11-② 白妃戦(後)
「見事なものだ。ここまで金の氣を宿す精霊を呼ぶ神牌を作る創牌師と戦えるとは、俺は嬉しく思うぞ」
「光栄にございます。それでは続きまして、来来」
二枚目の神牌から続けて呼ばれたるは、私が呼んだ鎧武者の忠実なる従者とされる犬だ。金の氣を宿す鎧武者の弱点となるのは炎。なればこその、その炎を克する水の氣を宿した、大きな猟犬だ。
ただ単純に、鎧武者の弱点を補うための水の氣を宿しているからこそ呼んだわけではない。白妃様は、金の氣の神牌以外を使わないということはもう明らかであるし、となると水の氣の猟犬を呼んだとしても意味はない……と思われても仕方がないだろう。
だがしかし、白妃様は、私の狙いをすぐに敏くくみ取って、ほう、と感心したように頷いた。
「属性よりも、戦地における相性を選ぶとは。なるほど、虎狩り、というわけか。得策だな」
本当に頭がよろしくていらっしゃるなこのお方。そう、私が猟犬を呼んだのは、彼と強い絆で結ばれた鎧武者とともに、白妃様がおっしゃる通りの『虎狩り』をしてもらうため。白虎という獣を、狩人である鎧武者とともに追い詰めてもらうためだ。
おっしゃる通りでございます、と視線で頷きを返すと、口角をさらにつり上げた白妃様が、いよいよ地を蹴った。同時に白虎も駆け出して、私は白虎に向けて鎧武者と猟犬を放つ。
「精霊同士の戦いは、当人達に任せよう。俺達は俺達で、我らが皇帝陛下に捧げる戦を繰り広げようではないか!」
「っ来来!」
ほとんど一足飛び、一瞬とすら思える勢いで距離を詰めてきた白妃様の矛の突きを、幸運にもぎりぎりでよけることに成功した私は、二枚の神牌を両手に持って叫んだ。そして顕現したるは、火の氣を宿した一対の鉄扇だ。
左右の手にそれぞれ持って、次々と繰り出される突きを、なんとかかんとか、本当にぎりぎりのところで受け止め続ける。速く、重く、正確な突きだ。鉄扇そのものに宿る、かつての使い手であるという自らこの鉄扇で敵と戦った姫君の記憶がなかったら、あっという間に私の身体には穴が開いていたに違いない。
キィン、キィン、カァン! 矛と鉄扇がぶつかり合うたび、高らかな音が響き渡る。同時に白虎の唸り声と、鎧武者の勇ましい怒号、猟犬の吠え声がこだまする。あちらはあちらでなんとか持ちこたえてくれているようだ。とはいえそれに安堵しているひまはない。ああほら、また来た!
「っ!」
「ほう、これも受け止めるか! ははっ! すばらしい、楽しい、楽しいぞ俺は!」
ガキィン、と矛の先を鉄扇を重ねて受け止めると、その台詞通りに心底楽しげに、歓喜に満ちた笑顔で、白妃様がさらに奮い立つ。
楽しんでくださっているならばそれは何より……なんて言っている場合でもない。既に私の限界は近い。腕はしびれ、両手の鉄扇は重く、気を抜いたらもうすぐに取りこぼしそうになってしまう。でも、それでも。
――まだ、私は……!
