第十五話 ちょっとそこまで面貸してもらうぜ
「うわっ!」
腰を抜かすとはまさにこのことだろう。男からしてみれば、それまで向こうにいたウイちゃんが突然目の前に現れたのである。無論だが彼に押さえつけられている少年も目を見開いたまま、声を上げることも出来ないようだった。
「刃を収めなさい。さもなければ私の幻術であなたは冥界の彷徨い人となりましょう」
「ひ、ひいっ!」
恐らくウイちゃんは男に対して、幽霊特有の身の毛もよだつ恐ろしい表情を見せたのではないかと思う。彼は少年を手放して失禁までしていたからだ。
「幻術と侮らぬ方が身のためだぞ。我が妻の幻術は首を絞りあげるくらい造作もないのでな」
「すごい……」
いつの間にか元の位置に戻ったウイちゃんをまじまじと見つめながら、ミノリ姫も言葉を失っていた。
「わ、わわわ、分かった! 分かったから許してくれ!」
「何事だっ!」
男が真っ青な顔で尻をついたまま後ずさりしていた時、俺たちの背後から怒鳴るような声が聞こえてきた。振り返ると目明かしと思われる男が、手下を二人連れて脇差しを抜きながら駆け寄ってくるのが見える。その姿に群がっていた野次馬たちはすっと引き、気がつけば一人残らず霧散していた。
「ケンシロウ親分!」
目明かしに気づいた男たちが、途端にほっとしたような表情を浮かべて彼の名を呼ぶ。目明かしも彼らに軽く頷いて見せると、首を刎ねられて血の池の中に横たわる、先ほどの男の死体と俺を交互に見ながら言った。
「これは旦那の仕事かい?」
その中にあって彼の脇差しの切っ先は、まだ刀を鞘に収めていなかったユキたんに向けられていた。
「やったのは俺の妻だがな、許したのは俺だ」
「妻? 旦那の? あんなブサイク女が旦那みたいなお人の妻ねぇ。まあいいや」
俺はユキたんに頷いて刀を収めさせた。それを見た目明かしは切っ先を俺に向ける。
「それでこうなった理由は何だい? この土地には領主様とお付きの方以外に貴族様はいねえはずだが、旅人ってんなら土地の者じゃねえよな。だとすると貴族様お得意の無礼討ちにもそれなりの理由が必要だぜ」
「この者たちがそこの少年を攫って奴隷商に売り飛ばそうとしていたのでな」
どうやらケンシロウという目明かしは貴族を目の敵にしているようだ。その彼に俺は男たちが少年を連れ去ろうとした理由と、死んだ一人は脇差しで斬りかかってきたのでユキたんが首を刎ねたのだと説明した。
「なるほど。するってえと旦那は貸した金を踏み倒されたコイツらの方が悪いと?」
「今の俺の話を聞いたらそうとしか思えないはずだが?」
「旦那、コイツらだって食ってかなきゃなんねえ。だがタケダの国王様はコイツらからシノギを奪い取っちまった。その上何の手助けもしてやってねえときたもんだ」
「だからどうした。真っ当に働けばいいだけのことではないのか?」
「馬鹿言っちゃいけねえ。コイツらにしてみれば賭場を開くのが真っ当な仕事だったんだぜ。それがいきなり違法にされちまってよ、すぐに違う仕事になんてありつけるわけがねえだろ」
ケンシロウは、賭場は確かに人を苦しめることもある。だがそのお陰で恨みを買い、男たちに手を差し伸べようとする者などいないと言うのだ。言われてみると一見道理に適っているように聞こえるが、だからと言って年端のいかない少年を売り飛ばしていいということにはならないのである。
「面白おかしく遊んで金借りて、払えなくなったら貸した方を恨むってのはあんまりだと思わねえか?」
「だからこそタケダでは博打を禁止しているのだぞ」
「何だか国王様みてえなこと言ってるが旦那、とにかくそういうことだからコイツを殺したのはやり過ぎだ。ちょっとそこまで面貸してもらうぜ」
俺は紛れもなく国王様なんだけどな。
「貸すのは構わんが、代償はかなり高くつくぞ」
「ふんっ! そこの姉さんもだ。一緒に来てもらおうか」
「黙って聞いていれば……あなたこのお方を……」
とうとうミノリ姫の堪忍袋の緒が切れたようだ。だが今はまだ俺たちの身分を明かすわけにはいかない。話を聞いていると、俺にはどうしてもケンシロウが裏で男たちと繋がっているようにしか思えないからである。だから俺は小さく首を横に振って彼女を制した。
「このお方が何だって?」
「な、何でもありません」
「おいサンペイとヨロク!」
「へ、へいケンシロウ親分」
二人の男が嬉しそうに返事をする。
「後で話を聞くかも知れねえが、今日のところはひとまず子供は置いて帰んな。ギスケの弔いをしてやれ」
「へい!」
「ちょっと待て、この者たちを逃がすのか?」
「コイツらは逃げやしねえよ。必要なら後で事情を聞けばいいって言ってんだ。いいから旦那方は黙って付いてきな」
「私たちもお供させて頂いてよろしいかしら?」
ウイちゃんが未だに恐怖で固まっていた少年の両肩に手を置きながら微笑んだ。彼女の方を見たケンシロウは一瞬ビクッと体を震わせたが、すぐに何もなかったかのような表情を取り戻す。
「あ? ああ、好きにしな」
「私が怖いですか?」
今度は少年の顔を覗き込みながら、ウイちゃんは優しげな声で問う。少年は相変わらず震えながら、首を何度も縦に振って応えた。
「そうですか。でもその怖い私が、あなたのことをしっかりと護って差し上げますわ。ですからご安心なさい」
不思議なことに、彼女の言葉で少年の体の震えがピタリと止まったのである。少年よ、ウイちゃんが味方に付けば怖いものなんて一つもないぞ。そんなことを考えながら、俺たちは目明かしケンシロウに従って番屋へと向かったのだった。




