8-③ 土精
芥塵だなんてとんだ忌み名にはめっぽう似合わない、中性的な美貌を誇る、貧民街に近い下町で暮らしているとは到底思えない気品をまとった人だった。明朗快活という言葉がよく似合う気性を持ち、ときに優しく、ときに厳しく、何も持っていなかった私に、生きていくためのすべを残してくれた人。
五年前、私が十三歳になったばかりのころに、質の悪い風邪をこじらせて、驚くほどあっさりと死んでしまったけれど、あの人との日々は、いまだこの胸に確かに残されている。
私の言葉に、ゆるゆると夜昊様の金色の瞳が見開かれていく。はくり、と、その淡く色づく唇がわなないた。
「カイ、ジン?」
ほんとうに? と音にせずに問いかけてくる彼に、頷きを返す。
「はい。私に神牌のすべてを教えてくれた、命の恩人です」
もうその声を思い出すことは叶わないけれど、私が創牌師として神牌に携わり続ける限り、あのひとは私の側にいてくれる。そう思って生きてきたし、これからもそう思って生きていくのだろう。
私が駄目押しのように続けた台詞に、夜昊様の瞳が揺れた。そのまなこがわずかに潤み、けれどそれを私には見せたくないのか、そのまま彼は両手で顔を覆ってしまう。
「創牌師の、芥塵……カイ、ジン……櫂仁か……! ああ、ああ、そうか、だから……だから宝珠、君が……」
きみが、と、もう一度繰り返して、そうして彼は、再び顔を上げる。もう瞳は潤んではおらず、いつものそれよりもいびつだけれど、それでも確かに美しい笑みをそのかんばせに無理矢理浮かべて、夜昊様はやっと私の両肩を開放してくれた。
「怒鳴って悪かったね。君の師が仁であるならば、君が土の神牌を扱えるのもごもっともな話だ。もしかしなくても、君、他の属性よりも、土属性の神牌を相手にするのが一番得意だったりする?」
「……さようにございます」
「だろうね。ふふ、そう、そうか。これが運命なのだとしたら、はは、随分と皮肉が効いているものだ」
あーあ、と溜息交じりに天井を仰いだ夜昊様は、そして私の手を取って立ち上がり、そのまま寝台へと向かう。まさかこの流れで一緒に寝るつもりなのかと身構える私とは裏腹に、彼は寝台の端に腰かけるだけにとどまり、自らの隣をぽんぽんと叩いた。
「宝珠も座りなさい。話をしよう。僕が聞いてほしいだけだから、途中で寝てくれても構わないよ」
どうぞ、と寝台を示されて、一瞬迷ったけれど、結局夜昊様の隣に腰を下ろす。まさか彼が自ら話をするとおっしゃっているのに、ここでさっさと横になる、なんて真似ができるわけがない。
なんとも居心地が悪くて縮こまりながらちょこんと腰を下ろす私に、ふふ、とようやくいつもの調子で夜昊様は穏やかに笑った。
「どこから話そうかな。とりあえず、宝珠。きみは、十年前の内乱について、どこまで知ってる?」
「……その、当時は五大貴族であった大貴族の一角である、今は断絶した『土』を司る季家の皆様が、先代の皇帝陛下に反旗を翻し、逆賊として一族郎党全員……」
「うん、全員、処刑されたね」
「……」
さらりと頷かれてしまい、言葉に詰まる。なぜならば、目の前のお方は。