両手の鉄扇に龍氣を送り込む。私の思いに応えて、鉄扇はごうと炎をまとい、自らを破壊せんとする矛を包み込む。突然襲いかかってきた炎に、白妃様が後方に飛びずさって、私と距離を取る。矛を包み込む炎が燃える。なんとかこれで、なんとか、なんとかならないものか……! という私の必死な願いは、白妃様はひとふり、矛を薙ぐだけで消え失せる炎とともに踏みにじられる。無駄なあがきであると解っていたとはいえ、もう少しなんとかならなかったのかな、なんて、他人事のように思ってしまった。
そして、白虎と鎧武者達の戦いもまた、終焉を迎えようとしていた。見れば、鎧武者の偃月刀は既に折られ、彼は地面に片膝をついており、そんな主人を守ろうと吠えたてる猟犬もまた、もはや限界であるということがすぐに見て取れた。
――潮時だわ。
そう、覚悟せざるを得なかった。これ以上彼らを白虎と戦わせたら、彼らの存在そのものを、白虎は消滅に追い込むだろう。それを黙って見過ごせるほど、私は神牌に対して達観できないし、これからもそんな真似はするつもりはない。神牌は、そこに宿る精霊は、私と結んだ絆にかけて戦ってくれた。もう十分だ。
「――――謝謝」
そう呟くと、鎧武者と猟犬が神牌へと封じられ、この場から掻き消える。おや、と白妃様がそれまでの表情から一転して、さもつまらなさげな、興がそがれたと言わんばかりの表情を浮かべた。
「もう諦めるのか? まだまだ戦いはこれからだろう」
「私とて、自分の実力は理解しておりますわ」
「ほう、その潔さ、賞賛に値するな。自らの命がかかっているというのに、見事なものだ」
だが、と、ゆっくりと歩み寄ってきた白虎を背後に従えて、白妃様は、自らの矛を構え直した。その切っ先が狙うのは、私の左胸。心臓が、私の命が宿る場所。
ぐっと表情を引き締める私に、白妃様は笑うでもなくつまらなさげなものののままでいるわけでもなく、凛々しくその花のかんばせを引き締めた。
「悪いが俺は、燦麗殿のように優しくはない。芥宝珠よ。その命、ここでこの秋夕蓉が貰い受ける!」
タンッ! と白妃様が地を蹴った。速い。これは避けられない。今、私のもとに、明確な死が迫り来ている。ガタンッとどこか遠くで何かが動く音がした。夜昊様が椅子から立ち上がられたのだと、こんなわずかな、まばたきのような時間の中でも気付いてしまう。
――夜昊様。
見ていて、と申し上げたでしょう。勝利を捧げると、誓ったでしょう。私は、その言葉を、誰にも覆させはしない!
鍛錬場に集まる誰もが、夜昊様すらもが、私が白妃様の矛に貫かれ倒れることを予想しただろう。静まり返ったこの場所で、ただ白妃様だけが美しい残像を描きながらその矛を、私の胸にいよいよあとわずかの距離で届く、というところまで向けたところ、で。
そこで、白妃様は、ぴたり、と。その駆けていた足を止め、私の胸にその切っ先が触れる寸前で、矛を止めた。
恐ろしいほどの沈黙が横たわっていた周囲が、ざわりとざわめいた。なぜ白妃様がとどめを刺さないのかと、誰もが驚きをあらわにしてこちらを注視している。ありとあらゆる視線にさらされながら、まるで凍り付いたように白妃様は矛を私に突き付けたまま動かない。動けない。なぜならば。
――――ぶぶぶっ。
低く細かく震えるその音。それは、虫の羽ばたきの音だ。こちらへと矛を構え、今まさにこの身を貫かんとなさっていた白妃様は、ぴくりとも動かないまま、視線だけをその音の出どころへと向ける。目に移すことは叶わなくても、流石白妃様は、自らの身に迫るその存在を正確に認識したらしい。
「……蜂か。宝珠殿。これが、あなたの、五枚目の神牌だな?」
「おっしゃる通りにございます」
そう。その通りだ。私が与えられていた神牌は五枚。一枚は鎧武者。一枚は猟犬。二枚は鉄扇。ならば、残りの一枚は? その答えがこれだ。
