13-② 青妃戦(後)
「――――――――――来来!」
想いのすべて、龍氣のすべて、命すらもすべて懸けて、呼ぶ。
どうか応えて、この声に。今この場に必要なのは、あなた以外にはあり得ないから。だからどうか。どうか、どうかと希った先に、聞こえてきたのは呆れたような溜息。
――仕方のない小娘め。
そんな声が、聞こえた気がした。そして続けざまにとどろきたるは。
――――どぉおおおおおおお!
私が掲げた神牌に導かれ、鍛錬場の地面に亀裂が走る。そしてその亀裂から、ものすさまじい音とともに、まばゆいばかりの黄金の輝きが立ち昇る。きらきら、きらきら。輝けるきらめきはあらゆる者から言葉を失わせ、その視線を一身に集める。唸りを上げて鍛錬場を駆ける巨大な一筋の黄金の流れは、私を襲わんとしていた青龍と、私の間に割り込んできて、ありがたいことにそのまま私のことを庇ってくれる。
春の嵐は金のきらめきにかき消され、そうしてようやく、今ひとたびの静寂が、この場に横たわることになる。
誰も何も言わない。誰も彼もが。けれどいつまでもその静寂が続くわけもなく、最初に正気を取り戻し唇をわななかせたのは、誰よりも優れた創牌師の一人である、青妃様だった。
「黄龍、ですって……!?」
その言葉に、静寂は一気に混乱へと塗り替えられる。そんなまさか、という声を皮切りにして、ありとあらゆる人々の口から、悲鳴のような疑問が飛び出してきた。
「黄龍だと!?」
「土属性における、最高位の神獣の一角ではないか!」
「待て、あの娘、土の神牌が作れるということか!?」
「信じられない……! 土の神牌は禁呪でございましょう!?」
「よ、よりにもよって、陛下の前で、なんという……!」
「おい馬鹿、陛下の耳に聞こえたらどうする!」
あらあらまあまあおやおやおやおや。随分と名が知られていらっしゃいますね、黄龍様。さすが、我が養父たる芥塵……本名は櫂仁というらしい、私が知る限り最高の創牌師だった彼の、最高傑作だ。
そんな場合でもないし、そもそも誰にも褒められていないのに、どうしてだか誇らしくなって、黄龍を見上げる。黄金の瞳が、呆れたようにすがめられ、硬直している青妃様、宵華様、そしてそんなお二人に従えられている青龍へと向けられて、また私のもとへと視線が戻ってくる。「五行のことわりを忘れたか」と、問いかけてくるその瞳に、私はにっこりと笑ってみせた。
忘れてなどいませんし、もちろん理解しておりますとも。木属性の青龍に対し、土属性の黄龍の神牌は悪手だ。木剋土のことわりにおいて、青龍に対して黄龍は不利なことこの上ない。
――でも。
それでも私は、この四戦目の香煙牌において、たとえ誰が相手になったとしても、黄龍の神牌を描き上げてみせると決めていた。四戦目、でなくてはいけなかったのだ。
土剋水のことわりに倣って、三戦目である黒妃様との香煙牌で呼ぶのがふさわしかったのだろうけれど、先ほど誰かが言った通り、土の神牌は、現在は禁呪とされている。四戦目に辿り着く前に、禁呪を使った罪人としてつるし上げられるのだけは避けねばならなかった。
だったらそもそも黄龍なんてとんでもなくめんどくさ……失礼、手に余る神牌なんて使わなければよかったではないか、と言われるかもしれない。ごもっともである。そんなことは言われなくたって理解している。それでもこの神牌を選んだのは。
――ねえ、夜昊様。
