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「かなしみの子」  作者: 新開水留
50/55

[50]連鎖


「新開」

 名を呼ばれて戦慄が走る。

 黒井七永に名前を呼ばれたのはこの時が初めてだった。

「お前はどう思う?」

「どうって…なにが」

「下の村の連中にはもう会った?」

「…」

「浅葱とか村尾とか小原とかヤマサキとかトガワ…」

「会ったというか、帰れと言われたのは確かだ。浅葱さんという人とは少し話をした」

「名乗った?」

「…いや、自分からは」

「自分からは? ということは、少なくともお前が新開だってことはバレてるんだね?」

 一度会っているからだろう。この少女の本質が本物の悪魔だと分かっていながら返す言葉だけはすらすらと出て来る。しかし何一つ意味を理解しているとは言い難かった。

「バレるというか、別に僕は自分が何者だとも思ってやしないし、隠すような秘密なんてない。バレるもなにもない」

「村の連中が何も言ってこなかったってこと?」

 口元に微笑みを浮かべたまま聞く黒井の真意を図りかねた。思い出してみても、何か記憶に残ることを言われた覚えはない。唯一あるとすれば、この二神邸へと向かうべく車で立ち去る間際、僕の名を口にする声が聞こえたくらいだ。それとて呼び止められたという意識はなく、急いでいたこともあってその場は無視した。

 黒井はじっと僕を見つめ、そして二神さんへと視線を移動させた。

「天正堂のお膝元であるこの村の住人がさぁ、『新開』って聞いて、無反応だったわけないよね。ねえお若いの、さてはお前、色んな人間に隠し事を通したままにしてるな?」

 蠱惑的な目で黒井に問われ、二神さんは黙った。臆したようには見えなかったが、歯切れよく返答出来る心理状態ではないようにも感じられた。

「で、だ」

 そう口にした黒井が、瞬時に幻子の前に立った。秋月さんの傍らに立った時もそうだが、動きが早いとかいうレベルではない。完全に、空間すっ飛ばして移動している…。

「お前自分のこと、神の子だぁなんて、言ってたよね。何でお前の(まじな)いが私に効かないのか、その答えは出た? ずっと考える時間を上げてたんだから、そろそろ教えてくれないと、また殺すよ?」

 三神さんが両手を伸ばして幻子の肩を掴み、自分の背後へと回り込ませた。殺すならまずワシを殺せ、という強い意思表示を感じた。

 黒井は小首を傾げて三神さんを見据え、その背後の幻子を睨んだ。

「この世の果てまで逃げたっていいよ。意味なんてないけどな?」

 そう言って愉快そうに笑う黒井に向かい、幻子は、

「分かりません」

 そう正直に答えた。

 僕の胸が激しく痛んだ。この世の(ことわり)を無視する神の子、そう称された彼女はしかし十八歳である。少女に何かを期待するには相手が悪過ぎた。だがそれでも、三神幻子は誰にも遅れを取ってほしくなかった。口に出して言う事はない。だがそれが、僕の本音だったのだ。

 黒井が手の平を上に向けて掲げると、何もない空中からナイフが落ちて来た。先程めいちゃんによって刺された刃物が、いつの間にかどこかへ消え、そして今になって現れたのだ。黒井は手の上でクルクルとナイフを放り投げて遊びながら、言う。

「私は確かにお前に言ったよ? ネロファミーリアに会いに行く。それは黒井で間違いない。だけど私が会いたかったのは、そこにいるヨボヨボのお婆ちゃんなんかじゃないんだよ。暴飲暴食でしか己を保てない太ったお婆ちゃんなんかじゃないんだよ」

 揶揄された紅さんと玉宮さんは悔し気に拳を握りしめている。だが歯向かったところで太刀打ち出来ないことは、一度殺されて身に染みている。

「黒井であれば誰だっていいって、そういう考えだったのかもしれないけどね。だけど悪魔との契約は、そんな単純なものじゃないんだよ」

 幻子の瞳が震えた。

「…では」

 誰に会いに来たというのか。その質問を口にする前に幻子は、そして僕たちは、たった一つの答えに辿り着いていた。

「それだよ」

 そう言って黒井がナイフを投げた。ナイフは、いまだ芝の上でヒクヒクと蠢いている『文乃さんだったもの』に突き刺さった。

 同時に秋月さんが地面を叩いた。彼女の両手と芝生の接地面から朝日のような眩い光が迸り、地面からナイフがはじけ飛んだ。

「へー」

 黒井はそれでも余裕の笑みを浮かべ、誰もが目を見張る秋月さんの治癒能力を見て楽しんでいる。

 

