09. 嘘
「あんなに活躍したんだから、褒められちゃうかなぁ。王妃にしてもらったり――は無理だったか、結婚済みだ――でも、きっとみんな優しくしてくれるよね」
「アニ、今すぐあんたの家に帰るわよ。家族に正体をばらしなさい」
私は立ち上がると、アニの手を引いて今来た道を戻る。
アニの腕に巻いたピンクのリボンがなびいた。
「待って、カルラ、何で?」
「私はこの地で商店を立ち上げるわ。あんたは費用のいらない資源タンクなんだから、うちの商品になりなさい」
「え? でも――」
「なるべく初期投資を抑えたいから、ひとまずあんたの部屋を拠点にさせて。商店が軌道に乗ったら、あんたの家族を雇う。そこらの出稼ぎより好待遇にするから、許してよ」
「願ってもない話だけど――」
そうだろう、そうだろう。
わざわざ魔物の巣から子供の足で歩いてまで、故郷の家が恋しかったんだから。
「宮廷連中だって、アニが民衆を味方につければ、強くは出られないはずよ。まずは、私と商売でこの地区を制圧するの。優秀さを証明して、王都を悔しがらせてやりましょう」
「カルラ、あのね」
アニは立ち止まると、首を振った。
「宮廷の人たちにとって、あたしがどんな人間だとか、関係ないんだよ」
私は振り返って、憎々し気にアニを睨んだ。
やはり、この女は自分が愛されるはずのないことをわかった上で、この妄想を信じているんだ。
アニは全く悪びれる様子がない。
「あたしは乙女ゲームのヒロインだから、王国に逆らうことはないよ。カルラはお父様のところに戻りな」
戻れねえんだよ!と心の中で絶叫する。
「気持ちは嬉しいけど、あたしの体は壊れちゃったんだよ。もうカルラは、あたしのことを人間扱いしなくていいの」
私はアニの頬を張った。
「後悔しろよ!」
私は目を丸くして頬を押さえるアニの両肩を掴み、がくがくと揺さぶる。
「あんたは死んだのよ! 殺されたようなもんだわ! みんな大喜びだったのよ! あんなヤツらのために死んだことを悔いてよ! 馬鹿みたいな妄想を信じたことを悔いてよ!」
「カルラ、あたしのコレが嘘か本当かなんて、誰にも証明できないよ」
アニは頬を押さえたままほほ笑んだ。
「それに、あたしはコレのおかげで変われたんだ。もう何も怖くないよ」
嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ!
嘘をついて、自分のことを見ないふりしているだけだ。
この点では、あんたは王太子と同族だ。
「カルラは優しいお父さんに育てられたから、知らないんだね」
アニは私の顔を覗き込む。
今気づいたが、アニの瞳は生前と同じ青色だ。
校庭にいた時と同じ、鏡のように澄みきった瞳に、私の顔が映っている。
「この世はまともに生きている人が、まともに生きていけない人を無視してまわっていくの」
私は震える唇を噛みしめた。
ほんのりと血の味がする。
「あたしはヒロインだから大丈夫。カルラはヒロインじゃないから、まともな人でいて」
アニは満面の笑みを浮かべた。
ひどく見慣れた表情だった。
「もう二度と、あたしのために人生があるなんて、言っちゃだめだよ」
私は今やっと、あのお神輿に乗ったアニを見送った時から、状況が一つも変わっていないことに気がついた。
この女は狂っている。
私じゃ説得できない。
私じゃ止められない。
目の前がくらくらと歪んでいく。
脳裏には空に撒かれる花、民衆たちの歓声、幸せそうに歌うアニの姿が浮かんでいる。
怒鳴りそうになって、やめた。
何かの糸がちぎれた気がした。
もう、癇癪なんて起こす気にもなれない。
「じゃあ、カルラ、さようなら」
アニはそれだけ言うと、踵を返して路上をとことこと歩き出した。
アニの横で夕日が小川に映り、水面が真っ赤に燃えるように見える。
「アニ、私、言ってなかったんだけど……」
私はアニの背中に声をかけた。
「私、お父様と絶縁したの」
わざとらしい、それはもうわざとらしいかすれ声を出す。
こういう態度にアニが弱いことは知っていた。
アニは足を止めて、振り返った。
呆然とした顔をしている。
