12-② 黒妃戦(後)
――……っ来た!
来来、と私も手早く描き終えた神牌に対してまた唱える。現れたのは、先ほどの戦乙女のそれとは比べ物にならないほど粗末な盾だ。しのげる攻撃はただの一度きり、けれど、この盾は。
「……へえ、これはあれか? 無理心中仕様の盾ってことか」
「おっしゃる通りです」
「は、小賢しい真似をしてくれる」
初めて苦々しげな表情になって吐き捨てる氷雅様を横目に、一心不乱に更に同じ盾の神牌を描き上げていく。何枚も。何枚も。
そう、私が描いた、どう見ても大した防御力などありそうにない盾の、その特性は、氷雅様のおっしゃる通りの『無理心中』。つまるところ、この盾を攻撃した武器は、盾を破壊することはできるけれど、同時に自らもまた破壊されるのだ。
なんともまあ使いどころに困る盾だ。私のことを守ってくれると同時に、自らのことを犠牲にしてしまうこの神牌を使うのは、正直なところ避けたかった。でももう、手段は選んでいられない。
――――そうして始まったのは、私の盾の群れと、黒妃様が作り出し氷雅様が扱う様々な武器の、度重なる文字通りのぶつかり合いだ。
互いが互いを食らい合い、次々に盾も武器も消滅していく。盾の神牌を作り出すのと並行して作りかけの神牌にも絵筆を滑らせなくてはならないのだから、正直なところめちゃくちゃきつい。そろそろ気が遠くなってきた。でも、手を休めるわけにはいかない。
そうして永遠に続くかと思われた盾と武器のぶつかり合いに対し、「いい加減になさって!」とじれったそうな声が上がる。彼女もまた絵筆を動かしながら、いらいらとした様子で私をにらみ付けてきた。
「持久戦のおつもりかしら。燦麗様方のときと同じように、氷雅お兄様の龍氣が尽きるのを待っているならば、無駄でしてよ。わたくしが作り上げる武具は、最低限の龍氣で扱えるように調整しているの」
「そういうこった。俺のかわいい妹姫は極めて優秀でね、だからこそ大した龍氣を持ち合わせていない俺でもずっと戦っていられる。龍氣が尽きるとすれば、芥宝珠。お前が先だ」
だからもう諦めて死ね。と、二人がかりで言外になじられて、ほんの少しだけひるみそうになる。ああほら、また私の盾と、氷雅様の手にある長剣がぶつかり合って、同時に破壊される。そして私も氷雅様も、またほとんど同時に「来来!」と叫び、それぞれ盾と武具を呼び出す。
黒妃様と氷雅様のおっしゃることはごもっともだ。なんとなく気付いていた。持久戦では、私の方が圧倒的に不利であると。だからこそ、それを今更諭されたからと言って、この戦い方をやめるつもりはない。なぜならば。
「来来!」
一気に何枚もの盾を目の前に呼び出して、私の目の前に並べる。一枚ずつ呼び出していた私が大量に盾を並べたことに対して氷雅様が舌打ちをした。「小癪な真似を」と呟きながらも、その手の矛を構え直していったん態勢を整えて、そして一枚ずつ、自らの武器を破壊されながらも、彼は私の盾を確実に破壊していく。けれど、そうやってそのまま、どうして私が最後の一枚まで盾が破壊されるのを待っていると思うのだろう?
