加藤と、黒川の対話
レストラン内は、沈黙に支配されていた。
休憩室にいる加藤と美鈴は、無言のまま座り込んでいる。玲奈も、今は床にしゃがみ込んでいた。
元同級生たちも、大広間でおとなしくしているようだ。さすがに、もう逃げ出そうとする者はいないらしい。
だが、その沈黙をぶち壊す者が現れる。突然、とんでもない声が聞こえてきたのだ──
「加藤亜嵐! 今から、我らが偉大なる師父・黒川烈道がそちらに向かう! 貴様と、一対一で話がしたいと仰っておられるのだ! もし勇気があるなら、ひとりで出てこい!」
この言葉に、さすがの加藤も唖然となった。
自分の名前が相手に知られる、それは承知していた。ここから逃げた元クラスメートたちが吐いたのだろう。どこまでも使えない連中だ。
しかし、黒川烈道とは何者だ? 一対一で話したいとは、どういうことだろう?
「おい、黒川烈道って何者だ?」
横にいる美鈴に、そっと尋ねた。
「ガイア救済教会の教祖だよ。私も、一度しか見たことない。けど、恐ろしい男だよ。あんな奴、今まで見たこともない……」
答えた美鈴の体は震えていた。黒川なる人物が、心底から怖いのだろう。
加藤は腹を決めた。こうなれば、出たとこ勝負だ。上手くいけば、取り引きで親子を逃がせるかもしれない。
「俺、行ってみるよ。取り引きできるかどうか話し合ってみる」
「取り引き!? そんなの無理よ! あいつら、本当におかしいから!」
「いざとなれば、教祖を人質にして突破できるかもしれないだろ。とにかく、会って話をしてみるよ」
そう言って出ていった加藤に、美鈴はそっと呟く。
「あんたは、何もわかってない。あいつを人質にするなんて、絶対に無理だよ……」
加藤は、死体のバリケードを乗り越え外に出た。既に外は暗くなっており、レストランから漏れるわずかな光だけが頼りだ。
闇の中、黒川烈道は本当にひとりで歩いてきた。
加藤を見下ろす長身。プロレスラーも逃げ出しそうな、鍛え抜かれた逞しい肉体。狂気と熱気を秘めた瞳。スキンヘッドに彫られた奇怪なタトゥー。ズタ袋に穴を空け、頭と腕を突っ込んだだけのような奇怪な衣装。さらに、大きな布袋まで担いでいるのだ。
あまりに異様な風体に、さすがの加藤も感じるものがあったらしい。思わず口元を歪めていた。
「とんでもねえ野郎だな。あんな奴は初めて見たぜ」
呟き、唾をゴクリと飲み込んだ。
加藤も、裏社会でいろんな人間を見てきた。ヤクザや半グレはもちろんのこと、プロの殺し屋にも会ったし、凶悪な外国人マフィアと殺り合ったこともある。
だが、この男だけは別格だ。人としての質そのものが違いすぎる。日本のヤクザなど、黒川の前では裸足で逃げ出すだろう。
こんな男を、人質に取るなど不可能だ。素手での闘いでも、勝てる確率は五分五分……いや、それ以下だろう。
一方、黒川は恭しい態度で一礼する。その表情は自信たっぷりで、余裕すら感じさせた。加藤のことを全く恐れていない。それどころか、親しみすら感じているような表情で口を開く。
「お初にお目にかかる。俺が、黒川烈道だ。ガイア救済教会の代表である」
低いが、よく通る声だ。顔つきからは、己に対する圧倒的な自信を見る者に感じさせる。小さな町の市議会議員くらいなら、立候補さえすれば簡単に当選しそうだ。
そんなことを思っていた加藤だったが、次の瞬間には、予想もしなかった言葉を聞かされる。
「加藤亜嵐よ、お前のこれまでの闘いぶりを調べさせてもらった。よくぞ、そこまで鍛え上げたものだ。本当に素晴らしい。俺の貧弱な語彙では、見事としか言えないのが残念だよ」