「正確には、当時黄太子だった僕を除いた、季家の者全員が、と言うべきだとは理解している?」
「…………はい」
そう。当代の皇帝陛下たる夜昊様の母君は、季家出身の、黄妃様だった。彼女もまた、内乱の責任を問われて、十年前に自決を申し渡されている。以来、この五星国における大貴族は、五大貴族ではなく四大貴族となり、皇帝に嫁ぐ妃は青妃、朱妃、白妃、黒妃のみとなり、五人目の妃である黄妃の座は廃妃となった。
この事実は、十年前の内乱を知る者であれば誰もが知っているそれであり、同時に、誰もが口を噤むそれでもある。生活に欠かせない土の神牌そのものを禁呪とされるほどに、五星国における許されざる汚点として、あの内乱は既に史書に刻まれている。
その上で、養父は、私に、土の神牌の修繕法や制作法も伝授してくれた。自分ばかりか私まで罪に問われることになると解っていただろうに、彼はあますところなく神牌にまつわるすべてを私に授けた。そして、その理由を知る前に、養父はあっさりすぎるほどあっさりと、この世を去った。
いくら皇帝陛下であるとはいえ、今となっては季家唯一の生き残りでいらっしゃる夜昊様相手に、くだんの内乱についてどこまで言及していいものか解らない。自然と口がまごついてしまう。そんな私に、彼は穏やかに続けるのだ。
「あの内乱はね、仕組まれたものだったんだ」
「――――え?」
「つまり、冤罪。父上……先代皇帝と、今でいう四大貴族の計らいで、季家は滅亡に追い込まれたんだ」
「……っ!?」
それ、は。いったい、どういうことなのか。言われていることが理解できずに、ただぽかんと口を開けるばかりの私の間抜けな顔が面白かったのか、くつくつと喉を鳴らした夜昊様は、つまらなそうに続ける。
「五行のことわり、はもちろん知っているよね」
唐突と言えば唐突な確認に、反射的に頷きを返す。五行、すなわち、火、水、木、金、そして土という五つの属性で世界は構成され、それらがひとしく並び立つことで、世界の調和が保たれているという考えであり事実である。その一つ一つの属性を強く宿した一族が四大貴族、正確にはかつての五大貴族だ。そして、その大貴族が宿すそれぞれの属性の龍氣を平定し、龍脈を正しい流れに整え、国を安寧に導くのが、皇帝陛下の役割でもある。
その一般常識がどうかしたのかと視線で問いかけると、夜昊様は穏やかな笑みを、皮肉げなものへと一変させた。
「僕がね、強すぎるんだそうだよ」
「…………え?」
「だから、僕の龍氣が。僕が宿す土の属性の龍氣は、現在の四大貴族一門全員の龍氣を合わせて、やっと平衡が保てるほどのものなんだって。僕が生きている限り、龍脈は乱れ、国は荒れる。だから先代と、四大貴族は、十年前に季家に迫ったんだ。五行のことわりを守るために、僕を殺すか、あるいは僕以外の一族郎党すべてが死ぬかを」
極端だよね、と、夜昊様は微笑む。けれど私は笑えなかった。笑えるはずがなかった。夜昊様一人の命と、季家一族全員の命。そんなもの、比べてはいけないものだろう。命をはかりにかけるなんて、あまりにも残酷すぎるではないか。あまりにも、悲しすぎるではないか。
いくら国のためだとはいえ、そんな、そんなことは……!
