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悪人専門の令嬢弁護士と嘘を嗅ぐ犬 〜冤罪で泣く弱者を拾い、法で悪党を追い詰めます〜  作者: 月神世一


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EP 9

犬の嗅覚と、暴かれる完璧なアリバイ

翌朝。

桜田法律事務所のデスクの上には、透明な証拠品袋エビデンス・バッグに入れられた一枚の紙が置かれていた。

「これが、警察があなたをクロだと断定した『決定的な物証』よ」

リベラが指差したその紙には、ダミー会社の銀行口座番号と、ログインに必要なパスワードが印字されていた。

「警察の家宅捜索で、私の会社のロッカーの奥から出てきたんです……。でも、俺、あんな紙本当に見たこともなくて……!」

健太は頭を抱えた。

郷田社長の罠は周到だった。

木下経理部長の証言(現在はリベラの手で覆っているが)と、決済システムのアクセスログ。それに加えて、この『横領先のアカウントメモ』が健太の私物から見つかったことで、警察は完全に健太を主犯だと決めつけたのだ。

「郷田社長の警察への供述調書によれば、不正送金が行われた深夜、彼は『銀座の高級会員制クラブにいて、朝まで飲んでいた。店長やホステスの証言もある』――つまり、彼には完璧なアリバイがあるわ」

リベラは腕を組み、冷ややかな視線を証拠品袋に向けた。

「自分がアリバイを作っている間に、木下に命じてあなたのIDで送金させ、この紙をあなたのロッカーに忍ばせた。……絵に描いたような悪党のメソッドね」

「そんなの、どうやってひっくり返せばいいんですか……。警察はもう、あの紙が俺の物だと信じきってるのに」

絶望しかける健太。

だが、リベラは余裕の笑みを浮かべ、足元で丸まっている巨犬に視線を送った。

「人間の目は誤魔化せても、この子の『鼻』は誤魔化せないわ。……出番よ、アモン」

『フン。警察の犬どもが見落とした真実を、俺様が拾ってやろうというわけだな』

アモンが悠然と立ち上がり、デスクに前足をかけた。

リベラがピンセットで証拠品袋の口をわずかに開けると、アモンはその隙間に黒い鼻先を近づけ、深く息を吸い込んだ。

『……ほう』

アモンの黄金の瞳が、スッと細められた。

『小僧の指紋はベタベタについているが、小僧の匂い自体は薄い。警察に突きつけられてパニックになった時の、恐怖の汗の匂いだけだ』

「つまり、逮捕される直前まで、高橋さんはこの紙に触れてすらいなかったということね」

『ああ。それよりも……紙の繊維の奥深くに、酷く鼻につく、強烈な自己顕示欲の塊のような悪臭が染み付いているぞ』

アモンは嫌悪感露わに鼻を鳴らした。

『熟成された高級なキューバ産葉巻の匂い。そして……むせ返るような、甘く重い、特殊な香水の匂いだ』

「葉巻……! 郷田社長です!」

健太が身を乗り出した。

「社長はいつも、社長室で高そうな葉巻を吹かしてるんです。あの匂い、絶対に社長だ!」

「ビンゴね。でも、葉巻だけじゃ証拠としては弱いわ。……アモン、その『香水』の匂い、もっと詳しく分かる?」

『ただの香水ではないな。白檀サンダルウッドと、夜桜のような花の香りが混ざっている。それに、微かに安物のアルコール……いや、これはおしぼりの匂いだ。その香水が染み込んだ布で、手を拭いた形跡がある』

そのアモンの分析を聞いた瞬間。

リベラは「あっ」と声を漏らし、悪戯を見つけた子供のように、酷く楽しそうな笑みを浮かべた。

「……なるほどね。あのクソ社長、詰めが甘いわ」

リベラはパソコンに向かい、猛烈な勢いでキーボードを叩き始めた。

「白檀と夜桜のブレンド香水。それは銀座のVIP専用クラブ『エリュシオン』で、ホステスとおしぼりにだけ使われている特注の香り(シグネチャー・フレグランス)よ。市販はされていないわ」

「えっ……? じゃあ、社長は本当にそのクラブに……」

「ええ、いたのよ。でも、それが命取りになったわ」

リベラは桜田財閥の圧倒的な情報網と権力(あるいは裏のルート)を駆使し、ある画面をモニターに呼び出した。

それは、クラブ『エリュシオン』の当日の「VIPルーム決済ログ」と、グロース・フロンティア社が入っているビルの「防犯カメラの出入り記録」だった。

「見て、高橋さん」

リベラが指差した画面。

「不正送金が行われた時間帯」、郷田社長は確かにクラブのVIPルームにいた。

しかし、その30分後。郷田社長がクラブの裏口からタクシーに乗り、一度だけ会社に戻ってきている記録が、ビル裏口の防犯カメラの死角スレスレに残されていたのだ。帽子とマスクで変装していたが、体格は郷田そのものだった。

「社長はクラブのVIPルームで、木下部長に『高橋のIDで送金しろ』と指示を出した。そして、工作業者への依頼も終わらせた。その後、アリバイの隙間を縫って密かに会社に戻り、この『偽の証拠メモ』をあなたのロッカーに放り込んだのよ」

リベラは金煙管を取り出し、カチリ、と机を叩いた。

「クラブのホステスとイチャつき、特注の香水がたっぷり染み込んだおしぼりで手を拭いた直後にね」

健太は鳥肌が立つのを感じた。

警察の科学捜査ですら見落としていた「匂い」という見えない痕跡。それが、アモンの人間離れした嗅覚によって言語化され、リベラの知性によって完璧な「法的証拠(物証)」へと錬成されたのだ。

「クラブの決済記録、防犯カメラの映像、木下部長の証言、そして内調の狗飼が置いていった工作業者への依頼ログ。……これで、郷田社長の完璧なアリバイと嘘の城は、木端微塵よ」

リベラはパソコンを閉じ、スッと立ち上がった。

その立ち姿は、これから戦場へ赴くジャンヌ・ダルクのように神々しく、そして死神のように冷酷だった。

「よくやったわ、アモン。今夜は特上のヒレ肉を焼いてあげる」

『当然だ。俺の鼻を出し抜ける悪党など、この世に存在しない』

リベラは健太に向き直り、自信に満ちた、有無を言わさぬ微笑みを向けた。

「さあ、高橋さん。しっかり寝て、明日はパリッとしたスーツを着なさい」

「……明日?」

「ええ。第一回公判よ。あなたに被せられた泥を、あのクソ悪党の顔面に、合法的に叩き返しに行くわよ」

反撃の準備は、すべて整った。

舞台はついに、決戦の法廷へと移る。

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