6-② 子獅子と柳葉刀
いや本当に色々な笑顔を使いこなされるなこのお方、と、場違いにも感心する私の額を、ぱちんっと彼の長い指が弾く。
「ひゃっ!」
「自分で問いかけておいて他事を考えるのはやめなさい。ちゃんと聞くように」
「申し訳ありません……」
「よろしい。僕が君に神牌を任せきりにするのはね、言うまでもなく、まず、創牌師としての妃達の不要性を知らしめるためだよ」
「……っ!」
それ、は。
さらりと告げられたその台詞の内容に息を呑む。それは、お妃様方にとっては、あまりにも残酷なやり口だ。創牌師としての能力を認められ、その実力を皇帝陛下に捧げることこそを至上として、彼女達はこの後宮に入ったはずだ。生半可な決意や覚悟ではなかったに違いない。それなのに目の前の『皇帝陛下』は、笑顔で彼女達のその想いを否定する。
「妃のものでなくとも、皇帝は神牌を扱える。今のところ僕が使う神牌の多くは彼女達の筆によるものだけれど、最近は、宝珠、君のものも使わせてもらっているよ。修繕は文句なし。新たに作ってもらった、精霊自身を封じたものも、その力を封じたもののも、見事なものだ。これで大したことのない神牌だったら、妃達も口を挟んできたのだろうけれど、今のところそれがないとなると……ふふ、おめでとう、宝珠。君の創牌師としての腕は、十分認められるところにあるようだ」
う、嬉しくない……! 本当にもうびっくりするほど嬉しくない。あのお妃様方に認めていただけるだなんて! とここで呑気に喜べる女は、間違いない頭の中がお花畑だ。
脳裏によみがえるのは、四人のお妃様方の、花のようなかんばせ。それぞれ趣の異なる、とびっきりの美貌を誇る方々だった。
楚々とした青妃様、愛らしい朱妃様、凛々しい白妃様、可憐な黒妃様。
現状として彼女達から頂戴しているのは、多かれ少なかれ一様に間違いなく悪印象。こんなキズモノ娘が後宮の一角でのさばって陛下の神牌を独占しているなんて事実、彼女達とってはこれ以上ない屈辱なのではないだろうか。あ、だめだ、考えたらまた胃が痛くなってきた。
「……確かに、陛下のための創牌師としてお妃様方を後宮にとどめ置くのは、我が五星国の重大な損失だと考えられる官吏の皆様もいらっしゃるでしょうね……」
そのお妃様方の代わりが私であるという点はいかがなものかと思いますけども。
私が確認するように呟けば、陛下は「そういうこと」と頷いた。
「優れた創牌師である妃達に、何もさせずにただ後宮に置いておくだけ、という件について、とやかく言ってくる輩は遅かれ早かれ必ず出てくるだろう。何せ創牌師は数少ない『生ける財産』だ。それは妃達も例外じゃない」
まあそれは確かにそうでしょうね、と、遠い目になりながら頷く。
改めて「どうして私が……」という気分になって、内心で滂沱の涙が流れ落ちていくけれども、それを今ここで口に出すほど私は愚かではない。何せ目の前にいらっしゃるのは、無駄口を好かない覇王サマでいらっしゃるので。
なんだろう、視界が歪んできたな。これは決して涙ではなくごみが目に入ったからだと思いたい。
とにもかくにもそういうわけで私の元に陛下の神牌が集まってきているらしい。なるほど理解した。けれど、それだけでは足りないだろう。何がって、お妃様方を後宮から追い出す理由として、だ。
「陛下は、夜、お妃様方の元にお渡りになったことがないと伺いました」
「へえ、誰から?」
「私に食を運んできてくださる女官のお方からです」
「ああそう。余計なことは話すなと命じてあるのに」
「……私が、訊いたんです。あの方は何も悪くございません」
「そう? まあそういうことにしておこうか」
それで? とこちらを見下ろしてくる陛下に、ごくりと息を呑む。
無駄口を好かない覇王サマにこれを訊いていいのかどうかと問われると、非常に微妙なところで、うっかり間違えて無礼討ちもありえそうなのだけれど、それでも聞かないままでは話が進まないので、意を決して口を開く。
「お妃様方から創牌師としての立場を奪ったとしても、あの方々がいずれ御子を成す、その役目までは奪えません。たとえ陛下にそのおつもりがないにしても、周りは認めはしないでしょう。お妃様方が後宮に残られる理由として、それは十分すぎるほど十分なのではないのでしょうか」