頭の中がぐちゃぐちゃになって言葉が出てこない。何か言いたくて、でも何を言ったらいいのか解らなくて、はくはくと意味なく口を開閉させる私を、面白そうに見つめていた夜昊様は、そうして、今までで一番美しく、同時に、今までで一番悲しく、どうしようもない微笑みを深めた。
「結果は知っての通りだ。季家は僕の命を取り、あとは全員逆賊として処刑されたよ。そのおかげで、五行のことわりは正されて、めでたしめでたしというわけだ」
「っなにが、めでたしですか……! そんな、そんなことっ」
「怒ってくれるんだ。宝珠は優しいね」
「っ!!」
違う。私は優しくなんかない。ただ夜昊様があまりにも穏やかなものだから、逆に私が熱くならざるを得ないだけだ。ああ、ああ、ああ、なんてことだ。なんて悲しいことを、なんてむごたらしいことを、この方は当たり前のように、仕方がないとすら思うふりもせずに語るのだろう。あなたこそ怒っていいのに。悲しんでいいのに。それなのに。
まただ。また言葉が出てこない。そのかわりにぶわりと涙がこみ上げてきて、そんな自分がみっともなくて拳を握る。爪が手のひらに突き刺さって痛い。そんな私の拳を、夜昊様はそっと持ち上げて、信じれないくらいに丁寧に、そっと指をほどいていってくれる。
「君の養父の、芥塵という男。本名は、きっと、櫂仁だ。彼はね、僕の母に仕えていた宦官だと思う。季家ゆかりの男だったけれど、彼は季家の血を引いていたわけではなかったから、放逐されるだけで済んだはずだ。僕も世話になったことがあるけれど……まさか宝珠、君のような優秀な創牌官を育て上げるとはね。しかも土の神牌にまつわるすべまで伝授して。食えない男だったけど、本当に最後までやらかしてくれたものだ」
宦官、という言葉に、「あ」と思い出した。そういえば養父と一緒にふろに入ったこともなければ水浴びをしたこともない。極力人前で肌を見せようとしなかった養父のあの態度は、自身が宦官であったと知られないようにするためだったのかとようやく合点がいった。
――ねえ、養父様。あなたは、こうなることを予見していたの?
私が、いつか、目の前の青年の前に辿り着いてしまうことを。いいや、予見とまでは言わないにしろ、心のどこかで望んでいたのではないだろうか。でなければ、私に土の神牌の修繕と制作を伝授するはずがないのだから。いつか、もしかしたら、叶うならば。そんな一抹の可能性にかけて、私を育てたというならば。
――あなたの目論見は、成功しましたよ。
とはいえ私が夜昊様のお役に立てているかどうかはまったく別問題ではあるけれど。一族の命と引き換えに生き延び、皇帝となられた夜昊様。そこに宿る感情を、私が知るすべはない。
彼はやはり穏やかに微笑んでいる。もうこの方にとっては、終わってしまった過去なのだ。取り戻せない遠い過去。
それが無償に悲しくてまた涙がこみ上げてきたけれど、なんとか耐えて、「あの」と声を震わせた。
「夜昊様、が、皇帝陛下となられたのは、復讐ですか?」
三年前、この方は先代皇帝陛下と異母兄弟すべてを弑逆し、玉座に就かれた。自らから奪われたすべてを、取り戻そうとなさったのだろうか。そしてその上で、子を成す気がないからと、私にお妃様方を後宮から追い出させようとしていらっしゃるのか。
手が込んでいるようで、その実非常に解りやすい復讐だ。そんな言葉、こんなにも輝かしく麗しい佳人にはちっとも似合わない。
私の問いかけに、「んん……」とわずかに首を傾げた。
「復讐というよりも、死なないでいなくてはならない理由のため、かな?」
「……先日、私が牌狩りに人質に取られた時、あっさり自決なさろうとしたくせに?」
「うん、あれは自分でも意外だった。死ぬわけにはいかないのに、君のためならいいかな、なんて思ってしまったんだもの」
「お礼なんて、言えませんからね」
「うん。ただね、あのときが例外だっただけで、本当に僕は、死なないでいなくちゃいけないんだ。それだけは確かだから、安心していいよ」
なんとも回りくどい言い回しだ。そんな言い方で、何をどう安心しろというのだろう。そうなじりたいのに、穏やかに微笑む夜昊様の姿が、なぜだかとてもはかなく見えてしまって、もうどうしようもなくなってしまって、私はすっくと立ち上がった。
「宝珠?」
「少々お待ちください」
不思議そうにこちらを見上げてくる夜昊様を寝台に残し、常備してある絵筆と顔料、それからまっさらな、まだ何も封じられていない神牌を取り出す。
きょとんと金色の瞳が瞬いて、そのままじっとこちらを見つめてくるけれど、構うことなく絵筆を滑らせる。
鍛冶道具を掲げた低い等身の老人。槌に似た形の蛇。輝ける王冠を被った女性の上半身を持つ蜘蛛。先ほど召喚したばかりのもぐら。他にも次から次へと思いつく限りの精霊の皆様のお姿をまっさらな神牌に描き出し、そして祈りを込めて叫ぶ。
「来来!」
どうか、どうか、この声に応えて。正式な手順を踏んでいない、その場限りの契約だ。けれどそれでも、彼らは――――土に属する神牌の皆様は、私の声に応えて、誰もがこの場に顕現してくれた。
寝台に座ったままだった夜昊様が、瞳を見開かせて、思わずと言ったていで立ち上がる。そんな彼のもとに土属性の精霊や神仙の皆様は誰もが喜びをあらわにして集まった。
――やっと会えたね!