「来来!」
好機は今。私の呼び声と同時に、ダァン! とすさまじい音が響き渡る。そして。
「ああああああっ!?」
「氷雅お兄様!!」
氷雅様が倒れ、黒妃様が悲鳴を上げる。それを見つめながら、「謝謝」と口にすると、氷雅様の両手両足を打ち抜いたそれ……火槍と呼ばれる武器は、神牌へとまた封じられた。
火槍は、この広い五星国でもなかなかお目にかかれない武器である。神牌が存在し、その力に頼り栄える五星国ではほとんど使われないけれど、西方の諸外国では少しずつ民草の間にも広まっていっているのだと言う、火縄銃とも呼ばれるものだ。
並ぶ盾の隙間から銃口を覗かせた、火の氣と金の氣を併せ持つそれの数は四つだった。そう、ちょうど、四肢の数である。
「あ、あああっ!」
「氷雅お兄様、お兄様ぁっ!!」
両手両足を打ち抜かれて、地面の上で身もだえる氷雅様に、黒妃様がひざまずいて取りすがる。そんな彼女を見下ろして、私は口を開いた。
「続けますか? もはや氷雅様が武具を持てないのは明らかにございますが」
「っお、おま、え……! よくも、よくも氷雅お兄様を!!」
吹き荒ぶ吹雪のような荒々しい光を瞳に宿して声を震わせる黒妃様だが、怖いとは思わない。もう彼女にとっての武器を、私は奪い取ってしまったのだから。
黒妃様の戦うすべは、自らの武具召喚にあり、それを扱う氷雅様が必要不可欠となるとはすぐに気付いた。ならば話は簡単だ。氷雅様を潰せばいい。
命を奪うまではしないけれど、その手足を撃ち抜くくらいのことは許されてもいいんじゃないかな~~なんて思ってしまう。何せ、この方々に、私は刺客を送り込まれておりますので。あのときは本当に死んだと思いましたので。
何にせよ、もはや勝敗は決したと言っていいだろう。そう、そのはず、だったのだけれども。
「――――まだよ」
ゆらり、と。四肢を撃ち抜かれた痛みのあまりにとうとう意識を失った氷雅様を置き去りに、黒妃様はそう呟いて立ち上がった。氷雅様の血に濡れた手が、止める間もなく絵筆を操り、新たな神牌を作り出す。そして。
「来来、玄武!」
黒妃様の、もはや悲鳴のような呼び声に応えて現れたるは、巨大な、足の長い漆黒の亀だ。その身には同じく漆黒の蛇がからまり、艶々となまめかしく陽の光をときに吸収し、ときに反射する。
冬家が象徴、おそらくは黒妃様にとっての最高傑作であろう、四神の一柱たる神獣だ。
「玄武、玄武よ、あの赦しがたき女を、お願い、髪一本残さず始末してしまって!!」
怒りに震える涙声で、黒妃様が叫ぶ。玄武は主人の意思に忠実に従おうと、その首をこちらへと向ける。
護牌官ではない創牌師が、香煙牌において神牌を使うことは許されるのか否か。そこを突っ込んで彼女の反則負けに持ち込むことは……まあ、解っている。絶対に不可能だ。なぜならば私も、それから先の白妃様も、自ら神牌を扱ってこの香煙牌に臨んでいる。黒妃様はそれが許されない、というわけにはいかないだろうし、それに何より。
――今の黒妃様には、何を言っても無駄でしょうね。
今の彼女の頭にあるのは、私への殺意、それだけだ。周囲が何を言ったとしても、絶対に聞く耳など持ってくれないに違いない。ふきすさぶ吹雪のような激情が、真正面から私にぶつけられる。涙に濡れる黒瞳に宿る殺意が、私の全身を貫いている。
「さあ、玄武よ!」
黒妃様の号令に頷いた玄武が、その大きな口を開いて、渦巻く巨大な水塊を作り出す。なるほど、あれをぶつけられたら、おっしゃる通り私の髪の毛一本も残らないだろう。
すさまじい圧力がびりびりと全身を襲う。
そして、その水塊が、いよいよ豪ッ!! とうなりを上げて放たれた。それとほぼ同時に、私は最後の一筆を、この黒妃様との香煙牌が始まってからずっと描き続けていた神牌へと走らせる。
さあ、ようやく。本当に、ようやく、これで完成だ。
「――――――――――来来」
私の静かな呼び声は、水塊の勢いにかき消された。けれど、確かに。確かに私の神牌は、私に応えてくれたのだ。
「ふふ、ふふふっ! ざまを見なさい、地獄でせいぜい己の愚かさを悔やむがいいわ…………え?」
心底嬉しげに、頬を薔薇色に染めて微笑んでいた黒妃様の表情が凍り付いた。何が起こっているのか解らないとでも言いたげに、私のことを彼女は見つめている。
そう、巨大な火の鳥の両翼に、包み込まれるようにして守られている、私の姿を。
「ど、う、して……」
呆然と黒妃様は呟いた。けれど、その花のかんばせは、すぐに、その身に宿る激情によって険しいものへと塗り替えられる。そうして、私と、私を守る火の鳥を、彼女はその身に憎しをありありと宿らせて嘲笑った。