猛毒の針を持つ蜂が、今まさに、白妃様の喉元を狙っている。その素早さには定評があり、人間とは比べ物にならないほどの速さでその蜂は飛ぶ。
「いつからだ?」
ぶぶ、ぶ、ぶぶぶっ。蜂の翅が空気を震わせて、その音が私と白妃様の耳朶を震わせる。私が白妃様の矛の前に倒れるよりも先に、蜂の毒針は、容赦なく彼女の喉を貫き、その命を奪うだろう。白妃様ご自身もそれが解っているに違いない。だからこそ彼女は、その場から動けず、矛を振るうことすら叶わない。
低く短い問いかけに、私は笑い返した。してやったり、とばかりに。ああよかった、狙い通りだ。いつからも何もなく、私は、この瞬間を待っていたのだ。
「いつから、と申し上げるのでしたら、最初から、と。私が鎧武者を呼び出した時点で、この子は同時に召還され、ずっと私の袖口に隠れておりました」
白妃様が、白虎を呼び出すであろうことは、朱妃様の場合と同様に解り切っていたことだった。香煙牌という場において、自らの家の象徴たる四神の一角を呼び出さないはずがない。自ら矛を持って戦われる白妃様にとって、もっとも信頼のおける神牌が、白虎。だからこそ私は、かつて悪虎を討伐したという伝説上の鎧武者と猟犬の神牌を用意し、白虎に立ち向かわせた。そして、白妃様のもう一枚の神牌が、矛として召喚されるであろうこともまた予測済みであったから、二枚の神牌に鉄扇を描き、それらを操ることでなんとか彼女の猛攻をしのぎ続けた。
もとより、正攻法で白妃様に勝てるわけがないのだ。白虎に対する鎧武者と猟犬も。武人である白妃様に対する素人でしかない私も。
鎧武者達は時間稼ぎは十分成し遂げてくれるだろうとは思っていた。けれど、白虎を降すことは叶わないであろうことは予測済みだった。
その上で、勝利を得ようとするならば、直接白妃様を負かすより他はない。だが、創牌師としての腕はともかく、武人としての腕はからっきしのこの私が、どうして矛の達人たる彼女に太刀打ちできるだろう。
だからこその、毒を孕む蜂――――この状況においては、暗器と呼ぶにふさわしい神牌が必要だった。五枚目の神牌。それが、この蜂。気付かれずに済んだのは僥倖だった。もしも途中で気付かれていたら、白妃様はその矛でもって、驚くほど正確に蜂を斬り捨てていただろう。
分の悪い賭けだった。けれど、その賭けは、どうやら私の勝ちらしい。いまだに動かない……というか動けない白妃様の、その手の矛にそっと手を寄せて、刃を下ろさせる。抵抗はされなかった。まあ私が呼んだ蜂に命を握られているのだから当然だろう。それをいいことに、私は白妃様に対してさらに笑みを深めた。
「続けますか、白妃様」
続けるとおっしゃるのならば、その次の瞬間に、私は蜂に白妃様を襲わせる気満々なのですが。
そう言外に告げると、白妃様は怒るでも焦るでもなく、あろうことかなんと、ぷっと大きく噴き出した。そしてそのまま、呵々と大きく笑いだす。えっ、これ、笑うところ……?
私のやり口に「卑怯だ!」「正々堂々と戦わないなんて!」と騒ぎ立てていた外野もまた、驚きに硬直する。そんな周囲をさておいて、なおも爆笑し続ける男装の麗人は、ばしばしと私の背を叩いてきた。痛いけれど不快ではないのは、白妃様から悪意が一切感じられないからだろう。
「まったく、やられた! まさかこんな手を使ってくるとはな。勝利を得るために手段を選ばないその根性、この夕蓉、実に気に入ったぞ」
「え、あ、は、はい、それは光栄にございます……」
「ああ、そう思ってくれ。この香煙牌、俺の……秋夕蓉の負けだ。せいぜい誇りに思え、芥宝珠」
そう言ってまた呵々と笑う白妃様に頭を下げつつ、私は蜂に「謝謝」と呼びかけて神牌に封じ、そうして鳴り響く銅鑼の音に、二つ目の勝利を手にしたことを改めて確信するのだった。