――どうかご覧ください、あなたをずっとお慕いし続けた、この神獣を。
黄龍のまなざしは、気付けば私のもとにはなく、玉座に座る夜昊様へと向けられていた。その慈愛に満ちたまなざしをまっすぐに向けられて、夜昊様は笑顔を取り繕うのも忘れて呆然となさっている。
――養父様。
――あなたの娘は、ようやく、あなたの悲願まで、辿り着きましたよ。
郷愁歌を歌いながら、黄龍の神牌を軽々と描いてみせてくれた養父の姿を、忘れたことはない。「この神牌は特別だ」と幾度となく誇らしげに、そして同時にさびしげに語っていた彼の姿を、どうして忘れられようか。
「特別なのは当たり前でしょう?」。「最高位の神獣で、しかも土に属する神牌なんだもの」。そう首を傾げる私の頭を撫でながら、彼は「いつか」と、叶うはずもないはずだった、今となっては解る、その途方もない願いを口にした。
――どうかいつか、あの方のもとへ届いてほしいんだ。
――我らに一切の後悔はなく、だからこそこの神牌は、あの方のために必ず応えると。
――宝珠、いつか、どうか……。
ああ、養父様。今、やっと、あなたの声が思い出せた。
夜昊様、あなたのせいではないのだ。あなたが強すぎる土の龍氣を宿して生まれ、だからこそ季家が滅亡に追い込まれたとしても、きっと季家の皆様は、誰もあなたを恨んだり憎んだりしていなかった。養父の口振りもさることながら、何よりも、季家の象徴たる黄龍が、この場に顕現してくれたことが、何よりもその証。
ねえそうでしょう、解るでしょう、解らないはずがないでしょう。そんな思いを込めて夜昊様を見上げ続けていると、彼はくしゃりと、泣き出しそうにそのかんばせをゆがめた。けれど片手でそれを覆い隠し、その手はすぐに下ろされる。あらまあお見事、そこにあるのはいつも通りの穏やかで優美な、大輪の花のごとき微笑みだ。誰一人として、彼の両手が、ぎゅうと握り締められていることには気付かない。
「――――たとえ、禁呪たる土の神牌を扱われようとも、今は関係はないわ」
そして静かに、今までにない硬い口調で言葉を紡ぐのは、やはり青妃様だ。彼女のかんばせからは笑みが消えていた。けれどすぐにまた彼女は柔らかな笑みを浮かび直して、宵華様へと目配せを送る。
「青龍よ!」
宵華様の勇ましい声に応え、青龍が襲い掛かってくる。私の周りでとぐろを巻いていた黄龍は、いかにも仕方がないといいたげに首をもたげ、そして青龍に相対するように自らも身をくねらせる。
そして私は、全力で自らの龍氣を、神牌を介して、黄龍に注ぎ込んだ。そう、神獣として格は青龍も黄龍も同じ。五行のことわりに倣うならば、黄龍の敗北は必至。だけど!
「私は、負けません!」
私のすべての龍氣を吸い上げたってかまわない。いくらだって持っていってくださいませ。私の狙いはただ一つ。木剋土のことわりを覆す、土侮木のことわり。より強き土が、木を侮る、ただそれだけ。つまり、黄龍の神牌の使い手である私の龍氣が、青龍の神牌の使い手である宵華様の龍氣を上回ればいいだけの話だ。
「――――――――――ッ!!」
口からほとばしりそうになる悲鳴をこらえ、ただ祈り、ただ願い、そして。
そうして、絡まり合い互いを喰らわんとしていた黄金と青の輝きがひときわ強くまばゆくなり、それから、ようやく。
ようやく、黄金の輝きが、青の輝きをすべて塗り替え、飲み込んだ。
――――ロォウ……!
