思い出と、強襲
「それにしても、この状況でよく眠ってられるな。さすが、殺人教団が狙う大物だけのことはあるぜ」
そう言って、加藤はすやすや眠っている玲奈を見つめる。
美鈴は、そっと手を伸ばし娘の頬に触れた。
「不思議だなあ」
口から、そんな言葉が漏れる。加藤は訝しげな表情になった。
「何が不思議なんだ?」
「こんな状況だっていうのに、教団の施設にいた時より居心地よさそうなんだよね。なんでだろう」
「この子、教団では何をやってたんだ?」
加藤が尋ねると、美鈴の顔が曇る。どうやら、思い出したくない事情のようだ。加藤は慌てて言い添えた。
「いや、別に言いたくなきゃ言わなくていいよ」
すると、美鈴は微笑んだ。
「ありがとう。この子、教団ではいろいろさせられてたんだよ。見ていて、本当につらかった。できることなら、私が代わってあげたかったよ……ふたりのヤクザが死ぬのを見たのが、教団を抜ける直接のきっかけではあった。でも、その前から嫌で嫌で仕方なかった」
言いながら、美鈴は玲奈の頭を撫でる。だが、玲奈は目を覚ます気配がない。よほど疲れていたのだろうか。時おり、もぞもぞと動くだけだ。
「この子も、本当は凄く嫌だったと思う。でも、私には大丈夫だって言ってた。一生懸命、手話を使ってね。こんな小さな子に気を遣わせて……私、何やってんだろう。母親失格だね」
そう言うと、唇を噛みしめる。心の中で、いろいろな感情が渦巻いているのだろう。加藤は黙ったまま、彼女の次の言葉を待った。
ややあって、美鈴は再び語り出す。
「私はね、この子には普通に育って欲しい。普通の生活を教えて、普通の幸せを味わわせてあげたい。でも、教団にいたら、それはできないと思った。だから逃げたんだよ」
「なるほどねえ。普通の生活、か」
加藤は、ふと考えていた。自分にとって普通の生活とは……いったい、いつ頃までのことなのだろう。
その時、頭にひとつの映像が浮かぶ──
「俺さ、玲奈くらいの歳だったと思うんだけど、家族三人で、この田火山に登ったんだよ。確か、半ズボン履いてたから、途中ですっ転んで膝を擦りむいて絆創膏を貼ってもらったんだ。でも、ちゃんと頂上まで登ったんだ」
加藤は、しみじみと語った。
もう、十年以上前の話だ。家族三人で、山に登った……思い出といえば、それくらいしかない。父は遊園地などの人工的な場所より、自然の中にいるのが好きだったらしい。
当時の加藤としては、遊園地に行ってみたかった……というのが本音だ。
「あんたにも、半ズボン履いてるような可愛い頃があったんだね」
そう言って、美鈴はクスリと笑った。
「あるに決まってんだろ。俺だって、生まれた時からこんな面してたわけじゃねえ」
「いや、あんたのことだから、子供の頃から今みたいにゴツかったんじゃないかと思ってさ」
美鈴としては、冗談のつもりで言ったのだろう。対する加藤も、軽い気持ちで答える。
「ガキの頃から今みたいに強かったら、イジメられたりしてねえだろ」
途端に、美鈴の表情が暗くなった。
「そうだよね。ごめん」
それきり黙り込んでしまった。空気は、一気に暗くなる。
加藤はそんな空気を変えようと、慌てて話を続けた。
「で、でもさ、山登りって言っても何にもした覚えがないんだよな。ただ歩いて登ってさ、だだっ広い草原の上でレジャーシート敷いて、三人でおにぎり食べただけなんだよ。ものすごく下らないことなんだよな。だけど、未だにはっきりと覚えている。食べたおにぎりの具までな。人間て、おかしなもんだよな。こんな下らないこと、十年以上経っても覚えてるんだからな」
「下らないことじゃないよ」
美鈴から返ってきた声は、妙に力強いものだった。
「えっ?」
加藤が聞き返すと、美鈴は静かな口調で、はっきりと答える。
「それは、下らないことなんかじゃない。あんたの胸に今も残っている、大切な思い出なんだよ。あんたは、その時に幸せを感じたんだ。幸せだと感じたからこそ、未だにはっきり覚えているんだよ。あんたにとって、何より大切な思い出……それこそが、あんたにとって本当の幸せなんだよ」
美鈴の目には、妙な迫力がある。加藤は言いようのない圧を感じ、何も言えなかった。
「私もね、そういう体験を玲奈にさせてあげたいんだよ。一緒に山に登って、お弁当を食べて……っていう、ありきたりな幸せ。玲奈にも、そんな思い出をいっぱい作って欲しい。あんたにも、またそんな幸せな日が訪れる──」
「どうだろうね。俺は、いろんなことを知りすぎた。もう、昔には戻れないんだよ」
言い返した加藤だったが、その時になって違和感を覚えた。口を閉じ、耳をすませる。
何かがおかしいのだ。先ほどまでとは、異なる空気が漂っている。
では、何がおかしい? しんと静まり返っており、何も聞こえない。だが、確実に変だ。
黒川烈道は、二時間の猶予を与える……と言っていた。それから、まだ三十分も経っていない。
あの黒川は、つまらない嘘を吐く男には見えなかった。ならば、今ここで攻撃を仕掛けてくるとは思えないのだが……。
思い出した。
これは、あの時と同じだ。
中国人マフィアが十人がかりで、俺の寝込みを襲ってきた時と──
気づいた瞬間、加藤は、獣のごとき表情で立ち上がった。体は、既に戦闘モードへと突入している。
そう、この男は自分の勘を疑ったことはない。理屈よりも、己の野性の勘を信じる。だからこそ、今まで裏の世界で生き延びてこられたのだ。
その己の勘が告げていた。今、自分たちに危険が迫っている──
・・・
「おい、本当にやるのか?」
ガイア救済教会の若き信者・斎藤は、先を行く大田に尋ねた。
「当たり前だろうが。あそこまで言われて、黙ってる気かよ」
大田は、憎しみを露わにした顔で言い放つ。
先ほど、加藤は自分たちの信仰をバカにしたのだ。それだけなら、まだ我慢できたが……よりによって「ヤク中」とまで言ってくれた。だからこそ、許すわけにはいかない。
(お前ら、ヤク中みてえだな。ヤク中はヤク欲しさに何でもやるが、お前らのヤクは信仰ってわけか。教祖さまの命令があれば、何でもやるのか)
先ほど加藤から発せられた言葉が、またしても脳裏に浮かぶ。
ヤク中だと?
