第二十話 姉さん、アンタ一体……
「其方の報告とはえらく違うようだが?」
皇帝キノシタ・トウキチは、目の前に跪くムライ・キチベエ公爵に、一通の書状を投げつけた。書状はタケダ王国国王、タケダ・イチノジョウからのものである。
「その書状によれば、其方は約束の刻限どころかその日に現れず、翌日出向いて国王を呼びつけようとしたと書かれておるぞ」
「な、何かの間違いにおじゃりまする」
「戯け! あの国王は余も存じておる。このようなことを戯れ言で申す者ではない!」
キノシタは小刻みに体を震わせる義弟が、決して自分を恐れているわけではなく、怒りと悔しさのみに満たされていることを覚っていた。この男は育ちのいい貴族などではない。邪欲と欺瞞に満ちた、いずれ獅子身中の虫となるであろう厄介者である。本当はこの場で手討ちにしたいところだが、義理とはいえ弟を手にかけたとあっては今後に差し障りがあるかも知れない。ならば――
「何者かによって帝国内にもこの件は喧伝されておってな」
「ま、誠におじゃるか?」
思わず顔を上げたムライの表情は、怒りで真っ赤になっていた。
「そのような者は至急捕らえて首を……」
「もう遅いわ!」
噂は貴族だけではなく、帝国中に広がりを見せていたのだ。今さら出所を突き止めたところで何の解決にもならないだろう。
「おのれタケダめ!」
「黙れムライ! 其方は余の顔に泥を塗りつけたのだ。どのようにしてこの泥を拭うつもりか聞かせてもらおう。ただし、返答如何によってはその首、この場でたたき斬るから覚悟いたせ!」
「エンザンを取り戻すでおじゃる」
「ほう、如何にしてだ?」
「イサワの地からマエダの領地に兵を集め、そこからタケダ領に攻め込みこれを奪取。さすればエンザンは孤立することとなりまする」
「忘れたのか? つい先日シバタが大軍七万を率いて大敗したことを」
「その七万の兵でおじゃるが、大半は寄せ集めの衆だったとのこと」
公爵はそこであの憎らしいマエダの顔を思い浮かべていた。
「我の精鋭五千とマエダの部隊があれば事は簡単に済みましょう。義兄上、マエダをお貸し願えませぬか?」
マエダと言われてキノシタははたと考えた。あの男は腕っぷしは強いが忠誠心には今一つ欠けるところがある。自分が気に入った相手にはとことん尽くすが、そうでなければ簡単に欺き離反するような男なのだ。とてもこのムライに大人しく従うとは思えない。なのにそんな命令を下して自分から離反されれば、あの地はすぐにタケダの物となってしまうだろう。
「ならん。あの者は辺境の守護だ。其方の軍が領地を通ることは許すが、マエダを使うことは許さん」
「ですが義兄上、タケダ領を取ればマエダはそのまま守護に置けるでおじゃりまするぞ」
「諄い!」
ムライの言うことを聞いてマエダを参戦させたとしても、おそらくこの男の指揮ではタケダを落とすことなど出来ないだろう。あの地には未だ得体の知れない部隊が駐留しているのだ。それを使わずにシバタ軍を全滅させたのだから、たとえ精鋭五千が五万だったとしても危ういと言わざるを得ない。
「やるなら其方の部隊だけでやれ。兵が必要なら其方が落とした西側の国からかき集めるがよかろう。ただしシバタの件もある。余はこのこと、一切聞かなかったこととする」
運良くタケダを落とせばよし。もし負けるようなことになっても、ムライ一人の謀反ということにすればそれで片が付くというものだ。そうなれば厄介者払いも出来るし一石二鳥である。その時はマエダをイサワに下げ、彼の地を謝罪として明け渡せばいい。
「義兄上!」
「これ以上の問答は無用だ。それともその首、ここで斬り落とされたいか?」
不服そうな表情を隠そうともしないムライを残し、キノシタはその場を立ち去るのだった。
「シュウサク、おめえ、随分色々と嗅ぎ回ってるそうじゃねえか」
「色々と? 何をだ?」
シュウサクは最初からチンピラたちが何者かということを覚っていたようだ。
「そんなこたぁどうでもいい! 命が惜しかったら大人しくしてな」
「そう言えって言われたのかい? サハシ様によ」
「サハシ閣下は関係ねえ!」
「これを見やがれ! これは国王様が直々に俺っちに下されたご命令だ!」
言うとシュウサクは勅命書を彼らの前に突き示した。
「それに逆らえというなら貴様ら、立派な反逆罪だ。この場でふん捕まえて警備隊に差し出してやるから覚悟しろ!」
シュウサクが脇差しを抜くと、三人のチンピラたちも躊躇いなく脇差しを抜いた。それを見て仲間の目明かし三人も同様に脇差しを構える。
「お待ちなさい!」
そこに響いたのはユキたんの声だった。彼女はそのままゆっくりと歩みを進めてシュウサクと男の間に立つ。先頭のチンピラが先ほど銀貨を投げつけた本人である。
「貴族のお嬢さん、まだ何かあるのかい? そんなところにいると怪我だけじゃ済みませんぜ」
「あなたは私に銀貨を投げつけ、それが私の顔に当たりました。この無礼は許しません。無礼討ちに致しますので、そこに直りなさい!」
「おやおや、これは気がつきませんでした。そのせいでお顔がそんなことに?」
ユキたんは俺にとっては超が付く美少女だが、こちらの者たちからはかなりのブサイクと見られる。男たちはそんな彼女を見て大笑いしていた。
「たかが貧乏貴族の分際で、生意気言ってんじゃねえよ!」
「危ない!」
だが、笑っていたのも束の間、突然男がユキたんに斬りかかったのである。シュウサクは慌てて彼女の方に飛び出したのだが――
「無礼討ちすると言ったはずです」
これが魔法刀の斬撃の威力である。男の持っていた脇差しは刀身を折られて彼女に届くことはなく、彼の首は目を見開いたままその場に転がり落ちていた。
「ね、姉さん、アンタ一体……」
「サハシ子爵に伝えなさい。陛下はあなた方を絶対にお許しにならないと」
ユキたんの言葉に残された男たちは震え上がり、血相を変えて逃げていった。それを見た彼女はくるっと振り返り、シュウサクに微笑んで言った。
「シュウサクさん、先ほどのお気遣いに感謝致します。私は王国第一王妃、ユキと申します」
「お……王妃……様?」
この後シュウサクたちが額に擦り傷をこしらえるほど平伏したのは言うまでもないだろう。