黒川の表情に、嘘は感じられない。むしろ、心からの敬意が感じられる。
加藤は、思わず顔をしかめた。
「何なんだ……あんた、何ワケわかんねえこと言ってんだよ? 筋トレのやりすぎで、ついに頭イッちゃったのか?」
軽口を叩いてみせた加藤だったが、内心では予想もしていなかった言葉に衝撃を受けていた。まさか、こんな展開になろうとは……。
一方、黒川はにこやかな表情のままだ。
「お前の生き方は、ガイア救済教会の教理そのものだ。闘争なくして変化なく、変化なくして進歩なし。お前は、絶え間ない闘争により自らを鍛え上げた。今のお前は、我らが教義を体現する存在だ。勇者と呼ぶに相応しい男だよ。信仰なく、己の意思のみでここまで神に近づける者がいようとはな。本当に、世の中は広い。俺は、まだまだ知らねばならないことが多いようだ」
語る黒川の表情は、だんだんと変化してきていた。声は熱と力を帯び、目には異様な光が宿っている。
そんな彼の変化に伴い、周囲の空気すら変わってきた。さすが、大勢の信者を魅了するだけのことはある。カリスマと呼ぶに相応しい男だ。
加藤ですら彼の姿に圧倒され、思わず下がっていた……。
「俺はな、お前の姿を大勢の信者たちに見て欲しいのだ。信仰のない者でも、闘争に次ぐ闘争を経て勇者の領域にまで辿り着いた……その事実を、大勢の信者たちに知ってもらいたい」
そんなことを言った後、両手を広げた。
口から、決定的な一言が放たれる──
「どうだ加藤亜嵐、我が教団に来ないか? 俺は歓迎するぞ」
「はあ? あんた、やっぱり頭イカレちまったみたいだな」
額の汗を拭いながら、言葉を返す加藤。だが、黒川の勢いは止まらない。
「フフフ、そう無理をするな。お前の心が動いているのがわかるぞ。そう、お前は誰からも助けてもらえなかった。誰も、お前を認めようとしなかった。しかし、俺はお前を認める。認めるどころか、敬意すら抱いている。どうだ、お前の力をガイア救済教会で活かしてみんか? お前とて、今さら普通の生活などできないだろう」
熱弁を振るう黒川だったが、そこで加藤が口を挟んだ。
「だったら、取り引きと行こう。俺は、あんたらの仲間になる。その代わり、あの親子を逃がしてやってくれ。美鈴さんは見ちゃいけないものを見ちまったらしいが、そいつは俺が話さないよう説得する。絶対に口外させない。なあ、これでどうだよ?」
だが、黒川はかぶりを振った。
「それは無理だな。はっきりいえば、我々は母親よりも、むしろ娘の玲奈の方が必要なのだ」
「なぜだ?」
「あの娘は、宇宙の意志と交信できるかもしれないのだ。現に今、玲奈は宇宙から落ちてきたものと意思を通い合わせているらしいのだよ」
その言葉には、さすがの加藤も眉をひそめた。
「宇宙から落ちてきたもの? なんだそりゃ?」
「お前は知らないのか。それならいい」
言った後、黒川はおもむろに担いでいた袋を高く掲げた。
かと思うと、いきなり袋を逆さまにする──
途端に、さすがの加藤も顔をしかめる。袋から落ちてきたのは、かつての同級生たちの生首であった。全員、苦痛のためか顔が歪んでおり、今にも叫び出しそうであった。
ひとつの生首が、加藤の足元に転がってくる。加藤は、その顔をまじまじと見つめた。
中村理央。「加藤キモい」「カバンに生ゴミ入れといた」などと言っていた女だ。言うだけでなく、実行もしていた。
加藤は、クスリと笑う。
「こいつら全員、殺してくれたのかい。まあ、どうせ殺すつもりだったからな。手間が省けた……と言いたいところだが、どうせなら俺の手で殺したかったね」
