もう一つの世界
白髪の女性は確かに言った。
君、私が見えているのか?
僕は小さく頷いた。
はっきりと見えている。
確認すると、すぐに女性は僕の手を引っ張り、人気のな いところまで連れて行った。
大体の場合は、逃げ出そうと藻掻くのが普通なのかもしれない。
だが不思議と、「この人は、信頼できる」と思えた。
まだ名前も知らなければ、出会って五分にも満たないというのに。
僕は期待していた。
自分と同じ力を持った人なのだろうと。
そうして僕は、路地裏まで来てきた。
周りに人の気配もない。
太陽の光すら、あまり届いておらず、薄暗い。
これから僕は何をされるのだろうと、期待をすると同時に、不安もあった。
僕の力を明かしてくれるのかも知れないが、そうでないのなら、僕はどうすれば良いのだろう…
色々な憶測を立てている内に、その答えが白髪の女性から告げられる。
「まず、初めに伝えておくよ。私と君は魔法使いだ」
魔法使いと告げられた。
いきなりそんなことを言われても、分からない。そんなこと言われて納得する方が、どうかしてるだろう。
戸惑っている中でも、女性は続ける。
「戸惑っているだろうが、続けるよ。君は魔法使い、普通の人間とは違う存在だ。」
確かに僕は戸惑っていたが、その言葉で少しだけほっとしたような気がした。
今まで、自分は普通の人とは違うということは感じていた。そして、何よりも苦しいと感じていたものが、自分は「普通じゃない」ということが分かっていても、その答えが分からないまま、時間が過ぎ、気づけば自分という存在を見失ってしまったことだ。
以前の僕は、もっと明るさがあったはずだ。
でも今は、曇り空のように、光を失ってしまった。
でも少しだけ、少しだけ光が戻ったような気がした。
僕は、魔法使い
全てに納得したわけではないが、今はそうするしかない。整理するのは後からでもできるだろう。
そして僕は、言葉を返す。
「どうして僕が、魔法使いなんですか?」
「腕を見せてくれないか?」
そう言うと、姿勢を低くして、右手を差し出した。
真っ直ぐな視線に、僕は迷わなかった。赤い模様が浮き出ている右腕を出した。
「この赤い模様、これが魔法使いの証拠となるものだ。君の力は、この模様が原因だ。魔法使いは、この模様を『魔力跡』と呼んでいる。この模様はいつから出てきた?」
「一年前から。」
「この一年、何か変わったことは?」
「変わったことは…人の気配を感じやすくなったり、体がすごく軽くなったりしたことです。」
「なるほどな…」
はぁ…
と、息を吐いて立ち上がった。
「君の力はそういう力…いや、君個人の魔術と言うべきだな。幸いなのは、人を傷つけるような魔術じゃないということだな。」
浮かんでいる疑問を、聞いてみることにした。
「僕みたいな人は、他にもいるんですか?」
「あぁ、いる。」
「…この模様…魔力跡は、普通の人には見えないんですか?」
「あぁ、見えない。ただ、君の場合は少し特殊なようだ。」
「特殊?」
「君の両親も恐らくは魔術師の家系から生まれたのだろう。だが、君の両親は魔術を学ぼうとはしなかったようだ。だから、君の腕の異変に気づけなかったのだろう。」
「どうしてそんな事、分かるんですか?」
「私が、そういう魔法を使えるからだ。」
一段、声が低くなり、曇りきった空を見ながらそう言った。だが、そんな表情もすぐ無くなり、少しだけ頬が上がった。
「私に指令が下されたのも、君という存在に出会うことに違いない。」
「僕に?」
「あぁ。」
そう言うと白髪の女性は振り向いた。
「今日は確認できただけでも良かった。私には他にもやることがあるから、ここでお別れだ。できるなら、また明日、この場所で会おう。」
言葉を言い終わると同時に、その場所から消えていた。
陽の光が消えるように、そこに居たはずの女性は、消えていた。
「また明日、この場所で…」
小さく呟いた後、元の帰路についた。
明日、再びあの人に会えるという期待感を持って。
明日を迎えるために、風のように走った。
それから僕は、学校の終わりに、あの路地裏へと向かうのが日常になっていた。
白髪の女性から魔術の手ほどきを受けること、魔術の使い方や注意しなければならない事など、様々だ。
それから、力は安定していき、学校生活も充実して送れるようになった。
そして、毎日、毎日、路地裏に向かっているが、その人はいつもそこにいる。本当はそこに住んでいるのではないか?
僕は気づけば、魔術以外にも、普段どのようなことをしているのか、何が好きで何が嫌いなのか、そんな会話も次第に増えていった。
今振り返ると、この時の僕はとても明るかった。
一人っ子な僕に、色々なことを教えてくれたり、話聞いてくれる彼女が、姉に思えた。
だから僕は、自然と口から「姉さん」と言ってしまった。その時の彼女は、驚いた表情も見せながらも、すぐに笑顔になった。
と言うよりも、反射的に「姉さん」と呼んでしまったことに気づいた自分の表情を見て、笑ったんだろう。
休みの日、今日も姉さんと色々な話をしている内に、姉さんが言った。
「尊夜、私は明日から、大きな仕事をしなくちゃいけないんだ。」
「大きな仕事?」
今までにない、真剣な表情に僕も表情が固くなる。
「あぁ、とても大きな仕事さ。運悪く、私はその任務を任されることになっちまってね。まぁ、つまり…どういうことかって言うと…」
僕は人の気配を感じ取ることができるが、人の考えている気持ちもなんとなく分かってしまう。
それはきっと、僕の特性か何かだろう。
「お別れってことですか?」
「あぁ。」
吐き出すように、その短い言葉を放った。
いつかは来るだろうと思っていた。でも、いざこの時が来ると何も言うことができない。
「良いかい?尊夜。私からの約束だ。魔術を人前で安易に見せることをしない。人を傷つけないこと。そして、悪いことに使わないことだ。もし、約束を破ったら、尊夜の目の前に現れて、私の魔法を浴びせるからな。」
怖いような、怖くないよな。
でも、約束を破るようなことは絶対にしない。絶対に。
そう決意した顔を見て、姉さんは安心し、荷物を上げて、最後にこう言った。
「尊夜が十八歳を過ぎて、まだ、魔法について知りたいなら、またこの場所に来てくれ。そして君にも見せてあげるよ。もう一つの世界を。あぁ、それと今まで言ってなかったよな、私の名前。」
初めて会った日から今日に至るまで、姉さんの名前を知らなかった。
そしてようやく、姉さんの名前を耳にする。
「私の名前は紫恩旋だ。じゃあ、また会おう、尊夜。」
そう言うと、紫恩さんは消えていった。初めて会った時と同じように。
僕も、路地裏を出ることにした。
空を見上げる。
前まで曇りきっていた空がすっかりと晴れていた。
綺麗な青空が広がっていた。
ヒュー、と風が吹き始めた。
少し暖かくなり、春の匂いと気配を感じた。
姉さんと会ってから、三十日近く経過していた。
その時間は僕にとってかけがえのない時間となって、僕の心を晴れにした。
そして僕は、姉さんのいない日常へと戻った。
姉さんと別れ、現在。
僕は十八歳を過ぎていた。
そして僕は、あの路地裏へと向かっていた。