――久方ぶりよのぉ。
――わたくし達のかわいい愛し子、イイ男に育ったじゃない。
――ああ、ああ、祝杯を挙げなくては、我らのこの再会に!!
明らかな歓喜を宿し、誰もが夜昊様の周りを取り囲み、ある存在はその頭を撫で繰り回したり、ある存在はその頬を撫でたり、ある存在はその足にすり寄ったりと、もうやりたい放題である。
散々好き勝手にされているのに、夜昊様は言葉を失ったままだ。呆然と立ちすくむ彼に、私は笑いかけた。
「夜昊様」
「な、に」
「夜昊様が、神牌を扱うにふさわしくないお方でしたら、私はどんな手を使ってでも、『賭け』を途中で撤回するつもりでございました」
神牌に宿る尊き存在のことを『便利な道具』なんて言い切るとんでもない無礼者のために神牌を用意するなんて、私の創牌師としての意地と矜持が許せない。でも、それでも、私は彼のために神牌を用意し続けた。だって、仕方がないではないか。
「今この場にいらっしゃる土属性の皆様ばかりでなく、どんな方々も、夜昊様のことをお慕いしていらっしゃるのですもの。夜昊様のお役に立ちたいって、私に一生懸命訴えてくるんです。そんなの、断れるはずがないでしょう。ねえ夜昊様」
「……うん」
「夜昊様が、本当はとてもお優しい方であるということを、神牌に宿るお方は、皆、ご理解なさっていらっしゃる。だから私も、神牌の皆様が信じる夜昊様のことを、信じることにいたしました」
「…………だから、何が言いたいの」
「私は、あなたの力になりたい。あなたが独りではないということを、どうか信じていただけませんか?」
「っ!」
ぶわり、と。夜昊様の身体から、大きな龍氣が膨れ上がり、部屋中を支配する。その土の龍氣に、神牌の皆様は心地よさそうに目を細め、誰もが夜昊様に向かって深く一礼し、その身を私が描いたばかりの神牌へと宿らせる。
今度こそ二人きりになった部屋で、夜昊様はずるずるとその場に座り込んだ。え、あ、まさかいきなり龍氣を開放したせいで立ち眩みでも!?
「夜昊様!」
「……もっと、早く」
「え? きゃっ!?」
慌てて駆け寄って彼の前で跪く私の背に、夜昊様の両腕が回される。そのまま強気引き寄せられ、首元に彼の顔が押し当てられた。そのせいで彼の顔は、私からはまったく見えなくなってしまう。
「夜昊様……?」
「もっと早く、君に会いたかった。君がこの国に、この世界にいてくれることを知りたかった」
震える声で紡がれたその台詞に、息を呑む。押し付けられた彼の顔は見えないけれど、濡れた感触が伝わってくるから、彼はどうやら、どころではなく確実に、泣いているに違いない。
けれどそこを突っ込むなんて野暮な真似はやめて、私はそっと自らの両腕を、夜昊様の背に回した。
そうしてそのまま私は、夜昊様が泣き止むまで、そおっと、そおっと、その背を撫で続けたのだった。