「そうか、それは申し訳ない。それにしても、無様な連中であった。糞尿を垂れ流しながら、何でもしますから助けてくださいと叫んでいた」
「だろうな」
「人は誰も、いつかは死ぬ。これを逃れることのできた者は、人類の歴史が始まって以来ひとりもいなかったはずだ。誰も彼も皆、いつかは死刑を宣告される。だからこそ、真の意味で生きるためには、死の恐怖に立ち向かわねばならんのだ。死を恐れる者の生など、何の意味もない」
「かもしれねえが……」
言ったかと思うと、加藤は足元にある生首を思い切り蹴飛ばした。
生首は飛んでいき、黒川の後方にある茂みの中に高速で飛び込んでいく。と、茂みから声がした。ウッという呻き声のようなものだ。
どうやら、茂みに信者が潜んでいたらしい。何かあれば、飛び出してくるつもりだったのだろうか。加藤は、フンと鼻で笑った。
「おいおい、ひとりで来るんじゃなかったのかよ教祖さま。後ろにいるのは何なんだ?」
「フフフ、気づいていたか。さすがだな。ただ、この男はお前たちを見張る任務に就いている。今も、その任務を続行しているだけだ。他意はない」
対する黒川も、平然としている。
大した男だ。加藤は、底のしれない凄みを感じた。もし、中学生の時……いや、両親を失った時にこの男と出会い誘われてたら、迷うことなく入信していただろう。
黒川は、綺麗事など言わない。ある面の真実を語る。その言葉を、両親を失った頃の加藤が聞いたら……おそらく、黒川を第二の親として崇め奉っていただろう。
だが、今の加藤は違う。
「つまり、あんたは俺にとって敵だと認めるわけだね。だったら、敵として扱うしかねえよ。あんたらが自分たちを神の側だと言うなら、俺は悪魔だ。悪魔で充分だよ」
「勇ましいセリフだな。だが残念なことに、我が教義に悪魔なるものは存在しない」
「はあ?」
「悪魔などというものは、西洋の阿呆どもが神を飾り立てるために作り出した道化にすぎん。神が偉大な存在であるためには、それに対抗する絶対悪が必要だった。だからこそ、奴らは悪魔なるものを編み出したのだ」
その声には、何の感情もこもっていない。先ほどの演説と違い、淡々とした口調である。
加藤ですら、思わず聞き入っていた。
「神は確実に存在する。だが、それは血みどろの修羅場を潜り抜け、果てのない闘争を勝ち抜いた者にだけ、その背中が見えてくる……そんな存在だ。あえて悪魔に近いものを挙げるなら、人間だな。人間こそが、真の悪魔なのだよ。お前も、既に気づいているのではないか?」
語り終えると、黒川は静かな表情で加藤を見つめる。その目には、奇妙な感情があった。優しさと憐れみが入り混じったものだ。
対する加藤の心に、かつての記憶が蘇った──
思えば、小学校の頃から始まったイジメは理不尽そのものであった。皆、楽しそうに笑いながら加藤を嬲っていた。ためらいもなく暴力を振るい、倒れた加藤を振り返ることもなく去っていったのだ。
それは、中学生になっても変わらなかった。いや、中学生になってからの方がさらにひどくなった。挙げ句、加藤の左耳は聴覚を失った。
地獄のような日々の中、理解したことはひとつ。
人間の本質は悪だ──
全てを見透かされたかのような気分になり、加藤は思わず後ずさる。
すると、黒川はニヤリと笑った。
「少々、お喋りが過ぎたな。お前と話しているのは、実に面白い。そして、お前を殺すのは実に惜しい。だが、神の御意思とあらば躊躇わん。猶予は、あと二時間だ。それを過ぎたら、総攻撃をかける。その時、後悔しても遅いぞ」