「アニのことを悪く言う王太子たちにブチ切れて、私はもう貴族じゃいられないの」
アニの母親に会った時にガチ泣きしていたので、泣き顔は比較的作りやすい。
私は哀れっぽくしなを作った。
「嘘でしょ、カルラ!」
「お父様にも借りがあるの。何としてでも、これからのし上がらないと」
長い長い貴族生活を耐えてきた。
おかげで、上っ面だけ綺麗事で取り繕うのは慣れている。
腹の中は怒りで煮えたぎっていたが、その熱がそのまま身体から外に浮き出て、私の美しい外面になる。
アニは愕然としている様子だ。
こちらに駆け寄ってくるので、今度はこちらが詰め寄る。
涙目の被害者面を上手く取り繕う。
私はアニの両手を取った。
「聖女の成果なんて関係ないって言うけど、やっぱり王都の連中はアニが力を証明したら、大喜びで迎え入れるはずだわ。だって、ここは『乙女ゲーム』の世界なんだから」
「え、え、うーん……?」
「ここはあんたのための世界なんだから、みんなあんたを愛するわ。でもね、アニ。あんたのことを世界で一番必要としているのは私よ。そうでしょう?」
私はアニの瞳を見つめた。
頬で大粒の涙が夕日を反射する。
アニは目を彷徨わせているが、頬が桃色に染まり、口元が嬉しそうに歪んでいるのを、私は見逃さなかった。
愛のためなら何でも耐えられる種類の狂気なら、アニの意思がどうであろうとも、本能が一番愛してくれそうな人間を選ぶだろう。
貴族も平民も関係ない、この世は卑怯な自己欺瞞ばかり。
アニはあちら側に存在している、自己欺瞞の女王だ。
嘘は強く大きい。
私なんかでは覆せそうにない。
覆せそうにないなら――
「アニ、私を助けて」
こちらが騙してやる。
〈完〉
【おまけ 成金の力押しハッピーエンド】
「こんな大きくなるとは思わないじゃん……」
三階建ての窓際で、短く切った髪を春風に揺らしながら、アニは小さくため息をついた。
この五年でアニの身長は大人よりも伸びた。
アニいわく、年齢の感覚があいまいになっているらしい。
一人掛けの皮張りのソファに座って、私は悠々と言った。
「当然だわ。仕入れコストはゼロ。魔物がいる限り、需要は無限大。競合先ナシとまでくれば、広告さえうまくいけば国を牛耳ることだってできるでしょう」
「ハングリーだよ……」
「あんたもちょっとはハングリーになりなさい、聖女課長」
「課長っていうか聖女だし……」
市民革命や産業革命がじゃんじゃん進み、権力は貴族から商人へとものすごい勢いで流れている。
この潮流に便乗しなければ嘘だ。
私は手元の書類を見ながら唸った。
「地盤は固まったし、そろそろ王都に進出したいところだけど……」
「なんでカルラ、宮廷の人たちが話しに来るたびに、言いくるめて帰しちゃうの?」
私は一瞬黙ると、アニを涙目の上目遣いで見つめた。
「アニは宮廷に帰りたいの? 私を置いて?」
「ち、ちがうよ、カルラ! ちょっと心配になっただけ!」
長い両手をバタバタさせて慌てるアニを見て、私はほくそ笑んだ。
王家を助ける気はもちろんない。
しかし彼らの不幸を望みもしない。
アニにその気がないのだから致し方ない。
せいぜい、この混乱した社会を俗悪連中どもがどう乗り切るか、高みの見物である。
「服飾業界にも進出したいわね。アニ、あんたはその美形を活かしてモデルになりなさい」
「あたし死体だけど……ねえ、それなら私の制服もっとかわいくしてよ。これ、ちょっと地味じゃない」
「あんたの女児趣味に付き合ってらんないわ」
「女児でいいじゃん別に!」
「あと、今日の夕食はアニの家族を全員呼んで豪勢にするわよ。私の父も呼んでいい?」
「王都に張り合ってパーティーしすぎだよ……」
「鶏肉の香草焼き最高! イエーイ!」
私はソファから立ち上がるとアニの隣に歩み寄り、窓から外を見下ろした。
この商会は結果的に地域おこし的な効果をもたらしたらしく、アニの故郷の村は施設や家々が増え、宿場町のような活気が生まれていた。
この世の春であった!
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