EP 11
無垢なる天使と、罪のゴミ箱
カツン、カツン。
静まり返った法廷に、桜田リベラの履くクリスチャン・ルブタンのヒールの音が、不気味なほど冷徹に響き渡った。
証言台の横に立った彼女は、西園寺検事、そして裁判長へとゆっくり視線を巡らせた。その立ち姿は、圧倒的な気品と知性に溢れ、法廷の空気を一瞬にして掌握していた。
「裁判長。ならびに検察官」
リベラの透き通るような声が響く。
「先ほど検察側から指摘された、半年前の被告人による端末の無断使用、およびミスの隠蔽について。……弁護側は、その事実を『全面的に認めます』」
法廷が、水を打ったように静まり返った。
隣で聞いていた健太が「えっ……」と息を呑み、傍聴席の郷田社長が「はっ、勝負あったな」とばかりに醜い笑みを浮かべる。西園寺検事も、勝利を確信したように眼鏡のブリッジを押し上げた。
「……賢明な判断です、弁護人。つまり、被告人が『自己保身のために嘘をつく人間』であると認めるのですね?」
西園寺の追撃に対し、リベラはフッと余裕の笑みをこぼした。
「ええ。彼は自分の小さなミスを怒られるのが怖くて、姑息な嘘をつきました。極めて臆病で、弱い人間です」
健太はうつむいた。リベラの言う通りだ。自分は弱い。
「ですが、検察官」
リベラが、スッと目を細めた。その瞬間、彼女から放たれた『修羅の覇気』に、西園寺は思わず一歩後ずさった。
「彼が『半年前、顧客データの消去を隠蔽した弱い人間』であることと、『今回、5000万円という巨額の裏金をダミー会社に不正送金した大胆な横領犯』であることは、法的に何の因果関係もありません」
「なっ……! しかし、彼には嘘をつく素養が……!」
「印象操作はおやめなさい。ここは法廷よ。三流のワイドショーではありません」
ピシャリと、リベラが西園寺の言葉を斬り捨てた。
検察官席のエリートが、顔を真っ赤にして口をパクパクとさせている。
リベラは証言台でうつむく健太の肩に、そっと手を置いた。
「裁判長。私の依頼人は、決して無垢な天使ではありません。他人の端末を勝手に操作した罪は、労働規定に則り、後で正当な処分を受けるべきです。私は彼のその小さな罪まで庇うつもりは毛頭ありません」
リベラは法廷全体を見渡し、最後に、傍聴席で顔を引き攣らせている郷田社長を真っ直ぐに射抜いた。
「ですが……だからといって、彼があなた方の『巨大な罪』を背負わされるための、都合のいい『ゴミ箱』になっていい理由にはならない!!」
その一言は、雷鳴のように法廷に轟いた。
「罪は、正確に切り分けられなければならない。彼の犯した『小さな規定違反』と、何者かが計画した『5000万円の悪質な横領』。検察は、証拠の乏しさを被告人の『性格』で補おうとしているに過ぎません。それは、法と正義に対する重大な侮辱です」
健太は、ポロポロと涙をこぼしていた。
自分の弱さも、醜い嘘も、すべて白日の下に晒された。それでも、この人は自分を見捨てなかった。
「お前はダメな人間だ、だから悪人なんだ」と決めつける世界の中で、彼女だけが「お前のその罪と、横領の罪は別だ」と、はっきりと境界線を引いてくれたのだ。
それは健太にとって、無罪判決よりも何よりも救われる「真の弁護」だった。
「……っ、裁判長! 弁護人の発言は詭弁です! 現に、被告人のロッカーからは送金先のアカウントメモという『決定的な物証』が発見されているではありませんか!」
西園寺が必死に声を荒げる。
「ああ、そのメモのことですね」
リベラは待ってましたとばかりに、自分のデスクに戻り、一つの証拠品袋を高く掲げた。
「検察はこれを『被告人が横領の主犯である決定的な証拠』として提出しました。では、この紙について、もう少しだけ『深く』検証してみましょう」
リベラは裁判長に向かって一礼する。
「裁判長。弁護側は、このメモが被告人のものではなく、第三者によって意図的にロッカーへ入れられた『偽装工作』であることを証明します。……そして、その工作を行った真犯人が、不正送金が行われたまさにその時間、どこで、何をしていたのかも」
傍聴席の郷田社長が、ガタッと音を立てて身を乗り出した。
その顔には、先ほどまでの余裕は微塵もなく、得体の知れない恐怖が張り付いている。
「検察側が提出した、郷田社長の完璧なアリバイを証明する『会員制クラブの領収書』。……そこに残された『目に見えない痕跡』から、すべての嘘をひっくり返して差し上げますわ」
リベラの瞳の奥で、知的な処刑の炎がメラメラと燃え上がっていた。
反撃の狼煙は上がった。ここからは、彼女の独壇場である。