「…………へえ。思っていたより鋭いね、君」
す、と。陛下のまなざしに宿る光が、それまでの一貫して穏やかだったそれから、感情を読み取らせない、冷え冷えとしたものへと変わる。それでもなお彼は笑っている。まるで、笑顔以外の表情を知らないように。あるいは、忘れてしまったかのように。
その恐ろしくも美しい表情から目が離せず硬直する私の、てきとうに後ろにまとめていたつもりだったのに、髪紐からこぼれたこめかみから生えるひとふさを、彼はすいと持ち上げた。その手が、驚くほど丁寧な手付きで、そのひとふさを私の耳にかけてくれる。ひゅ、と、喉が奇妙な音を立てた。今度こそ完全に動けない私の耳元で、陛下はふふ、と小さく笑う。その吐息が、耳朶に触れる。くすぐったいと思う間もなく、彼は続けた。
「そろそろ向こうも動き出すころだよ。種はまいた。水も与えた。後は、芽が出るのを待つだけだ」
――――それは、どういう意味なのだろう。
問いかけることもできずに立ち竦む私は、そうして「それじゃあ今日はここまでにしようか」とひらりと手を振って去っていく陛下を、礼を取ることもできずに見送るばかりだった。
そして、それから数日。
やはり何の変りもない、女官としてというよりももう完全に創牌師としての仕事に没頭するばかりの日々が続いた。
その“ここ数日”、陛下は私の元を訪れない。はっきり言おう。平和だ。とても平和だ。あの方といると無駄な緊張感を強いられて、心身両者にとってとても優しくないのだけれど、この数日はもうまるで久々に手に入れた休日のような日々だった。
おかげで神牌の修繕も制作もバリバリ進み、精霊達の言葉にならない、音にすらない、けれど確かに神牌から聞こえてくる歓喜の声に、私の顔は緩みっぱなしである。
「はー! 今日も頑張った! お疲れ様、私!」
夜のとばりがすっかり落ちたころ、私は湯浴みを済ませて、いつも使わせていただいている寝台へと飛び込んだ。
後宮に来てから、とても悔しいけれども喜ばしいこととして、自由に湯浴みができることだろう。あんなにも広い浴場を、のびのび一人で使えるなんて……! と毎日感激しきりである。
こうなると下町に戻った時が怖くなってくる。何せ流石後宮、出てくるご飯はいつもおいしいし、寝台はいつでもふかふかだし、先ほども言った通り浴場は使いたい放題だし、何より、神牌に必要な顔料がどんなものでも無料で取り寄せていただけるのはあまりにもおいしい。おいしすぎる。
そう、そういうおいしい話には裏がある訳で、私は陛下との『賭け』に勝たない限り後宮からは出られず、下町に戻ることは叶わない。
もうこのままでもいいかな~~なんて不意に考えてしまうことがないわけではないけれど、あれだ。あの覇王サマがいけない。
日常にあの方が見え隠れするだけで私の精神はゴリゴリとすり減っていく。やはり人間、身の丈にあった生活が一番だ。やはり私は、『賭け』に勝ち、下町のあの懐かしいほったて小屋へと帰るのだ。
そう決意を新たにした、その時だ。ひゅるり、と、風が吹いた。
「あれ……?」
窓を、開けておいたつもりは、ないはずだった。それなのに、どうして。そうのんびりと疑問に思えたのは、その瞬間までだった。
「きゃあっ!?」
言い知れない悪寒を感じて寝台から転げ落ちると同時に、つい一瞬前まで私が寝そべっていた場所に、冷気を立ち昇らせる漆黒の刃が何本も突き刺さる。
え、あれ、待って、これ私、寝ていたままだったら即この世から退場だったのでは……? と思う間もなく、第二、第三の刃が降り注ぎ、私は床を転がってそれをかろうじてよけた。
「な、なんなの!?」
悲鳴のような私の叫びにご親切にも答えてくれるかのように、ゆらりと。気付けば開け放たれていた窓から、黒い人影が音もなく部屋の中に入ってくる。今日のような月のない闇夜にまぎれる黒の外套と、顔を覆う覆面。男性なのか、女性なのか、年齢も何も解らない。ただ私が理解できるのは、この影のような人物が、間違いなく私をその手にかけようとしているという、その確固たる事実だけだ。
「来来」
神牌を取り出した影が、低く呟いた。同時に召還されるのは、闇の中でもその鋭さを星明りに照らし出される柳葉刀だ。
――武具召喚の神牌……!
