでいるってこと?」
「はい」
「救ってやることは出来るの?」
「ヒコザ様?」
「うん?」
「私はヒコザ様のようにお優しい方の妻になれて本当に誇らしく思いますわ」
「な、何を急に……?」
「普通でしたら怖がるところを、ヒコザ様はお救いになろうとお考えになられたのですわよね?」
まあ、怖くないと言ったら嘘になるかも知れないけど、ウイちゃんを嫁にした時点で幽霊が家族になっているのだ。怖いと思うよりも出来れば幸せに、つまり冥福を祈りたいという気持ちの方が本音である。
「救えるかどうかですわね。結論から申し上げると出来ないことはございません。ですがそれにはお女中の無念を晴らす必要がございますの」
「無念? でも彼女を斬った貴族はすでに没落してるし、今さらどうやって晴らせばいいの?」
「お女中の願いを叶えて差し上げることですわ」
「願い?」
復讐したいというならそれはやはり無理な相談だろう。それとも霊界で改めて復讐させてやるということだろうか。しかし今の俺には、アザイ王に頼んで貴族の霊を滅多斬りにでもしてもらうくらいしか思い浮かばない。もっともそんなことで女中の無念が晴れるとは思えないのだが。
「ヒコザ様がお考えになっているようなことではございません。お女中の願いは……」
俺はウイちゃんから女中の本当の願いというのを聞いて愕然とした。確かにそれならば現世の者にしか実現することは不可能である。しかし、だ。
「俺たちに出来るのかな」
「ヒコザ様?」
「うん?」
「私はヒコザ様を信じておりますわよ」
そう言うとウイちゃんは俺の頬に口づけして、すっとその場から姿を消してしまった。
「ご主人さま、大丈夫ですか?」
「ああ、アカネにスズネか。どうした?」
ウイちゃんが消えた直後に俺の許に二人が駆け寄ってくる。
「どうしたじゃありませんよ。お戻りが遅いから心配したではありませんか」
「すまんすまん、少し考え事をしていたのでな」
「悪い奴がいつ忍び込んでくるか分からないのですから、あまり一人にならないで下さい」
アカネさんがそう言って俺の右腕に巻きつくと、スズネさんも真似するように左腕に巻きついてきた。
「それなんだが……」
「どうなさったのですか?」
「いや、実は……」
俺は小声で二人にウイちゃんから聞いたことを伝えた。その間、巻きつけられた彼女たちの腕に、どんどん力が入っていったのは言うまでもないだろう。
「本当に幽霊が……それもあの部屋で……」
「そんなに怖がることもないだろう。ウイだって幽霊なんだから」
「ウイ殿は私たちに害意はありませんから。それでも……ねえ」
「ご主人さまは怖くないんですか?」
「確かに得体の知れない相手となると不気味ではあるが」
妻の一人が幽霊なのだからもう慣れたよ。それよりも地縛霊となって今も苦しんでいるその女中を何とかしてやりたいと思う。
「ひとまず戻ろう。ミノリたちも心配するだろうし」
「ご隠居様、なりません!」
「いいのだタツノシン。シズと言ったな。これを持って食材を仕入れてきなさい。そして美味いものを食わせてくれ」
「こ、こんなに……ご隠居さま……」
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
俺たちが部屋に戻ると、オガサワラ国王が金の入った麻袋をそのままシズに手渡しているところだった。どうやらこの宿の借金がどうこうと言っているより、まずは腹ごしらえということなのだろう。
「金はいくら使っても構わん。この宿で出せる最高の料理を、な」
「はい! マサキチさんの料理の腕はそこらの料理人など足許にも及びません。きっと、ご隠居さまにご満足頂けると思います!」
「お、お任せ下さい! 食材さえ手に入れば!」
「うむ。頼んだぞ」
シズとマサキチの二人が大急ぎで部屋から出ていく。それを見送りながら腰を降ろそうとしたところで、またもやアカネさんとスズネさんが俺にぴったりと体を寄せてきた。
「何もこんなところで見せつけなくてもいいではありませんか」
どうやらミノリ姫はヤキモチを焼いているようで、口を尖らせながらそんなことを言い出した。しかしスズネさんが彼女に耳打ちした途端、ミノリ姫まで俺にくっついてきたのである。これはたまらん。
「ミノリ、お前はまだ嫁入り前だ。はしたない真似は慎め」
「ですが父上!」
そこでとうとう女中の惨殺事件がこの部屋で起こり、未だに地縛霊として宿の中を彷徨っていることが全員の知るところとなる。いや、待って。どうしてオガサワラ国王もサエキも俺の方に寄ってくるのさ。
そして気付くといつの間にか、俺は女子ばかりでなくオッサンたちにまで体を寄せられる悲劇に見舞われていたのだった。