「たとえ一度しのいだとしても、所詮その神牌は火の氣のもの。水は火を剋するもの。創牌師として基本中の基本でしてよ。今、その基本を、わたくし自ら教えてさしあげるわ。さあ、玄武よ」
こちらの返答を待つことなく、玄武が再び水塊を放った。先ほどのものよりももっとずっと大きくすさまじい、今度こそ完全に仕留めるという意思を感じさせるそれ。
私をその翼で包み込んでいた火の鳥が、私をその背に庇って前に出る。そしてそのまま、火の鳥は水塊に飲み込まれ、その炎はかき消されてしまう。
「ほぉら、お解りいただけたかしら? 次は……」
お前の番、とでも、黒妃様は続けたかったのだろう。けれど、それは言葉になることはなかった。長く濃い睫毛に縁どられた黒瞳が大きく見開かれていく。
その視線の先で、水塊に飲み込まれて消え失せた火の鳥がかろうじて残していたわずかな羽根が、大きく燃え上り、そして。
「なんですって……!?」
火の鳥は、ごうごうと燃え盛りながら、再びこの場に顕現した。黒妃様が今度こそ驚愕に硬直し、息を呑んで事の次第を窺っていた観客達も大きくどよめく。そこまで来て、私はようやく、薄く微笑んでみせた。
「この神牌は、見ての通り、火の鳥にございます。ですがその本質は、朱妃様の朱雀とはまた異なるところにございます。外つ国では“フェニックス”と呼ばれるこの子を、この五星国のことわりに倣って名付けるならば、その名は」
笑みを深める。黒妃様の顔が真っ青になる。構うことなく、続ける。
「“不死鳥”。何度その命を散らそうとも、必ずよみがえる、奇跡の鳥です」
そう、私がずっと描き続けていた神牌、本命と呼ぶべきそれは、この不死鳥のための神牌だ。
火槍の神牌で終えられたらよかったのだけれど、おそらくはそうはならないだろうとはすぐに予測できた。いくら氷雅様がいらっしゃるとはいえ、遅かれ早かれ、黒妃様が玄武を召喚するであろうこともまた、予測していた。
そのためのこの神牌――――不死鳥だった。なかなか気難しいご気性の持ち主で、完璧な神牌を描き上げない限り召喚に応じてくれないからこそ、香煙牌において新たに描き上げるのは骨が折れた。でも、無事にこうして神牌を完成させることに成功し、この場に顕現してくれたのだから何よりである。
私の視線の先で、黒妃様がぶるぶると全身を震わせている。はくはくとあえぐようにその花弁のような唇が開閉し、そして続けて、絞り出すような声がこぼれた。
「そ、れでも。わたくしの玄武は最高の水の氣を宿すもの。火の氣を宿すその不死鳥とやらに、負けるはずが……!」
「ああ、その点ですが」
にこ、と笑いかけると、びくりとこれまた大きく黒妃様の身体が震えた。けれど構うことなく続ける。
「水剋火のことわり、もちろんごもっともでございましょう。ですが」
私が片手を挙げると、大きく不死鳥が翼を広げて天高く舞い上がる。その美しさに観客が溜息をこぼす中、私は深々と一礼してみせた。
「火侮水。より強き火が、水を侮ることもございます」
――――ごおおおおおおおおっ!
「きゃあああああああっ!」
不死鳥がその翼から滝のような炎を降らせ、玄武を包み込む。そのまま玄武はなすすべもなく消え失せる。燃やし尽くされたわけではなく、その存在が人の目には見えざる彼らの世界に還っただけだ。四神と呼ばれるほどの概念を孕む精霊は、たとえその神牌が破壊されても、その存在そのものは世界に存在し続けるから。
あまりの炎の勢いに、黒妃様が悲鳴を上げ、そのまま意識を失って倒れ込む。そのままぴくりとも動かなくなったことを確認して、私は不死鳥を見上げた。
「ありがとうございます。おかげで助かりました」
――また無茶をして。いい加減になさいね。
「ふふ、耳が痛いです。以降気を付けます。謝謝」
呆れと心配をにじませて私に苦言を呈した不死鳥は、そうして私の手の神牌にまた封じられた。
鍛錬場はすっかり静まり返っている。誰も話さないし、なんなら身動ぎすらしない。けれどいつまでもこのままでは、意識のない黒妃様と氷雅様が放置されることになってしまう。
「あの、私の勝ちってことでいいですよね?」
周囲と同じく呆然としていた審判の将軍に声をかけると、彼はハッ!!!! と息を呑んでから、こくこくとなぜか無言で何度も頷いた。
そしてさらに遅れて、銅鑼の音が響き渡る。香煙牌、第三戦。ここにおいても私はまた、無事ではないにしろ、なんとか勝利を収めたのである。




