第十五話 でもどうして分かったの?
「間に合わなかったか……早まった真似を……」
ダザイ伯爵自害の報せは翌朝早く、俺の許にも届けられた。彼は早まるなというキヘイジに託した言葉を聞くことなく、この世を去ってしまったのである。だがこうなるとあの父娘が心配だ。特にキヘイジはダザイに心酔していたから、今頃は酷く落胆しているに違いない。俺は再びウイちゃんを伴ってダザイの邸を訪ねることにした。順番的にはアヤカ姫の日だったが、彼女は公務で同伴出来なかったのである。
「それにしても妙な話だよ」
「何がですの?」
「ダザイの件さ。貴族が自害するなら普通は邸の中だと思うんだよね。死体を荒らされないためにも」
「確かにおっしゃる通りですわね」
「それなのに雑木林でなんて、何だかしっくりこないんでよね」
そうこうしているうちにダザイ伯爵の邸に到着した俺たちは、応対に出た者にキヘイジの知り合いだと告げて中に入らせてもらった。伯爵の遺体には白い布がかけられており、家族や使用人と思われる者たちが周りを取り囲んでいる。その中にはキヘイジの姿もあったが、彼は生気のない表情で立ち尽くすばかりだった。
「キヘイジ、大丈夫か?」
「貴方は先日の……あの時すぐに私が旦那様に貴方の言葉を伝えていればこんなことには……」
「明日にでもと命じたのはこの俺だ。お前が気に病むことではない」
「でもどうして旦那様はこんなことを。昨日はそんな素振りもお見せにならなかったのに」
ところが家族の者に聞いた話では、伯爵は昨夜の夕食の後、思い詰めた表情で散歩に行くと言って出かけたらしい。夜の散歩は珍しいことではなかったため特に気にもとめなかったそうだが、今となってはそれが悔やまれてならないと言っていた。
「あら?」
「どうしたんだ、ウイ」
「いえ、ちょっと確かめさせて下さい」
言うとウイちゃんは見えていたダザイの右手を眺め、それから反対側に回って左手を見始めた。一体どうしたと言うのだろう。
「ヒコザ様、お刀を抜いてみて頂けますか?」
「刀? いいけど」
「それでご自分のお腹をお召しになって下さい」
「腹を斬ればいいの? って、ちょっと待って!」
まさかウイちゃん、この場で俺にも幽霊になれってことじゃないだろうね。ところが驚いて思わず後退った俺に微笑みかけながら、彼女はこんなことを言い出した。
「ヒコザ様、その柄を持ったままで出来ますか?」
「へ?」
脇腹から斬るなら出来ないことはないが、うまく力をこめるのは難しそうだ。それに切腹には通常脇差しを使用する。太刀を使用する場合もあるにはあるが、まずほとんどないと言っていい。
「柄を持った状態だと難しいよ。刀身を持てばいいんだろうけど、それをやると俺の手が切れてしまう」
「それです。ダザイ殿の手をご覧下さい」
もう刀は収めていいというので鞘に戻してから、俺は彼女と同じように死体の手を確かめてみた。その手は決してきれいとは言えなかったが、傷のようなものは皆無と言っても過言ではない。そこで俺はウイちゃんが言わんとすることに気づいたのである。
「奥方殿、ダザイ伯爵の腹に刺さっていたというのはそこの刀だな?」
「はい。それが何か……」
「奉書紙の類は落ちていなかったか?」
「はい。そのようなことは聞いておりません」
遺体の傍らに置かれていたのは、すでに鞘に収められていたものの脇差しではなく太刀の方だった。刀身の長さはおよそ三尺、だいたい九十センチほどはあるだろう。つまりこの刀で自分の腹を割こうとするなら、柄ではなく刀身を持つしかないということだ。そして刀身を素手で持てば、奉書紙でも巻かない限りその手に傷がつかないはずはないのである。ちなみに奉書紙とは、切腹の際に刀の滑り止めとして使われる紙のことだ。
「奥方殿、それにキヘイジ。伯爵は自害したのではない。誰かに自害に見せかけて殺されたのだ」
「な、何ですって!」
「一体誰がこのような酷いことを……」
唖然とする周囲の者たちに俺はそう考えるに至った経緯を説明し、すぐに警備隊を呼ぶように命じた。ところでウイちゃんは最初からこのことに気づいていたらしい。後で聞いた話だが、俺に花を持たせようとの気遣いだったそうだ。よく出来た妻である。
「でもどうして分かったの?」
「それはですね、ダザイ殿の霊が雑木林に縛られているからですわ」
伯爵は殺されて地縛霊になってしまったらしい。そして地縛霊として土地に縛られる辛さを彼女自身の体験として聞かされた。思えばウイちゃんも、あの暗い海蝕洞に長い間縛られていたのである。それを聞いた俺は一刻も早く犯人を捕らえて成仏させてやらなければならないと、強く心に誓うのだった。