 足元から順番に再生していった黒井七永とは違い、文乃さんは頭頂部を皮切りにして地の底からゆっくりと浮かび上がって来た。やがて悲しみを称えた彼女の目が僕たち全員の視線を受け、溢れんばかりの涙が月明かりを映す…。


 秋月さんはこれでもかと両目を見開き、血が滲む程唇を噛み締め、汗の浮かんだ首筋、両肩をブルブルと震わせた。おそらくだが、およそ人の形を成していない肉片を完全再生したのはこの時が初めてだったのではないだろうか。彼女の精神力と集中力に導かれ、夜空に雷雲たちが集まって来る…。

「お姉ちゃん頑張れ!」

 めいちゃんが叫び、

「うううーーーあああッ」

 秋月さんが気を吐いた。

「文乃さん!」

 僕が叫び、文乃さんが両足で地面に着地すると同時に、秋月さんは力尽きたように突っ伏した。自らの身体ならまだしも、離れた場所にいる他人の傷ついた肉体を、しかも直接触れずに地面を通して完全再生してみせたのだ。本来ならばもろ手を挙げて大歓声を上げる場面だ。だが、文乃さんの涙がそれを許さなかった。

「文乃さん」

 名を呼んだ僕を見つめ返し、文乃さんは苦し気に微笑んだ。

 文乃さんの衣服は破損したままであり、ほとんどボロをまとっているようにしか見えない。しかし三神さんがMA-1を差し出すも、文乃さんは怯えたように身を引いてそれを拒んだ。

「新開さん。そして皆さん。皆さんと七永の会話は私にも聞こえていました。これまで黙っていた多くの真実について、今ここでお詫びします。本当にごめんなさい」

 彼女がそう泣いて頭を下げた途端、僕はカッとなって叫んだ。

「どうしてあなたが謝るんですか!あなたが謝る理由なんてどこにもない!ひとつもないじゃないですか!顔を上げてくれ!」

 訴えかける僕を嘲笑うように、黒井が割って入る。

「あるんだなーこれが」

「お前が言うなッ!」

「あるもんは、あるもーん」

「ない!」

「ある」

「ない!」

「ある」

 中高生にしか見えない少女の姿をした悪魔相手に、僕こそがまるで癇癪を起した子供のようだった。しかし認めたくないのだ。誰が正しくて誰が間違っているのか、そういう事じゃない。真実を真実だと認めたくなかったのだ。

「もー、面倒くさい奴だなあ」

 黒井は腕を組みを苦笑し、こう言った。

「私と文乃なんだよ」


 キーンと静寂が音をたてた。


「私と文乃がはじまりの姉妹なんだよ。今なお生き残ってる黒井一族の一番初めに立ってるのは、私と文乃なんだよ。そこのお婆ちゃんたちも、現代の魔女も、それに新開…お前も。みーんな私らの末裔だよ。これで理解出来たかな? 壮大な憎しみの連鎖を…」



 なるようになるさと人は言う。

 おそらく前向きに言ってのける、その一方で。

 なるようにしかならないもんなんだよと人は嘆きもする。

 後ろを向いて、だけど諦めきれない顔で。

 分かるさ。実際、世の中なんてそんなもんだろう。

 だけどそれって言い換えてみれば、人の願いなんて叶うもんじゃないって。

 そう言ってるのと同じ事じゃないのか? 


「人は、なにひとつ自分の思い通りにならない世の中で、たった一つ確定している死に向かって生きている。喜びに満ち溢れた薔薇色の日々も、汚辱と血にまみれた暗黒色の日々も、いつかは等しく終わりがやって来る。そんな、この世でたった一つ確かだったはずの真実が目の前で崩れさった時、私はすべてを諦めた」



 私は諦めたんだ。

 ……人間らしくあろうとすることさえも。





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