黄龍が勝利の雄たけびを上げて天へと舞い上がり、反対に青龍の身体がぐらりと傾いで地に伏せる。そして、その青龍を使役していた宵華様が、耐えかねたようにその場に膝から崩れ落ちる。神牌がひらりとその手から風にさらわれ、送還の言葉を待つことなく青龍の姿が掻き消えた。
「青龍!」
青妃様の口から悲鳴が上がる。宵華様のもとに駆け寄り、なんとか彼女を起こそうと幾度となく「宵華、宵華……!」とその名を呼ぶけれど、宵華様からの反応はない。限界まで龍氣を使い果たしたのだ。いくら彼女が優れた護牌官だとしても、もうこれ以上は叶わないだろう。
それを正しく理解したらしい青妃様は、やがて、ふう、と吐息をこぼされた。そのたった一つの吐息で、理性を取り戻した彼女は、宵華様の頬を撫でてからそっと立ち上がり、困ったような笑みを浮かべた。
「まったく、青妃の名が泣いてしまいますわね。とはいえ、もはや打つ手なし……この香煙牌、私、春淑蕾の負けにございまする」
お見事でございました、と、私に笑いかけてくる青妃様の言葉に続いて、銅鑼の音が響き渡る。
は、は、と荒い呼吸を繰り返す私の耳に、続けて届いたのは。
「此度の香煙牌、全四戦。勝者、芥宝珠!」
審判役の将軍が歩み寄ってきて、私の右手を取って高く掲げた。思わず彼の顔を見上げると、その瞳に当初宿っていたはずの私への侮りは消え、今は純粋は賞賛がある。
――勝、てた……?
――私、勝てた、の、よね……?
そう、四つの勝利を夜昊様に捧げると誓った通りに、私は、勝てたのだ。けれどなんだか現実味がなくて、ぼんやりと立ち竦んでいると、周囲から文字通りの「待った」がかかった。そちらを見遣ると、四大貴族に連なることが見て取れる色合いの衣装に身を包んだ武官や官吏、女官達が、私のことを恐々としながらもはっきりとした悪意をもってにらみ付けている。
「土の神牌の使用による勝利など、認められたものではありません!」
「陛下の御前でなんたる不遜な真似を……!」
ああー……はい、こう言ってくる方々が絶対いらっしゃると思ったから、やっぱり黄龍の神牌は四戦目にしか使えなかったんですよね……と、改めて自分の正しい判断を褒める私に対し、出るわ出るわ罵倒の嵐。すごい、ここまで責められるとは思わなかった。一周回って感心していると、そんな私を罵っていた一部の口から、とうとう「極刑にすべきだ!」という声まで上がる。まあ覚悟の上だったので、驚くことはない。
夜昊様にお見せしたいものはお見せできたしなぁ、と納得する私が、その夜昊様を見上げた次の瞬間。
彼は、笑った。
あまりにも美しい、美しすぎる笑みに、一瞬で周囲が静まり返る。呆けたように固まる周囲をよそに、彼はゆっくりと立ち上がった。その所作一つ一つから誰もが目を離せない中で、彼は続ける。
「土の神牌を禁呪としたのは、我が父である先帝陛下だ。僕の治世においては意味のない法だと、僕は思っているよ」
「で、ですが……!」
「誰が発言を許した?」
「っ!」
穏やかながらも有無を言わせない、ともすればその命を刈り取ることすら厭わないような響きをはらんだ夜昊様の声音に、口を挟もうとした官吏が慌てて頭を下げる。
それに鷹揚に頷きを返し、夜昊様は私へと視線を向けた。彼はひとたび困ったように微笑んで、それから、その笑みを鷹揚で泰然とした、正に覇王と呼ばれるにふさわしいそれへと変える。
「芥宝珠。見事な戦いだった。褒美を取らそう。何を望む? 皇后の座すら、今ならばそなたに与えよう」
ひゅっと誰かが息を呑んだ。けれど口を挟むものはいない。今の夜昊様に、口出しなんてできるはずがない。それが許されているのは、私だけ。
それがなんともくすぐったくて、私はふふふと思わず笑う。
また誰かが息を呑んだようだったけれど、構うことなく私は口を開いた。
「さあ、何を望みましょう? 皇后なんて安いものに興味はございません。私は、もっともっと、陛下を困らせてしまうくらいの望みを、ご用意させていただきますわ。のちの世ではきっと、私は傾国と罵られることとなりましょう」
心からの笑みとともに、深々と一礼。
夜昊様は「それは恐ろしいね」とはじけたように大きく笑い出し、周囲は戦々恐々と言葉を噤む。
何よりも楽しげに、そしてそれ以上に嬉しげに笑う夜昊様を見上げ、私はまた微笑んで、それから。
…………それから先の、私の記憶は、すこーんと抜け落ちている。