てめえに、ヤク中の何がわかるんだ!?
思わず、拳を握りしめていた。
大田が幼い頃、父はヤク中になった。覚醒剤を買う金欲しさに何でもやり、挙げ句に逮捕され刑務所へと行った。母は心を病み強制入院してしまったのだ。
残された大田少年は、犯罪者の子供という理由で周囲から白い目で見られる。彼は田舎町に住んでおり、そうした噂はあっという間に広まるのだ。
孤独な大田を救ってくれたのは、ガイア救済教会だった。
「とにかく、結果さえ出せば師父も許してくれるはずだ。加藤をブッ殺して、浅田玲奈をさらえば、命令を無視したことも大目に見てもらえる。最悪の場合は、俺ひとりが罰を受ける。お前らは、俺に無理やり命令されたと言え」
「わ、わかった」
斎藤は頷いた。
この男、背は高くスラリとした体型で、顔もいい。教団の若手の中でも、弁舌さわやかな好青年として有名である。女性信者からの人気も高かった。
そんな斎藤も、教団以外に居場所のない男だった。かつて劇団に所属しており子役で注目もされる存在だった。ドラマや映画にも出演している。
だが、それが原因でイジメを受けるようになった。その時、助けてくれたのが同じ学校にいた大田だ。
以来、大田には逆らえなくなっていた。教団に勧誘された時も、断わりきれず入ってしまったのだ。
次に大田は、竹山の方を向く。
「お前もだ。結果さえ出せば、師父は必ず許してくれる…それに、この行動は教団にとって必ずプラスになる。とにかく、俺を信じて付いて来い」
「う、うん。わかった」
竹山も、震えながら頷いた。筋肉質の体だが、どこか気弱そうな部分を感じさせる。
この男もまた、イジメに遭い大田に助けられた過去がある。ガイア救済教会は、武術や格闘技の習得を推奨しており、入信すれば様々な武術をただで習うことができた。もともと強さに憧れのあった竹山は、迷わず入信したのだ。
以来、必死で体を鍛え逞しくなった。しかし、未だに大田には逆らえない。
「よし、裏口から一気に行くぞ。中にいるのは、全部で十二人だ。しかし、加藤以外は全員クズらしいぞ。加藤さえ殺っちまえば、後は終わりだよ。全員、生きて帰すな。ただし、浅田美鈴と浅田玲奈には手を出すな。あの親子だけは、傷ひとつ付けずに連れ帰るぞ。そうすれば、師父も俺たちの行動を赦してくれるはずだ」
そう言うと、大田は立ち止まる。小声で、教団の裏の合言葉を唱える。
「では、行くぞ。天、地、敬、神、魂、殺。天と地を敬い、神の魂もて殺す」
残りのふたりも、同じ言葉を唱えた。
直後、大田の体に力がみなぎっていく。脳裏に、黒川の姿が浮かんだ。
師父、俺は初めて命令に逆らいます。しかし、必ずや加藤を仕留めてみせます。
脳内の黒川にそう呟く。一方、竹山はバールを取り出す。裏口のドアに力ずくで押し込んでいった。
・・・
「ど、どうしたの?」
加藤のただならぬ雰囲気に、美鈴も何かを感じたのだろう。不安そうに聞いてきた。
「シッ! 静かに……」
言いかけた加藤だったが、そこでようやく違和感の正体に気づいた。先ほどから、全く音が聞こえない。虫の声さえ聞こえないのだ。
つまり、何者かがすぐ近くまで来ているのでは?
そう思った瞬間、凄まじい音が響いた。入口の方からではない。裏口の方だ。
加藤は舌打ちした。入口から来てくれれば、まず元同級生たちにぶち当たる。そうすれば、奴らが騒ぎ敵襲を知らせてくれる。
だが、裏口は別だ。一応、あの扉にも鍵はかけてある。テーブルなども積んでおいた。だが、入口に比べると突破しやすい──
「いいか、ここを絶対に動くなよ。お前らのことは、俺が絶対に守るからな。とにかく、俺を信じて待ってろ」
言うと同時に、加藤は一気に走り出した。と、次の瞬間バリバリという音が聞こえてきた。
同時に、裏口のドアが開かれる──