そう、神牌に封じられているのは、何も精霊や、その力のみではない。名を持ち、やがて生命を孕んで神霊と化した武具もまた、神牌に封じられることがあるのだ。
市井ではほとんど見かけないけれど、名のある武人にとっては当たり前に所持する神牌。ただその扱いは、ある意味では通常の精霊の神牌よりも難しいとされる。神牌と使用者の相性が大きくものを言うからだ。その点で言えば、目の前の影のような人物にとって、その手の柳葉刀はこれ以上ない相棒なのだろう。ほら、あんなにも刃が誇らしげに輝いて――――って、言っている場合じゃない!
振り上げた刃をぎりぎりでよけ、懐に忍ばせておいたいざという時のための真白い神牌に、寝台の枕元に置いておいた筆を振るえる手で取って、勢いのままにそのまま滑らせる。
「――――来来!」
走り書きのような神牌から顕現したのは、炎の獅子……の、子供、である。全体的にころんとして輪郭は愛らしく、ぽてっと地面に降り立った姿はなんともまあ描き手の欲目で凛々しくもやはりかわいらしい。
この子はもともと私と縁をつないでくださっている炎の高位精霊の眷属だ。あの方を呼び出す神牌は今は手元にないし、直接あの方を呼び出す神牌を今この場で描き上げるのを謎の影は待ってくれるはずもないから、この子を呼ばせていただいた。
確かにこれ以上なく愛らしいが、どう見ても戦えそうにない子獅子を前にして、いったん拍子抜けしたらしい影は、やがて嘲笑うように肩を揺らした。気持ちは解らないでもないけれど―――――甘い。
「お願い、やっちゃって!」
――がぁうっ!
相手が誰であろうが、とりあえず私は私の命を優先させていただきます。
私の号令に従って、子獅子は勇ましく吠えた。その口からほとばしったのは、子獅子の小さな身体からは想像もできないような大きな火球。ゴッと音を立てて宙を切り、それは影に襲い掛かる。やりすぎかと言われるかもしれないが、相手がどう出てくるか解らない以上、今の私にできる全力を尽くすに限る。
そのまま火球は影を飲み込むかと思われた。少なくとも、私はそのつもりでいた。けれど。
「――――――――――そんな!?」
影が、その手の柳葉刀で、火球を一刀両断した。それはあっという間の出来事で、そのまま火球は宙に霧散してしまう。そして遅れて私は、自分の浅はかさを後悔する羽目になった。
――水の氣を宿した柳葉刀なんて!
普通の武具ではなく、精霊の加護、それも火の氣に克つ水の氣を宿した武具だったのだ。だからこそ火球をあんなにも簡単に切り捨てることができたのだろう。子獅子はそれでもなお私を守ろうと勇ましく次なる火球を吐き出そうとするが、だめだ。
「もういいわ、ありがとう。謝謝。炎獅子公によろしくね」
走り書きで描き、かろうじてこの場に顕現しているだけの子獅子にそんな無理をさせたら、存在の根幹に傷がついてしまいかねない。そんな真似は、創牌師としての私の誇りが許さない。私の召喚の声に、慌てたように子獅子はこちらを振り返ったけれど、それ以上は叶わずに、神牌に彼は封じられた。
――……万事休す、ってことね。
もう打つ手はない。私が大人しくなったことを認めたのだろう。わざとこちらの恐怖をあおるように、ゆっくりと影が近付いてくる。こんなところで死ぬなんて冗談じゃなかった。諦めたくなんてない。でも。
――どうしたらいいのか、解らないの。
だって私には、神牌以外には、何もないのに。その神牌を奪われたら、もう、なすすべなんて何一つない。これが『諦め』かぁ、なんて、他人事のように思って、今まさに振り下ろされんとしている柳葉刀を見上げた、そのとき。
「ここはそろそろ僕に助けを求めるところなんじゃないか、宝珠」
「……へ?」




