第八話 度重なる帝国の不始末
「タケダの若僧め、我を虚仮にしたこと、思い知らせてやるでおじゃる」
キノシタ帝国公爵、ムライ・キチベエは自らの精鋭五千と西側から集めた三千の、合わせて八千の兵を率いてイサワの地に到着していた。イサワはエンザンとも接しているが、そこはすでにタケダ領であり、軍隊がその境を越えることは即戦争状態に入ることを意味する。
男手の大半を失った今なら、エンザンを取り返すことは容易いだろう。しかしあの地は奪い取られたのではなく、シバタの所業の賠償として譲り渡された領地である。そこに攻め込むということは、確固とした大義名分でもない限り人道にもとる行為なのだ。公爵の地位にある彼には許されざることだった。
「ムライ、いや義弟よ、其方が見事タケダを落とした暁には望み通りマエダを援軍として差し向けよう。さらに余も十万の大軍で駆け付けようぞ」
義兄である皇帝はそう約束した。むろん彼の言葉をそのまま鵜呑みにすることは出来ない。しかしイヌカイとかいう侯爵が治める土地を奪えば、後は領地を切り崩して王城に攻め込むのみである。そしてあの小憎らしい国王の首を取ればタケダは陥落。皇帝キノシタが成し得なかった偉業を成し遂げることになるのだ。これで次期皇帝の座は名実共に自分のものとなるはずである。
だがさすがに今の八千の兵だけでは、いくら何でも王城を攻め落とすには足りない。援軍はどうしても必要なのだ。そこで皇帝の本体十万の軍隊が頼りとなる。もっとも王城攻めとなれば、皇帝も高みの見物というわけにはいかないだろう。
「その十万の軍はいずれ我に従軍することとなるのでおじゃる」
そしてムライの軍はエンザンとの境とは遠く離れたルートを迂回し、マエダ・トシマサの治める領地に入ろうとしていた。
「陛下、帝国のキノシタ皇帝陛下より密書が届けられました」
「皇帝から密書?」
「はい」
サッちゃんと執務室でくつろいでいたところに、ツッチーが一通の書簡を手に入ってきた。密書の宛先は俺だから、彼は勝手に開いて先に内容を確認することが出来ない。俺はそれを受け取ってサッちゃんに渡し、開封してもらった。
「密書には何と?」
「まあそう急くな。なになに……」
そこには皇帝の義弟となったムライ公爵が、止めたのを聞かずに近々このタケダに攻め込む可能性が高いと書かれていた。
「もしそのようなことになれば帝国は彼を謀叛人として断罪するが、こちらも警戒せよということらしい」
「何とも都合のいい話でございますな」
「どういうことですか?」
そこでサッちゃんが意味が分からないという顔で尋ねてきた。
「皇帝は当然先のシバタ軍の大敗を知っている。だからムライ公爵にも勝ち目がないと踏んで早々に切り捨てにかかったのだ」
「でも義理とは言え、その二人は兄弟ですよね?」
「ムライはオダ元皇帝が死んだ後の後継を、争うことなくキノシタに譲ったようなのだ。だが、いずれは自分が皇帝の座を奪う絵図を描いていたとしたら……」
「それを察知した皇帝が体よくこちらに義弟の処分を押し付けてきたと?」
サッちゃんがなるほど、と得心した表情になる。
「そういうことだろう。ムライの挙兵が皇帝にけしかけられたものかどうかは今のところ定かではないが」
「万に一つもムライ公爵が侵略に成功すれば、皇帝は本格的に我が王国に対し戦を仕掛けてくる。失敗しても謀叛人として断罪するのみ。虫の良い話でございますな」
ツッチーもこれには苦笑いである。
「急ぎムライの動向を探らせろ。トリイとイヌカイには早急に護りを固めろとな」
エンザンは敵から見れば今、もっとも攻め込んで勝利が見込める領地である。しかしあそこにはトリイ侯爵の部隊の他に、アザイ王の無敵の軍がいるのだ。神殿のお陰で当分は追加のお供えも必要ないと言われているし、あの地は現在このタケダにおいてもっとも強力な領地かも知れない。
「それにしても陛下」
「うん?」
「度重なる帝国の不始末、此度も領地一つ差し出させてお許しになるご所存なのでございますか?」
「いや、前回のシバタとは違い、今度は皇帝の義弟が攻め込んでくるのだ。向こうもそこまで甘くは考えてなかろう」
「しかしその書状をこちらに届けたのだから、あるいは賠償しないという可能性も……」
確かにツッチーの言う通り、予めの免罪符はそのことを意味しているというのも十分に考えられる。
「そうだな。よし、皇帝に返事を書いてやろう。いかに謀叛人が率いていると言えど、帝国の軍が許しもなく一歩でも領内に押し入った場合は、それ相応の賠償を要求するとな」
「至急に文を認めましょう」
「ああ、それと」
大事なことを忘れるところだった。
「済まぬがキヘイジの所に遣いを出してくれ。エンザン行きは延期だとな。さすがに戦地になるやも知れぬ土地に、今から向かわせるのは危険だろう」
「御意」
その後エンザンのアザイ王にはウイちゃんから伝えてもらうことにして、俺はいよいよ芸羅快翔部隊に出撃を命じなければならなくなることに、些かの憂鬱感を感じるのだった。




